ジョバンニが見た世界「時計屋編」(8)…宝石を乗せて回る硝子盤(第3夜) ― 2011年12月05日 20時51分53秒
ふと思い立って記事のカテゴリーを新設しました。
またカテゴリーの並び順も整理して、天文に関連するものを上位にまとめました。(一応「天文を中心に…」とうたっているので。)
またカテゴリーの並び順も整理して、天文に関連するものを上位にまとめました。(一応「天文を中心に…」とうたっているので。)
今回増やしたのは、「天文余話」、「極地」、「驚異の部屋」、「長野まゆみ」、「ヴンダーショップ・イベント」、「博物館」の6種類です。(「天文余話」というのは、他のカテゴリーに入れづらい天文関連の記事を整理するためのものです。)
それにしてもバカバカしいほどカテゴリーが多い。ご当人は整理したつもりなのに、いっそう取り散らかった印象を生むという矛盾。なんだか自分の部屋や、頭の中を見せつけられるような気がします。
★
さて、ジョバンニの話。
「銀河鉄道の夜」には、いろいろな宝石名が登場します。
しかし改めて読み返すと、その多くは比喩表現として使われていて、実際に宝石そのものが登場する場面は少ないことに気付きました。
比喩表現というのは、次のようなものです。
「金剛石を、誰かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという風に」
「月長石ででも刻まれたような、すばらしい紫のりんどうの花」
「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床」
「水晶細工のように見える銀杏の木」
「真珠のような実」
「日光を吸った金剛石のように露がいっぱいについて」
「ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えている」
それに対して、宝石そのものが登場するのは、以下の2か所ないし3か所のみです。
「あまの川のまん中に、黒い大きな建物が四棟ばかり立って、その一つの平屋根の上に、眼もさめるような、青宝玉(サファイア)と黄玉(トパース)の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」
印象的な「アルビレオ観測所」の描写。
はくちょう座のくちばしに当たるのが二重星のアルビレオで、望遠鏡でのぞいた時のオレンジと青の美しい対比で知られます。
「河原の礫(こいし)は、みんなすきとおって、たしかに水晶や黄玉(トパース)や、またくしゃくしゃの皺曲(しゅうきょく)をあらわしたのや、また稜(かど)から霧のような青白い光を出す鋼玉やらでした。」
透明で涼やかな、銀河のほとりの光景。
「鋼玉」(コランダム)というのは酸化アルミニウムを主とする鉱物で、鉱物学的にはルビーやサファイヤもコランダムの仲間です。ここでは「青白い光を出す」とあるので、明らかにサファイヤのこと。もちろん賢治もそのことは承知で、ただ文字と音の印象から、ここでは「鋼玉」を使いたかったのでしょう。
なお、上記の2か所以外で探すと、「水晶の数珠」という表現が出てきますが、これは天上世界の超現実的な美を表現しているわけではなくて、現実世界にも存在するモノなので、ちょっと性格が違うかもしれません。
★
結局、作品中に宝石として登場するのは、サファイヤ、トパーズ、水晶の3種類のみです。時計屋の店先には色々な宝石が並んでいたはずですが、ジョバンニに深く印象されたものとして、この3種の宝石は外せないところです。
そして、この3種をメインに、銀河鉄道の世界のイメージを喚起する存在として、比喩的に登場した他の宝石も取り混ぜて、これらを青いガラス盤に乗せてぐるぐる回してやれば、一応所期の目的は達成されたことになります。
ただ、それを実現するには相当な資金力が必要で、私にはそれが欠けています。
万やむを得ず、ここでは若き日の賢治さんの情熱に応えて、合成宝石を用意してみました。これならばぐっと経済的です。
ベルヌイ法や熱水法で作られた人工結晶の美。
