カラーならぬカラースライド2014年12月10日 06時47分56秒

(前回のつづき)

ヒトデのマークのゼーマン社。


その製品とは、1920年代にさかのぼる、原生生物のスライドセットでした。


しかし、それがこうなって…


さらにこうなって…


こうなるに及んで、この前書いた「陽気で派手好き」というゼーマン社の社是が、はっきり感じられるのです。


たぶん、これはプレパラート染色時の色とは関係なしに、とにかく投影時に綺麗に見せたいという、ただその一点の理由から色付けしているに違いありません。

(筆記体を読むのが億劫なので、種類は未調査)


ひょっとしたら、色付けすることで、像の鮮明さがいく分犠牲になっているかもしれないのですが、この辺の徹底ぶりは、ある意味すがすがしいですね。

(一人投影会)

手元の箱には、こうしたスライドが8枚ずつ、計16枚入っています。

コメント

_ S.U ― 2014年12月10日 18時11分12秒

 このヒトデ社のスライドは、派手でいいですね。ガラスにベターっと筆で色を塗ったのでしょうか。
 これは、「染色」というよりも、「色フィルター」のイメージかもしれません。昔、一般的な生物顕微鏡に青色のフィルターがついていました。(どのくらいの割合の機種についていたかはわかりません) しかし、その目的は聞いたことがありません。青いバックで黄色い花粉を見るときれいでした。
 1920年頃の西洋の生物顕微鏡に色フィルターがついていたかは存じませんが、当時そういうものがあれば、このスライドの色も説明が付くのではないかと思います(依然として目的不明ですが)。

 子ども向けの半分オモチャみたいな顕微鏡にも4色くらいフィルターがついていました。こちらは、今でもついているようですね↓

http://www.study-style.com/micro/shop/detail/RXT451.html
http://item.rakuten.co.jp/fueru/79522/

うーん、何の目的なのでしょう。やはり、色がついていると、派手できれいで楽しいというだけのことでしょうか。

_ 玉青 ― 2014年12月11日 07時43分23秒

もう一遍よーくルーペで見てみたんですが、果たしてS.Uさんのお見込み通り、この色はすべて手彩色によるものでした。しかも、赤や緑の背景色に加えて、原生生物自体のイメージにも、別の色をかぶせて塗ってあるので、やっぱり像の細部の鮮明さは損なわれているようです。

顕微鏡の色フィルターは、顕微鏡写真撮影の際の色温度補正とか、全体の整色、コントラスト向上など、元はれっきとした意味があったのでしょうけれど、子供の学習用顕微鏡のそれは、似て非なるものというか、まあ完全にこけおどしなのでしょう。「派手できれいで楽しい」以上の意味があるとは思えません。(でも、私はそういう胡散臭さがけっこう好きです。^J^)

_ S.U ― 2014年12月11日 21時35分39秒

>「派手できれいで楽しい」以上の~胡散臭さ
 そうですね。自然物にいろんな細工をして「きれいだな」というのも、科学・技術の楽しみ方の一つとして、まあよろしいのじゃないでしょうか。

 「胡散臭さ」(笑)も、科学と対立するようですが、胡散臭さと科学的思考の対立をアウフヘーベンすれば、また画期的な科学の進歩が見込めるでしょう。

 お風邪だそうで、お大事になさってください。
 気温の変化が身にこたえますので要注意ですね。

_ 玉青 ― 2014年12月13日 15時37分33秒

>胡散臭さと科学的思考の対立をアウフヘーベン

うーん、できますかねえ(笑)

   +

ところで、例によって話をねじまげますが、「胡散臭い」の「胡散」の語源がはっきりしないとネット情報では一様に書かれていますね。

たとえば、検索すると最初の方に出てくる「語源由来辞典」のページでは、いくつか説を挙げつつ、「…香辛料の名前や薬の名前といった説もあるが、そのような名前の香辛料や薬は過去にも存在しない。「胡」を「う」と読むのは唐音、「散」を「さん」と読むのは漢音のため、「胡散」は和製漢語と思われる。」と、何となくもっともらしく書いています。他のページでも、お互い引き写しが多いのか、大同小異の説明になっています。

でも、私はこれは非常に胡散臭い説だと思います。

そもそも「散」は現代中国語でも「サン」ですから、強いて漢音と呼ぶには当たらないでしょう。また中国サイトの「百度百科」を見れば、「胡散」の付く薬名は、玄胡散、延胡散、前胡散、柴胡散、海貝草胡散、芍甘冰胡散…といくらでも見つかります。

普通に考えれば、やっぱり、これは薬の特徴的な匂いに由来する、近世にできた洒落言葉なんじゃないでしょうか。

かくのごとく「胡散臭い」の一語についても、きちんと実証的にたどることが科学的思考の第一歩である…というふうに、アウフヘーベンしてみたんですが、いかがでしょうか。(^J^)

(おかげさまで風邪もだいぶよくなりました。)

_ .S.U ― 2014年12月13日 19時47分21秒

>胡散臭さと科学的思考の対立をアウフヘーベン
 ある意味、これは我々が子どもの頃から心がけているテーマで、大げさにいえば、今やライフワークになりつつあるとまで言えるのかもしれません(笑)。

>玄胡散、延胡散、前胡散、柴胡散、海貝草胡散、芍甘冰胡散
 なるほど、近い物はあるんですね。だとしますと、博物学的に考えてちょうど「胡散」というのはなくても、民俗学的考察によると、こういう言葉が残っている以上、日本のどこかの農山村に、怪しげなる香具師のような旅の物売りが現れ、「これなるは○○胡散なり、▲▲痛に効能あるべし」などと称して、正体のわからぬ異臭のする粉末を売り歩き、騙されて買った人達が、「胡散臭い」という慣用句を用いるようになったことも考えられますね。「モノ(物質)がない」というのと「コト(状態)がない」というのはこの場合は必ずしも対応しないように思います。確かに、これは量子力学にも通じる現代科学的なアウフヘーベンか。

 お風邪から回復されつつあるようで、よかったです。

_ 玉青 ― 2014年12月14日 20時00分31秒

おお、話が程よく胡散臭く、もとい胡散の妙香が馥郁としてきましたね。(笑)
お言葉に力を得て、胡散の正体を引き続き探ってみたいと思います。

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