キノコ本(5)2016年11月14日 06時19分44秒

それぞれに趣のあるキノコ本ですが、虚心に振り返ると、個人的にいちばん心にしっくりくるのは、子供の頃から親しんでいる、いかにも「図鑑っぽい」本です。


たとえば、1966年に出た『オックスフォード隠花植物図鑑(The Oxford Book of Flowerless Plants)』(F. H. Brightman・文、B. E. Nicholson・絵)。

(牧草地や野原で見られるキノコ)

この図鑑は、分類学的記載に拠らず、その生育する環境別にキノコや苔やシダの仲間を図示した、一種のフィールドガイドです。半世紀前のイギリスのナチュラリストが、身近な自然観察の際に参照したのでしょう。

(混合林中の倒木に見られるキノコ)

(同じく混合林中のチャワンタケ類)

19世紀の博物学書は、自ずと審美的見地から眺めることが多くなりますが、この辺まで時代が下ってくると――何せ私の方がこの本よりも年長なのです――、もっと直接的な記憶や経験を刺激されて、もろに郷愁という要素が入り込んできます。

(高地の荒れ地に育つ苔類。本書はキノコ以外に、コケやシダ、藻類など「花の咲かない植物」は何でも載っています。)

幼いながらも真剣だった自然観察の経験。
あの日、あの場所で感じた光や匂いが、ページの向うに浮かび上がります。

もちろん昔の私の生活環境に、こんな洒落た本があるはずはなく、実際に読んでいたのは、小学館の学習図鑑とか、ちょっと背伸びして保育社の原色図鑑ぐらいでしたけれど、「図鑑画」の匂いには東西共通のものがあります。

(高地の湿生植物。赤い帽子をかぶって並んでいるのは、ハナゴケ(地衣類)の子実体)

そして、ここに描かれた自然は、やっぱり美しいと思います。
それは描き手の画力はもちろんですが、やっぱり画いた人自身が、自然をこよなく愛していたからでしょう。

   ★

キノコの話題もひとまずこの辺で収束します。
何だかキノコそのものを語らず、余談ばかりでしたが、キノコを手がかりに、懐かしく新鮮な気分を味わえたので、ここでは良しとしましょう。
「あの日」が戻ってくることは二度とないにしろ、こうして本を開けば、一瞬あの日に還ることができることを確認できたのは、何にせよ良かったです。

コメント

_ S.U ― 2016年11月14日 22時04分20秒

 玉青少年は本当にキノコ好きだったのですね。身近にキノコの種類が豊富だったのでしょうか。

 子どもの頃、私は山の近くに住んでいましたが、植物図鑑に載っているいろいろなキノコの種類をほとんど見つけることはできませんでした。キノコの種類は少なかったように思います。ところが関東に住むようになって、それまで図鑑でしか見られなかった色の赤いキノコとか食べたら命が危なそうな白いキノコとか皮が開いたり閉じたりするツチグリがごく身近に見られることを知りました。初めて現物を見て、郷愁を感じることができた貴重な体験でした。

_ 玉青 ― 2016年11月15日 20時42分00秒

いやあ、特にキノコ好きということはなくて、身の回りの生き物にはみんな関心があって、その中にキノコも含まれていたということですね。我ながら好奇心に富んだ子供でした。

>キノコの種類

里山の環境として、マツタケが採れるような場所(アカマツ林)は、かなり人為が加わっていて(長年、薪炭供給源となった結果、地味が痩せてきている)、本来の自然植生とは大きく異なっている可能性が高いですね。裏返すと、自然植生が回復し、マツタケが採れなくなるようになると、他のキノコも徐々に勢力を盛り返してくる…のかもしれません。

まあ、本来の自然植生と異なるのは関東も同じですが、何と言っても西日本は歴史的により長く、より多くの人口を養ってきたので、土地からの収奪もいっそう激しく、また岩盤を被覆する土壌の厚みの違いも影響しているのでしょう。

_ S.U ― 2016年11月16日 18時28分27秒

これまたご教示ありがとうございます。種々雑多なキノコは、地味が肥えているから育つという単純なものではなく、もちろん痩せているから育つわけでもなく、種類ごとに松本零士氏のサルマタケのようにそれぞれのこだわりを求めながら育っているわけですね。ますます人間の近縁に思えてきました。

_ 玉青 ― 2016年11月16日 20時41分16秒

どうもS.Uさんが京都の北のご出身と伺い、やみくもにマツタケが採れるような土地柄をイメージしましたが、改めて読み返したら、そんなことはどこにも書かれていませんでしたね。もしご郷里の景観とずれた、トンチンカンな内容でしたら、どうぞご容赦ください。(^J^)

_ S.U ― 2016年11月17日 13時01分12秒

おぉ、こんな駄文を読まれて、書かれてもいない、私の故郷の整備された針葉樹林の様子まで思い浮かべていただけるというのは、まったくもって光栄なことであります。というか、これは玉青さんがご幼少の砌より培われた自然のニュアンスを把握する細やかな能力によるものなのでしょうねぇ。

 故郷にいた頃の私は、雑木林がかえって珍しくてその植生に興味をもったものです。北山杉のようなのがスタンダードな山林のイメージでしたので、確かに関東よりバリエーションは少なかったですね。

_ 玉青 ― 2016年11月18日 07時35分55秒

手入れのされた杉の美林は見事ですが、ナチュラリストにとってはちょっと寂しい環境ですね。(あれは杉林というよりも、「杉畑」といったほうが、実体に近いかもしれません。)

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