チョコカード…パロマー山天文台2006年06月01日 06時32分04秒


以前、コメント欄でちょっと触れた、パロマー山天文台のチョコカードです(1958年発行)。

フランスの Nestle-Kohler 社が出した「世界の驚異(LES MERVEILLES DU MONDE)」という一連のカードの一部。これは「世界の驚異」の名の下、いろいろなサブシリーズがセットになっていて、掲出の品は「天空に向けた巨大な目(Des yeux geants braques sur le ciel)」というサブシリーズに含まれる品。

サイズは中央の大きなカードを除き、5.6cm x 4cm。「カード」といいながら、ぺらぺらの紙に印刷されています。

口径200インチ(約5メートル)という当時世界最大の巨人望遠鏡は、往時の天文少年のヒーローであり、その存在は大宇宙のイメージと分かち難く結びついていました。そこには戦後の「アメリカ万歳」という時代の空気も影響していた気がします。

今、手元に「パロマーもの」と称する一連の品を集めていて、このおまけカードもその一部です。フランス生まれというのがちょっと異色。

ミッドセンチュリーの夢…児童書に見る宇宙への憧れ2006年06月02日 05時03分44秒


1950年前後、ミッドセンチュリーと呼ばれる時代は、アメリカンホームドラマの世界というか、実直さを尊ぶ古きよきアメリカ文化が最後の光芒を放った時代です。

当時の児童書には、宇宙時代を控えて浮き立つような夢が描かれ、その本に見入る子どもたちの瞳の輝きまでも、ありありと浮かんでくるようです。


(左)Ann T. White: ALL ABOUT THE STARS (1954)

(中)Herbert S. Zim & Robert H. Baker: STARS (1951)

(右)Arthur Draper: WONDERS OF THE HEAVENS (1940)
 

その造本・挿絵には、後にも先にもない、その時代特有の美しさ・愛らしさがあふれています。さして遠い昔のことではないのに、頁を開くたびに、もはや永遠に失われてしまった世界に対するほろ苦い愛惜の念を覚えます。

現在、二束三文で売られているこうした児童書を収集する作業は、楽しくもあり、また愛児の遺骨を拾い上げるような悲しみも覚えます。

…昨日のパロマー望遠鏡の話から、ふと上のようなことを思いました。

THE GOLDEN BOOK OF ASTRONOMY2006年06月03日 08時15分12秒


Rose Wyler & Gerald Ames, (illust) John Polegreen:
THE GOLDEN BOOK OF ASTRONOMY (1955)


昨日のつづきで、同時代の本から私のお気に入りをもう1冊。

表紙の高さが33センチほどもある、大型のイラストブックです。
一言でチャーミングといえば良いのか、色使いも、線も、造形の全てがすばらしい。

中身については明日一部をご紹介したいと思います。

THE GOLDEN BOOK OF ASTRONOMY(2)2006年06月04日 07時03分34秒

昨日に続き、その中身を掲げます。

左は「不思議な世界にて」、右下は「何十億もの星たち」と題した章より抜粋。

描かれているのは、月面有人着陸の想像図と、アメリカの平原上に屈託なく広がる星空。

蛇腹状の袖の宇宙服にはレトロフューチャーな味わいがありますし、木製三脚に載ったスマートな屈折望遠鏡にも1955年当時の空気を感じます。

柔らか味のある水彩の挿絵が優しい印象。印刷も綺麗です。

続・天文家の自筆書簡…チャールズ・ピアッジ・スミス2006年06月05日 05時23分08秒


ジェイムズ・サウス(5月28日参照)に続き自筆書簡の話です。

上に掲げたのはチャールズ・ピアッジ・スミス(Smyth, Charles Piazzi 1819~1900)の手紙。

彼は、ベッドフォードカタログ(二重星の目録)の編著者として有名な、ウイリアム・ヘンリー・スミス提督(1788~1865)の息子にあたります。

ミドルネームのピアッジは、イタリアの天文学者ジュゼッペ・ピアッツィにちなむもの。父親のウイリアムが、イタリア駐在中にピアッツィと親しくなり、その名をとって息子につけました。軍人だったウイリアムが天文学に傾倒していったのも、このピアッツィとの出会いがあったからで、その名を負った息子は最初から天文学者となるべく、運命付けられていたようなものです。

1845年にはスコットランドの王室天文官(アストロノマーロイヤル)に任命され、エディンバラ大学天文台の台長も兼務しました。この手紙の内容もそれに関わるものですが、それはまた明日。

続・天文家の自筆書簡…チャールズ・ピアッジ・スミス(2)2006年06月06日 05時07分58秒

(チャールズ・ピアッジ・スミス 自画像、1847年)


(昨日のつづき)

