アンティーク望遠鏡(4)…昔のカタログから(その2)2006年05月01日 23時16分02秒


★3インチ真鍮製監視用望遠鏡(3-inch Brass Look-out Telescope)

金属鏡筒は、光沢のある真鍮を使用し、ラッカー仕上げ。対物レンズ径は3インチ。
真鍮製の鏡筒を延伸し、フードとすることで、日光や雨から対物レンズを保護。ピント調整はラック・アンド・ピニオン方式。着色した松材を用いた、大型野外用三脚(tall garden tripod)には、望遠鏡を水平・垂直方向に動かすための金属製架台が付属。最大鏡筒長は4フィート6インチ。倍率40倍。
<価格 14ポンド14シリング>


★上記と同一スペックで、卓上用金属三脚に載った品は、12ポンド12シリング。

★上記と組み合わせて使用する「天体観測用接眼レンズ」(倍率80倍、太陽観測用の色付きガラスが付属)は、1ポンド10シリング。


■メモ■

カタログの配列上、この‘Look-out Telescope'は、航海用望遠鏡(Naval Telescope)と天体望遠鏡(Astronomical Telescope)の間にはさまれて出てきます。基本的には正立像の地上用望遠鏡でありながら、アイピースを変えれば天体観測用にも転用できるというのが売りのようです。

アンティーク望遠鏡(5)…昔のカタログから(その3)2006年05月02日 05時18分56秒


★3インチ「学習用」天体望遠鏡(3-inch "Educational" Astronomical Telescope)

普及版(second quality)の対物レンズは、直径3インチ、焦点距離39インチ。真鍮製の本体は光沢のあるラッカー仕上げ。先端は露よけキャップとなっております。倍率80倍の天体観測用アイピース1個付属(着色サングラス付き)。ラック方式のピント調整機構。垂直・水平方向の動きが可能な卓上用金属三脚。
<価格 11ポンド11シリング>

★同一スペックで、ファインダーおよびラック調整式の固定棹(steadying rod)、さらに2個のアイピース(80倍、120倍)が付属する上級品は、価格21ポンド。

★望遠鏡収納用のニス塗り木箱は、価格2ポンド15シリング。

★着色松材を用いた大型野外用三脚は、価格3ポンド15シリング。

★監視用地上望遠鏡に転用するための正立アイピース(40倍)は、価格2ポンド5シリング。

★追加アイピース…60倍、100倍、120倍、150倍、サングラス抜きで各1ポンド5シリング。


■メモ■

「学習用」というのは、今でも廉価な望遠鏡の枕詞として使われますが、その古風な姿です。三脚のカーブがいかにも古めかしく、先に書いたように「19世紀そのまま」の姿です。

アンティーク望遠鏡(6)…昔のカタログから(その4)2006年05月03日 05時52分18秒


★3インチ天体望遠鏡(3-inch Astronomical Telescope)

付属する最高級(best quality)対物レンズは、直径3インチ、焦点距離42インチ。光軸調整済み(with squaring-on adjustment)で、真鍮製の保護キャップ付き。真鍮製の本体は光沢のあるラッカー仕上げ。鏡筒長は3フィート6インチ。倍率80倍と150倍の天体観測用アイピースが2個付属(太陽観測用の着色サングラス付き)。ラック方式のピント調整機構。ファインダー望遠鏡を本体に装着。ラック調整式の固定棹(stadying rod)付き。垂直・水平方向の動きが可能な卓上用金属三脚。松材製のニス塗り木箱入り。<価格 37ポンド10シリング>

★大型野外用三脚、正立アイピース、追加アイピースは前項に同じ。


■メモ■

前の記事で出てきた「学習用」望遠鏡には「普及版」(second quality) レンズが、この望遠鏡には「最高級」(best quality) レンズが使われています。前者は「中程度の倍率において優秀な像を結び、最高で200倍の倍率まで堪える」、後者は「高度の修正・調整が施され、250倍まで堪える」と別ページの解説に書かれています。

価格は「学習用」に較べて一気に3倍。かなりの懸隔があります。それだけに、これを手に入れた人は自慢に思ったことでしょう。


▲お知らせ▲

今日から4日間は家族サービスで留守にします。記事の更新もその間、お休みします。みなさんも良い休暇を!

