「野尻抱影の本」…カテゴリー縦覧:野尻抱影編2015年04月12日 16時03分18秒

ブログのカテゴリーの順番に沿って話題を出し続ける「カテゴリー縦覧」。
天文プロパーの話題が終って、以下、しばらくは天文以外の話題が続きますが、抱影や賢治は、まだまだ天文気分の濃い領域です。

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野尻抱影(1885-1977)という人は、ずいぶん多作な人で、ウィキペディアに載っている著作を数えたら、大正13年の『三つ星の頃』から、昭和52年の『星・古典好日』に至るまで、生前に出た単著の数は60冊を超えていました。中には旧著を再編集しただけの本もあると思いますが、それにしても大した量です。

「星の文学者」として隠れもなく、熱心なファンも多いはずなのに、しかし、その全集が編まれたことはついぞありません。抱影、賢治、足穂という、ペンを手にした夜空の大三角のうち、全集を持たないのは抱影だけです。ちょっと不思議な気もしますが、その主要テーマが「天文」とピンポイントなので、やはり絶対的な需要は限られるのでしょう。

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とはいえ、その筆業を概観するのに便利な本があります。
以前、筑摩から出た「野尻抱影の本」という4巻本選集です。


1989年1月7日、昭和天皇没。
その直後の1月25日が、第1回配本の『星空のロマンス』(石田五郎編)の発行日になっています。その後、月を追って1冊ずつ配本があり、2月『山で見た星(宮下啓三編)、3月『ロンドン怪盗伝(池内紀編)、4月『星の文学誌(原恵編)が出て完結。

抱影が生き、慣れ親しんだ明治・大正・昭和の三代が遠い世界になりつつあったときに、その選集が出たことに、少なからず感慨を覚えます。

(安野光雅さんの装幀が洒落ています。)

この選集は、抱影のことを知る上で、とても目配りの利いた構成になっています。

第1巻『星空のロマンス』は、「抱影節」の効いた天文エッセイ集で、いわば抱影のスタンダードナンバー。続く『星の文学誌』は、本業の知識(彼はもともと英語の先生でした)を生かした、星座神話や天文英詩についての評論集。第3巻『山で見た星』は、必ずしも天文に限らない、自伝的エッセイや小品、少年小説、山行記などが収められており、若い頃関心を示した、心霊の話題なども顔を出します。

そして第4巻は『ロンドン怪盗伝。ちょっと意外に思われるかもしれませんが、抱影が星と並んで興味を抱いたのが「乞食と泥棒」で、抱影のその方面の仕事も取り上げているところが、この選集の優れている点です。抱影は頭上の星ばかりでなく、生身の人間にも深い関心を寄せていました。

(『ロンドン怪盗伝』の帯。池内紀氏の解説文からの引用)

かつて松岡正剛さんは、生前の抱影に、その関心の由来を尋ねたことがあるそうです。

 なぜ星の専門家が乞食と泥棒に関心をもつのかというと、
これはぼくが直接に聞いたことだが、
あなたねえ、天には星でしょ、地には泥棒、人は乞食じゃなくちゃねえ」
というのである。
(松岡正剛の千夜千冊:野尻抱影『日本の星』 http://1000ya.isis.ne.jp/0348.html

洒脱といえば実に洒脱。
金持ちや権力者なぞ屁でもないという、抱影の反骨精神が頼もしいです。

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洒脱といえば、第3巻の帯に出てくるエピソードはどうでしょうか?


思わずクスリとする、胸のすくような話ではありませんか。
ちょっとへそは曲がっていますが、なかなか面白い老人ですね。
この老人が逝って、今年で38年。日本の世相もずいぶん変わりました。