彗星が見た夢2016年11月21日 07時09分00秒

何だか辛いことが多くないですか?
ひょっとして、若い人は辛いことがデフォルトになっていて、そう感じないかもしれませんが、それはそれで辛いことです。

   ★

古絵葉書を一枚。


タイトルに「五番街とブロードウェイ」とありますが、ニューヨークではありません。
ここはインディアナ州ゲイリーの町。

 街灯のともる、静かな夜の街角。
 窓から洩れる明かりに、人々の暮らしの確かな温もりが感じられます。
 左手には誇らしげにはためく星条旗。
 それと競い合うかのように、空一面に星がまたたき、
 ハレー彗星がスッと横切っていきます。


美しい、まるで夢の中で見る光景のようですが、これは1910年5月20日、人々の目に確かに写った光景です。

   ★

…でも、やっぱりこれは「夢」なのかもしれません。
アメリカという国と、そこに住む人々が見た美しい夢。

以下、ウィキペディアの記述から、そのまま引用します。

 「ゲーリーは1906年、USスチール社が同地に新工場を設立したことによって誕生した。市名は同社の社長の名にちなんでいる。以来、同市はアメリカ合衆国における製鉄業の隆盛と共に隆盛を迎えた。」

ゲイリーは、当時驚くほど新しい町でした。上の絵葉書は、新しい町が生まれ、人々が最も活気と希望に満ちていた時代のものなのです。

 「しかし、ゲーリーの凋落もまた、製鉄業と運命を共にするように訪れた。その原因は、1960年代に全米の多くの都市同様、レイオフで大量の失業者が出たことであった。〔…〕今日においても、同市は失業・財政問題・犯罪といったさまざまな都市問題を抱えている。〔…〕ゲーリーは全米有数の犯罪都市として悪名が高い。モーガン・クイットノー社の調査では、同市は1997年・1998年と2年連続で『全米で最も危険な都市である』と報告された。」

ここは、アメリカのラストベルト(錆ついた地帯)のど真ん中であり、今や最も活気と希望から遠い場所です。変化を求めて、トランプ氏を熱狂的に支持したのも、この地の人々でした。

   ★

ハレー彗星が、前々回の接近時(1910)に見た地上の光景と、前回(1986)見た光景は、驚くほど違いました。

次回(2061)は果たしてどうなっているでしょう?
夢、活気、希望…そんな言葉を、人々は口にできているでしょうか?

人間の自由意思を信じる人ならば、「どうなっているかを問うのではなく、我々がどうしたいかを問え」と言うかもしれません。私は自由意思万能論者ではないので、そこまで強い言い方はできませんが、でも、夢や活気や希望というのは、周囲に流されるときには生まれ難く、自ら決断するときに生まれることが多い…というのは、経験的に正しい気がします。

ともあれ、45年後の再開を期して、今からいろいろ夢を紡いでおきたいです。

コメント

_ S.U ― 2016年11月23日 08時15分38秒

「トランプ現象」に関して、今朝のNHKラジオで解説氏が、アメリカではラストベルトに代表される零落しつつある白人中堅層がマイノリティ(ここでは移民やLGBTなどを指すのでしょう)に対して一種の対抗行動を行っているというというような見方をしていました。「斜め聞き」だったので正確に意図を聞き取ってはいないと思いますが、「マイノリティ vs サイレントマジョリティ」の対立が起こり始めているということだと思います。マイノリティは良くも悪くも近年スポットが当たるようになったが(どちらかというとこちらが話の主題だったようです)、マジョリティのほうは徹頭徹尾日が当たらず、ものを言う機会もないということなのかもしれません。
 ことさら対立を煽るのではなく、まず、多数の人の願いに沿った政策、多くの人の暮らしを支える政策を穏便に進める、という当たり前のことが当たり前の故にできなくなっている、そういう時代が現代ではないかと思いました。そして、その当たり前のことが当たり前にできなくになると今後どうなるのか・・・ なかなか想像しづらいものがあります。

 江戸時代の「一揆」の大きなやつというと、島原の乱と大塩平八郎の乱が有名ですが、これらはちょうど200年を開けて起こったというのを最近知りました。江戸時代は、結局、島原の乱を抑えて長期政権についたが大塩の乱は抑えられなかった、と総括されるのかも知れません。大塩の乱から200年後の2038年頃から次のハレー彗星回帰くらいまでには日本で何らかのカタがつくのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年11月23日 12時01分01秒

まさに激動(あるいはプレ激動)の時代ですね。

歴史を振り返ると、人間の作る政体は、どんなにうまく制度設計しても、だいたい200年ぐらいで制度疲労を起こしますね。そこに中興の祖が現れて、大胆な変革を施すと、そこから息を吹き返して、さらに200年ぐらい延命する場合もありますが、どうもそのあたりが限界のようです(ローマ帝国も、中国の諸王朝もそうでした)。これは、たぶん人間という種に内在した要因があるのでしょう。

日本も明治150年を前に、だいぶ草臥れてきた感があります。
お隣の中国も、現在の共産党一党独裁体制は、かなり諸矛盾が蓄積しているので、200年はとてももたず、100年目を迎えた今世紀半ばぐらいに大きな変革があるかもしれませんね。

ともあれ、今度ハレー彗星が巡ってくるときには、1986年とは大いに様変わりした地上の景色を目にすることでしょう。はたしてハレー彗星が凶星となるか、吉星となるか、それは見る人の立場によっても変わるでしょうが、ぜひ後者であることを祈りたいです。

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