カテゴリー縦覧…プラネタリウム編:ドームを照らす赤い星2015年02月19日 20時07分11秒

昨日の汚れた地球儀が、まだ真新しかった時代。

(西野嘉章、『装釘考』(玄風社)より)

こういう本を見ると、当時の空気がスッと分かるような気がします。
もちろん「気がする」だけで、本当のことは分かりませんが、鉄の匂い、油の匂い、巨大な蒸気ハンマーの音、汚れた前掛け、筋張った手…なんかが、一塊のイメージとなって浮かんできます。ロシアがソ連となり、国内では「主義者」が気勢を上げ、特高と対峙していた頃です。

あの頃のロシアでは、ロシア・アヴァンギャルドと称される芸術運動が展開し、上の本にあふれるデザイン感覚も、その影響圏で生まれたものと思います。

そのロシア・アヴァンギャルドの一分派が「ロシア構成主義」。
建築分野でいうと、鉄・コンクリート・ガラスなどの工業素材を多用した、抽象的・幾何学的造形性を前面に出した様式で、いかにも「新しい時代」を意識した、旧来の建築様式(それはブルジョア趣味として排撃されました)と激しく対立するものでした。

その一例として挙げられるのが、1929年に完成したモスクワ・プラネタリウムです。
歴史的プラネタリウムは数々あれど、モスクワのそれは、ヨーロッパ随一の規模を誇ると同時に、革命後ロシアに芽吹いた芸術運動の落とし子という点に特徴があります。設計者は、若きミハイル・バルシュ(1904-1976)と、ミハイル・シニャフスキー(1895-?)。


その独特のシルエットは、かつて「タルホの匣(はこ)」と称して仕組んだ、シガレットケースにも登場しました。

(タルホの匣については、http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/03/31/を参照)

そしてまた、この小さなピンバッジにも、その雄姿は浮き彫りになっています。

(隣は宇宙モノのピンバッジをしまってある、ドロップ缶)


星たちが瞬く空の下、銀色の大ドームが、絞った弓のように盛り上がり、
そのはるか向こうを、赤い流星が真一文字に翔んでゆく…
何だかやたらにカッコいい構図です。

   ★

昨年、85歳を迎えたプラネタリウムは今も現役です。
ただし、その間常に幸福だったわけではなく、2011年に再オープンするまで、17年間も閉鎖されていたという事実を、今回初めて知りました。再開にあたっては躯体をジャッキ・アップして、建物2層分を増築するという離れ業をやってのけたそうです。

■公式サイト(英語): http://www.planetarium-moscow.ru/en/


【参考】 Moscow Planetarium
      http://architectuul.com/architecture/moscow-planetarium


コメント

_ S.U ― 2015年02月21日 07時54分36秒

共産主義と天文学(宇宙観)の関係というのも面白い問題かもしれませんね。そういう研究はあるのでしょうか。宇宙「開発」が共産主義の「建設」の思想を掲げて推進されたことはありましたが、それ以上の思想が解明されているかどうか。

 共産主義思想では、科学的推論によって、世はいずれ共産主義社会になることを予想しています。それを発展させて、共産主義体制では、天意に依って共産主義を固める、という思想も意識下に生じたかもしれません。そう考えると、天意によって封建社会を固めたい、という日本の江戸時代の朱子学と同じ方向のようにも思えてきます。ただし、朱子学は階層(階級)が安定した秩序ある宇宙を考えたのに対し、ソ連は進化する(革命の起こる)宇宙を考えたかもしれません。

 生物進化論の非ダーウィニズムを政治思想に持ち込んだことは有名ですが、宇宙論はどうだったのか。ソ連の底流としての宇宙科学思想がどうだったのか(宇宙工学ではなく)、興味を持つ人がいなくなる前にまとめておくことが大事なように思います。

_ 玉青 ― 2015年02月21日 15時22分18秒

あまりその方面の知識がないので、「communism astronomy」で検索したら、グーグル・ブックの以下の本が出てきました。Helge Kraghという人の、『Cosmology and Controversy: The Historical Development of Two Theories of the Universe』(PUB、1999)の一ページです。

http://tinyurl.com/ouybhq9

表示されたp.260の第2パラグラフを試訳。

「ソ連では、1920年代末から同国の天文学を、より共産党の公式イデオロギーに合致したものとする試みが始まっていた。天文学者たちは反教権(anticlerical)プロパガンダを進め、また西側諸国による(特に世界の創造をほのめかすような)観念的な宇宙論的見解の仮面を剥ぐことによって、党に奉仕すべきものとされた。1930年代末に綱領化された党のイデオロギーによれば、有限の時間尺度を唱える宇宙論的モデルは、その有神論的含意のために、否定されるべきものとされた。1947年、名高い指導的イデオローグであるアンドレイ・ズダノフは、この点について以下のように述べている。「ルメートルやミルン、あるいはその他の反動的科学者たちは、『赤方偏移』を宇宙の構造に関する宗教的見解を強化するために用いている。…科学の偽証者たちは、世界が無から生まれたというお伽話を復活させたがっている。…件の『理論』のもう1つの誤りは、世界が有限であると思い込んでしまう観念論的態度を我々にもたらす点にある。」物理学や他の科学分野と同様、天文学においても、スターリニズムは、レーニンやスターリンのことを、「同時代の偉大な科学者」ではないにせよ、「偉大な科学哲学者」であるとして褒めそやす「こびへつらい」の伝統に結びついた。ソ連の天文学者、P.P.パレナゴは、天文学に関する自著を「全人類の中で最も偉大な天才である同志スターリン」への賛辞で締めくくっている。」

