日本の星座早見盤史に関するメモ(2)…三省堂『星座早見』の進化 ― 2020年05月23日 12時24分08秒
(本日は2連投です)
三省堂初期版の売れ行きに応えて、同社はさらに「普及版」というのを出します(「三省堂普及版」と呼ぶことにします)。
こちらは昭和4年(1929)の発行で、手元にあるのは昭和14年の第63版。
平均すると、ふた月に一遍の割で版を重ねるという、「初期版」以上の超ハイペースです。昭和戦前の星座早見盤市場は、これら初期版と普及版によって占められていました。
ちなみに、戦前の理科教材カタログを見ると、初期版は1円20銭(昭和7年、島津製作所「初等教育理化学器械目録210号」)、普及版は80銭(昭和13年、前川合名会社「理化学器械博物学標本目録」)でした。小学校の先生の初任給が50円の時代です。ソースの年代差を考慮して、今ならざっと普及版が3千円、初期版が5~6千円のイメージでしょうか。
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普及版がその後いつまで発行が続いたのかは未詳ですが、初期版は戦後しばらく発行が続けられたことは上で述べたとおりです。しかし、さすがにパロマー天文台の時代に、明治のままのデザインは時候遅れですから、日本天文学会と三省堂のコンビは、新時代に向けた早見盤を売り出しました。昭和26年(1951)のことです(「三省堂戦後版」と呼びましょう)。
(同裏面。手元の品は昭和30年(1955)の第5版)
時代のデザイン感覚は争えないものです。これぞまさに戦後です。
まあ星図自体は、地紙がブルーに変わったぐらいで、あまり変わりがないんですが、よく見ると星座の名前が右書きから左書きに、そして漢字から仮名書きに変わっています。分点(星の座標表示の基準点)も、たぶん修正されているでしょう。
機能面に関しては、360度の地平線を示す「窓」の外側に、天文薄明線を示す小窓が2つ設けられたのが新しい工夫。
日の出が近づくと、あるいは日没後間もないと、太陽の光が地平線から洩れて観測に影響が出るので、何時から何時までが天文薄明に当たるかを見るため設けられたものです(外縁部の日付・時刻目盛りと、星図上に描かれた黄道目盛りを組み合わせると、任意の日付の天文薄明時間帯が読み取れます)。天文ファンを意識したらしい、通好みの機能です。
(この項さらにつづく)
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