陽は大地をめぐり、天球をめぐる2016年01月20日 20時00分44秒

朝は白かった街が、帰りにはいつもの乾いた街になっていました。
ちょっと残念な気もしますが、坂道で転ぶ恐怖は免れました。

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さて、昨日のつづき。


上は、円環目盛りの最も短い(=北極に近い)位置を、日本付近に合わせた状態です。円環目盛りには月の名称が順番に書かれており、この状態だと、日本に一番近いのは6月です。


目盛りをぐるっと180度回すと、今度は一番長い(=北極から遠い)位置が、日本の真南に来て、月名は12月に替わります。

6月と12月というのは、いうまでもなく夏至と冬至の月です。
そのとき、円環目盛りの位置が地図上のどこに来ているかを見ると、それぞれ北回帰線と南回帰線の位置にあることが分かります。つまり、この円環目盛りは、太陽が真上から直射する地点(あるいは緯度)の経年変化を表しているのでした。

その場所と現在地の緯度差を考えれば、その時々の太陽の南中高度も、ただちに分かります。盤の裏面に書かれていた「様々な月における、地球の太陽に対する傾きを示す」云々という説明文は、そのことを意味しているのでしょう。

   ★

…という理解で、一応はいいと思うのですが、ここで今少し想像力を働かせると、この道具のさらなる「妙味」が感じられるように思います。

たとえば、この世界地図と同大の透明な円板があって、地図に重なっていると想像してみます。そして、円板には星図が描かれており、天の北極を中心に、くるくる回るようになっているとします。

(青:天の北極、赤:天の赤道、黄:黄道)

ちょうど、この星座早見のような感じです(ただし、青い地紙の部分は透明になっています)。回転軸の位置にくるのは北極星で、小熊座の尻尾に当ります。そして、その周りを大熊座やカシオペヤ座が取り巻き、さらにその外側には、黄道十二星座を結ぶように、黄道が描き込まれている…と、想像してみます。

星座早見と見比べると分かりますが、世界地図上を回る円環目盛りは、実は天球上に固定された「黄道」と同じものです。したがって、この円環は、透明な星座を描き込んだ「仮想天球図」の一部と見なすことができます。

ひとたびそうと分かれば、クルクル回転すべきは円環でなしに、むしろ世界地図のほうだと分かるでしょう。不動の天球の下、毎日一回転する大地。そして太陽のほうは、この円環の上を1年かけてゆっくり一周するわけです。


太陽の位置を考慮すると、太陽のある側は当然昼間で、反対側は夜です。そして、地上から観測できる星は、夜側(=太陽と反対側)の星座だけであり、太陽の移動につれて、夜空にうかぶ星座も、一年かけてゆっくり交替していくことになります。

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こんなふうに、透明な星座を心眼で思い浮かべつつ、この道具を操作すれば、天体や地球の振る舞いが生き生きとイメージできますし、同時にこれは天動説的宇宙像ですから、昔々の人がどんなイメージで星空を仰いでいたかも分かります。

この辺が、この道具の「妙味」のように感じられます。

(この項、オマケとしてさらにもう1回続けます)

コメント

_ S.U ― 2016年01月21日 07時59分20秒

 私が小学校5年くらいの頃でしたか、初めて天文学を学んだ頃に、夏至の日には太陽が日本にもっとも近づくが日本までは来なくて台湾あたりまで来る、春分秋分には赤道の真上に太陽が来る、というふうに教えてもらいました。これは、学校ではなく大人から聞いたように思うので、それより昔の学校教育がこういう方式だったのかもしれません。何らかの子ども向け教育の機会でこういう説明を聞かれたことがありますでしょうか。

 でも、私は最初、これを誤解して、太陽が地球上空を往復運動するという昔の中国の天動説みたいなものを想像して、おかしいな、太陽はそんな動きはしないはずだが、と思ってよく理解できませんでした。今から思えば問題のある教え方だと思いますが、太陽の往復運動のイメージもそれなりの妙味があるのでしょう。

_ 玉青 ― 2016年01月21日 22時55分18秒

「運動」というのが曲者ですね。「位置変化、必ずしも運動にあらず」と気づいた時、おそらく子どもたちは新たな物の見方を獲得するのでしょう。でも、その後、運動の相対性という概念に触れて、ふたたび新たな迷いが生まれ、それを止揚して更なる認識の高みに達し……
まあ、私は途中で止揚しそこねたので、いまだに迷いは尽きません。(笑)

