天体写真の衝撃(2) ― 2006年06月11日 09時18分23秒
プレアデス(出典は昨日に同じ。1901年撮影)
* * * * *
(昨日のつづき)
科学史の側面からいえば、天体写真の登場はまずもって観測手段の進歩という意味を持ちますが、天文趣味にあたえた影響からすると、それによって「宇宙」という語に確固たるイメージが与えられた、ということのほうがずっと大きな意味を持つのではないでしょうか。
考えてみると、どんなにリアルに見えても、それらはバーチャルな映像以外の何物でもないわけですが、今や「宇宙」と聞けば、脳裏に浮かぶのは「暗黒に浮かぶ光る渦巻き」であり、「真っ赤にうねる星雲のフィラメント」であり、「青白いガスをまとった散開星団」であり、それこそが「宇宙」なわけです。
それ以前は、「宇宙」と聞いても、せいぜい天球儀のイメージが浮かぶぐらいで、何となく捉えどころのない存在だったと、これは想像ですが、どうもそんな気がします。
人間とは我儘なもので、そういう新たなイメージの氾濫にも飽いてくると、「やっぱり昔の本は味があるね…」などと復古趣味に走る物好き(=私)が出たりするわけですが、公平に見て、リアルタイムで天体写真術の登場を体験した人々の衝撃は、やっぱり大変なものだったろうと思います。
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(昨日のつづき)
科学史の側面からいえば、天体写真の登場はまずもって観測手段の進歩という意味を持ちますが、天文趣味にあたえた影響からすると、それによって「宇宙」という語に確固たるイメージが与えられた、ということのほうがずっと大きな意味を持つのではないでしょうか。
考えてみると、どんなにリアルに見えても、それらはバーチャルな映像以外の何物でもないわけですが、今や「宇宙」と聞けば、脳裏に浮かぶのは「暗黒に浮かぶ光る渦巻き」であり、「真っ赤にうねる星雲のフィラメント」であり、「青白いガスをまとった散開星団」であり、それこそが「宇宙」なわけです。
それ以前は、「宇宙」と聞いても、せいぜい天球儀のイメージが浮かぶぐらいで、何となく捉えどころのない存在だったと、これは想像ですが、どうもそんな気がします。
人間とは我儘なもので、そういう新たなイメージの氾濫にも飽いてくると、「やっぱり昔の本は味があるね…」などと復古趣味に走る物好き(=私)が出たりするわけですが、公平に見て、リアルタイムで天体写真術の登場を体験した人々の衝撃は、やっぱり大変なものだったろうと思います。
天体写真の衝撃(3) ― 2006年06月12日 06時17分01秒
★☆ 「マクミランズ・マガジン」1889年3月号
別に天文とは関係のない一般誌ですが、たまたま「天体写真 Celestial Photography」という記事が載っていたので、以前購入したもの。そのまま積ん読だったのを、今回改めて読んでみました。
記事の執筆者は、ロバート・ボール卿(1840-1913)。視力の衰えにより実観測を離れてから、著述に力を入れるようになり、晩年はイギリスにおいて最も偉大な天文啓発家でした。
記事は以下のような書き出しで始まります。
「現在、我々は実地天文学の技術がかつて経験した中でも、最大の革命的変化を経験しつつある。ヤング教授は、最近の記事の中で、これを望遠鏡の発明自体に匹敵するほどの劇的変化だと書いている…」
金属鏡の全盛期を知るボール卿なればこそなのか(彼は若い頃、バー城でロス伯の息子たちの家庭教師もしていました)、この新技術にかなり興奮気味。
もちろんボールは、その技術的可能性(長時間露出、乾板上での正確な測定、可視光外での観測)に主要な関心を向けているのですが、その筆致からも、当時の驚きと衝撃の大きさが伝わってきます。
