パラドックス・オーラリー(3) ― 2014年11月30日 11時44分52秒
先ほどS.Uさんからコメント欄で、サロス周期がこのオーラリーで検証できるのでは?とご提案いただきました。
サロス周期というのは、昔から知られている日食周期で、時間にすれば18年と10日ちょっと。すなわち、ある日・ある場所で日食が見られたとすると、それから約18年後に、ほとんど同じ欠け具合、同じ継続時間の日食が見られるという観測事実を指します(ただし日食が見られる場所は変ります)。
これは太陽・地球・月の位置関係が、この周期で同一になることの反映で、だったら、このパラドックス・オーラリーを18回まわしてやれば、同じ表示が現れるのでは…というのがコメントのご趣旨でした。
で、さっそくやってみたのが、下の写真です。
左はX年1月1日、右はX+18年1月12日の表示。
予想通り、だいたい同じになっていますね。
予想通り、だいたい同じになっていますね。
微妙にずれているのは、写真の角度の問題もありますが、天体現象を単純なメカニズムでシミュレートすることの限界も示しています。このオーラリーは、適当なギヤ比を設定することで、天体の運動を再現しているわけですが、現実に製作可能な歯数は限られるので、そこに誤差が生じるのは避けられません。まあ、この装置は計算用ではなく、デモンストレーション用のものですから、この程度の再現性で十分なのでしょう。
ちなみに↓はX+5年1月1日、↓↓はX+10年1月1日の表示です。
コメント
_ S.U ― 2014年11月30日 15時25分40秒
_ 玉青 ― 2014年12月01日 06時12分30秒
>星座記号板との相対位置
ちょっと説明が粗漏でしたが、暦日がずれる分、当然そうなる理屈ですね。
それにしても、金色夜叉なら「来年の今月今夜のこの月を…」ときっぱり言い切るところですが、「18年と11日後のこの太陽を…」ではチト語呂が悪いし、貫一お宮の両名もすっかり忘れてしまいそうです(笑)。
(でも、今気付きましたが、新暦だと貫一の決め台詞は、かなり無理がありますね。
あの場面は1月17日の設定だそうで、「金色夜叉」連載時の明治30年なら、うまい具合に月齢13.9の丸い月が、熱海の海岸を煌々と照らす計算ですが、翌年の1月17日は月齢24.3で、やせた月を、寒風に吹かれて明け方に眺めねばならず、かなり大変そうです。)
+
「銀河鉄道」へのご投稿、楽しみにしております。
ちょっと説明が粗漏でしたが、暦日がずれる分、当然そうなる理屈ですね。
それにしても、金色夜叉なら「来年の今月今夜のこの月を…」ときっぱり言い切るところですが、「18年と11日後のこの太陽を…」ではチト語呂が悪いし、貫一お宮の両名もすっかり忘れてしまいそうです(笑)。
(でも、今気付きましたが、新暦だと貫一の決め台詞は、かなり無理がありますね。
あの場面は1月17日の設定だそうで、「金色夜叉」連載時の明治30年なら、うまい具合に月齢13.9の丸い月が、熱海の海岸を煌々と照らす計算ですが、翌年の1月17日は月齢24.3で、やせた月を、寒風に吹かれて明け方に眺めねばならず、かなり大変そうです。)
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「銀河鉄道」へのご投稿、楽しみにしております。
_ 玉青 ― 2014年12月01日 06時17分05秒
(補足)うーん…でも、月が見えない方が貫一にとっては都合がいいので、そこまで計算していたんでしょうかね。
_ S.U ― 2014年12月01日 19時36分04秒
な、なんと、「サロス周期」からいきなり「金色夜叉」ですか
〽宮さん必ず 来年の~ 今月今夜 この月は~ (笑)
これが明治30年としますと、貫一は改暦(明治6年)の頃に生まれた世代ということになりましょうが、改暦から24年たっても、自然現象に向かう人の気持ちは旧暦に従っていたということではないでしょうか。当時の人は、人情や風情は旧暦で、オフィシャルな活動は新暦でと、感じ分け使い分けてていたのかもしれません。今となっては、尋ねる人もなく想像するばかりです。(なお、明治30年頃には、新暦と旧暦が同じウェイトのカレンダーが商店などから配布されていました。URL記事の「おまけその2」参照)
貫一は、この熱海の海岸の後、あくどい高利貸しになりますが、貸し金の取り立てをするさいには、もちろん新暦に従ったことでしょう。とすれば、小説「金色夜叉」は、世の人の心の変容を、暦制への意識の変化を借りて象徴的に表現している作品だとみることもできるのかもしれません。(もちろん話半分未満)
