結晶海に漕ぎ出す(3)…結晶の秩序とエントロピー2014年08月07日 12時38分46秒

昔、ブルーバックスってあったじゃない。

唐突だな。うん、講談社のブルーバックス、あれなら今でもあるぜ。

最近はすっかりご無沙汰だけど、昔の理科少年はああいうのを読んで、最先端の科学知識を仕入れてたよね。で、口角泡を飛ばしたり。きっと、今なら中二病認定間違いなしだね。 …で、ふと思ったんだけど、結晶って規則正しく分子・原子が並んでるんだよね。つまり、そこに秩序があるわけだ。かつてのブルーバックス少年として言わせてもらうと、そのこととエントロピーの関係ってどうなんだろう?

というと?

ブルーバックス少年的理解によれば、こういうことさ。
「エントロピーは乱雑さの程度を示す尺度であり、秩序と対立する概念である。
宇宙は絶えずエントロピー増大の方向に向かっており、これを熱力学第二法則という。万物はすべて時間と共に秩序を失い、乱雑な状態に近づいていく運命にあるが、生命は外部からエネルギーを取り入れることによって、エントロピーを局所的に低下させ、辛うじて自己を維持している」とか何とか。

ああ、確かそうだったね。

(雪片と神経細胞)

するとさ、結晶はそこに秩序があるんだから、エントロピーが低いわけだ。でも、何だかおかしくないかい? 結晶も生物みたいに、せっせとエネルギーを取り入れて、がんばって自己を維持してるのかな?そんなことないよね。

いかにもブルーバックス少年的疑問だな。

自分でもそう思うけど…

まあ、ゆっくり考えてみようや。
…うん、どうも「秩序」って言葉が怪しいようだ。俺も昔の記憶しかないけど、エントロピーの話題のときに、砂糖水の例が出てたと思う。

ああ、あったね。


コップに砂糖をひと匙入れて放っておく。すると時間の経過とともに水の分子と砂糖の分子が自然にまじりあって、均一な砂糖水になる…それがエントロピー増大の例だってわけだ。でもさ、砂糖と水が「中途半端に混じり合った状態」と、「均一に混じり合った状態」だったら、人間はどちらにより「秩序」を感じるかな。思うに、「均一」って言葉自体、秩序をイメージさせないか?

なるほど、きちんと定義された物理学用語を、日常用語で説明しようとすると、誤解も起きがちだよね。


そうだ、こんな例はどうだろう?
大きいビー玉と小さいビー玉を、適当にざっとバケツに流し込む。当然、大きいビー玉と小さいビー玉の配置はランダムで、あちこちに不均等な隙間がある。これは、いわばアモルファス状態さ。で、このバケツを軽く揺すってやるとどうなる?

砂糖水の例で言うと、コップをスプーンでかき回すわけだね。
うん、そうすれば、小さいビー玉が大きいビー玉の隙間に入り込んで、やがて全体はぴっちり固まるだろうね。

だろう?これを結晶状態に見立てたら、お前さんの疑問にうまく答えられるんじゃないかな。

なるほど、たしかに大小のビー玉が交互に並ぶと、結晶の模型っぽいよね。
でも、それとエントロピーの関係って?そもそも、その過程でエネルギーの出入りはどうなってるんだろう?

ビー玉同士が互いにこすれると、熱や音が出るだろ。中にはひっかき傷を負ったり、欠けちまうビー玉もある。それって結局、ビー玉の位置エネルギーが、運動エネルギーや熱エネルギーに変換された結果と見なせるんじゃないか?
一見無秩序に見えたビー玉の集団は、最初、それだけのエネルギーを秘めていたわけだ。でも、いったんビー玉がぎっちり詰まっちまえば、ちょっとやそっと揺すぶったって、音もしないし、こすれて熱を出すこともない。今や、ビー玉の自由エネルギーは、最小状態になり、安定状態に達した…ってわけさ。

うまいね。それが即ち全体のエントロピーが最大化した状態ってことだね。

さっきも言ったけど、要は「秩序」って言葉が曲者なのさ。
生体の秩序は、エネルギーを取り入れることで、辛うじて維持されている、熱くて不安定な秩序。いっぽう結晶の秩序は、エネルギーを放出した果てに到達した、冷たく安定した秩序だ。生体の秩序と結晶の秩序は、その点で根本的に違う。鉱物が基本的に長寿なのも、分子・原子の集団にとっては、それこそが安定状態で、ちょっとやそっとでは互いの位置を変えないからだろうよ。

キミ、結晶のことは素人って言ってたけど、意外に詳しいじゃない。

はは、この程度で感心してるようじゃ、お前さんは、まだブルーバックス少年から全然進歩してないね。そもそも、上で言ったことは全部ウソかもしれないんだぜ。
まあ、こんな素人談義をしててもラチが明かない。これについちゃ、ブログを読んでる人の「天の声」に期待しようや。

   ★

昨日の記事では、結晶と結晶でないもの(アモルファス)は、わりとくっきり分かれるんだ、それは水と氷の変化を見れば分かるじゃないか…と書きました。
でも、あれは“エイチツーオー”という同じ物質が、液体から固体に(あるいは固体から液体に)変化する、いわゆる「相転移」の事例であって、液体と固体が非連続なのは当たり前です(むしろ、その非連続性に注目して、「相転移」という言葉が生まれたわけです)。

それとは別に、例えば見た目の似た物質Aと物質Bがあって、調べてみると、Aの方は内部の構造(分子・原子の配列)がピシッとしてるけど、Bの方は何となくだらしない。Aは確かに結晶らしいけど、Bは果たしてどうなのか?

