おしゃべりの自由2019年08月07日 21時48分02秒

今回の件は非常に心を動かされたので、もう1回だけ書きます。

前回、前々回と2回書いてもうまく書けなかったことが、その後「うーむ」と腕組みをしているうちに、パッと分かった気がするので、ここに書きつけます。

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もちろん私は、その都度自分なりに正しいと思ったことを書いているのですが、それでも一抹のためらいが常にありました。筆先がちょっと鈍るというか、何かモヤモヤするものがあったのです。

なぜか? 例えば、政権批判にしても、慰安婦問題にしても、私は自分と違う意見を持つ人がたくさんいることを知っています。そして、たくさんいるということは、何かそこに私の見落としている論理と根拠があるのではないか?…という疑念を拭えませんでした。だから、相手の言い分にも耳を傾ける必要があると考えて、自説をいかにも自信満々に書くのをためらう気持ちがあったのです。

そういう「謙虚さ」(自分で言うのもなんですが)の背後にあるのは、「お前さんの話も聞くから、俺の話も聞いてくれ」という態度です。もちろんこれは悪いことではなくて、至極真っ当な態度です。というか、当たり前のことだと思います。

ただ、「お前さんの話も聞くから、俺の話も聞いてくれ」というのは、相手も同じスタンスでいるときしか通じない態度です。相手が最初から話を聞く気がないとき、いくら「お前さんの話も聞くから…」と言ったって、馬耳東風もいいところで、相手とイーブンの関係にはなりえません。

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私が今回悟ったこと。

それは、こういう場面――不特定多数に対して何かを発するとき――で大事なのは、「お前さんの話も聞くから、俺の話も聞いてくれ」よりも、まず「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」だということです。これならば、相手のスタンスによらず、お互いイーブンの関係で向き合えます。

そして、表現の自由の本質とは、まさにこの「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」にあるんじゃないでしょうか。裏返せば、表現の自由が守られない場面とは、「俺は話すぞ。だけどお前は話しちゃいかん」という態度が登場する場面です。

今回の騒動の基本構図も、「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」vs. 「俺は話すぞ。だけどお前は話しちゃいかん」の対立と言える気がします。

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でも、お互い自分のことを話すだけだったら、いたずらに言葉が飛び交うばかりで、不毛じゃないの?と思われるかもしれません。確かに不毛な場合もあるでしょうが、意外にそうでない場面も多いです。

たとえば、各種の自助グループなどは、お互いワーワー言いっぱなしで、あれこそ、「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」の原則が徹底している場面です。でも、参加者はそのやりとりに確かな意味を感じ、だからこそ参加しているわけです。

そんなわけで、これからは「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」の態度で、筆先を大いに煥発(かんぱつ)させようと思うのです。

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それともう一つ、表現の自由とヘイトの問題について。

これは、敷衍すれば、「表現の自由はいついかなる時でも認められるか?」という問題でしょうが、「いついかなる時も認められる」というのが、私の意見です。もうちょっと言葉を足すと、「表現の自由は基本的人権だから、誰に対しても恒常的に与えられている」という考え方です。これは一見常識に反するので、「おや?」と思われるかもしれません。

問題は、基本的人権は「表現の自由」だけがポンとあるわけではなく、他にもいっぱいあって、しかも時に相矛盾することがあるので、矛盾が生じた場合は、そこに調整が必要だということです。

例えば「これが俺の表現だ!」といって刃物を振りかざして向かってくる人がいた場合、こちらは自分の「生存権」を主張して、それを排除することができます。そして、生存権に優越する表現の自由はない…というのが、たぶん法の考え方でしょう。

ここで重要なのは、生存権の前に、表現の自由が「無」になるわけではないことです。つまり、表現の自由は常にあるんだけれど、それよりも生存権が「優越する」ということです。現象面で、両者は同じことになりますが、「無い」と「有る」では大違いなので、私はそこにこだわったのでした。

ヘイトの問題もそうです。
差別と憎悪を煽動するヘイト行為は、あってはならないことです。でも、そこにもやっぱり表現の自由はあります。ただし、それが他者の基本的人権とバッティングした場合、その場面で、表現の自由が優越することはなかろう…というのが、ヘイトが認められない理由です。「俺には表現の自由がないのか?!」と叫ぶヘイターがいたら、「いや、ある。でも、この場面では他に優越することがある」というのが、彼への答です。

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以上のことは、法学者がとっくに細かく解釈をしているでしょうが、自分にとっては、自分の頭で考えたオリジナルなので、将来の自分へのメモとして書きました。

元に戻って、「お前さんも話せ。そして俺にも話させろ」という態度。
考えてみれば、これは日常のおしゃべりの大半に当てはまることです。今日書いたことも、いわば「おしゃべり」に類することでしょう。

おしゃべりが常に楽しいわけではありません。時には、意図せず相手を傷つけたり、傷つけられたりすることもあるでしょう。それでも、おしゃべりは楽しいに越したことはない…という気持ちを大事にしながら、私はおしゃべりを続けようと思います。

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