_ 蛍以下 ― 2016年01月22日 00時46分57秒

このような天文系の道具を拝見して連想するのは、例えば古代ギリシャのエラトステネスに地球の外周を計算させてしまうような『人間のあくなき探究心』は、どこから来るのか?ということです。
「知りたい」という純粋な動機と言われれば、それまでですが、「それを知ってどうするの?」などとは微塵も考えず、何かに取り憑かれたように考え続ける人と凡人とを分かつ決定的な要因は何なのか。一神教の下でも、そのような人はいたでしょうから古代地中海世界の自由な雰囲気云々でもない気がします。
ちなみに凡人の私は、太陽は夕方になると、文字通り、海に沈むと思っていました(小学校低学年頃のことです)。

_ S.U ― 2016年01月22日 08時30分25秒

子どもは、自分だけの「宇宙観」というのを誰もが持っているのかもしれませんね。私は、比較的大きな盆地の中で生まれ育ったので、山に囲まれていて真ん中に川が流れていて川を挟んで世界は対称になっている、というだいたいそういうイメージを持っていました。もちろん、物心がつく前から汽車にちょっと乗れば盆地の外にある海や大都市にも簡単に行けることは知っていましたが、盆地宇宙観のイメージをかなり長く持っていたのは不思議なことです。こういう観念は理屈ではないのかもしれません。またある意味、大人も独自に勝手な宇宙観を持ち続けているのかもしれません。

 その勝手な宇宙観同士がぶつかって葛藤すれば、止揚されて認識の発展となるのでしょうが、これは個人レベルでは起こり難く、それこそ人類史レベルでしか起こらないことのように思います。

_ 玉青 ― 2016年01月22日 22時46分10秒

○蛍以下さま

私見ですが、「あくなき探究心」はかなり普遍的なもので、多くの場合、度し難い癖のようなものですね。賢も凡も、その点ではあまり変わらないかもしれません。

そして、たまたま探究の対象と結果が、大きな価値を有すれば、歴史に名を残しますが、圧倒的に多くの場合は、探求心を向ける相手が、当人以外に意味を持たないものであったり、そうでなくても探求心の発揮の仕方が拙かったりで、そのまま歴史の闇に消えて行くことになるのでしょう。身近な人を思い浮かべただけでも、そうした例は世間に実に多いと感じます(このブログも例外ではありません)。

ただ、「普遍的な価値」などを持ち出さず、「主観的な価値」で計れば、そこに優劣を持ち込むのは野暮というものかもしれませんね(そういうことにしておいてください・笑)。

○S.Uさま

自分の子供時代に、果たして何か宇宙観らしきものがあったかなあ…と考えると、宇宙観と云うほどのものは無かったですが、一つ思い出すのは「空の形」です。

子供の頃に天球という概念を教わったときは、ひどく違和感を覚えました。子供の頃は「空は平べったい形をしている」と直感的に思っていたからです(ちょうど大きな洗面器を地面に伏せたような形です)。それが半球状とは、どうしても思えませんでした。ですから、長じて中国の「蓋天説」を知るに及び、思わず膝を打ちました。

まあ、今ではだいぶ空の形も丸く感じられるようになりましたが、それでもまだ一寸平たいです。

_ S.U ― 2016年01月23日 06時07分11秒

>「空の形」
 あっ、おもしろい着眼ですね。天文の本で「空は半球の形をしています」と読んでも「そんなこたぁないだろ」と思うのはよくわかります。昼間の白っぽい空は平べったく見えるような気がしますが、田舎の夜の満天の星空なら半球状に見えるかもしれません。今度、満天の星空に会ったら確認してみたいと思います。
 成長すると丸く見えるのなら身長によるのでしょうか。しゃがんで空を見てみましょうか。

_ 玉青 ― 2016年01月23日 20時50分58秒

どうも空の形の感じ方は個人差が大きいらしいです。
私のように平べったく感じる人も一定数いて、この点に「月の錯視」の原因を求める説(同じ視角を張っても、天頂部までは距離が短いので、対象が小さく感じられる)もあるようです。中にはラッパを伏せたように天頂部がぐっと高まって感じられる…なんて人もいるそうですが、そうなるとその人と私は無意識のうちにずいぶんと違った世界を生きていることになるのでしょうね。

_ 蛍以下 ― 2016年01月24日 00時21分48秒

空ではないですが、足元にしても主観に左右されます。
仕事(というより、もはや登山)で、目視による尾根の確定について相棒と意見が分かれたりします。勾配のゆるい場所だと、自分が立っている所が尾根だと錯覚するようです。
あと、水平線ですが、最近高知に行った折に、島ひとつ見えない雄大な太平洋を見て「地球は確かに丸い」と思いました。あれは本当に地球の丸みが見えたのか、それとも先入観による錯覚なのか、どうなんでしょうか。

_ S.U ― 2016年01月24日 07時40分32秒

玉青様、蛍以下様、
 じつに興味深い現象です。現象というより感覚ですね。
 人の両眼をその間隔を基線とする測距儀とみるならば、それが実体的に距離を識別できるのはせいぜい数百メートルまでということになるでしょう。それ以上の距離においては、人は経験と勘によって形や陰影からその距離や傾きを感じ取っているにすぎません。