マルキシズムとスターリニズムはまた別かもしれませんが、ソ連に関しては、どうもビッグバン説に宗教的匂いを感じ取って、当初盛んに攻撃していたみたいですね。ルメートルがカトリックのお坊さんだったことや、バチカンもそれに肯定的だったことが、ソ連の敵意をいっそう強めたのかもしれません。まあ、ガモフもソ連に残っていたら、粛清を免れなかったでしょう。

_ S.U ― 2015年02月21日 19時00分36秒

これは詳細なお調べをありがとうございました。ちゃんと研究があるのはすばらしいです。
 
 つまり、ビッグバン宇宙論が排斥されたということですね。また、後段には定常宇宙論が支持されたようなことが書かれていました。英語圏のキリスト教国では、Big Bang = Genesis であり、= Creation とついついなりますから、共産主義の立場ならそのように考えるのはなんとなく得心がいきます。また、ホイルの定常宇宙論は今は廃れていますが、当時は、現在も続く物質の絶え間ない創生を主張するそれなりに魅力のある説で、これが共産主義の生産の理想と合致したのかもしれません。

 ところが、これをスターリンが利用したとなると、反対派を陥れるためのイチャモンの材料に過ぎなかったように思え、ほとんど高邁さは感じません。江戸時代封建主義の朱子学のほうが格段にマシだったようで、・・・もう少し何かスカッとするものがほしいところです。

 ガモフのあとのソ連には、核兵器開発、物質創生論、反政府活動のすべてに活躍したサハロフ博士というスーパースターがいました。複雑な立場にあった人だと思いますが、ブレジネフ体制以後は戦中戦後とはだいぶ様相が違っていたと思います。

_ S.U ― 2015年02月22日 08時33分38秒

 前項の追記です。 
 「タルホの匣」のご引用があったので、稲垣足穂の『赤き星座をめぐりて』を見てみました。そこでは、共産主義の支持者と思われる「K君」とこれに反駁する足穂の論戦のようなことが書かれています(足穂はこの終戦前後の時期はカトリックを支持していました)。「文化」がどうあるべきかの論争は載っていますが、宇宙論については目立った記述はありませんでした。足穂は宇宙を人間の内面(感覚)で捉えることを支持していますが、共産主義はそういう理想を取らない思想として批判しているようです。結局、日本では概してそういう見方だったのかもしれません。また、プロレタリア作家にしても観念的な思考が先行していて、宇宙科学を土俵とした論争自体が難しかったようにも見受けられます。結局は、この議論を前面に出すには、核兵器競争、宇宙開発競争を時代の待つほかなく、その後はプロパガンダ合戦に陥ってしまったような恨みがあります。

_ 玉青 ― 2015年02月22日 09時46分52秒

どんな主義にせよ、個人崇拝になるとダメですね。
レーニズム然り、スターリニズム然り、毛沢東主義然り。
スターリンが宇宙論に容喙したのは、本来の共産主義思想とは関係なしに、いわば「第二の宗教」として、自らの世界観を提示する必要を感じたからかもしれませんね。

天文学者のアントニー・パンネクーク(http://en.wikipedia.org/wiki/Antonie_Pannekoek)は、西欧に身を置く先鋭的なマルクス主義理論家として、レーニズムを批判し、ロシア革命の失敗を強く主張したそうですが、共産主義と宇宙論の関係はなかなかスッキリ整理するのが難しく、そのセクトの数だけ考えはあるのかもしれません。

なお、新中国では、他の学問同様、天文学も(人工衛星の軌道観測と報時業務などを例外として)文化大革命の時期には完全に活動停止状態にありましたが、それ以前は、アレクサンドル・ミハイロフ博士の指導を受けたりして、それなりに盛んに研究は行われていたようです(ただ、宇宙論についてはソ連の直輸入で、固有のものはなかった気配です)。

ここにタルホ先生も登場されると、論点がますます多岐にわたって、私の頭はボーっとなるばかりで、私も何かスカッとするものが欲しいです。(笑)

_ S.U ― 2015年02月22日 16時33分59秒

スカッとしないのは、権力闘争のゴタゴタがあり、戦争のゴタゴタがあり、そうこうしているうちに冷戦になって、さすがのロシア人も宇宙論の体系化など考えている時間がなかったのかもしれません。宇宙哲学も太平の時代でないとだめですね。

_ 玉青 ― 2015年02月23日 06時02分20秒

何を以て良い世の中と見なすかは諸説あるでしょうが、宇宙哲学を大いに談じ、大いに論ずることのできる世の中は、間違いなく良い世の中だと思います。

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