問題の手紙は、スミスがスコットランド王室天文官・兼・エディンバラ大学天文台長となった翌年の、1846年10月に書かれたもの。「天文台の構成Arrangement of an observatory」について、知人がコピーを送ってくれたことを感謝する内容です。

「小生、これには大いに興味をそそられました。子午線外の天体に向けられた貴方の光学性能は、当方の一切合財を遥かに凌駕するものだからです」。

天文学界の主要な興味・対象が、子午環による古典的な子午線観測から、赤道儀式望遠鏡による連星観測へと急速に移りつつあったことが、この手紙の背景にはありそうです。

彼はこのときまだ二十代。気鋭の天文学者として、心中大いに期するものがあったのでしょう。

しかし、彼はその後(1865年)エジプトの大ピラミッドには各種の天文現象がひそかに表現されている、とする奇説(今でも古代ミステリーファンには信奉者が多い)を発表して、王立天文学会を追われるなど、先にご紹介したジェイムズ・サウスとは別の意味でエキセントリックな面がありました。

ウィルソン山天文台2006年06月07日 06時12分22秒


1904年、カリフォルニアの山中に誕生したジャイアント天文台。

創設者は、ジョージ・エラリー・ヘール博士。
すなわち、かつてシカゴ近郊にヤーキス天文台(40インチ屈折)を作り、後にはパロマー山天文台(200インチ反射)を作った人物です。

セピア色に変色した上の写真(絵葉書)は、1917年に完成した、同天文台の100インチ反射望遠鏡とそのドーム。もちろん完成当時は世界最大の望遠鏡でした。

暗闇に浮かび上がるその巨体。びっしりと打った鉄鋲で補強された体躯。宇宙の謎に挑みかかる、勇壮な鋼の巨人の姿にどきどきします。

* * * *

ときに、昨日は2006年6月6日の「オーメンの日」でしたが、1938年の6月6日には、セス・ニコルソンがこの100インチ望遠鏡を使って、木星の第10衛星(リシテア)を発見しています。

彼は木星の衛星を全部で4つ発見していますが、そのうちの3つがウィルソン山天文台での成果でした。

『パロマーの巨人望遠鏡』2006年06月08日 06時18分12秒


D・O・ウッドベリー著、関正雄他訳 『パロマーの巨人望遠鏡』(上下)
岩波文庫 

* * * *

ヤーキス天文台、ウィルソン山天文台、そしてパロマー山天文台…。あくまで大口径を追求したヘール博士の執念と、その周辺の人間ドラマを描いた名著です。

次々に降りかかる技術的難問、ときには不屈の精神が、ときには第三者のひらめきが、それらを一つ一つ解決して行くさまは圧巻。日々の些事に困却しているときなどに読むと、大いに勇気づけられます。

パロマーの最終的な完成は、戦争をはさんで1948年までずれ込みましたが、ウッドベリーの原著は1939年に出ています。ヘール博士も1938年には死去しており、パロマー・ストーリーは基本的には戦前の物語。考えてみれば凄い話です。

ウィルソン山天文台(2)2006年06月09日 22時19分47秒


先日の100インチ望遠鏡の弟分というか、年齢からすれば兄貴分にあたる60インチ望遠鏡です(1908年完成)。

生みの親は同じくヘール博士で、博士が「世界一」にどこまでこだわっていたかは分かりませんが、これも完成当時は世界最大の望遠鏡と言われました。

この主鏡を磨いたのがジョージ・リッチー(1864-1945)です。

彼は「リッチー・クレティアン望遠鏡」(光学系の1つ)にその名をとどめていますが、天文学者というよりは、元々技術畑の出身で、昨日取り上げた『パロマーの巨人望遠鏡』の中にも、職人肌で孤高の天才として登場します。

天体写真の衝撃(1)2006年06月10日 04時58分09秒

写真は、昨日も登場したジョージ・リッチーが撮影した三角座M33。ヤーキス天文台の2フィート反射望遠鏡を使い、4時間の露出をかけて撮ったもの(1902年撮影)。

★G.W,Ritchy: Astronomical Photography with the Forty-inch Refractor
  and the Two-foot Reflector of the Yerkes Observatory(1903) より。


さて、以前も引用した箇所ですが、再度『銀河鉄道の夜』より。

☆   ★   ☆   ★

一、午后の授業

「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」

ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかには涙がいっぱいになりました。

そうだ僕は知っていたのだ、勿論カムパネルラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラといっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、まっ黒な頁いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。

☆   ★   ☆   ★

この作品は、時代も国ももちろん無限定なわけですが、天体写真が登場するあたり、19世紀の末~20世紀の初めが舞台らしく思えます。

天体写真が当時の人々に及ぼしたものは何か、それを少し考えてみたいと思います。

(この項つづく)