ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(7)2013年03月01日 22時13分40秒

さて、ジョバンニが見た星座図のつづきです。
以前もぼやいたように、この話題は頭の中を整理しないまま、行き当たりばったりで書いているので、我ながら述べていることがウロンですが、強いてそのまま話を続けます。

   ★

この場面にふさわしいアンティーク星図を考えているとき、コメント欄でのやりとりをきっかけに、ふと「別に円形星図にこだわらんでもいいじゃないか」とか、「本物のアンティークでなくても、古星図の複製ポスターでもいけるんでは?」とか、日和ったことを考えるに至りました。

それは「バッカー天球図」というのを思い出したことに端を発しています。
これは17世紀の末から100年以上にわたって版を重ね、当時かなり人気を博した星図の一つです。“全天星図といえば円形に限る”という時代の趨勢に抗して、ひとりメルカトル図法で気を吐いた、長方形の星図。

この四角いということには、ちょっとした意味があります。
つまり、「午後の授業」に出てくるのも丸い星図、ショーウィンドウに並んでいる星座早見も丸い星図、そこにまた丸い星図となると、ちょっと「付き過ぎ」なので、四角いほうが絵的には面白そうです。

そう考えたら、この星図が急に良いものに思えてきました。
そして、この星図は一体いくらするものか…と思って検索したところ、これを刷った今出来のポスターを発見しました(http://tinyurl.com/ckcyvno)。ポスターですから当然安いです。安いということは、それだけでも魅力的です。印刷精度がどの程度かは分かりませんが、安価な複製でも、額に入れたら結構見栄えがするのでは?と思い、試みに注文してみました。また、それに合わせてポスターフレームもオーダーしました。


先日届いた現物がこれ↑です。
サイズは約69.5cm×57.5cmで、本物より若干大きめに仕上がっています。


どうでしょう、遠目で見る分には、なかなかもっともらしい感じです。
しかし―

(この項つづく)

去るモノ、来るモノ2013年03月03日 12時00分44秒


(古書の上にも春は来にけり。先日京都の古書店で買った明治の錦絵)

ジョバンニの話は1回お休みします。
ふと気がつけば、いつの間にやら弥生三月。
寒気がゆるんで、文字通り春を感じるようになりました。

春とともに人間は活動的になるのか、昨日は家具の地震対策をしたり、不要な本を古本屋に持っていったり、近々届くもののためにトントン工作をしたり、一日忙しくしていました。

処分した本というのは、ある有名な思想家の全集で、「いつか読むかもしれない」と思って買ったものの、結局30年近く一度もページを開かなかったという曰くつきのものです。この先も絶対に読まない自信があったので、少しでも床への荷重を減らすため、売却することにしました。

学生時代、かなり無理をして買ったのですが、売価は6千円也。
今は全集ものはダメです。岩波の叢書もひどい。全く荷が動きません。学生が本を買わなくなりましたから。エライ時代になりました。私らも一体どうしたらいいのか…」と、店主氏はしきりにこぼしていました。

店主氏は、主に教養としての読書の衰退にその原因を求めているようでした。
確かにそれも大きな原因でしょう。でも、全集が売れなくなった理由は、ほかにも思い当たります。それはたぶん百科事典が売れなくなったのと同じです。要するに全集が編まれた背景には、「本への愛情」以外の要素、すなわち「情報を便利に取り出すための装置」という要素が少なからずあって、だからこそより便利な装置が登場すれば、淘汰されるのは必然なのでしょう。

これからも「便利な装置」としての本の需要はますます減っていくはずです。それはすべて電子媒体に置き換え可能であり、その方が便利だからです。後に残るのは「愛情の対象」としての本だけかもしれません。

   ★

「近々届くもの」にも、全集と一寸似たところがあります。
かつては便利なものでしたが、今はまったく需要がありません。そして値段の推移も全集のそれをなぞっているかのようです。でも全集と同様、存在感だけはあります。私はそこに愛情を感じて、うやうやしく迎え入れることにしました。結局、部屋への荷重はプラマイゼロ。何だか愚かしい気がしますが、谷崎潤一郎に言わせれば、「愚(おろか)」というのは、それ自体尊い徳であるそうなので、ひとつ徳を積んだと思うことにします。

ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(8)2013年03月04日 20時58分50秒

(前回のつづき)

しかし―
さらに近づくと、やはりアラが目立ちます。




たとえば上の2枚。拡大すると、何となくピンボケのように見えると思いますが、実際に現物を近くで見ると、これぐらいボヤーンとした感じです。

下の画像は文字の部分に注目したもの。一見、木のフレームに焦点が合ったために、文字がぼやけてしまったようですが、実際には逆で、文字部分に焦点を合わせたために、フレームの方は逆にピントが甘くなっています。


繰り返しますが、遠目には何も問題ないのです。ただ、近くに寄るとキビシイです。
やっぱり、この世に「お値段以上」のものは、なかなかないものです。

この手の「オン・デマンド印刷」を謳うポスターは、ネット上の画像をそのまま引っ張ってきて、大型プリンターで刷っているだけのような気もしますが、だからこそ仕上がりは元画像の画質次第で、結構当たり外れがあるのかもしれません。

   ★

ここでまたいろいろ心が揺れ動きます。

“宝石は人造、望遠鏡はレプリカ、そして星図までポスターとは!君ィ、本当にそんなことでいいのかね?賢治にも、ジョバンニにも、時計屋の主人にも、あまりにも敬意が足りないとは思わんか?せっかくあれこれこだわって、ジョバンニが見た世界を再現しようというんだ、ここはもっと本物にこだわってみたらどうだね?”…とかなんとか。

このバッカーの星図。
単なる思いつきとはいえ瓢箪から駒。これこそ時計屋のショーウィンドウを飾る最有力候補であるならば、ここで踏ん張らずにいつ踏ん張るのか。何事も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。乾坤一擲、南無弓矢八幡大菩薩。

妄想的な確信に捉われた私は、今や検索の鬼と化し、時の経つのも忘れて画面を見つめつづけました。その結末がどうなったかは、言わずもがなです。これで当分は粥を啜って暮らさねばならんのでしょう。またまた「愚」という尊い徳を積むことができました。

   ★

上記の件については、また近いうちに続報を書くとして、実はこの星座図の話題を書くにあたって、一番最初に思い浮べた一枚の星図のことを、先に書いておこうと思います。

(この項、終わりそうで終わらず、まだ続きます)

ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(9)2013年03月05日 20時47分26秒



時計屋の店先を飾る星図として、当初考えていたのはこの星図です。もう何年も前からそのための候補とみなしていました。

Ferdinand Reuter,
 Der Nördliche Gestirnte Himmel『北天の星空』
 Justus Perthes (Gotha), 1874(第4版)

4枚の星図をつなげた掛図式のもので、全体はおよそ99×95cmと、ずいぶん大きな星図です。背面は紺の布地で裏打ちしてあります。

パッと見、時計屋よりも、「午後の授業」の方が相応しいような気もしますが、それでもこの星図を敢えて時計屋のショーウィンドウに飾りたかったわけは、図中に古風な星座絵が描き込まれているからです。前にも書いたように、午後の授業で語られる科学的宇宙像に星座神話は似合わない気がするので、これはやはり時計屋向きだろうと感じます。


この星図を最初に見たのは、もう10年以上前だと思います。深みのある濃紺の空、白く煙る銀河、きらきら光る金箔張りの1等星、鈍い朱で控えめに描かれた星座絵。何て美しい星図だろうと思いました。そして存在感のある大きさ。

これは絶対手に入れたい…と思い、売っていたのは例によってeBayですが、何日も前からドキドキしながら、最終日を待ちました。そして9分9厘自分のものと確信した次の瞬間、“Sorry…”と画面に表示され、一瞬何が起きたのか分かりませんでした。終了直前に「秒殺」するという入札手法の存在を知ったのは、これが初めてです。優美な星図に不似合いな、怒りと悔しさの感情がこみ上げてきて、その後はしばらく抑うつ的な状態で過ごしました(若かったのでしょう)。

