花と乙女2016年02月06日 11時33分44秒

最近また絵葉書をポツポツ買っています。そして絵葉書の中では、理科室も気になる被写体のひとつ。といっても、理科室はそう無限にバリエーションがあるわけではないので、この頃は買い控えていました。でも、この絵葉書を見たら、またちょっと興味が再燃しました。


「Howell’s School, Llandaff. The Botanical Laboratory」
「ハウエルズ・スクール(ランダフ)。植物学実験室」

Llandaffというスペルが目慣れぬ感じですが、これはウェールズの地名で、カーディフ市の一角を占める町名。そこに立つハウエルズ・スクールは、1860年創設の、幼稚園から高校まで併設した女子校だそうです。絵葉書自体は、1910年代とおぼしい石版。


ウィキペディアから引っ張ってきた外観は、こんな感じで、なかなかお伽チックで風情のある校舎です。



窓辺に並ぶガラス容器、壁際の花々、押し花を張り付けたらしい紙束。


窓に影をおとす樹々に見守られて、少女たちは熱心に植物のスケッチをしています。

   ★

理科の科目(物理学とか化学とか)に別に色は着いていないものの、学校で講ずるにあたっては、そこに男女差があったのではないか…ということを以前書いた気がします。

昔の絵葉書を見ていると、物理学教室には少年が、植物学教室には少女が、そして化学教室には男女ともに写っている例が、やけに目についたからです。そして、今日の絵葉書もその一例です。

   ★

理科教育とジェンダーの問題は、まだ手付かずで、私自身答の持ち合わせがありませんが、さっきちょっと記事を検索していて、以下のようなびっくりする文章を目にしました。

Sinéad Drea
 The End of the Botany Degree in the UK
 「イギリスにおける植物学学位の終焉」
 (Bioscience Education, v17 Article 2 Jun 2011)
 https://www.heacademy.ac.uk/sites/default/files/beej.17.2.pdf

それによると、分厚い博物学の伝統を誇るイギリスにおいて、「植物学 Botany」を標榜する大学が消滅したというのです。もちろん生物学の一分科としての植物学は今もあるのですが、「Botany」で学位を取得するコースが最後まで残っていたレディング大学とブリストル大学が、2010年までに相次いで学生の募集を取りやめ、講座を閉鎖するに至った…という話。

「ボタニー」という語は、たしかに古臭い分類学や園芸学を連想させる語で、若い人にはさっぱり人気がないし、修了したところで勤め口もないし…という事情から、廃止の憂き目を見たようです(日本でいえば、さしずめ「本草学科」のような語感でしょうか)。

まあ、日本だってどんどん変わっているのですから、イギリスも変わって当然ですが、それにしても…と今昔の感にたえません。

   ★

そして、「女の子は‘お花’を学んでおればよろしい」と決め込んでいた(と、私は想像するのですが)そのツケが回ってきたのか、上の記事に引用されている調査によれば、イギリスの15歳女子の生物関連分野への興味関心を調べたところ、「癌の研究と治療」なんかが人気を誇るいっぽう、植物関連の話題は「最も不人気なトピック」のワースト3を占めていたそうです(男子の調査結果でもワースト10に顔を出す不人気ぶりでした)。

植物に罪はなく、花は依然美しいのですが、これも学問の歴史の一断章でしょう。

コメント

_ S.U ― 2016年02月06日 18時44分00秒

>学生の募集を取りやめ、講座を閉鎖する
さびしいことですね。これで、英国からは、もう「プロの植物学者」は新たには誕生しないのでしょうか。それとも、けっこう他分野やアマチュアからプロの植物学者への転向者が見込まれるのでしょうか。植物園で研究している人はどうやって養成するのでしょう。

 ここのところ日本では、農学部や薬学部が女子生徒に人気のようです。ジェンダーについてひと言で片付けることはできないのでしょうが、食べ物や薬で人々の健康的な暮らしを守りたいという「やさしさ」が反映していることは間違いないのではないでしょうか。(もちろん、男子生徒もそのような健康重視のやさしさを持っているのでしょうが、男子の場合は、工学分野のほうにもそういう人がより多く流れるのでしょう)。

_ 玉青 ― 2016年02月07日 11時36分37秒

新たな装いと方法論で若者を惹きつけるバイオサイエンスはイギリスでも安泰のようですが、どうもボタニーはあかんかったみたいですね。
まあ、バイオサイエンスはバイオサイエンスで、大いに探究を進めてほしいですが、古めかしい胴乱を下げて初夏の野山を踏み分け、おっとり押し葉を作ったり、静かにスケッチしたり…なんていう雅味のある学問スタイルも、何らかの形で残ってほしいと切に思います。