部屋の風景…タイマイ ― 2006年06月13日 05時54分47秒
部屋の風景から。
以前、ウシガエルの骨格標本をご紹介しましたが、そのすぐ上にかかっている海亀(タイマイ)の剥製です。
反対にウシガエルの下には、トビトカゲの剥製がかかっており、一応ここは両生・爬虫類コーナーのようになっています。
海亀の剥製は、一歩間違うと理科室趣味というより、海辺の旅館風になるので躊躇しましたが、今のところは破綻なく収まっています。
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なお、大急ぎで付け加えますが、慰みのために生き物の命を奪うことは文句なしに罪深い所業であり、そこに矛盾と葛藤を感じてもいます。昆虫少年だったあの頃からずっと引きずっている感覚です。理科室趣味も結構ですが、淫すれば罪を重ねることになりかねません。自戒と用心が必要です。
部屋の風景を引き気味に ― 2006年06月14日 23時15分10秒
昨日の説明だと位置関係が分かりにくいので、引き気味に撮ってみました。恥ずかしながら、部屋の一角です。
引っ越して最初の頃は、白い壁の目立つごくシンプルな、それなりに良い雰囲気の部屋だったのですが、だんだん空間恐怖的にいろいろなモノが壁に掛けられるようになり、今では混沌とした感じになっています。
「そこが良いのだ」と、部屋の主としては思っていますが、家族には当然のことながら不評です。まあ彼等の言うことにも一理あるので、反論はしませんが。
引っ越して最初の頃は、白い壁の目立つごくシンプルな、それなりに良い雰囲気の部屋だったのですが、だんだん空間恐怖的にいろいろなモノが壁に掛けられるようになり、今では混沌とした感じになっています。
「そこが良いのだ」と、部屋の主としては思っていますが、家族には当然のことながら不評です。まあ彼等の言うことにも一理あるので、反論はしませんが。
部屋の風景…トビトカゲ ― 2006年06月15日 05時59分26秒
壁にかかる額入りのトビトカゲ。
マレーシア産の土産物で、剥製というよりは「干物」に近い品。
(額の長さ 28cm)
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もう10年近く前になりますが(1997年)、「東京大学創立120周年記念東京大学展」というのが安田講堂で行われたことがあります。
東大各学部が所蔵している珍奇な資料を一堂に集めて、その歴史を回顧しようという企画。怪しげなものがズラリと並んだ様は、まさに「珍品部屋(cabinets of curiosities)」の再現であり、それが展示企画者である西野嘉章教授(博物館工学)の狙いでもあったのです。
その西野氏と荒俣宏氏の対談が当時の「芸術新潮」に載っています(1997年12月号)。
▽ ▲ ▽
「錬金術師の部屋をめざして」
<荒俣>
生薬標本にも感動したね。〔…〕木製ケースのつくりもすごくて、瓶のサイズにぴったり。大したもんですよ。おまけにケースの上にワニの剥製が置いてあって…。ヨーロッパでは昔は薬屋といえば、だいたい天井からワニがぶら下がっていましたからね。大地のドラゴン・パワーにあやかるということで、教会にもぶら下がっていた。
<西野>
錬金術師の部屋にもね。あれをやりたかったんです。
▲ ▽ ▲
これを読んで、我が家にもワニを…と単純に思ったのですが、いかんせん部屋が狭い。
そこで、この愛らしいトビトカゲが、ワニの代役を務めているわけです。
買ったときはそこまで意識してなかったのですが、トビトカゲ類の属名は“Draco”。
まさにドラゴンの末裔にふさわしく、部屋に怪異な味わいを添えています。
天文古書のこと(1) ― 2006年06月16日 06時04分07秒
ここであらためて、天文古書の魅力とは何か?
