天体議会の世界…十月の星図(3)2013年09月30日 18時15分36秒

9月も残り1日あるので、おまけとして第2章の冒頭に戻って、銅貨が10月の星図を眺めていたシーンについて、もう1回だけ書きます。

問題のシーンは、「十月の星図(1)」↓の中でも引用しましたが、こんな具合でした。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/24/6956879

少年〔ガニュメデス〕の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌〔かがや〕く一等星は、魚の口〔フォーマルハウト〕。十月の星図を眺めていた銅貨は、それを折りたたみ、まだ星などひとつも見えない真昼の天〔そら〕を見あげた。(p.40)

ここに出てくる星図について、以前の記事の中では、「プラネタリウムで配られたか、少年雑誌の付録についていたような、1枚ものの星図」という推理をしました。ちょうどそんな感じの10月の星図を見つけたので載せておきます。
アメリカの「Boy’s Life」という少年雑誌の1959年10月号の1ページです。


結構大判の雑誌で、誌面サイズは約31.5×24cmありますが、ペラペラの紙なので、これなら折りたたんでポケットにしまうことも簡単です。


水瓶とフォーマルハウト。残念ながら星座絵はありません。


この色づかい、文字、少年の風体…すべてが50年代のアメリカそのもの。


雑誌の切り抜きなので、当然裏面にも記事があります。「猟は安全が大事」という絵入りの記事ですが、アメリカでは子供の頃からポンポン鉄砲を撃つことに慣れ親しんでいるようで、銃規制がなかなか進まないのも分かる気がします。

   ★

1956年、57年の号にも、それぞれ夏の星座、冬の星座の図が載っていました。



こちらは北と南を向いた時の星空を、背中合わせに描いています。矢印は星座の日周運動の方向でしょう。

   ★

50年代アメリカのパワフルな文化が、繊細な『天体議会』の世界と馴染むかどうかは微妙ですが、少年たちが元気に少年をやっていたという点では、相通じる部分があるかもしれません。

コメント

_ S.U ― 2013年10月01日 08時03分43秒

そういえば、日本の少年少女向け雑誌、かつては、漫画週刊誌、学年誌、種々の趣旨で出版されている月刊誌等、豊富にありましたので、そういうのを探すと、こういう少年向けの科学や遊びや「冒険」の知恵のようなものがいっぱいあるのでしょうが、そういうことを今や系統的に探索・研究することは相当困難になりました。
 例えば、毎月の天文知識にしても、「天文と気象」や「子供の科学」のような科学雑誌を読まないような少年少女に、学年誌や他の一般的な雑誌でどの程度の知識が提供されていたのか、というようなことが気になります。私にはそのような定期的な記載があった雑誌は記憶にありません。玉青さんはなにかご記憶にありますでしょうか。
 天文のみならず、かつての少年少女の知識のニーズを探る上で、重要な研究になると思うので、そういうことを調べてみたい気はありますが、資料集めに暇と資金がかかりそうで、ちょっと手が出ません。

_ 玉青 ― 2013年10月01日 21時58分34秒

昭和30~40年代の20年間に限っても、少年誌の世界は非常に大きな変化を経験したので、なかなか一口では言い難いものがありますね。

昭和30年代は、漫画を主体に、ごった煮の知識と多くの付録で人気を博した月刊少年誌(「ぼくら」、「少年画報」、「冒険王」等)の黄金時代でしたが、それも昭和40年代に入ると次々に休刊。同時期、より教育的な内容で保護者の心をガッチリつかんだ学年誌も、昭和30年代末に講談社の「たのしい〇年生」が撤退し、小学館の「小学〇年生」一誌になると、かつての勢いは失われ、結局、昭和40年代以降は、週刊少年誌の全盛時代に移って行ったようです。一般向けの少年誌が、科学知識普及の役を果たしたのは、そこまでではなかったでしょうか。

私がかすかに記憶しているのは、それ以降のことです。
そうした啓蒙記事の微かな残り香と云いますか、大伴昌司監修の疑似科学っぽい特集記事なんかは、何となく覚えているのですが、私が少年マガジンやサンデーの熱心な読者になる頃には、そうした記事もなくなり、純粋な漫画誌となっていたので、これもあまり偉そうなことは言えません。

