人、石と化す…和田石のこと2010年11月01日 20時25分40秒

昨日につづいて、つくばの地質標本館の話題です。
化石と鉱石の標本がずらりと並んだ第4展示室は、なかなか居心地が良い空間。



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部屋に入ってすぐ右手には、新収蔵品を紹介するコーナーがあり、その中に下のような品が展示されていました。


和田石。日本の鉱物学の基礎を切り拓いた和田維四郎(わだつなしろう、1856-1920)にちなんで命名された新鉱物です。(彼が幻想作家・大坪砂男の実父であるということを先だって記事に書きました。)


岩塊の中に粒コショウのように見えているのが和田石。
和田石とはどんな石なのか、ここでも参考までに、説明板の文字を転記しておきます。

新鉱物 Wadalite(和田石)

 地質調査所の初代所長であり、我が国の記載鉱物学の基礎を築いた
和田維四郎の名がつけられた新鉱物 Wadalite(和田石)が、このほど
国際鉱物学連合から承認された。命名者は豊 遥秋(地質標本館)、
青木正博・月村勝宏(鉱物資源部)である。

 この鉱物は豊により福島県郡山市郊外の安山岩(中新統檜山層)中の
スカルン化した石灰岩捕獲岩から発見されたもので、肉眼で見ることの
できる自形結晶(最大1mm)である。組成はCa6Al5Si2O16Cl3〔数字は原文
下付き〕で、珪酸塩の中で最も塩素の含有量の高い(~12%)鉱物である。
青木は500°~700℃でこの鉱物の合成に成功しており、月村は結晶構造
解析によって和田石がざくろ石に類似した全く新しい構造を持つことを
明らかにした。」

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たとえ、ささやかな粒にしても―あるいは巨晶もあるんでしょうか―自分の名前が石になるというのは、全体どんな気分でしょうね。名前は記号に過ぎないとはいえ、何だか自分の一部が鉱物と一体化するような、不思議な感じがするかもしれません。

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日本大学鉱物研究会の「主要鉱物英名語源データベース」を見ると、人名に由来する鉱物名は存外多いことが分かります。試みに「A」で始まる鉱物名でいうと、全90種のうち18種、ちょうど2割が人名にちなむものでした。

古くから知られている鉱物はさておき、新種の鉱物が発見された場合、地名か人名にちなんで命名されることが多いので、いきおい「石と化す人」も多くなるわけです。ただ、鉱物種は絶対数が少ないので、生物に名を残すよりも、鉱物に名を残すのは格段に難しそうです。

しかも、鉱物学で床しいのは、人名にちなんで鉱物名を付ける場合、自分が発見した鉱物に自分の名前は付けないという不文律があって(発見者を顕彰して、後の学者が発見者の名をとって命名することは可)、学徳・人徳を兼備しないと、なかなか石化するのは困難なようです。

「お前も石に名を残すぐらいの人になれ!」…と、鉱物学周辺で語り継がれているかどうかは知りませんが、ひょっとしたらそんなムードがあるのやも。

二廃人、古書ノ行末ヲ論ズ2010年11月03日 16時06分13秒

上天気の文化の日。晴れやかな休日でした。
家人が何かごそごそやっているな、と思ったら、ストーブが部屋に置かれていました。いよいよウィンターシーズンの到来です。
さて、記事の方は、ひきつづき先週の土曜日に滞留しています。

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日本ハーシェル協会の年会は、遠足を兼ねて、さらにJAXAを見学して(7月に出来たばかりの新展示館を見ました)散会しました。

その後が「星の夜会」です。
これは本来ハーシェル協会の懇親会という位置づけでしたが、参加者が僅少ということもあり、星つながりということで、地元のかすてんさん(霞ヶ浦天体観測隊 http://kasuten.blog81.fc2.com/)と、とこさん(我楽多倶楽部 http://www.junk-club.net/)にも声をおかけして、ひととき清談を愉しむ機会を設けたのでした。