★ ★ ★
詩情の感じられる美しい図版、珍奇な記述、横溢するアマチュアリズム。
まだ天の川がどこでも見られた時代、時の流れもゆっくりしていた時代…
古びた頁の端々から立ち現れるそうしたものこそ、天文古書の最大の魅力ではないでしょうか。
★ ★ ★
「書を捨てて、己の目で星を見よ!」という正論に怯えつつも、私のような Armchair Astronomerにとっては、空調の効いた部屋で静かにページを繰っている瞬間が至福の時なのです。
天文古書のこと(2) ― 2006年06月17日 06時27分39秒
私が集めているのは、学問的な著作というよりも、主にアマチュア天文学やポピュラー・アストロノミーに関する本です。
それは専門的な著作が理解できないということもありますが、そもそも語学力の問題から、文字よりも挿絵が楽しみだという、幼稚な読み方をしているからです。
その分、そうした本からは当時のアマチュア心と言いますか、昔の人々の宇宙への憧れがしのばれるようで、それが私にとっては何よりの楽しみです。
このブログで取り上げるのは、たまたま手元に集まった本で、系統だった記述には全然なっていませんし、ほとんど「積ん読」状態なので、全体を俯瞰しつつ何かを述べることもできません。でも、その辺はあまり強迫的にならずに、ポツポツ書き足していこうと思います。
アマデ・ギユマン『天空』(1)…星景画の誕生 ― 2006年06月18日 07時27分38秒
アマデ・ギユマン 『天空』
Amedee Guillemin, LE CIEL, L. Hachette (Paris)
(右)1870年第4版, 四折版シャグラン革装, 739pp
(左)1877年第5版, 仮綴本, 970pp
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天体写真の1ジャンルに「星景写真」というのがあります。地上の風景と星空の配合を狙ったもので、高山の頂から神々しく上る星座の写真などが代表的なものです。ギユマンの本に収められた美しい版画の数々は、その元祖といえるかもしれません。
最初に買ったのは右の革装本。スイスのとある町の、その名も「アルプス通りRue des Alpes」という素敵な通りにある本屋さんから届きました。我が家にある染みだらけの本の中では、もったいないぐらい綺麗な本です。ただ、本書は第5版から図版数が増えて、特にカラーリトグラフは13枚から22枚になったことを知って、左の仮綴本を安く買い足しました。新規に買われる方は、最初からこちらをお勧めします。
それにしても、惜しむらくは私はフランス語が●●なんですね。一応第2外国語だったんですが。何となく字面を追って内容を想像することしかできません(英語版のTHE HEAVENSもありますが、図版の省略や本文の異同があります)。
とりあえず、以下、精細を極めた美しい図版をご紹介したいと思います。
(この項つづく)
■6月19日付記■
書名邦題を『天空』に改めました。『宇宙』だとちょっと散文的なので。
アマデ・ギユマン『天空』(2) ― 2006年06月19日 05時41分42秒
「ドナティ彗星、パリからの眺め、1858年10月4日」
セーヌ河畔、ノートルダム寺院の上空に鮮やかに浮かぶ彗星。
深緑で表現された夜景と、純白の星々の対照が美しい。
かなり有名な絵で、あちこちで目にしますが、オリジナルはこの本です。
ドナティ彗星(グレート・コメット)は、以前ウォード夫人の本にも出てきました。
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/30/308998)
こちらは、ギユマンの本からちょうど1週間後、同年10月11日のスケッチです。
詩情あふれた図版は甲乙つけがたいですが、ギユマンには画題からしてより都市的洗練を感じます。
セーヌ河畔、ノートルダム寺院の上空に鮮やかに浮かぶ彗星。
深緑で表現された夜景と、純白の星々の対照が美しい。
かなり有名な絵で、あちこちで目にしますが、オリジナルはこの本です。
ドナティ彗星(グレート・コメット)は、以前ウォード夫人の本にも出てきました。
(http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/03/30/308998)
こちらは、ギユマンの本からちょうど1週間後、同年10月11日のスケッチです。
詩情あふれた図版は甲乙つけがたいですが、ギユマンには画題からしてより都市的洗練を感じます。
アマデ・ギユマン『天空』(3) ― 2006年06月20日 05時57分03秒
「パリの地平線上の空」と題した図。
淡い建物のシルエット上に浮かぶ、天の川と夏の星座。
絵画として「夜」の色をどう表現するかは、なかなか難しい問題だと思いますが、この本では美しい深緑を用いて、それに成功しています。
リアルなパリの街並みと満天の星空。夢幻的かつ清新な印象を与える作品です。130年という時の隔たりを超えてそれを嘆賞することの不思議さも同時に感じます。
こうした愉悦もまた天文趣味の多様な味わい方の一つではないでしょうか。
淡い建物のシルエット上に浮かぶ、天の川と夏の星座。
絵画として「夜」の色をどう表現するかは、なかなか難しい問題だと思いますが、この本では美しい深緑を用いて、それに成功しています。
リアルなパリの街並みと満天の星空。夢幻的かつ清新な印象を与える作品です。130年という時の隔たりを超えてそれを嘆賞することの不思議さも同時に感じます。
こうした愉悦もまた天文趣味の多様な味わい方の一つではないでしょうか。
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