アンティーク望遠鏡(7)…昔のカタログから(その5)2006年05月06日 16時58分03秒


★天体観測・地上観測兼用望遠鏡(Combined Astronomical and Look-out Day Telescope)

全てが最上等。光沢のある総真鍮製で、露出部位はラッカー仕上げ。最高級の対物レンズは、直径3インチ、焦点距離42インチ。光軸調整済みで、真鍮製の保護キャップ付き。

倍率100倍、150倍、200倍の天体観測用アイピースが3個付属。太陽観測用・月観測用・その他観測用の、明るさの異なる着色サングラス付き。地上用正立アイピースはズーム式チューブ(pancratic tube)付きで、倍率を40倍から60倍まで変えることが可能。光の状態と観測対象の性質に応じて、最良の結果を得ることができます。ラック方式のピント調整機構。

望遠鏡の視野に星を導入するためのファインダーを本体に装着。

卓上用の堅牢な真鍮製三脚は、筒先を垂直・水平方向に動かせます。ラック・アンド・ピニオンの固定棹による上下微動も可。さらに柱脚基部のタンジェント・スクリューにより水平微動も可能となっており、フック式ジョイントのハンドルによって望遠鏡を覗きながら操作することができます。この装置により、星の見かけの運動を簡単に追尾し、視野にとどめておくことが可能です。松材木箱付き。<価格 55ポンド>



■メモ■

経緯儀式では最高クラスの品。アクセサリーも豊富。お値段もさらに高くなっています。

(ブログの方を今日から再開します。ゴールデンウィーク最終日の明日は、一日雨模様だとか。家でのんびりたまった仕事を片付けるつもりです。)

アンティーク望遠鏡(8)2006年05月07日 07時56分00秒


さて、経緯儀式のラインナップを一通り見たので、次は赤道儀式機材の紹介ですが、その前に一服。

昨日たまたま東亜天文学会の会誌「天界」の古い号を見る機会があり、そこによく似た望遠鏡の広告が載っていました。掲載年は1926(大正15)年、これまで取り上げてきた Steward 社のカタログ(1923)とほぼ同時期のものです。

★   ★   ★

スタンダード3吋〔インチ〕天体望遠鏡

天界の神秘
 宇宙建築の機密は
  吾人の探求を待つて居ります

いざ 天界旅行に登りませう
 万有の生気に触るるために
  オットウェイの望遠鏡を持つて

土星の環 木星の衛星 見えます
地上遠望レンズ及サングラス各一個附属す


概算定価 約三百円 学校用には輸入税免除の手続を致します

Ottway's 3-inch Standard Astronomical Telescope

英国オットウェイ会社特製
日本代表 近江セールズ株式会社 近江八幡町

★   ★   ★


広告コピーが実に微笑ましいのですが、ここで何といっても注目すべきは300円というお値段でしょう。小学校の先生の初任給が50円の時代ですから、ざっとその半年分、今なら優に100万円以上の品ということになります。

先日、「『学習用』天体望遠鏡」というのをこの欄で紹介しましたが、当時は「学習用」といえど、気楽に親にねだって買ってもらえるような品ではなかったことは確かです。

アンティーク望遠鏡(9)…昔のカタログから(その6)2006年05月08日 06時37分34秒


★3インチ「可動式」赤道儀望遠鏡(樫製三脚・伸張具付き)(3-inch "Portable" Equatorial Telescope with Oak Tripod and Stretcher)

望遠鏡本体は光沢・ラッカー仕上げの真鍮製。付属する最上等の対物レンズは、直径3インチ・焦点距離42インチ、光軸調整済みで、金属製の保護キャップ付き。80倍と150倍の天体観測用アイピースとサングラスが付属。ラック方式のピント調整機構。ファインダー望遠鏡付き。