話は星の民俗学から、地上の民俗学へ、さらに古今東西の文化事象(大雑把;)へと広がったのですが、その中で、今も心の中で反芻している話題があります。それは電子書籍とクラウドの話題です。つまり、いずれ紙の本が消えて、本はすべてデータ化され、しかも、そのデータを手元の記憶媒体にしまっておく必要すらなくて、必要なデータはネット上にふわふわ浮かべておいて、必要なときだけそこから引っ張ってくればよいという話。

たぶん、長い目で見ると、これからはそういう方向に行くのでしょう。
しかし、クラウドとはまた何とはかなげな名前でしょう。知らぬ間にすべて雲散霧消したりしないんでしょうか。

それよりも何よりも、自分がこれまで血眼になって集めた(←ちょっと大げさ)天文古書なんかは、いったいどういうことになるのか?

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「どうしたい、難しい顔をして。」
「ああ、君か。いや、かくかくしかじかのわけでね。ちょっと考え事をしていた。」

「ん?よく分からんなあ…。だって、君が好きで集めた本が、どこに行くのでもない、そのまま手元にあるわけだろう。状況は何一つ変わらないし、別に困ることはないじゃないか。」
「うん、理屈はそうさ。でも、ここにある本を買うには、けっこうしんどい思いもしたんだよ。それがあっという間に二束三文になったらさ、君ならどう思う?ちょっと複雑な気分になるんじゃないか?」

「ははは、存外気の小さい奴だな。これからはしんどい思いをせずに、どんどん買えるゾと思ったらどうだい。まあ、そんな金銭の話よりもだ、肝心なのは、金に換算できない価値の方がどうなるかってことじゃないのかい。」
「なるほど、確かにそうだね。うん、例えば、グーグルブックがこのままどんどん成長を続けたら、今部屋にあふれている本は意味を ― 今現在、少なくとも僕にとっては、たっぷりあるところの意味を ― 失うのか?ということだね。」

「おや、顔色が悪いぞ。だいぶ気にしてるようだな。」
「うーん…確かに意味を失う本もあると思う。実際、買おうと思った古書がネットで読めると知って、買うのをやめたこともあるし。でもね、“読書”と“調べ事”はやっぱり違うと思うんだ。」

「君も、愛読書はやっぱり本で…という口か。」
「画集は便利だけれど、それがオリジナルに取って替われるわけじゃないよね。“モノとしての本”と“情報としての本”は違うんじゃないかなあ。」

「だけど、本っていうのは、そもそもがコピー文化だろう?」
「まあ、それをいうと版画芸術は成り立たない。…いや、ちょっと待ってくれ。論点がつまらない方向に行っている気がする。僕が言いたいのは、愛書趣味とか、美本礼賛とは違うんだ。別に刷りの良しあしとか、上質の紙の手触りとかを持ち出して、古書を弁護したいわけじゃない。」

「ほほう。」
「前に誰かも言ってたけれど、僕が古書を買うのは、できるだけ古い世界に近づきたいからなんだ。古人が目にし、手に取った形そのままに、僕も追体験したいから、わざわざボロボロの本を買ってるのさ。100年前にはPCもキンドルもなかった…その1点において、古書には絶対的な価値があると思うんだ。」

「急に赤い顔になって勇ましいね。でも、ちょっと無理がないか?君の理屈によると、モーツァルトをCDで、いやiPodか、で聴くのも邪道ということになるぞ。」
「そうさ、邪道さ!演奏会で聞きたまえ、演奏会で!」

「わかった、わかった、そう熱くなるなよ。確かに養殖は天然物にしかず。風呂より温泉、発泡酒よりビールだね。ところで今度一杯どうだい。」
「君、本当に僕の言いたいことが分かったのかい??」

国立科学博物館で「みづいろ」を探す2010年11月04日 20時24分25秒

ハーシェル協会の年会も無事終わり、翌日の日曜日(10月31日)は、つくばから帰る途中で上野の国立科学博物館に立ち寄ることにしました。

久しぶりの科博は、親子連れでなかなかのにぎわい。(地球館ではちょうど「空と宇宙展-飛べ!100年の夢」をやっていて、よっぽど見ようかと思ったのですが、体調を慮って日本館の見学だけにとどめておきました。)