自分のリアル小学生時代(昭和40年代末)を思い起こすと、むしろ趣味の分化が進み、「子供の科学」のような総合科学誌はマイナー化していた印象があります。で、例えば天文に関して言えば、天文少年を気取るぐらいの子は、当然のごとく「天文ガイド」誌の方を読んでいて、当時は広告でも、読者投稿欄でも、小・中学生が妙に幅を利かせていました(S.Uさんもご記憶でしょう)。そして、そこまで行かない層は、学研の「○年の科学」で十分満足していたのではなかったでしょうか(当時はクラスの大半が購読していました)。

_ S.U ― 2013年10月02日 07時40分11秒

これは、簡潔で共感の持てる少年誌のまとめをしていただきましてありがとうございます。
 玉青さん(そしてその時代の人たちの多く)は、「正統派」の雑誌の科学記事をよく読んでおられたようですね。そして当時にあっては、科学が専門に分化していくというのが進化であったと見なされたわけですね。私は(私の近くにいた友人の多くは)、数年の違いか、地方にいたせいか、もう少し古いタイプで、ご紹介の漫画週刊誌の特集の疑似科学っぽいのが好きでした。これらの疑似科学っぽいと言うのは「金星人がいるとしたら」とか「ライオンとトラが格闘したら」とかテーマの設定やアプローチは科学的で事実としては荒唐無稽なものが多かったように思います。当時は、科学、疑似科学に限らず、この手のノンフィクション的(まあ上のようなわけで半分くらいは事実上のフィクションですが)特集記事は、読み応えのあるものがその他の子供誌にもあって(私が目にすることができたのは、農協の「こども家の光」と創価学会の「希望の友」くらいですが)、当時はこういう記事の優秀なライターが大勢いたのだと思います。
 
 リアルな天文の分野では、「宇宙の不思議」とか「未来の宇宙ロケット」とかのまあまあ真面目な特集記事は「少年マガジン」でもあったと思いますが、星座のガイドとか月々の天文現象のようなものはやはり記憶にありません。してみると、そのようなものに代表される地道な科学記事が出たのは、多数の少年少女に読まれていたものは、昭和30年代の小学館の学年誌、40年代の学研の学習雑誌あたりに限られるのかもしれません。それらがのちの時代に果たした役割、そして、現在それに代わる物があるかということは、真剣に考え、正当に評価をしなければならないことのように思います。

_ 玉青 ― 2013年10月02日 20時46分57秒

>「金星人がいるとしたら」「ライオンとトラが格闘したら」

ああ、見たはずがないのに、ものすごい既視感に襲われました。(笑)
確かにそんな煽りで、赤黒2色刷りのおどろおどろしい誌面作りがされていたのでしたね。

>現在それに代わる物があるか

ふと思ったのですが、星に興味を覚えた児童は、今はどうやってその興味を自ら育んでいるんでしょうね?もちろん高校天文部あたりなら、いくらでも情報ツールはあるんでしょうが、小学生だと果たして何を指針にしているのか…?
まあ、その気になればしっかりした単行本もありますし、地元のプラネに通い詰めてプラネタリアンに直接教わっているのであれば、それはそれで昔よりむしろ恵まれているかもしれませんが…

_ 蛍以下 ― 2013年10月02日 20時52分22秒

横から失礼します。
いつ頃から刊行されていたのかわかりませんが(多分昭和40年代?)、小学館の「なぜなに学習図鑑」、「入門百科シリーズ」といった子供向けハードカバーの本が図書館や公民館に必ずと言っていいほどありました。
これはちゃんとした理科系のものから世界の七不思議とか野球、プロレス、釣り、手品、怪獣などなんでもありました。
それらが、かつての雑誌群に取って代わったといっていいのか私には分かりませんが、昭和50年代には子供向けの総合誌的なものはほとんど見かけませんでしたし、「学研の科学」も定期購読する子は少数派でした。
当時もボイジャー計画、スペースシャトル、スターウォーズの影響で、ちょっとした宇宙ブームがありましたが、アポロには到底敵うはずもなく、みんなで一緒に空を見上げたであろう前世代(←勝手なイメージです)が羨ましいです。