赤道儀式架台は、きわめて堅牢な構造にして安定性があり、しかも軽量のため簡単にすばやくセットアップ可能。

緯度調節弧(latitude arc)には70度までの調節用目盛付き。望遠鏡は赤緯軸の一方の端にある受け台(cradle)に固定されており、他方の端には調整可能なバランスウェイトがついています。赤経・赤緯環は直径4インチで、目盛は真鍮に刻んであります。赤緯環は副尺(バーニヤ)と対向し、角度20秒まで読取りが可能。目盛環はラック・アンド・ピニオン式。赤緯環も副尺により角度5分まで読み取れます。赤経方向には粗動・微動可能。微動はフック式ジョイントのロッドによって、望遠鏡を覗きながら操作することができます。同様に赤緯軸に接続されたクランプも覗きながらの操作が可能。セットアップ後に最終調整するため十分な方位修正が可。

頑丈なオープン・ラス構造(open lath)の樫製三脚。足元には水平調整ねじが付いています。付属の短い鉄柱上に赤道儀を装着することで、望遠鏡の位置を高くし、天頂観測時でも三脚が邪魔になることはありません。三脚の内側に取り付けた金属円板は、伸張具の用をなすと同時に、三脚の安定性を高め、アイピース等の用具を載せるテーブルともなります。望遠鏡とアイピースを収納するためのニス塗り松製木箱付き。 <価格 60ポンド>


■メモ■

ここまでくるともう立派な研究用機材。値段が張る分説明にも力が入っています。(字ばっかりで恐縮です)

目を引くのは独特な赤道儀のデザイン。構造的にはいわゆるドイツ式ですが、極軸の高度調整部が弧状になっています。もちろん何か実際的な理由があるのでしょうが、一見して天空を狙う弓のようでカッコいい。

アンティーク望遠鏡(10)…昔のカタログから(その7)2006年05月09日 06時22分37秒


★「大学用」赤道儀式望遠鏡(The "College" Equatorial Telescope)

「大学用」赤道儀式望遠鏡は、まさに全幅の信頼を置ける機材です。価格を抑えるために、不必要な仕上げや加工は極力省きましたが、光学部品および赤動儀式架台の中でも重要な機械部品は、最も高価な機材と同様、入念に仕上げました。

対物レンズは最高級品で、完璧な光軸調整のため調整可能な筒先にマウントされており、金属製の保護キャップが付属します。望遠鏡本体は堅牢な真鍮製の鏡筒。天体観測用アイピースは、合焦ジャケット(focusing jacket、ドローチューブのこと?)に挿入して用いるため筒中にマウントされており、サングラス付きです。ピント合せはラック・アンド・ピニオン方式。付属のファインダー望遠鏡には十字線が張られ、対物レンズには保護キャップが付きます。

赤道儀式架台は鉄製の頑丈な作りですが、簡単に移動ができます。緯度調節弧は70度までの目盛付きで、緯度の異なる場所でもすぐに調節が可能。2つの金属製締め具が鏡筒の周囲を押さえ、さらにそれを赤緯軸上の受け台にギザのある2個のネジ(milled screw)で固定しています。なお、赤緯軸の他端には完璧なバランスを保証するバランスウェイトが付いています。

赤緯環は直径4.5インチ、真鍮に目盛を刻み、副尺によって角度1分まで読み取りが可能。赤緯軸につながるクランプによる粗・微動機能あり。接眼部まで伸びるロッドによって赤緯方向の微動可。

赤経環は直径4.5インチ、真鍮に目盛を刻み、二組の目盛と副尺によって角度15秒まで読み取りが可能です。ラック・アンド・ピニオンで動く真鍮製の目盛環付き。クランプおよび赤経方向の微動機能あり。微動はタンジェント・スクリューで動作し、フック式ジョイントのロッドによって望遠鏡を覗きながらの操作が可能です。

赤道儀をセットアップ後に最終調整するため十分な方位修正が可。上部には水平調整ネジと交差式アルコール水準器が付属。丈夫な樫材製オープン・ラス構造の三脚には、剛性を高めるための伸張用バーが付いています。赤道儀の頂部を構成する鉄柱は十分な高さがあり、天頂観測時でも三脚が邪魔になることはありません。鉄柱の基部には、必要に応じてドライビング・クロックを取り付けるための水平台を備えています。

図の3.5インチタイプには、有効径3.5インチ・焦点距離4フィート3インチの高級対物レンズを使用。サングラス付きの、100倍および200倍の2個の天体観測用アイピースが付属します。<価格 95ポンド>

