古玩談義~アンティークとは何か(2) ― 2007年11月07日 22時38分10秒
(Astronomy 誌、2005年9月号より。「ずらり並んだ真鍮製品は、1993年のAntique Telescope Society の会合において、それを目にした者全員に深い感銘を与えた。手前は2インチ径トロートン=シムズ望遠鏡。後は6インチ(左)と4インチ径のアルヴァン・クラーク望遠鏡。」)
さて、昨日の問いかけに対して、アンティーク望遠鏡界の大立者、Peter Abrahams 氏は、以下のように応じました。
★
古い望遠鏡が興味をそそるのは、その美しさ、職人技、そしてそれが天文学の進歩や世界の拡大と結びついている点にあります。(失礼、釈迦に説法ですね。)
個人的には、「アンティーク」という語を望遠鏡に使うのは好みではありません。この語は、何ら有益な情報を伝えるものではありませんし、場合によっては、他の古物と結びついた含意を暗に伝えてしまうからです。
さて、K.M.氏の問いにお答えしましょう。当然のことですが、クラーク望遠鏡が何万台も存在することはありえません。高度な研究用の屈折望遠鏡(Astro-Physics refractors)が5万台もあるはずがないのと同じことです。そうした望遠鏡は、何と言っても非凡な技量の持ち主の入魂の作なのですから。現在なら、金に糸目さえつけなければ、そうした高品質の望遠鏡を大量生産できるような工場を作ることができるかもしれません(この点は議論の余地があるでしょうが)。しかし1800年代には、それは不可能なことでした。現代のシュミカセのように、大量のクラーク望遠鏡が存在しないのは、単純にそういう理由によります。
稀少さは、「興味の方程式」の一部であり、それがクラーク望遠鏡を魅力あるものにしていることは認めざるを得ませんが、稀少さそれ自体は何ら興味をそそるものではありません。さらに言えば、稀少さは、何かに価値をもたらす主要因でもありません。たった一つしかないもので、しかも価値がないものはたくさんあります。需要こそが価値を生むのです。
シュミカセはつまらない、というつもりはありません。セレストロン望遠鏡は、最初の大量生産型のシュミカセですが、現代の歴史において非常に重要な意味を持ちますし、それに先立って実に興味深い製品群も生まれました。それにシュミカセは、間違いなく優れた品質を持ちうるのですから。
★★
「稀少さは興味を惹く一要素ではあっても、それ自体独自の価値ではない。しかし、19世紀においては高品質なものは必然的に稀少となるのだ。それゆえ益々需要が高まり、価値が生まれるのだ。」 要約すればそういうことだと思います。
斯界の権威の発言は重みがありますが、ただ、末端の人間(私)は、もっと単純に「アンティーク」の定義の方が気になります。「自分が子どもの頃使った望遠鏡、あれはいつアンティークになるのかな?」という素朴な疑問を抱く人は多いことでしょう。メーリングリストでも、やっぱり議論はそちらに流れがちで、いろいろな説を唱える人が続きました。
(この項まだまだ続く)
さて、昨日の問いかけに対して、アンティーク望遠鏡界の大立者、Peter Abrahams 氏は、以下のように応じました。
★
古い望遠鏡が興味をそそるのは、その美しさ、職人技、そしてそれが天文学の進歩や世界の拡大と結びついている点にあります。(失礼、釈迦に説法ですね。)
個人的には、「アンティーク」という語を望遠鏡に使うのは好みではありません。この語は、何ら有益な情報を伝えるものではありませんし、場合によっては、他の古物と結びついた含意を暗に伝えてしまうからです。
さて、K.M.氏の問いにお答えしましょう。当然のことですが、クラーク望遠鏡が何万台も存在することはありえません。高度な研究用の屈折望遠鏡(Astro-Physics refractors)が5万台もあるはずがないのと同じことです。そうした望遠鏡は、何と言っても非凡な技量の持ち主の入魂の作なのですから。現在なら、金に糸目さえつけなければ、そうした高品質の望遠鏡を大量生産できるような工場を作ることができるかもしれません(この点は議論の余地があるでしょうが)。しかし1800年代には、それは不可能なことでした。現代のシュミカセのように、大量のクラーク望遠鏡が存在しないのは、単純にそういう理由によります。
稀少さは、「興味の方程式」の一部であり、それがクラーク望遠鏡を魅力あるものにしていることは認めざるを得ませんが、稀少さそれ自体は何ら興味をそそるものではありません。さらに言えば、稀少さは、何かに価値をもたらす主要因でもありません。たった一つしかないもので、しかも価値がないものはたくさんあります。需要こそが価値を生むのです。
シュミカセはつまらない、というつもりはありません。セレストロン望遠鏡は、最初の大量生産型のシュミカセですが、現代の歴史において非常に重要な意味を持ちますし、それに先立って実に興味深い製品群も生まれました。それにシュミカセは、間違いなく優れた品質を持ちうるのですから。
★★
「稀少さは興味を惹く一要素ではあっても、それ自体独自の価値ではない。しかし、19世紀においては高品質なものは必然的に稀少となるのだ。それゆえ益々需要が高まり、価値が生まれるのだ。」 要約すればそういうことだと思います。
斯界の権威の発言は重みがありますが、ただ、末端の人間(私)は、もっと単純に「アンティーク」の定義の方が気になります。「自分が子どもの頃使った望遠鏡、あれはいつアンティークになるのかな?」という素朴な疑問を抱く人は多いことでしょう。メーリングリストでも、やっぱり議論はそちらに流れがちで、いろいろな説を唱える人が続きました。
(この項まだまだ続く)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。