時の鏡2016年02月01日 20時07分05秒

今日から2月。
2月といえば、今年はうるうです。

現在使われているグレゴリオ暦は便利なもので、うるう年が入るルールさえ心得ていれば、誰でも簡単にカレンダーが作れます。

すなわち、西暦年が4で割り切れる年(たとえば2016年)はうるう年ですが、例外として100で割り切れる年(つまり1800年とか1900年とか世紀末の年)は平年になり、さらに例外の例外として400で割り切れる年(直近は2000年)は、やっぱりうるう年になる…という、ちょっとややこしいものですが、慣れれば子供でも使いこなせます。

うるう年にしろ、平年にしろ、1月1日が何曜日か決まれば、あとは12月31日まで全ての曜日が自動的に決まるのですから、至極シンプルな仕組みです。(このシンプルな仕組みを考案するまでに、人類はずいぶん長い時を費やしました。)

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で、年次と月を合わせると、その月の暦(日付と曜日の組合せ)が読めるような道具を作った知恵者がいて、それがこういう円盤タイプの万年暦です。


ちょっと金満的な香りのする「銀の万年暦」。


銀器の老舗、パリのクリストフルが2010年に発売したもので、直径は約13cm。


仕組み自体はボール紙でも簡単に作れるので、別に銀だからどうということはないですが、この硬質の輝きは、2月の凍てついた空気に何となくふさわしい気がします。


日本では、昔から歴史書を鏡にたとえ、「大鏡」「水鏡」などの「鏡もの」が成立しました。この万年暦も、これからの時代の移ろいを、その表にくっきりと映してゆくことでしょう。

機械仕掛けの月2016年02月02日 20時28分07秒



歯車とばねで覆い尽くされた月…に見えるブローチ。


もちろん、本当の歯車ではなくて、金メッキした銀線を用いた線条細工(フィルグリー)が、ここではそのように見えています。


三日月の中に星があったり、さらに小さな三日月があったり、非常に込み入った細工です。


裏面から見たところ。
この手のものにうといので、ちょっと正体不明ですが、宝飾品を扱っている売り手によれば、ヴィクトリアンからエドワーディアンにかけて、すなわち1900年前後のものだそうです。


歯車っぽい外観はもちろん、その色や質感に、何となくスチームパンク風の味が出ているようでもあり、と同時に、古いケルトの装飾文様のようでもあり、何だか不思議な雰囲気です。

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これを私が身に着けるわけにはいきませんが、こうして何となく手元に置いて、月の装飾性について思いを凝らすことは許されるでしょう。


彗星まつり2016年02月03日 20時31分00秒

ひと月前、ちょっと妙な絵葉書を載せました。
大きな星をかたどった山車を引いて練り歩く、南仏プロヴァンスのカーニバルの情景を写した絵葉書です。


そもそも、なんで星なのか?
…というのが、まったくもって謎でしたが、コメント欄でのやりとりを通じて、ふと1910年のハレー彗星回帰にちなむものじゃないかと思いつきました。ちょうど絵葉書の発行年がその頃と思われたからです。

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その後、この推測を裏付けるような絵葉書を見つけました。


前回の絵葉書は、エクサンプロヴァンス(Aix-en-Provence)という町でしたが、こんどのは同じ南仏でも、ぐっと東に寄ったニースの町のカーニバルです。


キャプションには「ニースのカーニバル。彗星の作用」とあって、ペン書きで1910とメモされています。これぞ間違いなくハレー彗星をネタにした出し物でしょう。


何が彗星の作用なのか、さっぱり分かりませんが、奇怪な彗星を乗せて山車はしずしずと進み、山車から手を振る人も、それを見送る人も、町はお祭りムード一色です。




明るい南仏の陽光と、大戦前の欧州の華やぎが、何とも眩しく感じられます。

お知らせ2016年02月04日 22時42分27秒

PCの動作が異様に重くなっているので、復旧に専念します。
コメントへのお返事もまた後ほど。

おぼろな彗星2016年02月05日 22時29分50秒

昨日のPCの不調の話。

起動直後はいいのですが、操作しているうちに、どんどん動きが重くなって、最後は頼みのタスクマネージャーも止まってしまい、再起動もままならない…。 一昨日からそんな症状に悩まされていました。あれこれしているうちに、OSを更新したら何となく直ったものの、根本的な原因は、例によって不明のままです。