〽宮さん必ず 来年の~ 今月今夜 この月は~ (笑)
これが明治30年としますと、貫一は改暦(明治6年)の頃に生まれた世代ということになりましょうが、改暦から24年たっても、自然現象に向かう人の気持ちは旧暦に従っていたということではないでしょうか。当時の人は、人情や風情は旧暦で、オフィシャルな活動は新暦でと、感じ分け使い分けてていたのかもしれません。今となっては、尋ねる人もなく想像するばかりです。(なお、明治30年頃には、新暦と旧暦が同じウェイトのカレンダーが商店などから配布されていました。URL記事の「おまけその2」参照)
貫一は、この熱海の海岸の後、あくどい高利貸しになりますが、貸し金の取り立てをするさいには、もちろん新暦に従ったことでしょう。とすれば、小説「金色夜叉」は、世の人の心の変容を、暦制への意識の変化を借りて象徴的に表現している作品だとみることもできるのかもしれません。(もちろん話半分未満)
_ 玉青 ― 2014年12月02日 21時46分25秒
資料のご紹介ありがとうございました。
明治30年頃は、まだ今のように社会全体がのっぺりと平準化されておらず、お上の意向とは別に、商家には商家の、農家には農家の「暦感覚」が依然あったようですね。
それにしても、連載をリアルタイムで読んでいた人は、貫一のセリフをどう受け止めたんでしょうね?
中には、昔は自明だったことが、自明でなくなったことに気づいて愕然とする人もいたことでしょう。ちょうど今の私が、折々感じるように…
明治30年頃は、まだ今のように社会全体がのっぺりと平準化されておらず、お上の意向とは別に、商家には商家の、農家には農家の「暦感覚」が依然あったようですね。
それにしても、連載をリアルタイムで読んでいた人は、貫一のセリフをどう受け止めたんでしょうね?
中には、昔は自明だったことが、自明でなくなったことに気づいて愕然とする人もいたことでしょう。ちょうど今の私が、折々感じるように…
_ S.U ― 2014年12月03日 07時41分53秒
>連載をリアルタイムで読んでいた人
これは、気になりますね。
当時の人は、新暦と旧暦の月齢との関係を理屈では熟知していたはずです。でも、文学においては、「・・・1月17日、・・・来年の今月今夜・・・、再来年の今月今夜・・・」と聞けば、当然、同じ月齢の満月を思い浮かべたことでしょう。新暦と旧暦が二重奏のように、または綾をなすように、調和し矛盾し無意識のうちに頭をかけめぐったことでしょう。
すべては想像ですが、このシーンに限れば、明治大衆文学の最高人気場面と言えるでしょうから、きっと記録があると思います。また追々調べてみたいと思います。
>自明でなくなったことに気づいて愕然とする
まあこれも移ろう時代を長く生きた人々の特権と思うしかないでしょうが、年をとってからではきついでしょうね。
これは、気になりますね。
当時の人は、新暦と旧暦の月齢との関係を理屈では熟知していたはずです。でも、文学においては、「・・・1月17日、・・・来年の今月今夜・・・、再来年の今月今夜・・・」と聞けば、当然、同じ月齢の満月を思い浮かべたことでしょう。新暦と旧暦が二重奏のように、または綾をなすように、調和し矛盾し無意識のうちに頭をかけめぐったことでしょう。
すべては想像ですが、このシーンに限れば、明治大衆文学の最高人気場面と言えるでしょうから、きっと記録があると思います。また追々調べてみたいと思います。
>自明でなくなったことに気づいて愕然とする
まあこれも移ろう時代を長く生きた人々の特権と思うしかないでしょうが、年をとってからではきついでしょうね。
_ 玉青 ― 2014年12月03日 20時47分03秒
>長く生きた人々の特権
なるほど、そうですね。
まあ、あんまり幅が利く特権でもないですが(笑)、ここは精一杯胸を張ることにいたしましょう。
なるほど、そうですね。
まあ、あんまり幅が利く特権でもないですが(笑)、ここは精一杯胸を張ることにいたしましょう。
コメントをどうぞ
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サロス周期はこの11日の半端のためにその意義が理解しにくいのですが、このオーラリーのデモでどっと理解しやすくなったのではないでしょうか。
私も、同好会記事の作図を完成させねば・・・