ハンミョウの教え2018年02月19日 20時14分15秒

ほぼ半月ごとにやってくる「二十四節気」。
節分後の立春に続いて、今日は「雨水(うすい)」。このあとは「啓蟄」、「春分」…と続きます。そう聞けば、春寒のうちにも真の春が近づいたことを知ります。

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ふと思いついて、今日は昆虫の話題です。



ハンミョウは、「キキンデラ・ヤポニカ」の学名どおり、日本の固有種で、ハンミョウ科の中では日本最大の種でもあります。「ハンミョウ」という語は、ハンミョウ類の総称としても使われるので、特にこの種を指すときは、「ナミハンミョウ」という言い方もします(「アゲハ」と「ナミアゲハ」の関係と同じです)。


生きているときは、妖しいほどに美しい甲虫ですが、死後はすみやかに色が褪せてしまいます。この標本も、これだけ見ると美麗な感じですが、宝石のような生体とは比ぶべくもありません。何となく「落魄(らくはく)」という言葉を思い浮かべます。

(ウィキペディアより)

ハンミョウの美しい色彩は、命の輝きそのものです。
そして、ハンミョウのような目に見える華麗さはないにしろ、人間だって、他の生物だって、生きている限りはこんな輝きを放っているに違いないと思うのです。

ここで私の心には、さらに二つの思いが去来します。
「どんなに立派な輝きを放っても、死んでしまえば終わりじゃないか」という思いと、「だからこそ、その輝きが大切なんだよ」という思い。もちろん、どちらが本当で、どちらが嘘ということはなくて、いずれも真実です。

個人的な実感を述べると、人生が長く感じられた若い頃には、前者の思いが強く、余生が乏しくなった現在は、後者の思いに、よりリアリティを感じます(若い頃は、何となく後者を建前のように感じていました)。身近な人のことを考えるとき、一層その思いは強く、今を精いっぱい輝いて欲しいと願うばかりです。

ハンミョウの命の輝きを奪った当の本人に、果たしてこんな述懐が許されるのか、疑問なしとしません。でも、死せるハンミョウは、蓮如上人の「白骨の御文」よりも、腐朽する屍に生の無常を観ずる「九相図」よりも、さらに鮮やかに生と死の意味合いを、私に告げてくれている気がします。

Crystals of Crystal(後編)2017年11月20日 06時49分40秒

クリスタルガラス製の鉱物結晶模型の全容はこうです。

(販売時の商品写真の流用。奇妙な手は、大きさ比較用のラバーモデル)

この結晶模型セット、メーカー名の記載がどこにもありませんが、売り手であるイギリスの業者の見立てでは、1890年ころのドイツ製。

年代については、1890年前後で特に矛盾はありませんが、下で触れるように、この種のセットは1920年代にも販売されていたので、もう少し時代は幅を持たせた方が安全かもしれません。

また、販売を手がけたのはドイツの会社かもしれませんが、生産国はおそらくチェコでしょう。つまりドイツの業者――おそらくクランツ商会あたり――が、チェコのガラス工房に発注して、商品として販売していたのだと思います。

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ガラスの結晶模型への憧れを書いたのは、今回が初めてではなく、以前も心情を吐露したことがあります。

上の記事は、ガラス製の結晶模型の実例を紹介するページにリンクを張っており、そこで紹介されているのは、透明ガラスと色ガラスの模型が同居する可憐なセットでした。しかし、一種の親バカかもしれませんが、手元のオール透明ガラスのセットの方が、結晶美という点では、一層純粋で好ましいと思います。(結晶美とは、畢竟、無味・無色・無臭の抽象世界に成立するものでしょう。)

(結晶の面角を正確にカットしたガラス塊の輝き。おそらくボヘミアガラスの職人技)

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ガラスの結晶模型セットを、往時の博物用品カタログに探したところ、パリの博物ショップ・デロールのカタログに載っているのを見つけたので、参考までに挙げておきます。


1929年のカタログですから、デロールの歴史の中ではわりと時代の下るものです。
当時のデロールは、学校への理科教材の卸販売が中心の店で、こうしたカタログを盛んに出しており、カタログ掲載の品も自社製品とは限らず、むしろ他社製品の取次ぎのほうが多かったように思います。