人間が機械に翻弄されることに、今では慣れっこになってしまっていますが、本当は良くないことだと思います。

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さて、ハレー彗星の話をさらに続けます。

南仏の人が、派手に山車を引っ張ってお祭り騒ぎに興じるいっぽう、こんな瞑想的な気分でハレー彗星を見上げていた人たちもいます。


「ハレー彗星。オックスフォードからの眺め。1910年5月22日」

彗星は4月に地球に最接近した後、さらに光度を挙げながら近日点に向けて虚空を飛び、この5月には、夜明け前の空にその姿を茫と見せていました。


黒々とした樹々のシルエット、かすかに底光りする雲、その隙間にぼんやりと浮かぶ彗星。撮影者も十分に絵画的効果を意識した、一種の芸術写真ですが、そこに漂う情調は、昨日の絵葉書とはずいぶん違います。

まあ、オックスフォードの人だって、時には馬鹿騒ぎもするでしょうが、こういうのを見ると、何となく国民性というか、住民かたぎというはやっぱりあるんだなあ…という気がします。

(消印は、翌1911年4月7日、オックスフォード投函。若い女性が、北イングランドに住むお母さんに宛てた絵葉書です。)

花と乙女2016年02月06日 11時33分44秒

最近また絵葉書をポツポツ買っています。そして絵葉書の中では、理科室も気になる被写体のひとつ。といっても、理科室はそう無限にバリエーションがあるわけではないので、この頃は買い控えていました。でも、この絵葉書を見たら、またちょっと興味が再燃しました。


「Howell’s School, Llandaff. The Botanical Laboratory」
「ハウエルズ・スクール(ランダフ)。植物学実験室」

Llandaffというスペルが目慣れぬ感じですが、これはウェールズの地名で、カーディフ市の一角を占める町名。そこに立つハウエルズ・スクールは、1860年創設の、幼稚園から高校まで併設した女子校だそうです。絵葉書自体は、1910年代とおぼしい石版。


ウィキペディアから引っ張ってきた外観は、こんな感じで、なかなかお伽チックで風情のある校舎です。



窓辺に並ぶガラス容器、壁際の花々、押し花を張り付けたらしい紙束。


窓に影をおとす樹々に見守られて、少女たちは熱心に植物のスケッチをしています。

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理科の科目(物理学とか化学とか)に別に色は着いていないものの、学校で講ずるにあたっては、そこに男女差があったのではないか…ということを以前書いた気がします。

昔の絵葉書を見ていると、物理学教室には少年が、植物学教室には少女が、そして化学教室には男女ともに写っている例が、やけに目についたからです。そして、今日の絵葉書もその一例です。

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理科教育とジェンダーの問題は、まだ手付かずで、私自身答の持ち合わせがありませんが、さっきちょっと記事を検索していて、以下のようなびっくりする文章を目にしました。

Sinéad Drea
 The End of the Botany Degree in the UK
 「イギリスにおける植物学学位の終焉」
 (Bioscience Education, v17 Article 2 Jun 2011)
 https://www.heacademy.ac.uk/sites/default/files/beej.17.2.pdf

それによると、分厚い博物学の伝統を誇るイギリスにおいて、「植物学 Botany」を標榜する大学が消滅したというのです。もちろん生物学の一分科としての植物学は今もあるのですが、「Botany」で学位を取得するコースが最後まで残っていたレディング大学とブリストル大学が、2010年までに相次いで学生の募集を取りやめ、講座を閉鎖するに至った…という話。

「ボタニー」という語は、たしかに古臭い分類学や園芸学を連想させる語で、若い人にはさっぱり人気がないし、修了したところで勤め口もないし…という事情から、廃止の憂き目を見たようです(日本でいえば、さしずめ「本草学科」のような語感でしょうか)。

