巴里に咲く妖花。自然史博物館にみなぎる怪しの力2010年09月15日 19時49分15秒

今、窓から聞こえるのは、しずかな雨音だけです。
雨と共に、ついに秋がやってきました。

  ★

さて、パリ自然史博物館の2枚目です(裏面のメモ書きによれば、1918年の絵葉書)。

キャプションには、「ゾウの骨格」(Squelette d’Éléphant)としか書かれていませんが、マンモスでしょうか。
ズーン、ズーン…と、今にも地響きを立てて歩き出しそうな、これまたすごい迫力です。
周囲を見回せば、どこもかしこも骨、骨、骨。まさに骨の王国ですね。

そして、廻廊を彩る蔓草モチーフの手すりにも目を奪われます。
ウィーンの自然史博物館と同じく、ここでも自然のデザインと人工のデザインの奇怪な競演が見どころになっているようです。

それにしても、画面右上の壁面はいったい何でしょうか?
ヒトの頭蓋骨が並んだ陳列ケースの上に、これまた人面?のオブジェが無数に並んでいます。まるで、ふくしま政美のカルト漫画、『聖(セント)マッスル』に出てくる「人間城」―人体を積んで作られた城― のようです。
(さすがにフランスの人も気持ち悪いと思ったのか、一昨日のリンク先を見ると、このオブジェは現在取り払われているようです。)


ここには、空間全体に漂う「何か」がありますね。
19世紀科学にはあって、今のそれにはない「何か」が。
(怪奇と幻想と装飾性でしょうか。)

コメント

_ S.U ― 2010年09月15日 20時24分13秒

 昔の博物館に比べると今の博物館はすっきりしていますね。私が初めて上野の国立科学博物館に行ったときと現在とを比べてもそのような印象の違いがあるように思います。

 思うに、現代では、「すっきりしている」=「わかりやすい、センスがよい、テーマを明瞭に伝えることが出来る」という意図があるのでしょう。その通りだと思います。

 しかし、考えてみると、博物館は、わかりやすさやセンスの良さを求める場所なのか、出展者のテーマが伝わらないといけないのか、という問題が起こってきます。たとえば、娯楽映画で、わかりやすくてセンスがよいだけなら、たいした賞は取れないでしょう。客にインパクトを与えること、考えさせ、混乱させること、自然や人類の文化の多様性を見せることを求めるとまたちょっと変わってくるのではないでしょうか。

 ひょっとすると、博物館の展示の設計をする側に、ちょっとした勘違いがあるのかもしれないと思いました。

_ 玉青 ― 2010年09月16日 20時32分38秒

すっきりしていることも大切ですね。
でも、それだけではダメなのでしょう。
かといって、おどろおどろしく混沌としているだけでもダメで、結局2つの要素があって、はじめて博物館は生き生きと機能するのかもしれません。
陰陽二気の渦巻くところに万物が生れ、ドラマが始まる…というわけでしょうか。

_ S.U ― 2010年09月17日 20時54分59秒

あぁ、そうですね。私が最近の博物館等の展示に満足できないのは、すっきりしすぎているだけでなく陰陽のバランスが悪いからかもしれません。展示が一つの方向にばかり並んでいると、すきま風が通り過ぎていく印象です。陰陽はだいじですね。
 玉青さんのお宅のヴンダーカンマーは陰陽のバランスとれていますか?

_ 玉青 ― 2010年09月18日 12時50分45秒

陰陽でいえば、まさに陰々滅々として、邪気が部屋中に充満している感じです(笑)。
何とかすっきりした環境を整え、陽気を呼び込みたいんですが、以前も書いたように、引越しでもしない限り一寸無理っぽいですね。話題だけでもスッキリ系にしようと思い^^;、今日はすっきりした書斎の記事を書きました。

_ S.U ― 2010年09月18日 18時47分01秒

あぁ、そうですか。どちら様でも、やはり陰に寄ってしまいがちでしょうね。書斎の蔵書でもだいたいそのような傾向になろうかと思います。まっすぐに風の通り道を作れば陽気も入ってくるのだと思いますが(いいかげんなことを言ってる)、まあ、私は個人的には、陰が勝っているくらいが好きです。今日、ご紹介いただいたような部屋は、遠い世界という感じですね。

_ 玉青 ― 2010年09月20日 10時08分19秒

>個人的には、陰が勝っているくらいが好き

ええ、右に同じです。ただし、陰にしても、もうちょっと片付いた陰が欲しいですね。「おどろおどろしく片付いている」状態を以て良しとするというか(笑)。

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