_ S.U ― 2013年10月03日 07時37分21秒

>ものすごい既視感に襲われました。(笑)
(こちらも笑)
 私の記憶では、これは特集ですから、同じ号で設問は、「火星人がいるとしたら」、「木星人がいるとしたら」...と続き、あるいは、「ヒョウとクロヒョウが対決したら」、「ガラガラヘビとコブラが噛み合ったら」...などと続くのだったと思いますが、玉青さんの既視感でもそういう内容になっていますか?(笑)

>星に興味を覚えた児童は、今はどうやってその興味を自ら育んでいるんでしょうね?
 身近にそういう児童がいないので、これはわかりませんが、今ふうに普通に考えると、自分でネットで調べるとか、学校の先生かプラネタリウムや科学館の先生に相談するのではないかということになりそうです。でも、実数的には、学校の図書室で参考書や図鑑を見て調べるというパターンが多いのではないでしょうか。小学校では、図書室を利用するように指導していると思います。

 蛍以下さんから具体的なご紹介をいただきましたような本は、学校の図書室にも置けそうなものですね。昭和50年代でしょうか。そんな図鑑のようなのが多方面にあったのですね。プロレスや怪獣についても学校で読めたのなら羨ましいと思いました。これは雑誌の役割を引き継いだものといえると思います。

 今から10年以上前の1990年代には、私は子どものためにこういう本をあさりましたが、動植物図鑑、天文図鑑、野外活動の手引きといったものは古い物の重版(例えば初版は昭和50年代)やら新しい物やらまあまあそれなりにありました。疑似科学的なものは、流行が激しいのでしょうが、当時はあまりなかったように思います。ちょっと違って「ポケモン図鑑」とか「学校の怪談」とかはよく出ていたように思います。

 こういう子ども向けの参考書や図鑑は、現在のところはまだ需要をどうにか満たす程度にはあるのだと思いますが、将来的には子どもの減少や著者側のモチベーションの低下によって十分な供給が仰げなくなるかもしれません。ちょっと心配しております。

_ 蛍以下 ― 2013年10月03日 13時19分09秒

>昭和50年代でしょうか

はい。さすがに学校にプロレスはありませんでしたが、釣りとかUFOとかはありましたね。天文、地学、生物は理学博士監修でした。
ハードカバーなので結構しっかりしたものだったと思います。気楽に読めるものでしたが今でも内容を覚えてたりします。
個人的には長嶋茂雄監修の打撃入門のおかげで飛距離が伸びた思い出があります。

第二次ベビーブームで書籍も含め、子供向けの商品が多く出たのかもしれませんね。ケイブンシャの大百科シリーズというのも、なんでもアリで人気でしたが糊で閉じただけのソフトカバーで落丁しやすいせいか学校にはなかったです。

_ 玉青 ― 2013年10月03日 22時59分59秒

〇S.Uさま

>そういう内容に

なってます、なってます。(笑)
でも、下で述べるように、私の記憶は「ドラゴンブックス」なんかと一部混じってしまっていると思います。

〇蛍以下さま

ごく一部の人にしか共感してもらえないかもですが、ちょっと細かい世代差にこだわると、小学館の「入門百科シリーズ」は個人的に少し時代がずれていて、むしろ似たようなラインナップだった、学研の「ジュニアチャンピオンコース」とか、秋田書店の「ジュニア入門百科」に、より親しいものを感じます。

際物的な企画でいうと、何といっても私の頃は「ドラゴンブックス」にとどめを刺し、あれは今でもカルト的ファンが多く、一部でずいぶんプレミアが付いているようですね。あと「ジャガーバックス」もそっち系でした。(↓のページを見つけて、思わず感涙にむせびました・笑)
http://nosutaruji.kachoufuugetu.net/kaikikei_page/kaikikei_collection.html