まあ、日本だってどんどん変わっているのですから、イギリスも変わって当然ですが、それにしても…と今昔の感にたえません。

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そして、「女の子は‘お花’を学んでおればよろしい」と決め込んでいた(と、私は想像するのですが)そのツケが回ってきたのか、上の記事に引用されている調査によれば、イギリスの15歳女子の生物関連分野への興味関心を調べたところ、「癌の研究と治療」なんかが人気を誇るいっぽう、植物関連の話題は「最も不人気なトピック」のワースト3を占めていたそうです(男子の調査結果でもワースト10に顔を出す不人気ぶりでした)。

植物に罪はなく、花は依然美しいのですが、これも学問の歴史の一断章でしょう。

理科なでしこ2016年02月07日 11時29分33秒

イギリスの理科室風景につづき、同時代の日本の理科室も見てみます。


こちらも、少女たちが真剣に理科に取り組んでいる光景です。


表面のキャプションには「安井尋常小学校/理科教室」とあり、裏面には「安井校創立五十周年紀念/大正七年十月」のスタンプが押されています。

大正7年(1918)の時点で、既に50年の歴史を刻んでいたというのですから、これは相当古い学校です。パパッと検索したところでは、おそらく明治2年(1869)に、京都の東山に開校した安井尋常小学校(現・開睛小学校)の絵葉書でしょう。


今日の授業は、硫黄の加熱実験。
板書を見ると、硫黄の入った試験管をアルコールランプで熱し、固体から液体、さらに気体に変るさまを観察させるというものです。

明治の末(1907)に、小野田伊久馬という人が書いた、『小学校六箇年 理科教材解説』という本を見ると、「硫黄は〔…〕百十四度の熱にて液状となり、四百四十六度の熱にて、沸騰し黄褐色の瓦斯体となる。火を点ずれば、青色の焔をあげて燃焼し、硫黄鼻を衝く」と書かれており、それらを確かめる実験なのでしょう。

板書の文字は、「固体→液体→気体」ときて、最後にまた「気体→固体」となっています。小野田前掲書には、「硫黄は、火山より噴出する瓦斯より分離する故、火山の近傍に産出するもの多く」云々の記述があって、授業ではそうした博物学的事項も併せて教授したのかもしれません。


硫黄の気化実験は危険を伴うので、髭の先生もギロリと怖い顔で監督していますし、


生徒たちの表情も真剣です。


まあ、それはそれとして、袴と黒髪はいいですね。
なお、ここに女子ばかり写っているのは、当時は男組と女組に分れてクラス編成されていたからでしょう。

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この理科室の光景は、同時代のイギリスとまんざら無関係ではありません。いや、むしろ大いに関係があります。

こういう風に生徒自身に実験・観察をさせて、自然の法則に気づかせるよう仕向ける方法は、棚橋源太郎らが中心となって、新たにイギリス流の「発見的(ヒューリスティック)」授業法を取り入れて編み出したもので(それまで日本の理科教育は、ドイツ一辺倒でした)、第一次大戦後、日本中で大いに流行した授業スタイルです。

ですから、この京都の小乙女たちは、昨日のウェールズのリトル・レディと「理科姉妹」の関係にあった…と言えるかもしれません。

植物学講義…子供も学べば大人も学ぶ2016年02月08日 22時01分03秒

理科室絵葉書の話題を続けます。
と言っても、今日の「理科室」は、かのソルボンヌ(パリ大学)の一室です。


「PARIS,- La Sorbonne, laboratoire de Botanique, salle des travaux pratique.」
「パリ、ソルボンヌ植物学実験実習室」