最近、拙ブログでは科博関係の話題が何かと多く、中でも小林健二氏の詩集『みづいろ』に感極まったので、今回のテーマは「みづいろ」です。
で、わたしのイメージする「みづいろ」は碧緑色なので、そうしたイメージを切り取ってみました。

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            ルネサンス様式の大ドームの頂部ステンドグラス。


桜井コレクションより「灰クロム石榴石」


             同「アガード石」


飛行機の形をした科博の、主翼端に設けられた階段ホール。床面のタイルはすべて京都の窯で1枚1枚手焼きされたものだとか。


                       同上。みづいろの螺旋階段。


            階段ホール天井の堂々たるステンドグラス


階段ホール1階に設けられた重厚な鋼青色の扉


                         緑青色の天文ドーム

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みづいろのイメージ…探せばもっとあることでしょう。
そして赤や、青や、オレンジや、いろいろな色彩が科博にはあふれています。
見る者の心に応じて千変万化する博物の館。

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さて、今回科博を訪れたのは、みづいろを追うばかりが目的ではありません。
よりカッチリした目的は、「科博の形は飛行機の形?」という問いに、はっきりとした答を与えることでした。いよいよ次回は、その「ファイナルアンサー編」です。

科博の形は飛行機の形?…ファイナルアンサー編2010年11月05日 19時40分15秒

10月16日の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/16/5417594)のコメント欄で、kazさんに「科学博物館日本館建物見学ツアー」のことを教えていただきました。

これは上野本館で開かれている公開講座、「ディスカバリートーク」の一環です。
当日の講師は、科博の建物を熟知されている、国立科学博物館・産業技術史資料情報センターの清水慶一氏。清水氏は、先に紹介した、『国立科学博物館本館改修工事報告書』を執筆された方でもあります。清水氏にお尋ねすれば、これまでモヤモヤしていたものが晴れるのでは?と思い、ちょっと動機はヨコシマですが、見学ツアーに参加させていただきました。

清水氏の説明を伺いながら、他の参加者の方とともに館内を回った後(初めて見る講堂の造作にビックリ)、質疑応答の時間になったので、疑問の点をずばりお聞きしてみました。

「科博の建物は飛行機の形をしていると言われます。これは設計当初から飛行機を意識していたのでしょうか、それとも結果的に、偶然飛行機の形に似たのでしょうか?」

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「結論から言えば、偶然似たのだと思います。」

清水氏の答は明快でした。

「科博の構造は当時の他の博物館と共通する様式で建てられています。設計に当っていちばん参考にしたのは、シカゴとミュンヘンの博物館で、これらは科博よりもずっと大規模ですが、やはり翼を張り出した陳列室を持っています。その背後に施設を設けたら、飛行機の形に似たということでしょう。」

「ただし…」と清水氏は続けられました。

「今のは、硬く答えればそうなる…ということですよ。ええ、これはもう“飛行機の形”でいいんですよ。私も他の人に説明する時には『飛行機の形をしている』と話すようにしています。設計者だって、最後の方は設計図を見て、『うん、これは飛行機だな』と思ったかもしれませんしね。」

うーむ、何と素敵なコメントでしょう。
科博の形は飛行機にして飛行機にあらず。

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その科博には、現在以下のような説明板が掲げられています(下から3行めに注目)。


科博自身が「飛行機伝説」に折り紙を付けているわけですが、その当否は、おそらく見る角度によって変わる、のでしょうね。

上野に現われた星の怪人2010年11月06日 15時30分43秒

以前ご紹介した(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/28/5455091)、星にまつわるイベント「URANOIA」(=天体嗜好症)が、今日・明日と東京東十条のCafeSAYAで行われているはずです。

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60余年後にそんなイベントがあるとも知らず、上野の科学博物館でじいっと望遠鏡を覗き込んでいる御仁がいます。


昭和23年に撮影された写真には、こんなキャプションが付いていました。

  出世作「星を作る人」に次いで「星を売る店」を書いたのが震災の年
  若くして文壇に出た記録保持者の一人
  これは某日科学博物館の天文台に於ける天体嗜好症患者?