…これは、昨日、赤字の人が疑問に思ったことそのものです。で、青字の人は、自分ではうまく答えたと思っているようですが、上のような次第で、その答はちょっと怪しい。

でも、今日の会話を見ると、結晶化しうる状態におかれれば、物質(分子・原子)というのは、自ずと規則正しい配置になってしまうんじゃないでしょうか。擬人化すると、物質にとっては、その方が「」であり、物質は楽を好むからです。

逆に言うと、結晶の一歩手前の状態で踏みとどまるのは、物質にとってシンドイことであり、結局、上記の仮想物質Bは安定的には存在できず、赤字の人の疑問は杞憂に過ぎない…と自分なりに考えたのですが、この点についても「天の声」を期待します。

   ★

素人のあやしい床屋談義はまだ続きます。
話題は次回からいよいよ結晶学の本丸に近づいていきます。

(この項つづく)

【8月10日追記】

あ、今、天の声が聞こえたね。

ああ、たしかに聞こえた。びびっと来た。…うん、何だか分かった気がするぞ。やっぱり俺様の言うことに間違いはなかった。「上で言ったことはウソかもしれない」ってところがね(笑)。

あれ、キミ、なんだか目の色が変だね。大丈夫かい?

ふん、とにかくもういっぺん話を整理してみようや。

うん、そうしよう。
えーと、そもそもボクの疑問は、結晶はエントロピーが高いのかどうかっていうことだったね。そして、その大元は、結晶と生物の比較だった。つまり、生物は高度な秩序を備えた自己組織を維持するのにエネルギーを絶えず取り入れているけど、同じように秩序を有する結晶の場合はどうかって話。

そう。そして、天の声を聞いて分かったのは、その疑問自体、一種の「誤解」を前提にしてたってことさ。…つまり、生物は自己組織を維持するのに、エネルギーを絶えず取り入れているっていうのは、ウソだったのさ。

あれ、それはウソじゃないだろ?そこは合ってるんじゃないの?

どうもお前さんには、まだ天の声が届いてないようだな。よーく考えてみろよ、実はそこにこそ最大の誤解があったのさ。生物が絶えずエネルギーを取り入れているのは、自己組織を維持するためじゃない。生命活動を維持するためさ。

それって同じことじゃない?

いや、違う。自己組織を維持するためだけだったら、エネルギーを取り入れる必要はないんだ。命をあっさり放棄して、ホルマリンの桶に飛び込めばいい。あるいは凍り付いて、自ら結晶化するとか。そうすりゃ、半永久的に自己組織は安泰だ。鉱物ほどじゃないかもしれんが、腐敗さえ防げば―つまり細菌に食われなけりゃ―、生物の体だって結構長持ちするもんさ。

ああ、そうか。それを考えたら、結晶が自己の秩序を維持するために、何のエネルギーも必要としないのは当然だね。

エネルギーが使われるのは、もっぱら生命の維持・継続のためだよ。動物のように、走ったり、飛んだりすれば、もちろんエネルギーが要る。繁殖や成長もそうだね。しかし、仮にじっと動かず、しかも繁殖も成長もせずにいたって、生物は細胞レベルで、常に物質を循環させて、自己組織を新陳代謝している。それが少なからぬエネルギーを必要とするわけだ。

なるほど。

で、結晶ができるときと、生物の組織ができるときとでは、大きな違いがあるんだけど、分かるかい?

というと?

当たり前の話だけどね、物が違うんだよ、物が。
つまり、生物の組織は、それ自体がエネルギーの塊ってことさ。その大元は言うまでもなく太陽の光エネルギーだけど、それが化学エネルギーに形を変えて、炭水化物や脂肪やタンパク質の内部にギュッと詰め込まれているわけだ。そんなエネルギーの塊を毎日作らないといけないんだから、動物も植物もせっせとエネルギーを取り入れるのは当たり前なのさ。

ふむふむ。

でも、鉱物の結晶は違う。物質が秩序立った配列をとるには、必ずしもエネルギーの充当が必要なわけじゃない。むしろ結晶の場合、自由運動をしていた分子が、運動エネルギーを失うことで、はじめておとなしく固体化するわけだ。だから、この場合真に大切なのは、エネルギーを「うまく失えること」、つまり、それを廃熱として、系の外に出してやれることだろうね。
鉱物を食べる生物がいない理由も、これでわかるだろう?仮にその結晶を消化できたとしても、何のエネルギーも出てこないからさ。まあ、「健康にはミネラルが大事」というように、動物も植物も必要な無機物を摂取しているけれど、それはエネルギーを取り出すためじゃない。
本文の中で、エネルギーを取り入れてできる生物組織と、エネルギーを失ってできる結晶を対比させたけど、この点は、まあそれほど的外れでもなかったな。

一つ疑問に思うんだけど?

