稲垣足穂大全 Summa Tarhologica (前編)2010年05月03日 18時22分52秒

今年は年頭から足穂の話題が多かった気がします。
そろそろ賢治の世界に回帰しようと思うのですが、その前に足穂本について書いておきます。

前にも書いたように、私は足穂の愛読者ではないので、その作品をあまり読んだことがありません。しかし、足穂への言及が増えるにつれて、それでは何かと不便なことが多くなってきました(読んでないのに言及するんですから、考えてみれば無茶な話で、不便で当り前です)。そこで、その作品を一通り手元に置いて参照できるようにしたい…と、遅ればせながら考えました。

もちろん現時点でベストな選択は、筑摩から2000年に出た「稲垣足穂全集」全13巻を買うことです。行き届いたテクスト校訂には定評がありますし、各巻の構成が作品テーマ別になっているのも、参照する際に便利そうです。クラフト・エヴィング商会による装丁も軽やかで、21世紀のタルホ読者には、申し分のない出来栄え。

しかし…と、私は考えました。
「何か、もうちょっと怪人が呼吸していた世界に近いものがほしい…いつか彼の全作品がオンラインで読めるようになっても、依然として<本>であることに意味がある本…単なるテクストを超えた<モノ>としての存在感を持った本…」

そういうフェティッシュな願いをこめて目をつけたのが、足穂の生前、1969年に現代思潮社から出た「稲垣足穂大全」全6巻です。ここには主要作品がほとんど収められていますし、一般に「大全」収録の形をもって標準テクストと見なされることが多いようでもあります。それに場所も「全集」程にはとらない…というのも、重要な要因。

(↑ちょっとピントが甘くなりました)

「大全」はまた本としての表情がいいのです。特に総革装の特装版。
足穂は根っから無所有の人なので、こういう奢侈は一見ふさわしくないようにも見えます。しかし、その精神の王国を飾るには、それに相応しい衣装があってもよく、これもまた足穂世界の一側面ではないかと思います。少なくとも、澁澤龍彦が「わが魔道の先達」と呼んだ怪人の世界には、こういう趣向がお似合いです。


特装版は、足穂自身の趣味で、本の「天」が紫に染められています。
彼の菫色への傾倒や、精神的貴族主義の表れを感じます。


表紙には Summa Tarhologica の金文字があります。このラテン語タイトルは、英語にすると Summary of Tarhology (足穂学大要)といった意味らしく、「大全」が最初から、<全集>ではなく、<選集>を意図していたことが分かります。なお、このラテン名の考案者は、詩人の西脇順三郎だそうです。

(この項つづく)