この星図のことはその後も忘れることなく探索を続け、ちょうど1年後に再会できました。つまらない自慢話をするようですが、苦労が大きかった分、無事入手できたときには本当に嬉しかったです。

(星図の細部に注目しつつ、この項つづく)

ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(10)2013年03月06日 20時04分41秒

(昨日のつづき)

(この星図には5等星まで表現されています。1等星は輝く金色。)

この星図、極彩色の星座絵が描かれているわけでもなく、どちらかと言えば地味な表情ですし、星図史においても傍流なのか、星図の解説書で取り上げられているのを見た記憶がありません。しかし、このいぶし銀のような魅力をたたえた大判星図こそ、19世紀後半のスマートな美意識に裏打ちされた傑作であると、今でも信じています。

(石版刷りの繊細な銀河)

この濃紺の星図をバックにしたら、金色の望遠鏡も、アスパラガスの若緑も、きらきら光る宝石類も、さぞ映えるだろうと思うのですが、ただ一つ残念なのは、ジョバンニが目を奪われた肝心要の星座絵が視認しにくいこと。

(星座名は欄外に表記)

それさえなければ、これを時計屋の店先に飾って何の不都合もないのですが、紆余曲折の末に最有力候補はバッカー天球図に決めて、このシリーズはその到着を待って終結にする予定です。

ガラススライドを飾る2013年03月09日 16時55分43秒

天文関係の古いガラススライドを一時だいぶ集めて、今でもかなりの枚数が引き出しに眠っています。その割にこのページに登場する機会が少ないのは、もっぱら写真が撮りにくいせいです(…普通に撮ると何が写っているのか分からない)。

そんな折、理系アンティークを扱っているトロワ・ブロカントさんのページで、透明フォトスタンドを使ってディスプレイするというアイデアを教えていただきました。たまたま昨日、無印良品に行ったら、アクリル製の安価なフォトフレームが売っていたので(税込368円也)、さっそく試してみたら、これがなかなか良い具合です。


まだ不慣れなため、ねじを締めすぎてアクリル板がたわんでしまいましたが、上手に調節すると、もっときれいに挟むことができます。逆に言うと、アクリルの柔軟性のおかげで、これぐらい締め付けても、スライドの方には傷が付かないので安心です。

欲を言えば、ネジを4か所留めないといけないので、スライドの出し入れがちょっと面倒なのと、ホコリが付きやすいのが玉に瑕ですが(上の写真でもかなり目立ちます)、まあ、これは受忍限度内でしょう。
ともあれ、これまで死蔵されていた品が、今後はもっと活躍するかもしれません。


窓際に置くと、透過光で星空がきれいに透けて見えます。


被写体は、銀河の流れが特に濃やかな射手座方向の恒星雲(star cloud)。

ちなみにこのスライドは、イギリスの Newton 社が、1930年頃に天文教育用として売り出したセットものの1枚。同社は19世紀半ばに創業し、1950年代まで商売を続けたスライドの老舗メーカーです。

<参考URL:Newton 社について>
 LUCERNA - the Magic Lantern Web Resource
 http://www.slides.uni-trier.de/organisation/index.php?id=1000428

3.102013年03月10日 12時15分05秒

2年前の今日、このブログでは、栃木県にある「木の葉化石園」について呑気な記事を書きました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/03/10/5734095)。

当時、私は明日何が起きるか知らなかったし、考えることもしませんでした。日本中の多くの人がそうだったでしょう。「もし知っていたら…」というのは、一見無意味な問いのようですが、しかし決して無力な問いではないと思います。少なくとも、今はその帰結を知っており、しかも知っている者として果たすべき義務が何かも分かっているわけですから。

たしかに過去を書き換えることはできません。しかし、「3.11」は風化を防がねばならない過去なんかでは決してなく、まさに現在進行形の「今」だということを思い起こす必要があると思います。

   ★

…と書きながら思うのですが、ここにはいくぶんか建前もまじっていて、私自身3.11のことを忘れている日があることは認めざるを得ません。どこかで3.11を過去のことだと思っている(あるいは、思いたい)気持ちがあるせいでしょう。

