水鳥の夢、理科室の夢…棚の奥から(7) ― 2010年08月18日 07時10分28秒
棚の奥へと向う旅も長くなり、天文の話からも一寸遠ざかっていますが、この旅もまもなく終りです。
★
今日はふたたび鳥の剥製です。
水鳥の仲間、カイツブリ。別名は鳰(にお)。鳰が群棲した場所が「におのうみ」、すなわち琵琶湖の古名です。
台座の文字を見ると、「カヒツブリ」とあって、戦前の剥製であることを露呈していますが、この鳥の名前は語源がはっきりしないらしく、戦前の図鑑でも「カイツブリ」の表記が普通のようでもあります(例えば、黒田長礼『鳥類原色大図説』、内田清之介『日本鳥類図説』など)。
それはともかく、こうした理科骨董に類する標本の場合、標本そのものと並んで、台座やケース、ラベルなどが重要で、特に昔の大学者が書いた標本ラベルなどは、茶道具における箱書、あるいは利休の書付のように珍重する人もいるらしい。
この剥製は、この前のガラス壜と同じ女学校から出たもので、このラベルも昔の先生が書いたか、剥製業者が書いたかのどちらかでしょうから、まあ、そこまで珍重する必要もありませんが、それでも昔の理科室の暗い空気を感じさせて、なかなか味わいの深い気がします。
つぶらな瞳。
上の2枚はコントラストがきつく、羽毛が硬く感じられますが、実際の質感は下の写真に近く、よりフワッとした感じです。(旅の最終目的地、エビ・カニの住む箱は、このゴチャゴチャとした堆積の奥になります。)
コメント
_ S.U ― 2010年08月18日 10時48分59秒
小学生の時に、友人とカイツブリを見るために、川沿いの茂みを足をぬらしながらずっと上流のほうへ探索して歩いたことがあります。発音しにくいヘンな名前だと思いながら「カイツブリ」と呼んでいました。その日に見られたかどうかは覚えていませんが、努力すれば見られる程度の適度に珍しい鳥だと思っていました。カイツブリは潜り方がおもしろいそうで、それを見たさに探したのかもしれません。
_ 玉青 ― 2010年08月18日 18時59分33秒
ああ!見たことのない映画のワンシーンがグワッと眼前に迫ってきます。
少年の瞳の奥のかいつぶり 玉青
少年の瞳の奥のかいつぶり 玉青
_ S.U ― 2010年08月18日 21時01分51秒
>少年の瞳の奥
こんな名句をいただいたら、もう、カイツブリが見られたかどうかはどうでもよくなりました。
>見たことのない映画
「スタンド・バイ・ミー」のような遠出ではありませんが、小学生の時は、上級生や同級生に「××を見に行こう」と突然言い出す人が何人かいて、野山を歩かされたことが何回かありました。子どもの時は、誰でもそういうものだったのでしょうかねぇ。
こんな名句をいただいたら、もう、カイツブリが見られたかどうかはどうでもよくなりました。
>見たことのない映画
「スタンド・バイ・ミー」のような遠出ではありませんが、小学生の時は、上級生や同級生に「××を見に行こう」と突然言い出す人が何人かいて、野山を歩かされたことが何回かありました。子どもの時は、誰でもそういうものだったのでしょうかねぇ。
_ 玉青 ― 2010年08月19日 16時50分09秒
>名句
よく見たら季語のない「迷句」でしたが、これはカイツブリが入ってない歳時記の罪ということにしておきましょう(笑)。
理屈を立てると、少年は広い社会に出ていく心の準備として、いろいろな冒険を試みるのかもしれませんが、しかし、あの胸の高鳴りや、不安や、喜びは、やっぱり子どもの特権でしょうね。私の場合は、「この道をまっすぐ行くとどこに行くのだろう」と思って、一人でずんずん歩いて行ってしまうのが常で、ちょっと孤独な冒険でした。
よく見たら季語のない「迷句」でしたが、これはカイツブリが入ってない歳時記の罪ということにしておきましょう(笑)。
理屈を立てると、少年は広い社会に出ていく心の準備として、いろいろな冒険を試みるのかもしれませんが、しかし、あの胸の高鳴りや、不安や、喜びは、やっぱり子どもの特権でしょうね。私の場合は、「この道をまっすぐ行くとどこに行くのだろう」と思って、一人でずんずん歩いて行ってしまうのが常で、ちょっと孤独な冒険でした。
_ S.U ― 2010年08月19日 20時32分05秒
>一人でずんずん歩いて行ってしまう
早稲田にお住まいだったというので、ご幼少の砌から、古書店漁りや足穂先生旧居の探訪などされていたかと思いましたが、そうでもなかったでしょうか。
やたらに人を誘う者、誘われて理解もそこそこについて行く者、そして、一人でずんずん歩く者、というそれぞれの「準備」があるなら、それが将来にどのように反映しているのか、追跡調査してみるとおもしろいかもしれません。
早稲田にお住まいだったというので、ご幼少の砌から、古書店漁りや足穂先生旧居の探訪などされていたかと思いましたが、そうでもなかったでしょうか。
やたらに人を誘う者、誘われて理解もそこそこについて行く者、そして、一人でずんずん歩く者、というそれぞれの「準備」があるなら、それが将来にどのように反映しているのか、追跡調査してみるとおもしろいかもしれません。
_ 玉青 ― 2010年08月20日 22時15分42秒
徘徊していたのは、せいぜい3年生ぐらいまででしたから…。
その年齢で古書店漁りや、足穂探訪をしている子どもがいたら、その子の将来は必ずや暗いものとなるでしょう(笑)。(6年生でもアカンような…)
ひとりでずんずん行ってしまう子は、独立独歩、進取の気性に富んだ大人になる。
例えば、そういう対応関係があると分かりやすいのですが、どうもそう単純でもなさそうです。少なくとも、私はその反例を1つ知っています;;
その年齢で古書店漁りや、足穂探訪をしている子どもがいたら、その子の将来は必ずや暗いものとなるでしょう(笑)。(6年生でもアカンような…)
ひとりでずんずん行ってしまう子は、独立独歩、進取の気性に富んだ大人になる。
例えば、そういう対応関係があると分かりやすいのですが、どうもそう単純でもなさそうです。少なくとも、私はその反例を1つ知っています;;
_ S.U ― 2010年08月21日 17時43分16秒
>(6年生でもアカンような…)
そらちょっとアカンでしょうなぁ(笑) でも、そういう子がいたら、...楽しいなあ。
>そう単純でもなさそう
当時やたらと人を誘った子が現在も「いい店があるからちょっと寄ってみないか」と同僚を誘っているかと想像することは楽しいですが、どうもしっくり合わないようです。
そらちょっとアカンでしょうなぁ(笑) でも、そういう子がいたら、...楽しいなあ。
>そう単純でもなさそう
当時やたらと人を誘った子が現在も「いい店があるからちょっと寄ってみないか」と同僚を誘っているかと想像することは楽しいですが、どうもしっくり合わないようです。
_ 玉青 ― 2010年08月22日 07時02分58秒
「ぼくの尊敬する人 稲垣足穂」
「ぼくの将来の夢 稲垣足穂のような人になること」
…やっぱりアカンですね(笑)。
「…と書こうとしたら、お父さんが変な顔をしたので、宮澤賢治にしておきました。」(アレレ)
「ぼくの将来の夢 稲垣足穂のような人になること」
…やっぱりアカンですね(笑)。
「…と書こうとしたら、お父さんが変な顔をしたので、宮澤賢治にしておきました。」(アレレ)
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