頁をめくると、そこに「Séries cristallographiques en cristal dur」(硬質クリスタル製結晶学シリーズ)というのが見つかります。説明文には「鉱物の結晶形態とその主要な変異を含む、周到かつ十全な科学的正確さを備えたシリーズ」とあり、360フランの20種セットから、1,650フランの90種セットまで、全部で6種類のラインナップ。

当時のフランの価値はよく分かりませんが、質問サイトの回答(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5617201.html)を参照すると、フラン切り下げ後の1928年の時点で、1フラン=200~250円程度(金の価格を基準にしています)。これに従えば、20種セットで7~9万円、最上位の90種セットは33万~41万となります。

手元のセットが、デロールが扱っていた商品と同一である保証はありませんが、20種セットというのは、まあ一般的にいって「入門シリーズ」なのでしょう。それも今となってはすこぶる希少な品で、その希少さの背景には、素材の性質上、きわめて毀れやすかった…という事情があると思います。


手元の模型も、よく見ると縁が欠けているものが何点かあります。
この品を無事次代に引き継げるよう、せいぜい用心しなければ…と、少なからず責任を感じています。

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ときに、ドイツのクランツ商会は、鉱物関連の品で扱ってない物はないと言ってよいので、このガラスの結晶模型も、探せばきっとカタログに載ってると思うんですが、まだ見つけられずにいます。それでも1894年頃のカタログを見て、「おっ」と思いました。


そこにはGlas-Krystallmodelle(ガラス結晶模型)の文字があって、一瞬「これだ!」と思ったんですが、よく見たら、こちらは板ガラスをカットして、結晶形に組み合わせたものでした。

同種のものは、上記デロールのカタログの同じページにも載っていて、そちらはSéries cristallographiques en glace」(ガラス製結晶学シリーズ)と称しています。


これは「結晶形態学プロジェクト」にコラボ参加されている、ステンドグラス職人・ROUSSEAU(ルソー)さんの作品に通じる雰囲気があり、その祖型といって良いかもしれません。

(「結晶形態学プロジェクト」フライヤーより、ROUSSEAUさんの作品2種)

Crystals of Crystal(前編)2017年11月19日 07時00分27秒

(昨日のつづき)

結晶形態学プロジェクト」の雅味に沿い、かつ私が以前から憧れていたもの。
それがこの黒い箱に入っています。

(箱の大きさは、約29×20cm)

この箱が届いたのは、去年の夏のことです。
かなり無理な算段をしてこれを購入したのは、わずかなボーナスが入って、ちょっと気が大きくなっていたせいもありますが、でもこれは、たとえ財布がスッカラカンでも買うしかないと、見た瞬間に思いました。

その中身は(大方お察しのとおり)「結晶模型」です。
でも、よく見る木製ではありません。クリスタルガラス製のまさに Crystals of Crystal、「クリスタルでできた結晶たち」なのです。


もちろん、木製の結晶模型にも独特の味わいがありますし、それに木製だろうが、ガラス製だろうが、結晶の形自体に変わりはないんですが、無色透明なガラスで作られた結晶模型には、昨日書いたような、抽象的な「理」の美しさや、「理知の篩(ふるい)にかけられた純粋な感覚美」が、なおのこと溢れているように感じたのです。


結晶形態は全部で20種類。ひとつひとつが小箱に入り、真綿の上に鎮座しています。
私はこうした風情にすこぶる弱く、また「正方晶系完面像晶族」とか「六方晶系菱面体晶族」とかいった言葉の響きに、脳幹反射的に反応してしまうところがあります。

何だか、「理」の美しさと言ったそばから、妙に幼稚な感想を書き付けていますが、結晶美の王道はルーチカのお二人にお任せするとして、私の方はモノにこだわって、この模型の素性をちょっと考えてみます。



(この項つづく)

珪藻愛2017年09月12日 06時41分53秒

上野の国立科学博物館のミクロ分館で、「大珪藻展」が好評開催中と聞いて、見に行って来ました。

(上空から見たミクロ分館)

夏休みも終わったというのに、会場は大勢の親子連れで賑わい、入場するまでちょっと待たされました。


中に入ると、壁面に珪藻の実物がずらりと並び、その迫力に圧倒される思いです。


不思議な形の珪藻たちが、黒い闇をバックに光り輝く様は、美しくもあり、怖ろしくもあり、これが自分と共通祖先を持つ生物だとは、とても思えません。

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…と、しょうもないことを書きましたが、珪藻というのは、確かに不思議な生き物です。