何だい?

結晶といってもさ、鉱物みたいな無機物ばかりじゃないじゃない。生物体を構成するのと同じ炭水化物の仲間、たとえば砂糖だって、結晶になるよね。その場合はどうなるの?

砂糖の場合、分子と分子の結合については当然「鉱物ルール」さ。つまり、分子が運動エネルギーを失って、初めて結晶化するという意味ではね。

(ショ糖の構造式。by Don A. Carlson. 出典:ウィキメディア・コモンズ)

そもそも、砂糖の化学エネルギーは、ショ糖分子同士が結びついて結晶化するときに埋め込まれるわけじゃない。最初っから1つ1つの分子の中に、つまり上の構造式の中に含まれているのさ。だから、分子がばらばらの状態になっている砂糖水でも、飲めばちゃんとエネルギー源になる。

   ★

さて、天の声を聞いて、分かった2つめの誤解がある。それは「秩序とエントロピーの高低は関係ないという思い込だ。やっぱり「秩序あるところにエントロピーの低下あり」っていうのが、大抵の場合、真実らしいんだ。

本文中で、キミは「均一に混ざった砂糖水は、エントロピーは高いが、秩序は感じられる」っていう話をしてたね。

うん。「秩序」という日常語と、物理学的概念としてのエントロピーは、ちょっとずれるというのは、その通りだと思う。でも、そこから「結晶も砂糖水と同じ理屈で、秩序はあるがエントロピーは高い」と述べたのはウソだった。

ちょっと勇み足だったね。

このことを本筋から攻めるとね、「エントロピーの変化は、熱量変化を絶対温度で割った値に等しい」、つまり「ΔS=ΔQ/T」という関係式を考えればいいんだ。そう難しいことじゃない。

いったいどこからその式を持って来たんだい?やっぱり天の声ってすごいね。

そうさ、すごいものさ。で、結晶ができるとき―これは水が氷になる場合でも、溶液中で溶質が析出する場合でもそうだけど、凝固熱の放出が観察される…と習ったのを覚えているだろう?

うーん、何かそんなのあったね。

凝固熱の正体は、さっきも言ったように、固体化の過程で分子の運動エネルギーが失われることによるわけだけど、熱量変化でいうと当然マイナスさ。そこから熱が逃げ出すわけだからね。で、上の式のΔQがマイナスならば、当然左辺のΔSもマイナス、つまりエントロピーは減少するわけだ。

エントロピーの減少は、別に生物のおはこじゃないわけだね。

エントロピーの減少自体は、神秘でも何でもなくて、身の回りでいつでも起こっていることさ。その卑近な例が、気体→液体→固体の変化だね。この順に、分子は熱意を失う代わりに落ち着きを増して、ハチャメチャな状態から秩序を好むように変化するわけだ。何となく人間っぽいけど、この変化は可逆的なところが、人間とは違うね。

ちょっぴりうらやましいね。

そして、エントロピーの減少が可能なのは、geometさんの天の声にあったように、身の回りの現象は、外部と熱の出入りがある開放系と見なせるからさ。熱の捨て場がないところ、つまり孤立系だったら、エントロピーは右肩上がりになっちまう。

遠くにゴミ捨て場があるから、目の前の部屋が片付くっていう理屈だね。

   ★

そして3つめの誤解、それは「自由エネルギーが最低の状態は、即ちエントロピーが最大の状態」と考えたこと。実際、上で言ったように、物質は結晶になる過程で、自由エネルギーを失いつつ、かつエントロピーを減らしているんだから、こりゃ明らかにウソだね。だからビー玉とバケツの話も結局ウソさ。

なんだ、「うまい!」って思って損したよ。でも、どこがウソだったんだろう?

自由エネルギーの減少とエントロピーの増加が、いついかなる時も相伴うと考えたのが敗因さ。これもgeometさんの言うように、系の特性を考えてなかったためだろう。確かに熱の出入りのない孤立系なら、そうなる理屈だけどね。

それにしても、エントロピーの増大と自由エネルギーの低下っていう話ね。キミの話を聞きながら、あるマンガの1シーンが思い浮かんだよ。おかげでことさら「うまい!」って思ったのかもしれない。主人公の1人が、「宇宙の熱的死」について語る場面なんだけど…。

あれだ、『百億の昼と千億の夜』だ。

あ、キミも読んだ口だね。まあ、あれはあれでウソじゃないけど、子供相手には一寸罪作りだったかもね。…ところで、今聞いた話は、全部本当だよね?

いや、保証の限りではないな。
まあ、ウソならウソで、また考えればいいさ。それが許されるのが、素人の特権なんだから。