サファイヤ、ルビー、トパーズ、エメラルド、そして金剛石を欺くジルコニア。あとは月長石とか水晶とか、これらは宝石というよりも「貴石」のたぐいかもしれませんが、そんなものを散りばめたら、まずは上出来。
★
さて、以上はある意味「公式見解」です。
作品に出てくる宝石のターンテーブルとして、私は現時点では上のようなものを思い浮かべますが、実は最初にこの文を読んだときには、まったく別のものを想像していました。それはオーラリーです。
青いガラスの上を、色とりどりの宝石でできた惑星がすべるように回るオーラリー。このイメージは今でも個人的に気に入っていて、時計屋の店先を再現するとしたら、むしろこの案を採用するかもしれません。
何といっても、そうすれば星関連のアイテムで場面に統一感が生まれますし、それにオーラリーの製作は、歴史的に時計職人の領分でしたから。
話を妙に引っ張りますが、これについてもう少し書いてみます。
(この項つづく)
コメント
_ S.U ― 2011年12月08日 20時02分30秒
_ 玉青 ― 2011年12月08日 21時47分52秒
宝石のたとえは、英国ロマン主義と天文趣味の結合の産物に違いなかろうと思います。
その元祖はおそらくスミス提督、Admiral Henry Smyth(1788-1865)で、彼はハーシェル父子とも親しい間柄でした。スミスの編んだ二重星目録、ベッドフォード・カタログは、星の色合いの比喩に盛んに宝石を持ち出しましたが、これがアレンをはじめ、後の一般向け天文書に及ぼした影響は甚大で、抱影もその影響下にあったはずです。
抱影の天文処女作は『星座巡礼』(大正14)で、以後、『星座めぐり』(昭和2)、『天文随筆・星を語る』(昭和5)、『星座風景』(昭和6)、『星座神話』(昭和8)と、賢治の生前に何冊も本を出していましたから、賢治が目にする機会はいくらでもあったと思います。ただ、はっきりした証拠がありません。
草下氏も前掲『宮澤賢治と星』で、「ところで吉田〔源治郎〕氏の著書以外にも賢治は、他の天文書を手に取っている筈である。その影響も明かに認められるが、残念乍ら吉田氏の本ほど、明確にその輪郭を浮び上らせてくれる程の資料が、私の手許にも賢治やその周辺の文章にも無い。今後ともこの方面の追究は、いよいよ困難さを増すばかりであろうことが予想される。」と書かれているので(p.39)、跡付けるのはなかなか難しそうです。
その元祖はおそらくスミス提督、Admiral Henry Smyth(1788-1865)で、彼はハーシェル父子とも親しい間柄でした。スミスの編んだ二重星目録、ベッドフォード・カタログは、星の色合いの比喩に盛んに宝石を持ち出しましたが、これがアレンをはじめ、後の一般向け天文書に及ぼした影響は甚大で、抱影もその影響下にあったはずです。
抱影の天文処女作は『星座巡礼』(大正14)で、以後、『星座めぐり』(昭和2)、『天文随筆・星を語る』(昭和5)、『星座風景』(昭和6)、『星座神話』(昭和8)と、賢治の生前に何冊も本を出していましたから、賢治が目にする機会はいくらでもあったと思います。ただ、はっきりした証拠がありません。
草下氏も前掲『宮澤賢治と星』で、「ところで吉田〔源治郎〕氏の著書以外にも賢治は、他の天文書を手に取っている筈である。その影響も明かに認められるが、残念乍ら吉田氏の本ほど、明確にその輪郭を浮び上らせてくれる程の資料が、私の手許にも賢治やその周辺の文章にも無い。今後ともこの方面の追究は、いよいよ困難さを増すばかりであろうことが予想される。」と書かれているので(p.39)、跡付けるのはなかなか難しそうです。
_ S.U ― 2011年12月09日 22時09分21秒
おぉ、やはりそうでしたか。英国ロマン主義が日本の田舎の夜空にも汪溢していたわけですね。
賢治と抱影の時代対応についてのご説明ありがとうございます。抱影が星座解説書を出版し始めた頃は、ちょうど、「銀河鉄道の夜」の執筆時期と重なっています。ということは、「銀河鉄道の夜」の初稿(1924年と言われている)を見て、星を宝石で喩えるシーン(アンタレスとアルビレオ)があるかどうかを見れば、抱影と賢治のどちらが先にこの喩えに着手したかがわかるのではないでしょうか。