私が買ったのは、カリフォルニアの海辺で採取された、85個体を1枚のプレパラートに封入したものですが、それを一瞥しただけでも、その多様性に目を見張らされます。

(スマホでは広い視野が撮れないので、購入時の商品写真を流用)

その多様性から、珪藻は昔から顕微鏡ファンには人気で、その集合プレパラートもたくさん作られました。

(A. Pritchard、『滴虫類誌(History of Infusoria)』第4版(1861)より)

(同上。プリチャードのこの本には図版が40枚載っていますが、珪藻の図は、そのうちの実に14枚を占めています。)

その人気は、今も衰えを知りません。
下の写真はeBayで見かけたものを勝手に貼らせてもらっていますが、この100個体を封入したプレパラートは、その色形の美しさからグングン値を上げ、何と6万円近くの値段で落札されました(たった1枚のプレパラートがですよ)。本当に口あんぐりです。


まあ、これは巧みな暗視野写真が、美しさに下駄を履かせている部分もあるでしょう。
私も真似したかったのですが、手元の安価な顕微鏡は、暗視野観察装置を欠いており、冒頭の写真は、絞りを中途半端な位置に置いて擬似的に暗視野とし、後から画像をいじったものです。

それにしても、見れば見るほど素敵な連中じゃありませんか。

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現実の国立科学博物館に「ミクロ分館」はありませんが、珪藻の一大標本コレクションは実際に収蔵されており(現在は同館の筑波研究施設に置かれているようです)、過去には「珪藻カフェ」なんていう素敵な催しもありました。

そして本邦には、珪藻を専門とする「日本珪藻学会」があり、珪藻学(diatomology)の発展に日々邁進しているのです。


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珪藻の「珪」の字は、元来中国において、天子が諸侯に授けた玉の意だそうです。
珪藻はまさにミクロの宝玉―。

市松結晶模型2017年07月09日 16時42分16秒

天文古玩は早めのバカンスを満喫しています。

ブログを更新しないと「あいつは死んだのかな?」と思われるかもしれませんが、ちゃんとこうして生きています。逆に言うと、別にブログを書かなくても死ぬわけじゃないし、ブログというのは、たまさか気の向いた時に書けばよい…というのが、正常な在り方で、これまで何となく義務感というか、妙な勤勉精神に囚われていた方が、むしろ異常なのです。

で、そのバカンスとやらの間に何をしてるんだい?」と問われれば、「いや、バカンスとは、何もしない空っぽの時間を言うのさ」と、しれっと言うのがこの場合無難でしょうが、もちろん実際はそんなことはなくて、本も読めば、買い物もするし、まあ記事を書かないだけで、やっていることは以前と変わりません。

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で、今日がその「たまさか気の向いた時」。
たまたま昨日気になったことがあるので、そのことについて書きます。


手元に差し渡し4~5センチの、積み木のようなものがあります。
全体が白木と黒塗りのツートンという、なかなか伊達な姿。


鉱物趣味の方ならご存知のとおり、これは鉱物結晶模型の一種です。
そう聞かされて、「ふーん」と思い、そのまま長いこと棚のオブジェになっていたのですが、ふと、このツートンの意味が気になりました。


ものの本を見ると、確かにそれらしい説明図が書かれています。


これは、鉱物図鑑の「等軸完面晶族」から「三斜半面晶族」まで全部で32種類ある「32晶族」についての解説ページで、そこにはいくつかの面によって囲まれた多様な結晶の姿を、その対称面、対称軸、対称心によって分類記述してあります。


…といって、同形同大の2個の六角柱をこのように塗り分ける意味は何なのか、私にはいまだによく分かりません。件の解説を凝視しても、文字列は双の眼から虚空へと抜けていくばかりで、脳内には何の像も結びません。

結局、一日かけても何も得るものは無く、ボンヤリ物思いにふけるだけで終わりました。これこそ優雅なバカンスであり、人間として好ましい生き方なのだ…と強弁してもいいのですが、意味が分かるに越したことはなく、簡便にご教示願えるものなら、ぜひお願いしたく思います。

(よく見ると、個々の模型には数字が刻印されており、左から順に、116、230、213と読めます。結晶の多様性に応じて、塗り分けなしの白木の結晶模型も、おそろしくたくさん作られましたが、ツートンの模型もそれに劣らずたくさんあるのでしょう。)