■メモ■

カタログの中では最もグレードの高い機材。一回り大きい「口径4インチ」だと価格は110ポンドにもなります。「大学用」というのは、一般のアマチュア向けを超えた品質と価格を謳っているのでしょう。

以上、一通り天体望遠鏡のラインナップを見ました。入門用の11ポンドから最高級の110ポンドまで、その価格比は約10倍。で、この価格の意味をぜひ知りたいと思うのですが、ちょっとすぐには判断できません。

ただ、1936年(カタログの出たのは1923年です)のデータによれば、当時の平均的な労働者階級の世帯収入は、年間125ポンド~250ポンドだったので(この層だけで全体の6割を占めた)、最も安価な天体望遠鏡でも、庶民のまるまる一月分の賃金に相当する額だったと大雑把には言えそうです。望遠鏡の量産化が進んだ20世紀でもこうした状態ですから、19世紀中葉までの望遠鏡は、多くの人にとってまさに高嶺の花で、アンティーク市場におけるその稀少さも納得できます。

(上のデータは、V・T・J・アークル著『イギリスの社会と文化200年のあゆみ』英宝社、251-252頁を参照しました。)

天文少年と望遠鏡2006年05月10日 22時49分42秒


昨日の文章を書いてから思いついたことを書きます。

昨日は「1920年代の望遠鏡は入門用でも労働者のひと月分、高級機だと1年分の給料に相当する額だった」「だから高かったんだ」と論じたわけですが、しかし、今でも大人(マニア)が自分の趣味のために買う望遠鏡となると、価格的にはほとんど同じ感覚なので、真に問うべき問題は、「子供向け望遠鏡」という新しい市場がどうやって形成されたのか?ということなのだろうと思います。

これはこれで探り甲斐のある、大事な問題です。そしてまた、「天文少年はいかにして誕生したか?」という、より基本的な問いにもつながります。

この点について、以前思いつくまま書いた文章があります。
<明日につづく>


(写真は、ANDY'S WONDERFUL TELESCOPE by G. Warren Schloat, 1958 表紙)

天文少年のこと2006年05月11日 06時11分37秒

昭和11(1936)年発行 『少年天文読本』(「子供の科学」別冊付録)表紙


<昨日のつづき>

天文趣味にノスタルジーを感じる原因として、「天文少年」の存在が挙げられます。

天文関連のホームページを拝見すると、元・天文少年が中年になってから復活という方が多いですね。
昆虫少年に比べるとマイナーな感じはしますが、確かに天文少年という存在が、かつては実体的に存在していました。彼等はインナーチャイルドとして、今も多くの天文家の中に生き続けているはずです。

しかし、何が天文少年を生み出したのか、考えてみると不思議です。そんなことをボンヤリ考えながら1年ちょっと前に、以下のようなメールを綴ったことがあります。(日本ハーシェル協会のメーリングリストで配信したので、ご覧になった方もいるかもしれませんね。)



■   □   ■   □   ■

S 様

またまた大部の資料を頂戴し、恐縮しております。

音に聞くアマ天・最終大会の記録〔註:'97年の第30回日本アマチュア天文研究発表大会のこと〕は、それ自体歴史的な価値があるように思います。
S様の文章、それに集録全体のトーンから実にさまざまな思いを抱きました。

今でも天文雑誌は3誌鼎立状態で、なかなか頑張っているともいえるわけですが、往時に較べれば天文趣味の退潮は歴然としています。

1970年代の天文ガイドを古本屋で買って、久しぶりに読んで一驚したのですが、当時の「天ガ」はまさに小中高生(と少数の大人マニア)の雑誌だったのですね。
今では完全に逆転しています。

「マニア」と呼ばれる人は昔もいたし、今もいますが、それを取り囲む裾野の部分が大いにやせ細っているのが現状かと思います。

天文少年はどこに消えたのでしょうか?

