旧制高校の青春…カテゴリー縦覧:理科少年編 ― 2015年04月22日 21時56分17秒
初夏の日差しを感じる、爽やかな日が続きます。
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さて、今日は理科少年…というか理科青年の話題です。
しばらく前、古い旧制高校のアルバムを見つけました。
蔵王の山ふところに立つ、山形高等学校・理科乙類の昭和2年(1927)の卒業アルバムです。
蔵王の山ふところに立つ、山形高等学校・理科乙類の昭和2年(1927)の卒業アルバムです。
旧制山形高校は、現在の山形大学の前身の1つ。
同校は大正9年(1920年)の創設ですから、アルバム当時はまだ開学7年目の、依然草創の気分が漂う頃です。
同校は大正9年(1920年)の創設ですから、アルバム当時はまだ開学7年目の、依然草創の気分が漂う頃です。
理科乙類というのは、第1外国語にドイツ語を選択したクラスで、英語を第1外国語にした理科甲類に対するものです。アルバムタイトルが「ALUBUM der O.B.」とドイツ語風なのは、そのせいでしょう。
表紙を開くと、校門の向うには雄大な蔵王の山。
若者たちが頭脳を鍛え、笑い、語った学び舎。
山形大学理学部のいにしえの姿です。
山形大学理学部のいにしえの姿です。
大仰な大礼服に身を包んだ校長先生。
左側は、1927年当時の二代校長・葉山萬次郎先生で、右側は、1926年まで初代校長を務めた三輪田輪三先生だと思います(三輪田先生の名をウィキペディアで見たとき、思わず笑ってしまいましたが、もちろんこれはご本人の責任ではありません)。
左側は、1927年当時の二代校長・葉山萬次郎先生で、右側は、1926年まで初代校長を務めた三輪田輪三先生だと思います(三輪田先生の名をウィキペディアで見たとき、思わず笑ってしまいましたが、もちろんこれはご本人の責任ではありません)。
嗚呼、マントに学帽。絵にかいたような旧制高校風俗。
そしてこのポーズ、いいですね。
何せ、彼らはスキーをするときも、マントに帽子だったのです。
ちょっと不思議な光景ですが、楽しそうですね。
そして彼らは本を読み、
顕微鏡をのぞき、
試験管を手にし、
物理法則を学び、
一夜のうたげの後に、
1枚の寄せ書きを残し、各地に散っていきました。
彼らはその後、どんな人生を送ったのか?
かつて確かにあった青春の1ページ。
それを眺め、人生なるものを思うとき、何だかわけもなく涙ぐましい気分になります。
かつて確かにあった青春の1ページ。
それを眺め、人生なるものを思うとき、何だかわけもなく涙ぐましい気分になります。
アルバムの最後の方には、彼らバンカラ学生のロマンチシズムをしのばせる、一輪の花の写真が挿入されています。同校の校章デザインの元になった、高山植物のチョウカイフスマ。
かつての若人の姿は夢のように消え、可憐な花だけが今も変らず鳥海山に咲いている…と想像するのは、何を隠そう私自身のロマンチシズムの表れに他なりません。
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