あまりにも大きな困難から逃れたくて、困難にくるりと背を向けても、困難が消えてなくなるわけではない。彼は依然として悪魔のように笑いながらこちらを窺っており、それを半ば知りながら、敢えて知らないふりをしている。今の心の内に広がる、びまん的な焦燥感の原因はそこかなと思います。

   ★

ポスト3.11をめぐる不幸は多々あるでしょうが、「絆」という言葉が多用された結果、それが一種の建前になってしまったことも、大きな不幸の1つだと思います。

今や「復興支援・絆」と聞くと、何となく身構えるというか、政治的思惑や商業主義の影をまず疑ってかかる習慣ができてしまったのは(少なくとも私はそうです)、寂しいことには違いありません。情緒に訴える力が強かった分、安易にお題目として使われ過ぎたのが良くなかったのかもしれません。本当は今でもいちばん大切なことだし、今こそ他者への無関心と想像力の欠如に立ち向かわねばならない時だと、自戒を込めて思います。

今後への具体的な処方箋はさまざまあれど、根幹にあるべきは、素朴な互助の精神だという気がします。

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どうも言っていることがまとまりませんが、私は本音と建前という言葉によって、本音を持ち上げ、建前を腐すことを意図しているわけではありません。そもそも、歴史を動かしてきたのは、多くの場合、本音よりも建前、少なくとも「建前のお面をかぶった本音」ですから、建前は建前で必要だし、その論理を鍛え上げることも大切でしょう。


というわけで、話は冒頭に戻って、ぐるぐるエンドレスになりますが、ぐるぐる回っているうちに心が少し自由になって、見えてくるものもあるような…。
(もうちょっと考えてみようと思います。)

ガラススライドの話2013年03月11日 05時39分30秒

北は大雪、南は夏日に煙霧。昨日から天気は荒れ模様です。
ともあれ今日は一日、鎮魂の日。

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一昨日の記事に、コメント欄で質問を頂戴しました。今後の参考として、その内容をこちらにも上げておきます。お尋ねがあったのは、主に以下の2点。

1)ガラススライドとガラス乾板の異同について
2)ガラススライドの保存について

これに対して、私もズブの素人なのでよくは分からないながら、ネット情報を切り張りして、おおむね以下のようにお答えしました(強心臓ですね)。

1)ガラススライドは、支持体であるガラスの表面に、感光剤を含むエマルジョン層が乗っているという点で、ガラス乾板と基本的に同じ構造をしている。ただし、その用途は、フィルムよりも印画紙に類するものなので、光に対する感度が撮影用乾板よりも低く設定されているかもしれない。またいっそう大きな違いは、ガラススライドは画像層を保護するため、同大のガラス板でカバーされている点である。

2)このカバーガラスのおかげで、スライド上の画像はきわめて保存性が高く、ガラスが割れないよう気をつけさえすれば、あとはあまり保存条件に気を使わなくてもいいのではないか。

まあ、ガラススライドだって、温・湿度を管理をして保存した方がいいに決まってるでしょうが、絶えず外気にさらされている乾板・フィルム・紙焼き写真に比べれば、相対的に保存は楽だろう…というのが上の回答の趣旨です。

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で、そもそも当時のガラススライドはどうやって作られたのか?
当時のスライド(ここでは天文関係に限定)を見ていると、一昨日のニュートン社のもののように、最初から専業メーカーが商品として販売したものもあるし、どうも学校の先生が教材として手作りしたらしいものもあって、その辺の製作事情はどうなっていたのかなあ…ということが気になっていました。

それがある日、古いスライドを取り寄せたら、下のような箱に入って届けられたので、ようやく疑問が解けました。


文面を拡大すると以下。


どうでしょう、文中の現像液の指示などは、人によっては興味深く思われるのではないでしょうか。要は、当時、ガラススライドの原板がこうして小売りされていて、写真機材が使える環境の人は、せっせとスライド作りに励んでいたということです。想像が裏付けされてスッキリしました。

ちなみに、Mawson & Swan という会社は、一昨日リンクを張ったデータベースによれば、19世紀末に営業していたことが確認できるイギリスの写真機材メーカーです(http://www.slides.uni-trier.de/organisation/index.php?id=1000958)。

