月は空をすべるように2010年09月26日 17時19分48秒

今年はお月見ができませんでしたが、代わりに昨夜はもの凄い月でした。
空気が澄んでいたせいでしょう、濁りのない銀色の月が皓々と冴えかえり、目に眩しいぐらいでした。

      ★     ☆     ★


↑は、1920年代とおぼしい古い硝子スライド。
シカゴ大学ヤーキス天文台が撮影した、月の出の連続写真が元になっています。

 
窓辺に置けば、小さな風景の中を、小さな月が転がるように昇っていくのが見えます。
 
(画面拡大)

ヤーキス天文台は、シカゴから北西に約100キロ、イリノイ州からウィスコンシン州に入ったところにあります。最近リゾート開発でもめているようですが、昔はさぞ静かな場所だったでしょう。

澄んだ空と、黒い木々と、明るい月。
ジェネヴァ湖は月光を受けて、白く輝き…なんだか夢の中で見る景色のようです。

コメント

_ SU ― 2010年09月26日 23時24分20秒

明るい月でしたね。月光で地面に自分の影が映るのを久しぶりに見ました。

_ 玉青 ― 2010年09月27日 20時58分28秒

子どものすなる影踏みといふものを、月に浮かれて大人もしてみますか!
http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/07/24/1678419

_ S.U ― 2010年09月28日 23時12分02秒

 今の子は、太陽の影はともかく、月の影で影踏み遊びをすることはないでしょうね。私の子どもの時は、地区の夜の行事の時や稽古ごとの帰りなどに近所の子としたものでした。それだけ街灯がなかったということですね。
 その頃、私の祖母は夜出かける前に、「今夜はお月夜やでデンチがいらん」などといっていました(デンチは、乾電池で動作する電気、つまり懐中電灯のこと)。日頃から今夜が月夜かどうかを認識し、それで懐中電灯携行の必要性の有無を瞬時に判断するのは、当時は常識の初歩だったのでしょうが今からは想像することさえ難しいです。書かれています通り、影踏み遊びについてもたいていの大人は忘れているでしょう。それを思い出させてくれるとは、先日の月夜もそうですが、当時の理科教科書も偉いものです。

_ 玉青 ― 2010年09月29日 21時40分30秒

またまた貴重な歴史の証言が出ましたね。

どうも今の子は、夜はおろか、昼間もあまり外で遊ばないようですし、「夜出かけるのに、なんで懐中電灯が要るの?」なんて真顔で聞きかねません。もちろん、夜が暗いことは今の子供も知ってるでしょうけれど、それは「昼に比べれば暗い」という、相対的な暗さでしかありません。鼻をつままれても分からないような、絶対的な闇を知らなければ、「星明かり」、「月明かり」という語にリアリティが伴わないのも、止むを得ません。

…と言っている私自身、その辺かなり怪しくなっているのが、問題の根深さを物語っています。。。

_ かすてん ― 2010年09月30日 11時16分51秒

私は団地っ子でしたから夜は夥しい街灯の中に暮らしていました。天体観測だって街灯の下でやっていましたから、記録を書く為の手元ライトなんて必要なかったです。その点では玉青さんの書かれた今の子と同じですね。S.Uさんが子供時代に見ていた風景とはまったく別世界を見ていたと思います。ただし、このような肌に触れるくらい身近な風景は大きく違っていても、その向こうにある時代的風景には同じようなものを感じ、また見ていたのではないかと思います。

_ タクミ ― 2010年10月01日 00時09分36秒

辛うじて昭和の生まれの私は、きっと現代っ子の範疇ですね…

以前古い日本屋を借りていた時、雨戸を立てきると本当の真っ暗闇を体験できたのが思い出されます。
目に湿ったフェルトを当てられたような、空間性の無い闇でした。

昔の方にとっては、月のない夜には当たり前の事象だったであろうそんな暗闇を、想像してみることすらない自分の生活に思い至ったものです。

本当の暗闇がなければ見えてこないものというのが、世の中にはきっと沢山あるのでしょうね。

_ 玉青 ― 2010年10月01日 20時13分25秒

○かすてんさま
おお、元祖・現代っ子。
今の現代っ子との違いは、薄皮1枚向こうの風景ということですね。ええ、確かにそうでした。それにしても、あんな街明かりの中で、よくああも熱心に空を見上げ、天体観測に励んだなあ…とかつての自分をふり返り、不思議な気がします。その辺も、現代の子供を取巻く環境(物理的、文化的な)と大きく違うところですね。

○タクミさま
おお、まっさらの現代っ子。
その現代っ子が、古い日本家屋で真の闇を体験し、新鮮な感じを味わわれたという辺り、かすてんさんのお話と対比すると、不思議なねじれが生じていて面白いですね。
闇夜がなければ見えないものは沢山あると思いますよ。さしづめ、闇それ自身と、人間がいかに僅かな光で対象を認識できるかという、自らの能力への信頼感なんかは、その代表格かもしれません。

  * *

ちょっと話が変わりますが、江戸時代の闇夜は、昭和初年の人間でも想像できないぐらい、本当に真っ暗だったようですね。昭和の初めになると、以下のような嘆き節が聞かれるようになります。

「蓋し近代の都会人はほんたうの夜と云ふものを知らない。いや、都会人でなくとも、此の頃は可なり辺鄙な田舎の町にも鈴蘭灯が飾られる世の中だから、次第に闇の領分は駆逐せられて、人々は皆夜の暗黒と云ふものを忘れてしまってゐる。」