空が明るくなり、星そのものに子どもたちが関心を持たなくなったからだという意見もあります。ただ、考えてみると、降るような星空の下で暮らした江戸や明治の頃でも、星に興味を覚える少年(少女)は少なかったはずです。

事態は天文に限りません。「理科好きは子供の本能だ」ぐらいに思っていたのに、今や理科離れが深刻で、天文少年や昆虫少年は絶滅の危機に瀕しているようです。やはり「理科好み」というのも、すぐれて時代の産物だったということでしょう。

なぜ天文少年が消えたか?と問うより、なぜ天文少年が生まれたか?を先に考えるべきかもしれません。

彼等はいつ現れたのでしょうか?イメージとしては、明治時代の絣の着物を着た少年では決してなく、時代的には大正後半から昭和戦前ぐらい。長靴下をはいた制服制帽姿で、都市の山の手住まいという印象がありますね(ちょっと強引ですが)。「天界」の創刊が大正9年(1920)ですか。「子供の科学」の創刊も大正13年(1924)ですから、その辺がピタリと合う感じです。

私が個人的に思い出すのは、「天文博士」や「昆虫博士」など、「○○博士」という呼称が仲間内で妙に誇らしかったことです。いわば、天文少年が栄えたのは「博士」という言葉が特別の輝きを持っていた時代でもあったのではないでしょうか。

物の本によれば、日本に近代的学位制度ができたのが1887年(明治20年)で、この旧制の学位制度が1949年(昭和24年)まで存続したとあります。この間、第一次大戦後、とみに科学立国が叫ばれ、たとえば理化学研究所(理研)が創設されたのが1917年(大正6年)だそうですから、この時期、立身出世主義と「科学する心」がないまぜになって「理科好き少年たち」は生まれた…と一応は考えられそうです。

そうした自然科学偏愛の風は戦後もいっそう強まり、大阪万博の頃が頂点だったように思います。(私自身その末流に位置していたことになります。)

昨日の朝日新聞の夕刊を見たら、科学者に対する子どもの印象は、日英では「暗い」、途上国では「光り輝く存在」だったという調査結果が載っていて面白かったです。また、同記事によれば、日本では「理科はおもしろいけど、他にもっと好きなことがある」という「隠れ理科好き」が3割もいるとのことで、この辺にかすかな希望を抱かせるものがありそうです。

私としては、広い歴史的文脈の中で天文趣味の消長を捉え返してみたいという希望を、今ひそかに抱いています。

以上、まとまりのない文章ですみません。

ご好意重ねて感謝申し上げます。

■   □   ■   □   ■

戦前の子供用望遠鏡2006年05月12日 04時14分51秒


昨日、画像として貼り付けた『少年天文読本』(1936)の巻末に、望遠鏡の値段表が載っています。

 ★    ★    ★

「謎?謎?天体の神秘を探れ」


流線型望遠鏡
 C 天体用.................二・五〇円〔2円50銭〕
 A 天体地上用........三・五〇
 B 同..........................五・五〇

プリマ望遠鏡
 A 天体用..................五・五〇
 B 天体地上用........七・〇〇
 C 同...........................十二・〇〇
 D 同...........................九・〇〇

ライムス望遠鏡
 コロナ号....................九・五〇
 A型.............................一三・五〇
 B型.............................一九・五〇
 C型.............................二三・五〇
 D型.............................三〇・〇〇

五八粍〔ミリ〕高級屈折望遠鏡
 市価の半額..............七五・〇〇

ポラリス天体望遠鏡
 特価.............................六・〇〇


子供の科学代理部(いずれもカタログ進呈)

 ★    ★    ★

「流線型望遠鏡」とはどんな形をしていたのか?そのスペックは?
詳細は皆目分かりませんが、値段を見る限り、前に見た(5月7日参照)舶来望遠鏡のような「定価300円」という世界ではなく、少なくともこの頃には子供向け商品のマーケットが十分成立していたことが分かります。

昭和11年当時、小学校の先生の初任給は依然50円前後。したがって今のお金で1万円代ぐらいから望遠鏡が買えたことになります。

本文中でも、「どの望遠鏡を買ふにしても、信用ある製作所又は販売店から購入しないといけない。ただ安いことばかり考えて買ふと、使用に堪えない粗悪品を握ることがある。」と注意が述べられています。どうも百年一日の感がありますが、1930年代をさらに遠く遡っても、同じような状況があったとは思えません。では、いつから?

この辺の事情はもう少し調べて見たいと思います。


▼お知らせ▲

5月は出かける機会が多く、今日はこれから一寸中国に行ってきます。帰りは16日の予定。その間、このブログもお休みです。