 家並みや樹木・森林のような景色なら経験で正しい判断ができるものでしょうが、大空、海洋、山の稜線といった「とっかかり」に乏しい景色はどうしても各人の勘や生まれながらの感性のようなものに依存するところが大きくなるのではないでしょうか。

 それで、私も地球が丸く見えるという名所を聞いたことがあります。千葉県の犬吠埼近くには、文字通り「地球の丸く見える丘」というのがあります。

(銚子市観光協会)
http://www.choshikanko.com/tenbokan/

宮崎市の青島の近くにも地元の人に地球が丸く見えるという展望台があって案内されました。千葉、宮﨑、高知と、比較的単純な海岸線の中に太平洋に高地の丘が出ているところで地球が丸く見えるのかもしれません。でも、私は感性の不足かこういうところでも地球がそれほど丸く見えたことはありません・・・

 それから先ほど、庭先でしゃがんで靄もよいの冷たい空を眺め、身長の影響を見てみました。すると、しゃがむと地上の景色の部分が比較的多くなり、そのぶん空の範囲が縮められて天頂付近が少し降りてきた(つまり空が平板に近くなった)ように感じました。身長の影響は、確かにあるのではないかと思います。次は、小さい子どもに頼める人に、子どもを肩車して感想を聞いてみてもらいたいと思います。

_ 玉青 ― 2016年01月24日 16時55分56秒

視野の中に基準となるもの(準拠枠)がないと、人間の視知覚はかなり不正確になるらしく、逆に間違った手がかりを与えると、容易にだまされてしまいます。鉛直方向の判断も、自分の体が傾いているとすぐに誤認知してしまうことが知られています。3Dライドのようなアトラクションは、その応用でしょうし、私はまだ行ったことがないんですが、岐阜県にある「養老天命反転地」という野外施設は、上のことを体感的に教えてくれる面白い場所のようです。

地球の丸みは、先入観の影響がかなり大きいのではないでしょうか。
もちろん、ロケットで成層圏を飛び出せば、地球の丸みは一目瞭然ですから、逆にどれぐらい高所まで上れば、その丸みを察知できるのか…と問うのも、手かもしれませんね。手元の怪しげな計算では、高さ1kmになると、真の水平面と、眼球と水平線を結ぶ接線の成す角度が1度に達するので、何となく違和感というか、「ちょっと丸っぽいぞ」という感じが漂ってくるように思うんですが、どんなもんでしょうか。

(これは想像ですが、もし地球人が超巨星に行ったら、どこまで上昇しても水平線(地平線)が目線の高さ近くにあるので、ちっぽけな星に住み慣れた目には、逆に大地が凹地のように映るかもしれません。)

_ 蛍以下 ― 2016年01月25日 18時25分58秒

ありがとうございます。
仮に、地球が丸いという先入観がなくても、水平線が丸く見える可能性もあるわけですね。
丸くは見えるが、地球の丸みを見ているわけではないという事になりそうですね。

_ 玉青 ― 2016年01月26日 06時46分26秒

むう…「地球/丸い」というところに、「お坊さん/徳が高い」とか、「女性/美しい」とか、いろいろ代入してみると、含蓄のあるコメントを頂戴しましたね。(笑)

_ S.U ― 2016年01月26日 07時08分26秒

以前、といっても相当長い期間ですが、疑似科学で「重力異常地帯」というのが流行りました。なかば観光地になっている所もあるといいます。だいたいこういうのは、微妙な地形による錯覚ということで解明されているようです。もし、ちゃんと測量しても異常があるなら物理学革命でノーベル賞即座決定です。
 ご紹介の「養老天命反転地」は存じませんでしたのでこれも重力異常地帯かと思いましたら、これは芸術作品で江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」のようなものでしょうか。私などはこういう所へ行くと即座に具合が悪くなると思います。ここで連想が飛んで、エドガア・アラン・ポオの「ハンス・プファアルの無類の冒険」に気球で上昇中に地球が丸く見えるかというのがあって、そこでは、中途半端な高さではかえって真下がへこんだ凹面に見えるとあってたいそう驚いたことを思い出しました。想像するに、昔の人なら凹面に見えたかもしれませんが、飛行機に乗り慣れた現代の人には凹面には見えないことも考えられます(作品自体想像のフィクションですから信じるには値しないでしょうが)。

_ 玉青 ― 2016年01月27日 23時03分28秒

おお、その想像力の奔放さにおいて、おのれはポオに匹敵せるか!
…と一瞬思ったものの、遠い昔にハンス・プファアルを読んだ気がするので、あるいはその折の記憶が、何となく残っていたのかもしれません(とすれば、それはそれで驚きです)。

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