スライドフィルムを使って、講演や学会発表用の資料を作った経験は、ある年齢より上の人にとっては近しいものでしょうが、100年前の人も苦労しながらスライドを作っていた姿が目に浮かびます。

なお、上の取説では、カバーガラスのことについては触れずに、定着が済んだ感光面にはニスを塗りなさいと指示しています。感光面の簡易保護法としてそういう方法もあったのか、あくまでもガラスをかぶせるための前処理であったのかは不明ですが、少なくとも、私の手元にあるスライドは全部カバーグラスが付いているので、ニス塗りだけで済ませるのが一般的だったとは考えにくいです。

   ★

余談ですが、この箱が正方形をしているのは、モーソン社がイギリスのメーカーだからです。ガラススライドの標準サイズは、イギリスでは3.25インチ(約8.3cm)四方の正方形、アメリカでは4×3.25インチ(約10.2×8.3cm)の長方形でした(下の写真参照)。


書斎プチ改造(1)2013年03月12日 07時07分11秒



↑自室です。(気恥ずかしいので写真は小ぶり)

自分の部屋を晒すというのは、少なからず自己愛のにおいがするので、世間一般では慎むべきこととされているかもしれませんが(私がそう思うだけ?)、最近の心模様を綴るために、ここは敢えてお付き合いください。

これまで自室を「理科室風書斎」や「ひとり驚異の部屋」と戯称し、せっせとモノを集積してきました。でも、スペースの関係で、もうこれ以上は増やせないので、あとは配列を工夫するぐらいしかやることがありません。となれば、できるだけ見場(みば)良く見せたいと思うのが人情。そんなわけで、遅ればせながら、この頃「インテリア」ということを意識するようになりました。

でもインテリアのセンスに欠ける私には、何をどうすればいいのか分かりません。そこで、とりあえず「記号的にカッコイイもの」を部屋に置いてはどうかと考えました。モノを増やせないと言いながら、新たにモノを買い込むというのも変ですが、そもそも浅知恵から出発しているので、そういう変なこともやってしまうわけです。

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で、私が最初にイメージした「カッコイイもの」とは、古いタイプライターでした。
(何じゃそりゃ、と思われるかもしれませんが、私にはそれがカッコよく感じられたのです。)

そのイメージ源の1つが、今からちょうど5年前、2008年3月に東大で開幕した「鳥のビオソフィア」展です(参照 http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/05/18/3521837)。その一部を構成する「鳥類学者の小部屋」というインスタレーションについて、当時の「東京大学総合研究博物館ニュース(Ouroboros)」は、こんな風に説明しています。

「…中央部には、帝国大学時代の木製のビューローと椅子を設置する。机上に古いタイプライターやステイショナリーなどの雑物を配し、傍らには小石川分館蔵のウェブスター辞書台を置く。ここでは明治時代の鳥類学者の研究室を仮想的に再現してみせる。デスクの上には、小型の剥製標本、鳥類の古写真類などをセットし…」云々。

(鳥類学者の小部屋(部分)。出典:「BRUTUS」2008年8月1日号)

空想上の鳥類学者の机上にタイプライターが置かれていたからといって、私がそれに義理立てする必要はないのですが、当時の印象は非常に強烈なものがあって、私はタイプライターを無性に有難いもの、カッコイイものと思うに至りました。

そして、その印象をさらに強固にしたのが、昨年暮れに亡くなったイギリスの天文家、Sir Patrick Moore で、彼が愛用のタイプライター(1908年ウッドストック社製)をパチパチ叩く姿を映像で見て、あに我が書斎にも置かざるべけんや…の気概を持ったのでした。

(書斎のSir Patrick Moore。出典:http://www.youtube.com/watch?v=jFwZ2ExVpMI。元はBBCの番組のようです。氏の愛機の鮮明な写真はこちらで見ることができます。
http://www.peterossphotography.com/media/e9eebe9a-b7ec-11e1-8a49-c3e987d58418-sir-patrick-moore

(この項つづく)