金色のちひさき月のかたちして2018年02月15日 07時20分09秒

最近、1枚の幻灯スライドを見つけました。
金星の満ち欠けと、見かけの大きさの変化を、1枚の写真に合成したものです。


それにしてもどうでしょう、このスライドの表情ときたら!
ガラス板を包む紺の色紙。
写真を囲む黒地に金の装飾模様。


丸窓に並んで輝く金星3態。
天文モチーフの幻灯スライドは、それこそ星の数ほどあります。でも、これほど完璧なデザイン、完璧なフレーミングのものは少ないでしょう。それ自体が、一個のアート作品のようです。


メーカーは、アメリカのベセラー社(Beseler Lantern Slide Co.)で、時代は19世紀終わり頃。左肩の星マークも洒落ているし、この鋭角的な味わいは、パリでもロンドンでもなく、まさにニューヨークであってほしく、その所在地がマンハッタンのど真ん中、東23丁目131だというのも高ポイントです。(ベセラー社は、今も工業機器メーカーとして存続していますが、会社はペンシルバニアに移転してしまいました。)


このスライド、写真自体は普通のモノクロですが、販売時の商品写真では、背景が灰色がかった青緑に写っていて、それもまたすこぶるカッコよく感じました。

モノクロのスライドも、背景光の選択など、投影の仕方の工夫次第で、その表現の可能性はさらに広がる気がします。

コメント

_ S.U ― 2018年02月16日 06時54分52秒

 いいお品ですねぇ。これは、地動説が正しい説明であることを確信させるだけのインパクトがあります。
 
 さて、これが金星であることを知らない人が見ると、これはどのように見えるのでしょうか・・・世の大半の人は月だと思うでしょう。単に、月を不揃いな大きさで適当に並べたものと見るか、何らかの人工的にアジャストされたデザインと見るか・・・まさか、天然の比率:金星の軌道半径/地球の軌道半径=0.72にもとづくものとは思いますまい!

_ 玉青 ― 2018年02月17日 11時27分33秒

いいでしょう。(^J^)
でも、本当は金星の可憐な満ち欠けこそが、自然のアートかもしれませんね。
この惑星が美神ヴィーナスの名を負ったのは、そのプラチナゴールドの輝きも一役買っているのでしょうが、さらにその向こうに、こんな秘密が隠されていたとは、望遠鏡発明以前の人々には想像もできなかったでしょう。…と書こうとして、「いや、待てよ。金星の満ち欠けは、それ以前から理論的に分かっていたはずだ。その頃の人々が想像で描いた金星の満ち欠け図なんていうのが、きっとどこかにあるんじゃないか」と思いつきました。その具体例はぱっと出てきませんが、もしご存知よりのことがありましたら、またおいおいご教示ください。

_ S.U ― 2018年02月17日 14時57分47秒

>それ以前から理論的に分かっていたはず~想像で描いた
 ガリレオ以前ということですか。面白いことを考えられますね・・・ 聞いたこともないというか考えたこともありませんでした。ティコ・ブラーエも描いていませんよね。

 金星は完璧に明るい見た目の輝きなので、「理論的」には自ら光芒を放って炎の如く輝いていると考えられていたと思います。冷静な学者であっても、たいていは、太陽の反射と仮定することすら難しかったと思いますが、へそ曲がりの人はいつの世にもいるものですから探せばあるかもしれませんね。

 それとは別に、肉眼で金星の三日月形を見た人もいたはずと思います。でも、それを真実と信じられるか、ましてやその説明を考えられるかというのはまったく違うレベルのことと思います。

_ 玉青 ― 2018年02月18日 12時44分29秒

ありがとうございます。S.Uさんのお返事に触発されて検索したら、この件について詳しく論じている以下の論文に行き当たりました。

■Palmieri, P., Galileo and the discovery of the phases of Venus
Journal for the History of Astronomy, Vol. 32, Part 2, No. 107, p. 109 - 129 (2001)
http://adsbit.harvard.edu//full/2001JHA....32..109P/0000109.000.html