きのこの思い出2016年11月07日 20時01分26秒

ちょっと話題のエアポケットに入ったので、HDの隅にあった画像を貼っておきます。


季節柄、キノコの写真です。
1876年創業のドイツの理科模型の老舗、SOMSO(ソムソ)社製の「ベニテングタケ」。

SOMSO社公式サイト(英語版 http://www.somso.de/en/somso/

キノコらしいキノコといえばベニテングタケ…という単純な発想で発注したのですが、ドイツ本社も、たまたま在庫を切らしていて、届くまで随分待たされた記憶があります。


この写真を撮ったのは2010年で、発注したのはもうちょっと前だと思いますが、あの頃、小石川の「驚異の部屋展」には、立派なキノコの模型が鎮座していて(インターメディアテクに今も並んでいます)、理科趣味の部屋には、キノコがなければいけない…みたいな思い込みがあったのだと思います。

思えば、つい先日のことのようでもありますが、当時はまだアンティークのキノコ模型は流通量が少なくて、思い通りのイメージの模型を入手するには、新品を購入するしか手がありませんでした。そんなところにも、微妙な時代の変化を感じます。


ライティングの加減で、妙に暖色系になった写真。
記憶の中の光景をノスタルジーが色付けすると、ちょうどこんな感じになりますね。

ここに写っているモノたちも、その後の時の流れの中で、ずいぶん配置が変りました。
他人からすれば、どうでもいいことでしょうが、自分の身辺に起こったそういう些細な変化にも、6年間という時の重みをジワッと感じます。

なんだか、キノコのことを取り上げながら、キノコのことを何も語っていませんが、そもそもが形から入ったことなので、「きのこの思い出」もせいぜいこんなところです。

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…と書くそばから、「いや、そんなことはない!」という内なる声が聞こえます。

 「キミは子供ころ、一生懸命キノコの乾燥標本を作ったじゃないか。お菓子の缶に大事にしまっておいた、あの標本のことを忘れたのか?『キノコの人工栽培』という本を図書室から何度も何度も借り出したのは、いったいどこの誰だ?朽木の上に列をなすオレンジ色の不思議な菌類をじっと観察したのは?キノコだけじゃない、シャーレに入れたパンや、牛乳瓶に流し込んだ寒天培地に生えてくるカビを飽かず眺めたのは、他ならぬキミじゃないか?」

――6年や7年どころではない、何十年も前の遠い記憶。
こういう思い出は、ふだんはほとんど忘れていますが、何かをきっかけに脳味噌の芯から噴き出すように涌いてきます。そして、こうして忘れずにいるということは、やっぱり大切な思い出なのでしょう。

首都の週末(2)…インターメディアテク(後編)2016年07月25日 20時59分58秒

インターメディアテクは、ミュージアムショップがよくない…と、以前書きました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/10/14/7458230)。

さて、最近はどうであろうかと、例によってミュージアムショップ(正式には、「IMTブティック」と呼ぶそうです)に立ち寄ったんですが、品数も幾分か増え、オリジナルの品――以前とは違って、ちゃんと収蔵品にちなむもの――も並んでいたので、ちょっと嬉しかったです。

その中でも特に目を惹いたのが、この標本壜。

(つまみを含む全高は約33cm)

古くなった保存液の風情を出すため、黄褐色の透明シートを丸めて入れてあるのが、心憎い工夫です。

ショーケースには「オリジナル標本瓶 15本限定」という以上の説明はなく、また店番のバイト氏に聞くのも覚束ない気がしたので、特に聞かなかったのですが、若干擦れや汚れがあって、まっさらの新品ではなさそうです。おそらく東大のどこかから出て来たデッドストック品ではないか…と思いました(この点は定かではありません)。


ガラス蓋のつまみ。手わざを感じさせる涼し気な練り玉。
それを透かして見る景色を見ながら、「驚異の小部屋」で見かけた、分厚い半球状のガラスに覆われた標本をぼんやり思い浮かべました。


私が行ったときは、これがショーケースに4本並んでいました。
それぞれにエディション・ナンバーが入っているのですが、そのうちの1本を見たら、「お、一番やんけ」…と、別に河内弁にならなくてもいいですが、ちょっとラッキー感があったので、思い切って購入することにしました。

