リンゴの唄を聞いた早見盤 ― 2014年05月15日 07時04分59秒
前回の星座早見がアメリカで出たのは1943年。
2年後の1945年8月15日、太平洋戦争終結。
2年後の1945年8月15日、太平洋戦争終結。
敗戦後の日本は、戦時下にもまして物資の窮乏著しく、餓死者が絶えませんでしたし、死には至らずとも、国民全体が―特に都市部では―栄養不良でふらふらしていた…と聞きます。
そんな時代の一隅を照らしたのが、並木路子の「リンゴの唄」で、当時の映像やドラマには必ずかぶさって流れるので、現今の人の耳にも親しいことでしょう。
★
そんな時代にあって、リンゴばかりでなく、星をいつくしむ思いが、人々の心の内には甦り始めました。
粗悪な紙に刷られた粗末な星座早見。
前回の早見盤と比べると、アメリカと日本の置かれた立場の違いがくっきり浮かび上がりますが、しかし、これこそ日本の天文趣味復活ののろしとも云うべき品。
前回の早見盤と比べると、アメリカと日本の置かれた立場の違いがくっきり浮かび上がりますが、しかし、これこそ日本の天文趣味復活ののろしとも云うべき品。
■野尻抱影(編) 『星座めぐり盤』、 研究社、昭和21年(1946)
約 18cm × 18cm
印刷されたのはちょうど敗戦から1年経った、昭和21年8月15日。
「配給元 日本出版配給統制株式会社」とあって、当時はまだ統制経済下ですから、出版人もいろいろ苦労があったことでしょう。定価は3円50銭。
窓枠カバーを開けたところ。星図盤はすっかり日に焼けていて、窓からのぞいていたところは濃い茶色になっています。
ザラッとした紙の表情。
口腹を満たすべき金で星座早見をあがない、すきっ腹を抱えて空を見上げたかつてのスターゲイザーに深い愛情を感じます。
コメント
_ S.U ― 2014年05月15日 19時20分11秒
_ 玉青 ― 2014年05月16日 07時10分26秒
お調べありがとうございます。
実は私も値段史年表の類を見て、値段の見当を付けようとしたのですが、仰る通り、当時は物の値段があってないような感じでしたので諦めました。
ともあれ、当時にあってこういう不要不急のものにお金を投ずること自体、まことに床しい心根と感じられます。
抱影翁の筆が再び冴えてくるのも、この時期からですね。
実は私も値段史年表の類を見て、値段の見当を付けようとしたのですが、仰る通り、当時は物の値段があってないような感じでしたので諦めました。
ともあれ、当時にあってこういう不要不急のものにお金を投ずること自体、まことに床しい心根と感じられます。
抱影翁の筆が再び冴えてくるのも、この時期からですね。
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この時代の3円50銭はどのくらいの価値だったのでしょうか。昭和21年頃は、年に3倍くらい物価が上がっていて、統制経済で、金があってもヤミ値でないと食料が買えないとかで見積もりが難しいのですが、昭和21年後半の生活や趣味品の価格を見ますと、たとえば...
公衆浴場入浴料金(東京) 21年11月 90銭
朝日新聞購読料 21年8月 8円(1カ月)
牛乳(配達1本あたり) 昭和21年 1.03円
ピース10本入り 昭和21年 7円
今と比べると、公衆浴場、新聞は400倍くらい、牛乳で100倍、たばこで30倍くらいでしょうか。3円50銭の星座早見を生活物資と比べると1000円くらい、趣味品だと思うと200~300円くらいになると思います。趣味品で多少高くても仕方がないと思うと十分に手の伸ばせるレベルのようで、抱影先生はけっこう良心的な価格をつけていたのかもしれません。