1906年の消印が押された絵葉書。
石版ではなく、感光紙に焼付けたもので、今では周辺の銀化が進んでいます。


黒板を見ると、植物の葉の断面?や細胞構造の説明図があり、みな熱心に顕微鏡観察に励んでいます。


黒板の傍らに立つ髭の人物が、先生でしょう。
教室内には男性の姿が目立ちますが、ちらほら女性も見えます。


それにしても、受講者はみないい年恰好で、到底学生には見えません。中には先生より年上に見える人もいます。

となると、この場面はいったい何かなあ…と、最初不思議に思ったのですが、想像するに、これは各地の教員を対象にした「教育講習会」ではないでしょうか。机上に置かれた機材は、ごくシンプルな学習用顕微鏡で、特に高度な研究が行われている様子もありませんし、その作業内容は一時プレパラートの作成と、顕微鏡の基本操作にとどまっているように見えます。

日本でも同様の催しはあったと思いますが、きっとフランスでも、こういうことに不得手な先生たちに研修の機会を提供し、授業スキルの向上を狙う催しがあったのでしょう。生徒たちの目に触れないところで、先生たちもせっせと頑張っていたわけです。


植物学実験の実習室だから、壁の装飾も花。
まことに単純明快です。

続・植物学講義2016年02月10日 07時04分07秒

前回のおまけ。


同じ場面を写した別の絵葉書。


キャプションも同じなら、写っている人物も一緒です(前回の2枚目、3枚目の画像と見比べてください)。


左手は、ちょっとポーズを作る、例の講師役の先生。


大小の壜、解剖用具、顕微鏡、紙片などが無造作に散らばっている机上の有様に、おのずと理科室趣味が漂います。

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100年前に、パリの一角で切り取られた風景。
こちらに視線を向けている人々に、こうしてジッと視線を返していると、名も知らぬ彼らの日常、彼らの心模様、彼らの人生がぼんやり想像されて、ちょっと妙な気分になります。

そして、「今書いているこの文章を、ひょっとしたら100年後の人が目にして、何やら感慨にふけることもあるのではないか…」という居心地の悪さも同時に感じます。

アインシュタイン賛江2016年02月12日 17時32分51秒

雑事でバタバタしている間に、世界は重力波観測のニュースで沸き立っています。
重力波はきわめて微弱なものだそうですが、それが宇宙の一角にこれほど顕著な影響を及ぼすということは、物理的な力以外に「情報」というものが、この世界において、いかに大きな役割を果たしているかを示すものではありますまいか。

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重力波の存在を予言したアインシュタイン博士にちなみ、今日はこんな絵葉書です。


これが何かといえば、


「相対性原理を証明したる日蝕写真」だというのです。


東京本郷の矢吹高尚堂製。
この絵葉書の形式は、これが大正7年(1918)~昭和7年(1932)に発行されたものであることを示しています。矢吹高尚堂がどんな店かは知りませんが、たしかに高尚な絵葉書です。


これが問題の日食写真。
本当は真っ暗な太陽本体の周囲を、明るいコロナが取り巻いているはずですが、これはネガなので、明暗が逆転しています。太陽の周囲に描き込まれた「― ―」の記号は、太陽周辺に浮かぶ恒星の位置を示すもの。


そして、こちらが観測の際に使われた機材。
即ち「英国日蝕観測隊の用ゐたる望遠鏡」です。

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調べてみると、これは1919年5月19日の日食の際のもので、英国隊の遠征先は、アフリカ大陸の西に浮かぶプリンシペ島でした。

皆既日食の際に、太陽近傍(といっても実際にはそのはるか向うですが)に浮かぶ恒星の位置を測定したら、理論値よりもほんの僅かなずれが検出され、これこそ太陽が重力レンズの働きをした証拠であり、相対性理論の正しさを証明するもの…と、当時の人々は、100年後の重力波検出と同様、大いに沸き立ったのでした。

この機材を使い、この日食写真を撮った人は、ケンブリッジ大学のアーサー・エディントン(1882-1944)で、エディントンについては、その自筆葉書を偶然手にしたことを、以前記事にしました。

■ケンブリッジ大学天文台
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/02/08/6326676
■近頃ちょっと驚いたこと
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/02/09/6327839

(画像既出)

とはいえ、この2枚の絵葉書が私の中で結びついたのは、ついさっきのことです。
それによって、そこに明白な「意味」が生まれ、一人の人間の心にさざ波を立てたとしたら、これまた情報というものの働きを物語るものでしょう。