そして、包んでもらった壜を手に、いそいそとインターメディアテクのゲートを出ようとしたところで、館長である西野嘉章氏とすれ違いました。別に言葉を交わしたわけでもなく、本当にすれ違っただけですが、ほんの数秒時間がずれていたら、このすれ違いも生じなかったでしょうから、まさに「袖触れ合うも多生の縁」です。

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今は漫然と窓際に立ててありますが、ここは「驚異の小部屋」を見習って、もうちょっとディスプレイの仕方を考えてみます。
(さらに、この壜だけでは飽き足らず、インターメディアテクの空気を求めて、帰宅後に画策したことがありますが、それはまた別の機会に書きます。)


(この項つづく。この後は西荻窪に向います)

夏、標本、鉱石2016年07月15日 22時01分52秒

ピンクの百日紅が咲き、紅い夾竹桃が咲き、
その脇を「暑い、暑い」と言いながら出勤する毎日です。
でも、私は基本的に夏が好きなので、そんなに口で言うほど苦ではありません。

そして来週からは、いよいよ夏休み。
夏休み向きの企画が、既にいろいろ始まっています。

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横須賀美術館では、「標本」をテーマにした美術展が開催中。


自然と美術の標本展――「モノ」を「みる」からはじまる冒険
○会期 2016年7月2日(土)~8月21日(日)
      10:00-18:00  (7月4日(月)、8月1日(月)は休館)
○会場 横須賀美術館(http://www.yokosuka-moa.jp/index.html
      神奈川県横須賀市鴨居4-1
      アクセスMAP http://www.yokosuka-moa.jp/outline/index.html#02
○出品参加
      江本創、鉱物アソビ・フジイキョウコ、橋本典久、原田要、
      画材ラボPIGMENT、plaplax、山本彌  (フライヤー掲載順) 
○公式ページ http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/1602.html


フライヤーの解説に目をやると、「自然をテーマに、標本や自然を題材にする現代作家の作品」と、「横須賀市自然・人文博物館が所蔵する岩石や昆虫、植物などの標本」を取り合わせることで、「美術館と博物館という境界を越え、「モノ」を「みる」という純粋な行為に身を投じてみてはどうでしょう」と誘いかける企画です。

近年の博物ブームと、それをアートの文脈に位置づける試みが、公立美術館でも大規模に行われるようになった点で、この試みは大いに注目されます。
そしてまた、これまで主に「鉱物趣味の多様化」の文脈で語られてきたフジイキョウコさんの活動が、明確に<現代美術>の営みとして捉えられたことも、鉱物趣味の歴史を語る上で、画期的な出来事と思います。

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さらに、フジイさん以外の方の作品も、興味を激しく掻き立てられます。


超高解像度人間大昆虫写真。
リアルといえば、これほどリアルなものもないですが、リアルを突き抜けた一種の幻想性が漂っています。


江本創氏による幻獣標本。
こちらは逆に幻想にリアルを注入した作品です。
氏の作品は、これまで写真等で見る機会はありましたが、残念ながらその現物を目にしたことはないので、機会があればぜひ直接拝見したいです。

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フジイさんからいただいたご案内には、これまた嬉しいDMが同封されていました。

鉱物Bar (vol. 9) Alchemy ~錬金術~  結晶が科学反応をおこす夜
○会期 2016年8月12日(金)~8月21日(日) 月・火休み
      15:00-21:00 (8月20日、21日は20:00まで)
○会場 ギャラリーみずのそら(http://www.mizunosora.com/index.html
      東京都杉並区西荻北5-25-2
      MAP http://www.mizunosora.com/map.html
○参加メンバー
      鉱物アソビ(鉱物標本)、piika(博物系アンティーク)、
      coeur ya.(アクセサリー)、cineca(鉱石菓子)、彗星菓子手製所(同)、
      なの(同) 
○公式ページ http://www.mizunosora.com/event200.html


「鉱石(イシ)をみながら酒をのむ」
――この文字を目にする季節が、ついにまた巡ってきたのです。

鉱物とアンティーク、そして鉱物にちなんだリキュールとお菓子。
美しく不思議なモノを眺め、それにまつわる物語を聞きながら、舌の喜びを味わう。
何と贅沢な宵の過ごし方でしょう。

今回のテーマは、「Alchemy 錬金術」です。

わりと近い過去まで、鉱物趣味の徒は、高価な光学機器に頼ることなく、劈開を調べ、条痕の色を見、石同士をすり合わせて硬度を決定し、いくつかの試薬や吹管による化学分析を行うという、どちらかといえば素朴な手段によって、鉱物を同定していたと聞きます。