上は、谷崎潤一郎が昭和6年(1931)に書いた文章(『恋愛及び色情』)の孫引きです。何だか80年経った今でも、こうして同じようなことを話題にしているのが、可笑しくもあります。さらに80年経って21世紀の末にはどうなっているんでしょうね。案外同じようなことを言っているか、それとも世の中にすっかり闇が戻ってきて、かつて「明るい夜」を嘆く人がいたことを不思議に思うか、ちょっと予想がつきません。

_ S.U ― 2010年10月01日 20時45分47秒

 今と昔の夜空に絶対的な違いがあるかと言うことについて、ちょっと気がついたことがあります。
 昔は星の見えない夜(皆曇の夜)を「闇夜」と言いましたね。
 今は、曇った夜空のほうが、晴れた星空よりも明るいですよね。

 曇りと晴れとどちらの夜空が明るいか、このへんが境目であったように思います。私が夜空を見上げ始めた頃は、確かに曇りのほうが暗かったはずなのですが、星の見えない真っ黒な空をなかなか思い出すことが出来ません。

_ (未記入) ― 2010年10月02日 07時55分17秒

本題とはずれますが、思い出した事を追加。
S.Uさんのおばあさんが懐中電灯の事を「デンチ」と言っていたとありましたが、小型ラジオの事は「トランジスター」と言っていましたね。

_ 玉青 ― 2010年10月02日 19時32分45秒

○S.Uさま

あ、そう言われればそうですね。
たしかに、曇の晩の方が空が明るいなんて、昔の人からすれば相当変な話です。
で、曇り空が徐々に明るくなって現在のようになる過程で、当然晴れても曇っても空の明るさに違いのない時期があり、その後逆転が生じたはずですが、それはいつかが問題ですね。

うーん…個人的な体験からは全く思い出せません。どうも、私の記憶している限り、曇天の方が常に空が明るかった印象があります。

考えるヒントを探していて、下のページが目にとまりました。
ページの真中あたり、「【第212-2-16】業務用エネルギー消費原単位の推移」という箇所を見ると、例のオイルショックで、1973年以降エネルギー消費量(単位面積当たり)が目に見えて減少しているのですが、動力・照明用だけはどこ吹く風で増加を続けています。

http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/html/i2120000.html

どうも日本の空は戦後一貫して明るくなり続けているようです。ただ、その増加の割合は徐々に鈍化しているようでもあります。たとえば、1965年の動力・照明用エネルギー消費量を100とすると、200になったのは1975-76年で、10年間でちょうど倍になっています。さらに10年経った1985年の時点では、まだ300の手前ですから、60年代後半~70年代前半の伸びがいかに大きかったかが分かります。

まあ、単純素朴に考えて、東京オリンピックからオイルショックにかけての時期に、日本の空は格段に明るくなり、晴-曇の明暗の逆転が生じた…というのは、至極ありそうな話です。

○未記入さま(かすてんさん?)

脇から恐縮ですが、ええ、ええ、言ってましたね。
まあ、今の我々が「照明」の意味で「電気(例:電気をつける)」と言うのも、考えてみれば相当古風な発想ですね(笑)。

_ S.U ― 2010年10月02日 22時08分57秒

お調べいただきありがとうございます。エネルギー消費はだんだん増えていますが、どこかで突然何倍にも増えた、というわけではないのですね。商業・家庭用の夜間照明だけを取ってみるとまた違うのかもしれません。

 私の故郷では、オイルショック前後まで曇り空のほうが暗かったと思うのですが、その頃には人家の灯りや街灯がそこそこあってデンチが無くてももはや真っ暗ではなかったので、曇り空の印象はあまりないです。晴れれば満天の星空でした。

>トランジスター
 ああ言いましたねー。「トランジスター」(ラジオ)は1960年頃に出現して70年代にはもうラジオとしか言わなかったのではないかと思います。今でも電気製品を開ければ多少は使われているのかもしれませんが、3本足のトランジスタを見たことがある人は意外と少ないでしょうね。

_ 玉青 ― 2010年10月03日 06時42分37秒

かつてはあんなに身近だったものが…。
この辺は老人の繰り言めきますが、とても感慨ぶかいです。
(頂戴したもう1つのコメントにも共通する感慨です。)
そういえば、ゲルマダイオードなんかも入手困難になりつつあるらしいですね。

_ かすてん ― 2010年10月03日 10時15分38秒

すんまへん、未記入でした。

玉青さん

>「照明」の意味で「電気」

似たような事例はたくさんありますね。

S.Uさん

>その頃には人家の灯りや街灯がそこそこあってデンチが無くてももはや真っ暗ではなかったので、曇り空の印象はあまりないです。晴れれば満天の星空でした。

昔は身の回りの明かりを遮ればそこそこの暗さを実現できたのだと思います。今は、遥かに遠い都会の光が全天を覆っているため、遮りようの無い明るさに包まれているのではないでしょうか。

_ S.U ― 2010年10月03日 19時36分53秒

玉青さん
 こんな短い間に身近なものが失われるというのは、人間の長い歴史を考えるとどうも「嘘くさい」話に思えます。

かすてんさん
 おっしゃる通りだと思います。夜空の暗さは多少の灯りでぐらつくものではありません。私の出身地は、盆地の中に都市が2つあるところでしたが、2つの市街の方向以外は暗い星空でした。本当に良い星空の時に、かえって南の山稜だけが阪神地帯の光か何かでうっすらと明るく見えたものです。現在は盆地内全体が一様に明るくなってしまったので細かい構造はわからなくなりました。

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