ザ・エフェメラ2018年03月18日 13時57分13秒

エフェメラ、すなわち「消え物」。

日本語で「消え物」というと、お土産や贈り物を選ぶときに、消費すればなくなるお菓子なんかをイメージして、「まあ、消え物がいいんじゃないの」…とか言うときに、もっぱら使うのかもしれません。

でも、古物業界では、チラシやパンフレットのように、本来その場限りで消えてなくなる紙モノの類を「エフェメラ」と呼び、意味はずばり「消え物」です。エフェメラはエフェメラルな存在であるがゆえに珍重され、そういう品を熱心に収集するコレクターがいます。

   ★

では、こんな品はどうでしょう?

(紙面サイズは約5×12cm)

黒板に残された講義のあと。
この写真を撮ったあと、すぐにも消されてしまったであろう、数式たち。
人間の思念が外部に実体化した白墨のアート。
そこで展開された口舌の技。

――その残り香が、ここには感じられます。そして、これこそエフェメラ中のエフェメラじゃないでしょうか。

なぜ、わざわざ板書の写真が撮られたかといえば、これを書いたのが相当な傑物だったからです。すなわち、天体物理学者のフレッド・ホイル(Sir Fred Hoyle, 1915-2001)


写真裏のメモには、「ホイルによる講義(コロキウム)終了後の黒板。ケンブリッジ天文台にて。1959年5月」と書かれています。

ホイルはビッグバンによる宇宙開闢を否定し、その考えを否定する立場から、この「ビッグバン(大ぼら)」という用語を最初に使い始めた人として、何となく不名誉な形で、その名を知られていますが、ホイルが傑物であることに変わりはなく、その主たる業績は、恒星内部での元素合成の理論にかかるものです。

彼は1945年から73年まで、ケンブリッジで研究生活を送り、この写真が撮影された前の年、1958年には、同大学の天文分野における一番の顕職である「プリュミアン教授」に任命されています(1704年にトーマス・プリュームという人の発願でできた、一種の冠講座です)。

肝心の数式の意味が分からないのは、かえすがえすも残念ですが、それでも宇宙の真理を探るべく奮闘した、時代の傑物の体温が、そこからじんわり伝わってくるようです。

なお、この写真はケンブリッジ天文台の内外を写した、他の数枚のスナップ写真とセットで売られていました。売り主のお父さんは、ホイルと共に働いた同天文台のスタッフだそうですが、その名は聞き漏らしました。


【おまけ】

今日の記事のタイトルは、正確を期せば「ジ・エフェメラ」でしょうか。
「ephemera」は集合名詞の仲間で、複数形しかとらないそうですが、この語の本義である「カゲロウ(昆虫)」の意味では、立派な単数形があって、「一匹のカゲロウ」は「an ephemeron」になることを、さっき知りました。 

コメント

_ S.U ― 2018年03月19日 15時42分38秒

エフェメラは、単体のものでもエフェメラなんですか。珍しい単語ですね。

 さて、フレッド・ホイルの定常宇宙論は、観測される宇宙膨張が進んでも、宇宙の密度を一定に保つために、現在も定常的に物(素粒子)が創造されるという仮説でした。つまりビッグバンの代わりに、日々、モノが生まれますが消滅しません。というのは、高校生の時に本で読みました。これが正しければ、ホイルの学説は、エフェメラと逆で「生まれ物」ですね。

 残念ながら、私は、定常宇宙論をそれ以上勉強したことないので板書を見てもわかりませんが、electron production rate per cm^3 per sec とありますので、知られている宇宙膨張で拡散するエネルギー密度を補うための物質生成率を電子の個数に換算した計算だと推測します。遠い距離の宇宙空間について球殻を考えて、そこでの膨張速度の関数(ローレンツファクターγ)で与えているようです。

 定常宇宙論が廃れ、電子の無からの創成がなくなったのみならず、いまやこのような講義をする先生もいなくなったでしょう。残念です。

_ Nakamori ― 2018年03月20日 08時16分42秒

S.Uさま、めっちゃ詳しいですね!

私はホイルのことは『僕らは星のかけら-原子をつくった魔法の炉を探して-』(マーカス・チャウン著、糸川洋訳)で知りました。量子力学は敷居が高いですが、興味深い分野です。ホイルがノーベル賞を獲っていないことはノーベル賞の汚点の一つである、とどこかで読みました。とても魅力的な人物ですが、ちょっと変わってますね(*^_^*)

この本で、鉄よりも重い物質の生成には超新星爆発が関わっていることを学びましたが、最近のニュースで、中性子星の合体によって重い元素が生成される過程が観測されたことを知りました。ホイルから脈々と続く学問の流れに感動します。

さて、エフェメラルといえば、生き物屋にとっては、ヒメギフチョウなど早春だけに出現する「スプリング・エフェメラル」が思い浮かびます!札幌は今日も雪。待望の季節はもう少し先です。

_ 玉青 ― 2018年03月20日 22時53分37秒

○S.Uさま

ありがとうございます。
なるほど、このコロキウムでは、ホイルの「本業」(元素合成)ではなく、定常宇宙論に関する議論が行われていたのですね。そう伺うと、この白墨の痕にいっそう気宇広大なものが感じられて、有難味が増す感じです。

そして、この黒板と白墨だけで―本当は「だけ」ではないのでしょうけれど―大宇宙の神秘に迫る感じが、アインシュタイン夫妻がウィルソン山天文台を訪問した際のエピソードを、何となく思い起こさせます。(高価で複雑な観測機材を前に、「これは宇宙の形を決定するためのものです」と案内者が説明するのを聞いた夫人が、「あら、主人はそれを古封筒の裏を使ってやってますわよ」と答えたという、あまりソースのはっきりしない逸話です。実験系の人からすると「分かっちゃいないね」ということになるのかもしれませんが、私は結構この話が好きです。)

○Nakamoriさま

>ギフチョウ

この場合、「消え物」では散文的に過ぎるので、「うたかた」とか、「かげろう」(陽炎のほうの)とか、いっそ「ゆめまぼろし」とかになぞらえたいですね。ふと現れ、ふと消える様は、まさに「一場の夢」と呼ぶにふさわしい感じです。

_ S.U ― 2018年03月21日 00時41分43秒

Nakamori様、 
 特に詳しいことはないのですが、お声がけありがとうございます。こちらこそ、ホイルがノーベル賞をもらっていないことがノーベル賞の汚点というお話をありがとうございました。調べて見ると、ファウラーという彼と共著論文を書いた人がチャンドラセカールとともに受賞しているのですね。理論代表がチャンドラセカール、実験代表がファウラーとなってホイルは狭間に埋もれてしまったのかもしれません。もう少し長生きしていたら、ガモフもこれに加わっていたでしょう。

玉青様、かくの如く理論と実験が両輪ですから、奥方の言っていることは、半分は正しいわけですね。いずれにしても、私の板書の解釈は、不確かですから話半分にお願いします。

 ところで、この写真の右上には、"Non-steady state"と書かれているのでしょうか。「非定常状態」ですが、これが彼が大ぼらと呼んだ今日のビッグバン理論のことなんでしょうか。

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