こうした化学分析の営みこそ、8世紀のアラビアの錬金術師ジャビール・イブン・ハイヤーンから、16世紀のパラケルススへと至る、正統派錬金術の直系の子孫というべきものです。

透明な鉱物の向うに、自然を構成する始原の存在を思いつつ、アラビア科学の精華たる「アルケミー」と「アルコール」を併せて堪能する。今回の愉しみのひとつは、そこにあると想像します。

自然は実験精神に富む(後編)2016年06月25日 10時49分47秒

英国がEUから離脱し、世界は大揺れです。
「天の声にもたまには変な声がある」…と言ったのは福田赳夫元総理ですが、同じ感慨を持つ人も少なくないでしょう。

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さて、昨日のつづき。


どうでしょう、これぐらい近づいても、まだ得体が知れませんが、付属のラベルを見れば、その正体は明らかです。


ペルー産のヨツコブツノゼミ
全長5ミリほどの小さな珍虫です。
半翅目(カメムシ目)の仲間で、名前のとおり、セミとはわりと近い間柄です。

これぐらい小さいと、さすがに虫体に針を刺すのは無理なので、いったん台紙に貼り付けて、それを針で留める形の標本になりますが、虫ピンの頭と比べても、いかに小さいかが分かります。

私が最初この標本を見たとき感じたのも、素朴に「小さい!」ということでした。

ツノゼミは、図鑑や本ではお馴染みでしたが、実物を見るのは初めてで、私のイメージの中では、よく見かけるカメムシとか、ヨコバイとか、つまり体長1~2cmぐらいの虫を漠然と想像していたので、実際はこんなに小さい虫だったのか…というのが、ちょっとした驚きでした。


もう1つのケースには、これまた小さなツノゼミ類が4種配置されています。


その身は小なりといえど、いずれも個性豊かな(豊かすぎる)面々です。

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なんで、こんな虫がこの世に登場したのか?
昔の人は、この姿に接して、どんな驚きの言葉を発したのか?

…それが書かれていることを期待して、荒俣宏さんの『世界大博物図鑑(第1巻、蟲類)』を広げてみましたが、英名で「devilhopper(悪魔のように跳ねまわる者)」、仏名で「petit diable(小悪魔)」と呼ばれる辺りに、その奇態さの片鱗が窺えるぐらいで、過去の博物学者の名言や、昆虫民俗学的な記載はありませんでした。(あるいは「悪魔」の名は、農作物に害をなす種類がいるせいかもしれません。)

(荒俣宏(著)、『世界大博物図鑑第』第1巻・蟲類、平凡社、1991より)

しかし、解説文中にフランスの批評家、ロジェ・カイヨワ(1913-1978)の意見が引かれているのが目に付きました。

「〔…〕ロジェ・カイヨワは、そのとっぴでばかげた形は何物にも似ていない(つまり擬態ではない)し、何の役にもたたないどころか飛ぶさいにはひどく邪魔になる代物だとしている。ただし、それにもかかわらずツノゼミの瘤には均整と相称をおもんぱかった跡がうかがえるとし、結論として、ツノゼミはみずからの体を使って芸術行為をなしているのかもしれない、と述べている。」

さらに荒俣氏は、北杜夫さんの『どくとるマンボウ昆虫記』から、もしもカブトムシほどのツノゼミがいたとしたら〔…〕近代彫刻とかオブジェとかいうものもずっと早く発達していたにちがいない。」という一文も引用しています。

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ツノゼミの形態の謎は、結局のところ、今でもよく分かっていないようです。
生物の多様性を、自然の実験精神、あるいは自然の絵心に帰する…なんていう優雅な振る舞いは、18世紀人にしか許されていないかと思いきや、ツノゼミを見る限り、21世紀でも意外にイケるようです。

自然は実験精神に富む(前編)2016年06月24日 06時58分49秒

話題を棚に戻し、話題の主はまたまた昆虫です。


さて、この60mm角のクリアケースの中に潜む小さな主。
何だかお分かりでしょうか?


珍虫界にその人あり…と知られた存在。
これを名古屋の東急ハンズで見たときは、「え、こんなものまで商売の具にするのか」と、少なからず驚きました。

分かる人には分かるシルエットの正体は、もったいぶって次回に回します(というか、写真が撮りにくいです)。