ご紹介下さいました『宮沢賢治と星』は入手しましたので、ぼちぼち読んでみます。一方、「銀河鉄道の夜」の初期の稿は持っておりませんので、お持ちならぜひ宝石の星が出てくるかお教え下さい。
賢治と抱影の時代対応についてのご説明ありがとうございます。抱影が星座解説書を出版し始めた頃は、ちょうど、「銀河鉄道の夜」の執筆時期と重なっています。ということは、「銀河鉄道の夜」の初稿(1924年と言われている)を見て、星を宝石で喩えるシーン(アンタレスとアルビレオ)があるかどうかを見れば、抱影と賢治のどちらが先にこの喩えに着手したかがわかるのではないでしょうか。
ご紹介下さいました『宮沢賢治と星』は入手しましたので、ぼちぼち読んでみます。一方、「銀河鉄道の夜」の初期の稿は持っておりませんので、お持ちならぜひ宝石の星が出てくるかお教え下さい。
_ 玉青 ― 2011年12月10日 19時43分10秒
サファイアとトパーズの喩えは、抱影の『星座巡礼』(1925)にも、吉田源治郎氏の『肉眼に見える星の研究』(1922)にも見られます。
そして、この喩えは『銀河鉄道の夜』の初稿段階からあったので(参照:http://why.kenji.ne.jp/douwa/ginga_f.html)、もし1924年という初稿成立年が正しければ、抱影よりは吉田氏経由のものということになります。
そして、草下氏の考証によれば、「銀河鉄道の夜」には吉田氏の著書の影響が随所に見られるので、アルビレオについてもおそらくはそうなのでしょう。
ちなみに、この比喩もおそらくはスミス提督が濫觴で、彼の本(1844)には、この二重星が「topaz yellow」と「sapphire blue」の星から成ると書かれています。
+
協会の掲示板への転載もありがとうございました。
(実は宋学の話題も、今必死に本を読んでいるのですが、なかなか手ごわいです。
しかし孔子の教えと朱子学が、ちょうど原始仏教と鎌倉新仏教ぐらい位相の違うものだと知って、遅ればせながら大いに納得するものがありました。)
そして、この喩えは『銀河鉄道の夜』の初稿段階からあったので(参照:http://why.kenji.ne.jp/douwa/ginga_f.html)、もし1924年という初稿成立年が正しければ、抱影よりは吉田氏経由のものということになります。
そして、草下氏の考証によれば、「銀河鉄道の夜」には吉田氏の著書の影響が随所に見られるので、アルビレオについてもおそらくはそうなのでしょう。
ちなみに、この比喩もおそらくはスミス提督が濫觴で、彼の本(1844)には、この二重星が「topaz yellow」と「sapphire blue」の星から成ると書かれています。
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協会の掲示板への転載もありがとうございました。
(実は宋学の話題も、今必死に本を読んでいるのですが、なかなか手ごわいです。
しかし孔子の教えと朱子学が、ちょうど原始仏教と鎌倉新仏教ぐらい位相の違うものだと知って、遅ればせながら大いに納得するものがありました。)
_ S.U ― 2011年12月11日 09時29分19秒
おぉ、ご教示ありがとうございます。わずか三、四年の範囲に三者が並んでいるのは壮観と言うしかありません。本命の抱影氏が出遅れているのが面白いです。5年か10年のちには逆転するんでしょうけど。
草下氏の『宮沢賢治と星』も確認しました。氏の検証は十分綿密で、状況証拠のレベルまで来ていると思います。吉田氏経由なのでしょうね。同書には抱影氏の教示による附記というのがあって、吉田氏はガレット・サーヴィスの"Round the year with the starts"(1910)を参考にした、としています。これが直接の元になった洋書ということでしょうか。
それにしても、草下氏はこの研究を発表した時(1952)はまだ27歳だったのですが、よくこういうことを調べたと驚かされます。
