星降る夜2018年05月04日 21時56分58秒

早速の訂正ですが、昨日の絵葉書は、ドイツではなしに実はオーストリア産でした。
いい気になって記事を書いたので、いかにも間抜けな感じですが、オーストリアにも「ウィーンの森」というのがありますから、まあ、あれはあれで良しとしましょう。

   ★

お詫びと言っては何ですが、本物の「星降るドイツの森」を載せます。


左下に注目。直径55ミリほどの小さな銀色の枠にガラス蓋がはめ込まれています。
その奥の丸い画面には…


森があり、星があり、月が浮かび、少女が立っています。

少女のそばに開いた穴に、仁丹粒のような小球を転がしてはめ込むという、ドイツ製のミニゲームです。時代は1950年前後でしょう。
小球の形がちょっといびつな上、底面も微妙に湾曲しているので、「完全クリア」は結構大変です。


この小球はもちろん「星」を表しており、空から降ってきた星を、少女がスカートで受け止めている場面だ…ということは分かります。でも、一体全体何でそんなことをしているのかが謎。

そこで、ネットに相談したら、これは『星の銀貨』というグリム童話を題材にしていることが判明。<両親を亡くした貧しい少女が、道で困っている人に出会う度に、手にしたわずかなパンを与え、服を与え、何もかもあげてしまって、森の中で寒さに震えていると、やがて空から星が降り注ぎ、それがたちまち銀貨に変わって、少女は幸せに暮らしましたとさ>…というお話です。

ひょっとしたら、<少女は星でいっぱいの天に召され、永遠の救いを得ました>というのが原話で、グリム兄弟の頃(19世紀初め)には、それが近代的に変質していたのかもしれません。美しい星が銀貨に変わるところが、ちょっと俗っぽい感じです。
(でも、お金の有難味を知り抜いている少女が、それでも気前よく施しをしたところが、一層尊いのだ…というふうに、グリムの同時代人は解釈したかもしれません。)

ともあれ、このゲームもまた、森と星を取り合わせた「ドイツ的光景」の好例です。
星をモチーフにしたゲームとしても魅力的だし、その「夜の色」がまたいいですね。


ちなみこのゲーム、ピカピカの銀貨よろしく、裏面は手鏡になっています。

コメント

_ S.U ― 2018年05月05日 09時12分18秒

>オーストリア産
大丈夫ですよ。ドイツの森もオーストリアの森も同じようなものです。
 と言うと、「何をいい加減なことを言うのか」、と現地通の方からお叱りが来そうですが、私の言うにはちゃんと根拠があります。

 実は、私は、ドイツのミュンヘン空港から、陸路バスで、オーストリアのザルツブルク旧市街に向けて国境を越えたことがあります。アウトバーンの途中、ドイツ・オーストリアの国境には、事務所やパーキングがありましたが、そのすぐ南側は黒々とした一つのつながった森でした。車窓から見た景色をよく覚えています。故に、ドイツの森もオーストリアの森も同じようなものだというのは、私がこの目で見たことですから大丈夫です。

_ S.U ― 2018年05月05日 09時23分08秒

「星の銀貨」についてもコメントさせて下さい。星と銀貨の連想は、たいへん興味深いです。これは、グリムの原作でこうなっているがそれより前はわからないのですね。

 星と銀貨の関連が「後知恵」であるかという問題について、抱影翁の「下田の三ドル星」(『星座春秋』など)を思い出しました。抱影は、下田で聞いたオリオンの三つ星の異名「三ドル星」をドル銀貨から来た発想と解釈したようですが、後の研究で、近くの地方で「三ぞろ星」が見つかり、もともとはドル銀貨とは関係ないらしいことがわかったといいます。

_ 玉青 ― 2018年05月07日 07時07分51秒

ありがとうございます。では安心して、論を進めことにいたしましょう。(^J^)

時に「三ドル星」の話、面白いですね。
まあ「三ドル」が「三ゾロ」の転訛であり、元は賭博用語(賽の目からの連想)から来ているのは間違いないところでしょうが、悩ましいのは、現実に「三ドル」の用例がある以上、そこに民衆レベルの語源解釈(フォークエティモロジー)が働いた可能性がある…という点ですね。そして、その転訛の過程には、ドル銀貨の存在が(抱影の想像どおり)実際に介在したのかもしれません。

その点、抱影も最後の方は弱気になって、「三ドルは三ゾロの転」で済ませてしまいましたが、抱影に報告された里謡「お吉可愛やあの三つ星も、ドルに買はれて波の上」なんかを読むと、一見突飛な三ドル説も、案外捨てがたいぞ…と思ったりします。下田の人がなぜあの星を「三ドル星」と呼んだのか、地元の人なりの説明を、抱影翁にはもう少し突っ込んで調査してほしかったですね。ひょっとしたら、<唐人お吉、三ツ星、ドル銀貨>をめぐる、興味深い「民衆の語りの世界」が、そこにはあったかもしれません。

_ S.U ― 2018年05月07日 21時33分08秒

>あの三つ星も、ドルに買はれて波の上

 うーん、フォークロアとフォークエティモロジーが一体不可分になっておりますね。
 また、この里謡だか都々逸だか存じませんが、実に良くできていますね。これを読み返していると、ひょっとして、抱影翁が弱気になったのは、あまり話が良く出来過ぎていて警戒したのかもしれないと思います。

 娼妓よろしく三つ星までドルに買われるとは出来過ぎで、しかも、もとに「三ゾロ」があって「三ドル」になるのも出来過ぎだし、そもそも唐人お吉の悲劇の物語そのものが出来過ぎで、民衆の物語に違いないとしても、単に素朴に出来上がった話のようには思えなかったのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2018年05月09日 07時10分21秒

うまい話にはご用心…というわけですね。とはいえ、「うまい話」こそフォークエティモロジーの特質で、そこに落語めいた可笑しみがありますよね。「鵜が呑み込むのに難儀するから、『鵜難儀』転じてウナギだ」とか。三ドル星の場合も、後人の付会にせよ、何か「いかにも」という感じの、面白い話が聞けたかもしれんなあ…と、妙なところが気になります。まあ、抱影は別にフォークエティモロジーや「落とし噺」に関心があったわけではないでしょうから、三ドルに深入りしなかったのは、真っ当な判断ではありますね。

_ S.U ― 2018年05月09日 21時36分08秒

 宮沢賢治の論評の関係でも議論させていただいたことがありますが、抱影翁は妙に細かいところにひっかかったりウェットな面を見せたりする反面、必要以上に厳格にシャキッとして切り捨ててみせることもあり、現代からみるとその切り分けが明治人の頼もしさなのかと思います。

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