理科室アンソロジー(4)…野尻抱影『星三百六十五夜』2006年10月16日 05時37分23秒


理科室を語る種は尽きぬもの。今日も続きです。

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○野尻抱影著  『星三百六十五夜』 (恒星社厚生閣、1969、1988)より
 5月15日 「望遠鏡」 の項

「夜の自習時間が来て、寄宿舎がしいんとなると、舎監当直の私は真暗な廊下づたいに本校へ出かけて行って、小使室でつくねんと煙管をくわえている老人に、「標本室を開けておくれ」という。小使は大きな木礼のついた鍵をぶら下げながら、長い廊下を先に歩く。たるんだ天井の処どころについている電灯もうす暗く、まき水でおさえた土埃りの臭いがしめっぽくこもっている。

この老人は少し頭がへんらしい。いつかの晩も、通り過ぎた教室の中で何か低い物音がすると、引戸を開けて真暗な中へ入って行ったが、出てきて歩きながら、「病気で長いこと欠席している生徒さんの魂が、時々遊びに来てますんで」と眩くように言った。

もっともそんなこともありそうな城跡のひどく古い校舎で、寄宿舎の裏には、小姓か腰元を切りこんで埋めたという石の六角井戸があり、私がガキ大将で試肝会をやったこともある。

標本室の戸を鍵で開けると、私はガラス越しのうす明りで、植物や動物の標本の並んでいる隅に、筒を白木綿で巻かれて立っている小望遠鏡へ近づく。そして半ば手さぐりで布をほどく。すぐ前にほの白く立って私を見下ろしているのは、もと刑死者らしい骸骨で、暗い中でも、床のきしみで長い腕の骨をぶらぶら動かしている。

それから私は、木の三脚のまま抱き上げて廊下へ出る。そして鍵をかける音を後ろに、その頃愛誦した白秋の「長崎の人形使いは面白や」を口の中でいいながら、表玄関まで行く。そこで庭へ下りて三脚をひろげ、さてどの星からかと、山国の降るような星空を見上げる。

二インチぐらいの地上用望遠鏡で、外国製だったが、筒はエナメルも塗ってなかった。それが五年の間英語教師の私の専用となっていて、その後も時々淡いなつかしさで思い出していた。四十年もたってから、とうに移転していた新校舎を訪づれると、昔と同じく白木綿に巻かれて、黙々と立っていた。骸骨X氏も相変らず長い腕を垂らしていた。」

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『星三百六十五夜』は、野尻抱影の手になる、天文随筆としては自他ともに認めた最高傑作。内容は1日1話の歳時記風の読み物です。

1955年に中央公論社より初版が出た後、幾たびも著者自身の手が入っています。引用は69年版を底本にした、88年新装版より行いました(写真は外箱のデザイン)。

掲出した一文は、抑えた筆致で湿っぽい夜の理科室を描いています。老いた小使いとの陰々としたやり取りや、ひっそりと立つ骸骨の描写が印象的。

抱影は明治40年(1907)から45年(1912)までの青年時代、旧制甲府中学校に英語教師として赴任。元より星好きだった彼は、学校備品の2インチ望遠鏡で、山国の空を心行くまで堪能しました。

それにしても、昔は実際の人骨が理科室に置かれていたのか?医学標本ならばともかく、地方の中学校にまで行き渡っていたとは俄かに信じ難い話。
(甲府中は現在の甲府一高のはずですが、X氏は健在でしょうか?)

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