_ S.U ― 2016年02月08日 08時08分04秒

>ボタニーはあかんかった
現代の「植物学者」というのはどういう研究をしていらっしゃるのでしょうね。私も数十年前には植物学者になりたいと思った時期もあったものですから気になります。身近な所で科博の植物研究者の方々のテーマをみると(素人の私の見る限りですが)生態学あるいは遺伝学と分子生物学を抱き合わせで研究されている方が多いように見受けました。非常に即物的に言うと「化学物質」が自然界にどのように分布していったかということになると思います。
 学問は細分化していくのが宿命だと思いますが、バイオサイエンスと生物分類学のように統合を余儀なくされる学問もあるのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年02月08日 22時14分33秒

植物の生の営みに、DNAや分子のレベルでアプローチするのはとても意義あることでしょうが、それと同時に、今目の前にある草や木と自由に対話できるような植物学者であってほしいなあ…と思います。私は何となくそういう人に憧れます。

_ S.U ― 2016年02月09日 07時28分11秒

学者個人の資質とはちょっと離れた深刻な話題になってしまいますが、昨今の自然科学研究者を取り巻く状況はひどいことになりつつあります。
 つまり、研究者たるもの世界的レベルのそれも日々進歩が目に見えるようなインパクトを他人に与えることのできる論文を毎年をように出さないといけないということになっています。実際、分子生物学や医学・薬学の主要分野では、半年単位で大発見が続くような状況になっていると思います。そうなると、1~2年で進歩があるかどうかわからない領域分野(進歩が絶対ないとは断言できないのですが)は予算が付かないあるいは志す人が途切れることになります。分子生物学と植物分類学はどうしてもそのような対比に巻き込まれてしまうのでしょう。

 さらに、気象学・気候学などでは、地道な観測がおろそかになり、また様々な要因についてじっくり思索や新理論の構築を行うところは廃れ、IT技術の進歩に頼ってシミュレーションするばかり増えていると(複数のソースから)聞いたことがあります。それほど極端なことはないかもしれませんが、IT技術頼みになってしまい研究領域が淘汰されてしまう傾向は全般にあるのではないかと思います。ヘタをすると人間の思考より計算機の処理能力が優先されることになってしまうかもしれません。

 研究にも時代の波があって、流行ったものが廃れ、廃れたものがまた流行ることもあって当然かもしれませんが、それが「予算」や研究者以外の「外圧」によって起こり、研究者が泣く泣くそれに従うということが起こっているとしたら、何とも情けない状況だと思います。これから研究者になろうとしている子どもたちや長年にわたって科学を愛好してきた人たちの希望をくじくようなことでよいのでしょうか。
 なお、これは、日本とか英国とか特定の国で起こっている現象ではなく世界で広くいっせいに起こっている現象のように思います。特に日本がひどいということはありませんが、日本はマシであると胸をはれるほどでもありません。

_ 玉青 ― 2016年02月10日 07時08分44秒

金目の話で恐縮ですが、仄聞するところ(私の仕事も似たようなものです)、予算の割り当てなんか、「分かってない人」に生殺与奪の権を握られているのが、なんとも歯がゆいですね。まあ、世間の正論は「そういう人にもちゃんと説明責任を果たし、理解を得た上で、予算を獲得すべし」というものでしょうが(そして、それは正論なので私も反論できませんが)、得てして「分かってない人」は「分かってないことが己の長所」のように勘違いしていて、はなから分かろうともしないし、むしろ分かったら己の沽券にかかわる…ように一途に思いこんでいるところがあるので、はなはだ始末が悪いです。

_ S.U ― 2016年02月10日 21時34分21秒

>むしろ分かったら己の沽券にかかわる…ように
 そういう人いますね。案外、これは日本特有の現象かもしれません。米・仏・独あたりには科学技術に疎いことを自ら誇るような人は決していないように思います。また、調べて見ると面白いと思います。

>世間の正論は「そういう人にもちゃんと説明責任を果たし
 それは正論なのですが、自然科学は単なる実用目的というよりは文化に属するものなので、興味のない人にまで説得しないとならないとなるとなかなか難しいことになります。もちろん、興味がないのは個人の自由ですが、まあ予算決定権を握るほどの地位にある人は、人類のかなりの部分が支持している状況に倣って判断していただくしかないのではないでしょうか。

 サッカースタジアムや歌舞伎の劇場を建てるかどうかという議論で、サッカーや歌舞伎に疎いことを誇るような人がわざわざそれを検討して決定しないといけないものかどうか、そんなことしなくてもファンが大勢いるのは明らかですから、そちらに聞けばよいことと思います。

_ 玉青 ― 2016年02月12日 17時44分23秒

いくぶん恨み節になってきましたので、この話題もそろそろお開きとしましょうか。
まあ、私もだいぶ溜飲が下がりましたし、今日は胸の躍るニュースがありましたからね。(^J^)

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