銀月のカフェにようこそ ― 2015年10月21日 23時47分18秒
半月が煌々と明るい晩。
こんな宵にはシルバームーン・カフェへ―。
こんな宵にはシルバームーン・カフェへ―。
この店名、このデザイン。なかなか良くはないですか?
マッチを使い切ったマッチブック(紙マッチ)のカバーなんて、普通に考えればただのゴミですが、これを捨て難く思った人の気持ちはよく分かります。
マッチを使い切ったマッチブック(紙マッチ)のカバーなんて、普通に考えればただのゴミですが、これを捨て難く思った人の気持ちはよく分かります。
(ミネアポリスまで東へ245マイル、シカゴまで730マイル)
アメリカ中西部、五大湖の西に位置するのがミネソタ州で、その隅っこにあるのがムーアヘッドの町です。人口4万弱、今も農業主体の、何となく古き良きアメリカの匂いを感じる土地です。
そんなのんびりした町で、月明かりに照らされて営業するカフェは、なかなか絵になりますが、この素敵な店も今はもうありません。
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「そう、あれは1946年のことだった。ムーアヘッドのメイン通り304番地にあったシルバームーン・カフェを、ビル・ケニーが、アムンド・トレスンから買ったのは…。」
こんな書き出しで回想するのは、アンドレア・ハンター・ハリグリムソン氏で、文章自体は2003年に書かれたものです。
■Andrea Hunter Halgrimson
“Silver Moon Café Not Eclipsed In Memory”
http://www.centralhighfargo58.org/andi20031108.htm
“Silver Moon Café Not Eclipsed In Memory”
http://www.centralhighfargo58.org/andi20031108.htm
古いカフェを買い取ったケニーは、その後、隣接する建物を買い足して、徐々にレストランを拡張しました。当時、川を越えたノースダコタ州では、店頭で酒類の販売が禁じられていたので、シルバームーン・カフェは州境を越えてくる客で大賑わいでした。
「シルバームーンに行くことは、いつだって特別な出来事だった。料理は素晴らしいし、あそこのウェイトレスたちは真のプロだった。いつも活気に満ち、和やかな店だった。 家族で出かけるとき、我々はいつもダイニング・ルームに陣取ったが、だんだん大きくなるにつれ、私は居心地の良いバーの一角に座るようになり、決まってマティーニとマンハッタンを注文した。」
分厚いサーロインステーキ、表面を香ばしく焼いたポテト、新鮮なサラダ、程よく焼いた子牛のレバー、先祖をしのぶノルウェー料理(ミネソタはノルウェー系住民が多いところです)…と、ハリグリムソン氏の回想は続きます。1967年の火事で焼けるまで、仕事に精出す晩も、デートをするときも、氏の暮らしの中にはいつもシルバームーン・カフェがありました。
店主のケニーは、その後、別の場所で「ガードナー・シルバームーン・カフェ」を開業して、1974年に引退しました。彼が亡くなったのは2002年のことです。
店主のケニーは、その後、別の場所で「ガードナー・シルバームーン・カフェ」を開業して、1974年に引退しました。彼が亡くなったのは2002年のことです。
「他にもムーアヘッドで思い出すレストランはある。だがシルバームーン・カフェは、私の記憶と心の中で、常に特別な位置を占めているのだ」と、ハリグリムソン氏はきっぱりと言います。
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このマッチブックが、ここにこうしてあること自体、シルバームーン・カフェを愛する人が他にもいた証拠でしょう。
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記事を書いているうちに月もすっかり傾きました。
また明晩のお越しをお待ちしています。
また明晩のお越しをお待ちしています。
コメント
_ S.U ― 2015年10月23日 08時42分41秒
いいですね・・・ 何気なく暮らしていた街の過ぎ去った日々が夢のようです。
_ 玉青 ― 2015年10月23日 21時05分50秒
平凡な日常の貴さと言いましょうか。
永遠に続くかと思われた日常も、いつか二度と手の届かない過去になっていく。
人間の歴史はその繰り返しですね。
永遠に続くかと思われた日常も、いつか二度と手の届かない過去になっていく。
人間の歴史はその繰り返しですね。
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