宇宙の謝肉祭(その4)2017年11月14日 23時05分24秒

これまたエクスに登場した天文モチーフの山車。
題して、「月の恋人たち(Amoureux de la lune)」


キャプションには年次も回数も記載がありませんが、消印から1915年の出し物と分かります。


それにしても、これは何なんでしょう?
アンパンマン的な何かと、バイキンマン的な何かを、大勢の天文学者が望遠鏡で覗いている情景ですが、いったいこれは何を言わんとしているのか?

(一部拡大)

そのコスチュームとタイトルを見比べて、じっと考えた結論として、これは「太陽と月の結婚」である<日食>を表現しているのではないかと思いつきました。つまり、白いのが太陽、黒いのが月で、彼らがひたと頬を寄せ合うとき日食が起きる…という、古くからのイメージを表現した出し物という説です。

(Pinterestで見かけた出典不明の画像)

ただ、この前後にフランスで皆既日食が見られたら、話がきれいにまとまるのですが、どうもそういう事実はなくて、1912年4月17日に観測された皆既日食(+金環食のハイブリッド日食)が、ちょっとそれっぽく感じられる程度です。

(パリ天文台が行った飛行船観測による画像。

まあ、いくら100年前でも、3年前の出来事が「時事ネタ」になることはないでしょうから、これは特定の日食を表わしているというよりも、天文趣味に染まった山車の作り手の脳裏に、この年はたまたま日食のイメージが浮かんだ…ということかもしれません。

   ★

エクスの町における「宇宙の山車」の始点と終点は不明ですが、少なくとも1910-12年と1915年に登場したのであれば、当然、中間の1913-14年にも作られたでしょうし、その前後も含め、まだまだ奇想の山車はあるはず…と睨んでいます。

今後も類例が見つかったら、随時ご報告します。(我ながら酔狂な気はしますが、まあ実際、酔い狂っているのですから仕方ありません。)

(この項いったん終わり)

コメント

_ S.U ― 2017年11月15日 07時57分32秒

むむっ、日食を擬人化した山車まであるとは。恐るべしはエクスのカーニバル・・・
 
 ここまでやるとなると、やはり、何らかの新宗教的なモチベーションが祭の思想のベースにあるのではないかと考えますがいかがでしょうか。また、天文学者が登場するというのもユニークですね。そうなると、彼らにもなにか宗教的な役割があることになります。科学としての天文学の進歩を讃えるという意味だけでここまでやるとはなかなか思えません。

_ 玉青 ― 2017年11月16日 08時03分01秒

(前の記事のコメントへのお返事も兼ねて)

ルーツはともかく、謝肉祭は表向きキリスト教のお祭りですから、新宗教の影が差しているとは、いささか穏やかでないですね。でも、当時は例のフラマリオンが、天文趣味とオカルト趣味をつき混ぜて、それがまた妙に人気を博した時期ですし、占星術が強力に復活した時期でもあるので、何かその辺が糸を引いているのかもしれません。

ときに「UFOを呼ぶ」というのは、もろにオカルティズムの影響下で生まれた行為(観念)ですよね。あの界隈の人にとって、UFOや宇宙人は一種霊的存在であり、UFOの召喚は新手の降霊術なんじゃないでしょうか。

_ S.U ― 2017年11月16日 19時46分02秒

>新宗教の影が差しているとは、いささか穏やかでない
>天文趣味とオカルト趣味
>UFOの召喚は新手の降霊術

 1917年のファーティマの聖母出現では、大群衆の目の前で太陽が動き回る等の奇跡が観測されたそうです。カトリック教会はこれを公認しています。また、火星人の存在のウワサが異星人に対する親近感を呼んだり、それが聖母のように空からやってきて人類を救ってくれると見る人がいたことも考えられますので、どれもこれも考えられます。だとすると、天文民俗というのも相当広い範囲のベースを持っていることになります。

_ 玉青 ― 2017年11月18日 08時45分29秒

思えば、「天空」という観念自体、Heavenにしろ、高天原にしろ、単に物理的ロケーションや方位を示すのみでなく、時代と国を超えて宗教的な聖性を帯びた存在ですよね。その天空から来臨するものとして、「宇宙人」が自ずと聖性を帯びるというのも、これまた自然な発想かもしれません。
そういえば、「宇宙人は霊的存在だ」という考えに加えて、「超古代文明は宇宙人によってもたらされたものであり、人類が『神』と呼ぶ存在は、実は宇宙人だった」みたいな、「一周回った」説もありましたね。

_ S.U ― 2017年11月19日 07時26分57秒

>人類が『神』と呼ぶ存在は、実は宇宙人だった
 これを真理と仮定してみると、「地球の近くに来ているUFOは、我々を創った神の乗り物である可能性が高い」ということが合理づけられ、「それなら、テレパシーの交感によって神に降臨願うことが期待できる」ということも合理づけられますね。
 ここまで来ると、宇宙哲学の勝利というべきか、理屈と膏薬はどうとかこうとかとか。

_ 玉青 ― 2017年11月20日 07時16分04秒

人がなぜUFOと宇宙人を求めてやまないかは謎ですが、その謎が解けるまでは、彼らの棲める余地を、人の心の隅に残しておくのが無難かもしれないなあ…と、青空を眺めてボンヤリ考えました。
(こちらで恐縮ですが、丁寧なご挨拶を頂戴し、ありがとうございました。お寂しいことと存じますが、どうぞ心静かに年末年始をお過ごしくださいますように。)

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