青い天球儀…アメリカン・モダニズム ― 2011年05月12日 20時14分27秒
どうも書き始めたものの、このシリーズは書いていて自己矛盾を感じるので、話半ばで終りにしようと思います。というのも、「再考」というほど、内容が深化しているわけでもないし、それならば敢えて「再考」をうたわなくても、ふつうに「天文古玩」そのものを続ければいいんじゃないかと思い直したからです。
それに、もし本気で「再考」しようと思ったら、結局これまで書いたことを全部おさらいしないといけないので、あと5年間ぐらい書き続けないといけないゾ…ということにも気付いたからです。
古人曰く、「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」。
…というわけで、「再考」のタイトルは外しますが、話題はこの前の続きです。
…というわけで、「再考」のタイトルは外しますが、話題はこの前の続きです。
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「ありがちな天球儀」というのは、つまりネットオークションでよく見かけるタイプのことです。たとえばこれ↓
現在は、スペース不足のため本棚の上に追いやられ、しかも地震対策として釣り糸で固定されているので、すぐに下ろすこともままなりません。そのせいで写真も雑になりました。不憫に思いますが、どうしようもありません。
この品は、シカゴのRand McNally 社の製品で、球径は30センチ、時代は1960~70年代のものです。
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紺地に黄色い星、そして水色の星座絵。
色使いも、星座絵の表現も、いかにも「モダン」(ちょっとレトロがかった意味でのモダン)な感じを受けます。この製品は1930年代から売られており、デザインはその頃から変わっていないので、戦前のモダニズムを感じるのはそのせいでしょう。
(ちなみに、初期の製品はベークライト製の架台に乗っていましたが、戦後しばらくして、クロームメッキの、いかにもミッドセンチュリーっぽいデザインの架台に置き換わったようです。)
原案者はOliver J. Lee(1881-1964)という天文学者。この人は、野尻抱影とほぼ同世代に当たるので(正確には4歳年上)、そう思って見ると、何となく「野尻本」の空気に近いムードも感じます。
また、以前紹介した渡辺教具のヴィンテージ天球儀(http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/06/08/3568448)とも似ています。でもよく見ると、似ているようでやっぱり違う。その辺に日米のデザイン感覚の違いが現われているようで、興味深く思います。
(↑画像再掲)
コメント
_ S.U ― 2011年05月13日 07時44分50秒
_ 玉青 ― 2011年05月13日 20時39分20秒
>これは最近出た「邪道」でしょうか。
邪道です(笑)。
天球儀は言うなれば、「ハイパーモダン」な教具ですね。
いったい、(正常な思考力の持ち主であれば)だれが「宇宙の外」に立って、平然と宇宙を眺め得ると考えるでしょう?古人おそるべし。
邪道です(笑)。
天球儀は言うなれば、「ハイパーモダン」な教具ですね。
いったい、(正常な思考力の持ち主であれば)だれが「宇宙の外」に立って、平然と宇宙を眺め得ると考えるでしょう?古人おそるべし。
_ S.U ― 2011年05月13日 21時50分53秒
なるほど、「ハイパーモダン」かもわかりませんが、この宇宙を外から見る「ありえなさ」が私には何や気色悪うて今まで天球儀をよう買うておらんのです(←なぜか大阪弁)。
「邪道」のほうも4次元ポケットの裏返しみたいで、こちらもマトモでないですね。天球を書斎に入れようという古人の偉大な発想は、同時に、それは人間には出過ぎたことであることを、天が教訓として垂れ給うているかのようです。
「邪道」のほうも4次元ポケットの裏返しみたいで、こちらもマトモでないですね。天球を書斎に入れようという古人の偉大な発想は、同時に、それは人間には出過ぎたことであることを、天が教訓として垂れ給うているかのようです。
_ 玉青 ― 2011年05月14日 16時09分01秒
あはは。考えてみれば確かに気色悪いですね。
邪道天球儀の方は裏返しの裏返しで、本来なら正常に戻るはずですが…何が何だかもう訳がわかりません。天球儀も大阪も、わやくちゃですわ(←ちょっと強引なまとめ)。
邪道天球儀の方は裏返しの裏返しで、本来なら正常に戻るはずですが…何が何だかもう訳がわかりません。天球儀も大阪も、わやくちゃですわ(←ちょっと強引なまとめ)。
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最近は左右がひっくり返っていないものもあるようですが、これは最近出た「邪道」でしょうか。それとも、実用重視としてこちらも伝統があるのでしょうか。