同年に出た『週刊サンニュース』6月25日号に掲載されたものです(直接の出典は「ユリイカ」平成18年9月臨時増刊号-総特集・稲垣足穂-)。

稲垣足穂、当時48歳。
素足にサンダル履き。こけた頬に鋭い眼光。
モダンボーイの面影はなく、はや怪人の域に入りつつあります。

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怪人のまいた種が、21世紀の東京でどういう花を咲かせたか。
当日の模様はいずれネット上で拝見できることでしょう。楽しみです。

人間ガリレオ、木星へ旅立つ?2010年11月07日 10時50分48秒

(↑木星に近づくジュノーの想像図。ウィキメディアコモンズより)

メーリングリスト(ML)経由の情報です。

以前、ガリレオの遺骨が、博物館で展示されているというニュースについて書きましたが(http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/18/5170081)、それとは別に、今度ガリレオの遺骸の一部が、木星に行くかもしれない…という話題を耳にしました。

どういうことかというと、来年打ち上げ予定の木星探査機「ジュノー」に、ガリレオの遺骨を積み込む計画があるのだとか。

ソースはこちら。

■Nature 468, 6 (2010年11月4日付)
 http://www.nature.com/nature/journal/v468/n7320/full/468006a.html

以下、いつにもまして適当訳(原文を確認してください)。

  ■  □  ■

 「コロラド州デンバーの航空宇宙施設では、現在技術者たちが、NASAの後続木星探査機に科学機器を組み込む作業に追われている。この探査機は、1年以内に打ち上げが見込まれている。しかし、十億ドルの巨費を投じた探査機ジュノーに関わる作業チームのメンバーは、この宇宙船に、ちょっと毛色の変わった物が乗り込むことについては、声をひそめている。すなわち、ガリレオ・ガリレイの遺骨のひとかけらだ。

 この有名な天文家の遺骸の一部を、巨大な惑星をめぐる軌道に送り込み、彼自身が発見した衛星の仲間に加えようというアイデアは、この探査計画に参加するアメリカ側の関係者を少なからず魅了した。それに比べて、2種類の科学機器を提供するイタリア航空宇宙局(Italian Space Agency)の職員は、さほど熱心ではないようだ。しかし、この計画はきっと前進するにちがいない。

〔…〕

 ガリレオの安らかな眠りを乱す、〔ガリレオの遺骨を遺伝子解析にかけたり、その一部を私蔵したりといった、従来なされてきた〕振る舞いに比べれば、一片の骨などは、ごくささやかな捧げ物だとも思える。すなわちこの骨は、探査計画に感動のエネルギーを充てんし、科学が人類固有の努力であることを人々に思い出させる標(しるし)として捧げられる、供犠の品なのだ。

 ガリレオ自身は、科学と社会とを結び付ける必要性を理解していたし、政治的に機敏な彼は、ショーマンシップの価値を十分に承知していた。〔…〕したがって、公衆の支持を得るという目的のためならば、ガリレオは自分の死後の探査計画に、多少なりとも寛容さを発揮したのではあるまいか。

 だが、ガリレオだったら、この計画を認めるだろうと思える、もう1つ別の理由がある。彼は望遠鏡を通して明らかになった宇宙の姿にすっかり魅了されていた。「地球半径の60倍も離れている月の本体が、わずか2倍しか離れていないように近くにみえる。美しい、心をそそる事実ではないか」。彼は1610年に著した『星界の報告』の中で、月の表面について、こう書いた。探査機ジュノーは、ガリレオにとって月と同じぐらい魅力的な天体、すなわち木星の表面からわずか4,800キロのところをかすめることになる。彼は月よりもいっそう間近で見る光景に、きっと満足するにちがいない。」

  ■  □  ■

この事実、天文関係者にとっても寝耳に水だったみたいで、いぶかしむ声がMLに寄せられていました。「NASAは、こういうことはいつも大々的に宣伝するのに、なぜ今回は沈黙してるんだろう?誰か詳しい事情を知っている人はいないか?」 そして、ネイチャーの編集子が肯定的に書いているこの計画に対して、「何か意味があるのか?」「とんでもない愚行だ!」と憤る声も聞かれました。

