星の小学校…児童天文台2010年04月22日 06時40分58秒

大阪つながりで、絵葉書を1枚載せます。

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写真↑は、キャプションにあるように、大阪の船場小学校の屋上に設けられた天文台。
大正12年に完成したものですが、大正時代の小学校に立派な天文台があったと知ってビックリです。しかも、そばには気象台(左手の、てっぺんが展望台になっている建物のこと?)や温室まであって、さすがは船場、金のかけ方が違う…と思いました。

たたずまいがいいですね。
ちょこんと帽子のようなドームをかぶり、商都を見下ろす可愛い天文台。
ここで少年少女たちが望遠鏡を覗いていたさまを思うと、実に微笑ましく且つ羨ましい。

この中にあった望遠鏡は、どんなものだったのでしょうか?
『改訂版日本アマチュア天文史』(恒星社厚生閣)には、「大阪千場小学校」というのが出てきます(p.343)。これは明らかに船場小学校の誤記でしょう(千場小というのはなさそうです)。ちょっと年代は下りますが、1936(昭和11)年現在のデータによると、同校にあったのはブッシュ製12センチ屈折経緯台。微笑ましいどころか、なかなか堂々たる機材です。口径だけでいうと、当時の旧制四高(金沢)や八高(名古屋)にあった望遠鏡よりも大きいので、小学校側としては相当自慢したでしょうね。

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ところで、船場小学校は、旧名を「浪華小学校」といいます。
その浪華小学校に、明治の末、1人の異貌の少年が入学しました。
ほかでもない、稲垣足穂その人です。
彼がここに在籍したのは1年生のときだけで、また当時はこの素敵なドームもなかったのですが、何となく星つながりの縁(えにし)を感じます。

さらに因縁話を続ければ、船場小学校は戦時中、近くの愛日(あいじつ)小学校に併合されましたが、愛日小の立っていた場所こそ、かつての「升屋」山片家の屋敷跡、すなわち山片蟠桃が壮大な多世界宇宙論を含む『夢の代』を著した場所なのです。

そうと知って見れば、一層不思議な天文オーラを、このかわいい絵葉書の背後に感じ取れるのではないでしょうか。

なお、大阪都心部の少子化著しく、愛日小も1990年には閉校となり、山片家に伝来した蟠桃関係資料を含む愛日文庫は、現在、開平小学校に引き継がれているようです。

○参考:ウィキペディア「大阪市立愛日小学校」の項
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E7%AB%8B%E6%84%9B%E6%97%A5%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1