昨夜の月食はきれいに見えました。肉眼で見るべき天文現象のトップは月食だと思いました。(二番目は流星かな)
>宋学
孔子の時代に生まれた「絶学」を復興したのが「宋学」で、日本の朱子学は江戸時代に解釈されたものですから、すべての時代を通して「これがそうだ」というのは難しいのでしょうね。
江戸時代の「科学少年」も、朱子学を目を輝かせて勉強したんですかねぇ。
草下氏の『宮沢賢治と星』も確認しました。氏の検証は十分綿密で、状況証拠のレベルまで来ていると思います。吉田氏経由なのでしょうね。同書には抱影氏の教示による附記というのがあって、吉田氏はガレット・サーヴィスの"Round the year with the starts"(1910)を参考にした、としています。これが直接の元になった洋書ということでしょうか。
それにしても、草下氏はこの研究を発表した時(1952)はまだ27歳だったのですが、よくこういうことを調べたと驚かされます。
昨夜の月食はきれいに見えました。肉眼で見るべき天文現象のトップは月食だと思いました。(二番目は流星かな)
>宋学
孔子の時代に生まれた「絶学」を復興したのが「宋学」で、日本の朱子学は江戸時代に解釈されたものですから、すべての時代を通して「これがそうだ」というのは難しいのでしょうね。
江戸時代の「科学少年」も、朱子学を目を輝かせて勉強したんですかねぇ。
_ 玉青 ― 2011年12月11日 21時59分37秒
スミス提督の本は、19世紀後半にはすでにイギリスでも稀購書となっていたので、抱影を含め、戦前においてそれを目にした日本人は、極めて少なかったと思います。したがって、その影響はすべてサーヴィスやアレンなどを通じた、間接的なものだったでしょう。そして、我々もまたそういう抱影やら誰やらを通じて、その影響を受けているわけですから、スミス提督の影響力というのは、実に恐るべきものがあります。
そういえば草下氏は昭和とともに歩んだ方でしたね。
うーん、27歳ですか。若いですねえ。。。
>江戸時代の「科学少年」
おお、これはまた新たな考究のテーマが生まれましたね。
若者は現象界の背後にある論と理に強い興味を示すものだ…というのが、通時代的な事実であるならば(そういう一群の若者が常に存在することはおそらく事実でしょう)、江戸時代には江戸時代の、平安時代には平安時代の「科学」少年がいても不思議ではありません。ええ、これは興味深いテーマです
そういえば草下氏は昭和とともに歩んだ方でしたね。
うーん、27歳ですか。若いですねえ。。。
>江戸時代の「科学少年」
おお、これはまた新たな考究のテーマが生まれましたね。
若者は現象界の背後にある論と理に強い興味を示すものだ…というのが、通時代的な事実であるならば(そういう一群の若者が常に存在することはおそらく事実でしょう)、江戸時代には江戸時代の、平安時代には平安時代の「科学」少年がいても不思議ではありません。ええ、これは興味深いテーマです
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「星の光を宝石で喩える」ということで、ハーシェル、アレン、賢治と出てくると、私にはどうしてもある人の影がちらついてきます。それは、もちろん、野尻抱影です。
抱影翁は、ひんぱんに星の色を宝石の色で説明しています。私は小学生の頃から翁の星座解説を読んでいますが、これが結構迷惑でした。田舎でしたから、外へ行きますと星はギラギラ光っていますが、色とりどりの宝石は写真でしか見たことはありませんでした。もちろん、そのへんに実物は転がっていません。すぐ見られる物を解説するためになかなか見られない物を例にするとはどういうことか!
星を宝石で喩えるのは英国趣味ではないでしょうか。そうだとすると、賢治もこの系列に載っていて、英国趣味→英文天文解説書→野尻抱影→宮沢賢治というルートも考えられます。時代的に野尻抱影の星座解説は宮沢賢治に間に合っていますでしょうか。(以前にも議論があったように思いますが、どういう結論でしたでしょうか。)