日本語のジュノー関係の記事を読んでも、今のところ、この件は出てこないので、私ばかりではなく初耳の方が多いのではないでしょうか。

私には、この件について特に定見はありません。

 「夢のある話じゃないですか。」
 「夢がある、の一言で済ませていい問題じゃないでしょ。」
 「いや、今の地上は、それほどまでに夢を必要としてるんですよ。」
 「君のいう夢が、政権の人気取りのことを言うならばね。」

…いろいろ内なる声が聞こえてきますが、さて、どんなものでしょうか。


【付記】 記事中、「10億円」→「10億ドル」に修正。額が2ケタも違っていました;

ウィルスに注意2010年11月09日 20時11分02秒

今シーズン最初の風邪をひきました。
記事は休んで、ゆっくり寝ることにします。
皆さんもお気をつけて。。。

明日からのれんを出します2010年11月11日 21時35分07秒

今日は普通に仕事に出かけました。

夕方の空を見上げたら、澄んだ空に白い三日月が浮んでいました。
そしてその脇に、茜色の飛行機雲を曳きながら、2機の飛行機が音もなく直交し、互に飛び去って行きました。

さあ、気分をシャキッとさせて、記事を再開したいと思います。

昼下がりの理科準備室2010年11月12日 06時14分58秒

ちょっと気分を変えて、久しぶりに理科室絵葉書です。

世に理科室絵葉書は数々あれど、私を惹きつけるのは、何かドラマを感じさせる品です。たとえば上の1枚。

京都市にあった日彰尋常小学校(現・高倉小学校)の理科準備室を写した、戦前の絵葉書です。これは、「理科室」(=授業をする部屋)ではなくて、「理科準備室」を写した点でも、比較的珍しい作例ですが、それにしても、この不思議な空気はいったい…?

学校の絵葉書というと、先生は一応熱心に教育に励んでいるポーズをとるのが普通だと思いますが、この先生は「これがオレ流」と言わんばかりに、どかっと足を組んで、まったくの自然体です。そして生徒を完全に無視して、うつむき加減で何やら物思いにふけっています。
3人の少年たちも、先生のことなどお構いなしに、めいめい勝手に実験に没頭しています。

構図も何だか妙ですね。戸棚を全開にして、きっと棚に並ぶ備品を見せたかったのでしょうが、そのわりに見せる工夫に乏しく、訳の分からない絵柄になっています。そして、視線の先には人体模型が逆光に浮びあがって、不穏なムードをいっそう高めています。

何だか凝っているようでもあり、ずさんなようでもあり、凝り過ぎて失敗したようでもあり、でも妙に格好良くも見える不思議な作品。

洛中に星を祀る…イベント「夜空の標本箱」2010年11月13日 21時00分19秒

東にURANOIAあれば、西に夜空の標本箱あり。

先日、宇宙と天体をテーマにしたカフェイベントをご紹介しましたが、京都でも星空からイメージを紡いだ作品の展示イベントが、今日から始まりました。場所は、北野天満宮近くのAntiques & Collectibles SQUIRREL(2F)。

イベントの詳細と出品作家さん一覧は以下。

■夜空の標本箱:Sleepng Forest
http://maruta.be/sleepingforest/33

このイベント、Lagado研究所さんに教えていただきました。
Lagadoさんも同展に出品される由。

■「夜空の標本箱」at SQUIRREL 2F 始まります:Lagado研究所-資料室-
http://ton-bo.boo.jp/junk/blog/2010/11/11/

全般に乙女度の高い内容ではあり、アクセサリーなど、きらきらしいものが主体の催しなので、私にはとても縁遠い世界。でも、出品作家のお一人、my charmさん(http://www.mycharm-web.com/)の表現をお借りすれば、「シュールですこし理科系の、稲垣足穂やサンテグジュペリのようなイメージの世界」が展開するとのことですから、その精神において共感するところ大です。

足穂終焉の地・京都に星がこぼれ落ち、宇宙的郷愁を誘う花がひっそり咲いたら、そのこと自体、ちょっと素敵なことじゃないでしょうか。