まったくの走り読みですけれど、この件はまさにS.Uが問題視された点、すなわち星(惑星も恒星も)の光は何に由来するのか…という議論と不可分のもので、中世のスコラ学者たちは、星は太陽の光を反射しているのか、自ら光っているのか、あるいは自ら光らないまでも太陽の光をいわば「蓄光」しているのか…といった点で、いろいろ議論しており、その中で惑星の満ち欠けを予見する学者も早くからいたようなことが書かれていました。(やっぱりヘソ曲がりは、どこにでもいますね・笑)

そして、ガリレオによる金星の満ち欠けの実観測についても、これは弟子からの手紙に書かれていたアイデアを、ガリレオがパクったのだ…という説が以前からあって、上記論文は、それへの反論として書かれています。ただ、いずれにしても、ガリレオ以前に描かれた『絵』は見つかりませんでした。

なお、金星の満ち欠けは、ちょうど人間の視力(分解能)の限界線上にあるらしいですが、中には飛びぬけて鋭眼の人がおり、その観察記録は遠くメソポタミア時代に遡るとか、遡らないとか…。(cf. https://en.wikipedia.org/wiki/Phases_of_Venus

_ S.U ― 2018年02月18日 15時28分33秒

おぉ、面白い論文を見つけられたようですね。
 私は、詳しい背景は知らないのですが、『天文対話』で月が(惑星も)地上と同じような土くれや岩石でできているのか、それとも、水晶や鏡や蛍光物質のような積極的な光特性を持った物質でできているのか、盛んに気にしているようですので、ガリレオは、少なくとも地動説を確信し始めた頃には、天体物質の議論と金星の位相を結びつけて捕らえていたはずです。

 ティコ系や複合系の太陽系図の古いのはたくさんあるようですが、金星の日当たりが位相になっているような図は一つもないのですかねぇ。

>中には飛びぬけて鋭眼の人
 だいぶ以前(といってももちろん現代)に天文雑誌に、恐ろしく視力の良い人の話として、昼間に肉眼で金星の形が見えるという談話の取材が載っていました。さすがに角のような三日月形に見えるわけではなく、縦長とか横長の棒状に見えるんだそうです。また、全フェイズの変化が終えるわけではないので、肉眼の観測により理論の検証というところまでは行かないと思います。それでも、「惑星は、必ずしも丸くない」ということを観測に基づいて言えるだけでも大発見です。

 メソポタミアは別にして、中国かメキシコにとんでもない観測が埋もれているかもしれませんよ。

_ S.U ― 2018年02月24日 09時08分22秒

関連して、自分が以前に書いたものとの関連を思い出したので、忘れぬよう、ここに引用させていただきます。(御ブログを備忘録に使わせていただいて申し訳ありません)

 日本ハーシェル協会の掲示板(Tea Room)の、投稿:2017年 5月28日で、三浦梅園の『玄語』の以下のような内容を引用しました。

---以下 日本ハーシェル協会掲示板上記投稿より引用

 また、地冊・露部・性界の冊・日影・色界の終わりのほうに、「太陽は、景影の両世界を作る中心であり、月や惑星は明るい世界にあって暗く(自らは光っていない)、星や天の川は暗い世界にあって明るい」という意味のことを書いています(*2)。・・・(中略)・・・
 なお、三浦梅園がどうして『玄語』の「色界」にあるような説を知ったのかということですが、これは、ちょっとわかりません。玄語は1770年代に完成したことになっていて、当時、麻田も中井兄弟も西洋説については詳しくは知らなかったはずです。梅園が独自に発案した、中国書に地動説以降の西洋説の紹介があった、蘭学者に聞いた、という可能性が考えられますが、どの説もそれほどもっともらしいとは言えず、この部分は謎のように思います。

----(引用ここまで)

 これによると、三浦梅園は、金星は自ら輝かないということを確信していたことになります。理由を含め、これ以上のことはわからないので、こういう疑問があったということを引用して指摘するに留めたいと思います。

 なお、「玄語は1770年代に完成したことになっていて」というのは、三浦梅園の執筆の範囲で、安永本が一応の成立と見られていることを指すもので、玄語そのものは梅園の没まで未完で、後世に刊本になったものは息子の主齢の編集によるものです。よって、細かい部分まで1770年代に完成していたと見てはいけないのでしょう。でも、惑星が輝かないというのは、天体の性質の知識としては哲学的にも根源的なものだと思うので、1770年代は時期的に微妙なものの、これが蘭学以前の東洋説あるいは漢籍知識である可能性が高いように思います。

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