理科方面に話をしぼると、当時各社が出していた理科叢書にはずいぶんお世話になりました(ポプラ社の「理科の実験観察シリーズ」とか、岩崎書店の「カラー版観察と実験」シリーズ、あるいはあかね書房の「科学のアルバム」など)。一部、私が図書室から借り出し過ぎて、本をダメにしてしまったものもあります。申し訳なさ半分、懐かしさ半分といったところです。

_ S.U ― 2013年10月04日 07時33分57秒

ご紹介いただいたような本は、なんと分類されるのか、ミニ図鑑、ハウツー図解物とでもいうのでしょうか、私はもうそのようなジャンルのものを手に取ることはなく、記憶もほとんどありませんが、この内容からするとかつての雑誌の特集物を引き継いだといえそうですね。豊富に出版されていたようで羨ましいです。私の年代にとってのその時代の際物は、カッパブックスとか大陸書房だったように思います。

 再び、1990~2000年代のこと(これは親の立場で)ですが、かつてあった各学年向けの学習図鑑(社会科あるいは総科的な物)のようなものを相当探したけれども見つからなかった記憶があります。それから、学研が「プチカ」という図鑑の月刊誌(小学校低学年向け)を出していて良くできていました。ただ、私は、子ども向けの動植物の図鑑の内容がどれも写真であり(それも背景がけっこうごちゃごちゃしている)、手描きの図鑑の新刊書がないのが不満でした。たぶん「今時の図鑑は、...」とぶつぶつ言いながら書店をまわっていたものと思います。

_ 蛍以下 ― 2013年10月04日 14時55分02秒

玉青様

ジュニアチャンピオンコースのところで紹介されている七不思議の本は読んだ記憶があります。他は全くわかりません(笑) 。
このような本は大抵、少年探偵シリーズや怪盗ルパン、シートン動物記などと一緒に本棚に並んでましたね。私の場合買って読んだというより借りて読むものという感じでした。「科学のアルバム」は全巻買ってもらいましたが。
そういえば子供に無料で本を貸し出す家が近所にありましたが、あれはなんだったのか、そういうケースはよくあったのでしょうか御存知ないですか?

S.U様

私が持っている昭和50年代の動物図鑑、魚類図鑑は手書きでした。
が、地学系は写真が多かったです。桜島の噴火や鉱物、地震で割れた道路などが写真でした。それらの紹介は写真の方がいいんでしょうね。
動物図鑑は手書きがいいですね。ゴリラのすぐ横にライオンがいたりして構図に無理があるんですが、それが良かったと思います。

_ 玉青 ― 2013年10月05日 09時26分36秒

話がだんだん「コマイ」方に入ってきましたので(笑)、図鑑の話題が出たのを幸い、そこからお題をいただき、この辺で記事を再開することにしましょう(現在準備中)。

ところで蛍以下さんからのお尋ねですが、昔は「○○文庫」等と名付けて、自宅を小図書館として地域の子供たちに開放しているお宅が方々にありました。
(参考)http://www.tcl.or.jp/about2.html
…と思ったら、今でもあるようです。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130917/wlf13091709350005-n1.htm
蛍以下さんがご覧になったのも、そんな篤志家のお宅だったのではないでしょうか。

_ 蛍以下 ― 2013年10月05日 10時06分04秒

玉青様

ありがとうございます。こういうお宅があったのですね。
記事の再開、楽しみにしております。

_ S.U ― 2013年10月05日 10時58分40秒

蛍以下様、
 昭和50年代には、手描きの子ども向けの動植物図鑑があったのですね。ということは、1980年代のどこかで消滅したのか...このあたりは、玉青さんのご研究に含まれるかもしれないので、まずはそれを待つことといたしましょう。

 「家庭文庫」、「○○家」文庫というのは、子ども向けの本を集めたお宅の退職後の楽しみに、社会貢献を兼ねていて良いかもしれません。こういう個人の大がかりなのは地方であった私のところでは聞いたことがありませんが、子ども同士ですでに読んだ本を集めて「学級文庫」をつくるとか、地区の公民館や集会所のようなところに子ども向けの本のストックを作るとかはありました。本の所有権が曖昧なまま信用の上でやっていたので、こういうのは現代では通用しにくいかもしれません。

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