電子の鍋2016年01月09日 08時30分01秒

鍋物が恋しい季節ですね。


ガラスの球体中に据えた、かわいらしい銀の鍋。
この鍋は一見空っぽですが、ひとたび火が入れば、中で盛んに具材が煮えてきます。その具材とは、「電子」。


この大きな真空管(全長27cm)は、当初、X線管と聞きましたが、よく調べたらX線管そのものではなくて、X線装置用の大型整流管のようです。1970年頃のもの?


まったく同じ物は見つかりませんでしたが、フィリップス社の類似管は、以下のページに載っていました。

■The Cathode Ray Tube site:X-ray tubes
 http://www.crtsite.com/page5-2.html

上のページを下の方までスクロールすると、「Philips Kenotron type 28136」という整流管が紹介されており、「ケノトロンは、X線管に必要な高電圧を得るための整流管(rectifier tubes (valves))で、ドイツでは ventilröhre の名称で知られる」という説明が添えられています。

整流管とは、電流を一定方向にしか流さない作用を持つデバイスで、要はゲルマラジオでおなじみのダイオードの親玉みたいなものです。それによって交流を直流化し、高電圧の直流電源を得ることを可能にする仕組みです。


真空中で煮える「科学の鍋」。
この鍋にふたたび火が入ることはないでしょうが、ガラス越しに、そこで生じるはずの電子の熱い振る舞いを想像すれば、ちょっとした燗のお供にはなるでしょう。

    ★

前回の記事では、<自然物人工物>を対比し、そこに<科学アート>のコントラストを重ねました。でも実際には、「科学の人工物」もあれば、「自然のアート」もたくさんあるし、さらに「科学をアートする」試みや、「アートを科学する」試みもあるわけで、「理科室趣味とヴンダー趣味の境界は、そんなに明瞭なものではないぞ…」と、記事を書いた後で、ちらっと思いました。

たぶん、上の真空管も、多様な受け止め方をされる品だろうと思います。


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

どうも為政者に物申す人は、次々とTV番組から排除されているみたいですね。

物申されるのが嫌なら、為政者は物申されないよう行いを改めるか、物申されたことに対してきちんと答えるべきで、薄ら笑いを浮かべて、相手をはぐらかしたり、何やら後ろ暗い力を使って相手を排除したりするなんて、断じてあってはならないことです。

その断じてあってはならないことが横行しているのを目の当たりにして、さながら現代のヴンダーカンマーに身を置いている気分ですが、ただし、このヴンダーカンマーは、驚異には満ちているものの、目を喜ばせる要素は皆無です。

注意してくれる人がいるうちが華だよ…と、昔、年長の人から教わり、自分がその齢になって本当にそうだなあと思うんですが、今の為政者には、無用の忠言のようです。

コメント

_ S.U ― 2016年01月09日 13時38分25秒

最近、ほとんど真空管を手にすることはなくなりましたが、唯一の例外があって、光電子増倍管は今でも使っています。光電子増倍管に高電圧を掛けることを、大学の先生は、確かに「フォトマルに火を入れる」と言っていました。「フォトマル」とは photomultiplier tube の略です。今の若い人がそういう言葉を使うかどうかは知りません。
 
 Philips社は今でも真空管をつくっているのかと思って調べて見ましたが、よくわかりませんでした。光電子増倍管の現行生産品は見つからず、デジタルフォトマルと称するシリコン半導体を売り出しているようです。

 美しいという観点で見れば、シリコン半導体の精製物もよく見れば美しいです。よく見るには顕微鏡が必要な場合もあります。真空管とシリコン半導体では、理科室あるいはヴンダー感覚としてどのように違うのか・・・難しいです。

_ S.U ― 2016年01月09日 19時17分42秒

>ブログ内ブログ
お嘆きを拝見して、今度は「忠言は耳に逆らえども行いに利あり」という言葉をを思い出しました。不思議なことに、玉青さんから出来の悪い政治家へのお叱りを聞くたび、毎度毎度、大学受験にはどうせ関係ないからと眠りながら聞いた漢文が思い出されます。前回は「鼓腹撃壌」で、前々回は「先憂後楽」でした。

 政治家たちも、まさか中国二千年来の知恵を己の浅知恵で覆せると思っているわけではないでしょう。漢文を勉強しなかったのでしょうか。
 いい年の政治家のくせに考えづらいことです。
 それとも、ついに「最近の年寄りときたら、・・・」と年寄り同士で嘆かねばならない時世になったのでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年01月10日 17時16分14秒

光電子倍増管というと、カミオカンデのことを思い出すのですが、あれは半導体なんですか?見た目は昔のごっついブラウン管みたいな感じですが…

>漢文を勉強

いやあ、どうも一部の政治家は漢文どころか、漢字もおぼつかないみたいですよ。泣くに泣けません。

_ S.U ― 2016年01月10日 19時00分25秒

>カミオカンデ~昔のごっついブラウン管
 カミオカンデのは(スーパーカミオカンデのも)浜松ホトニクス社製20インチ光電子増倍管で、純粋な真空管構造です。ブラウン管の製造技術を使っていて、そもそも浜松ホトニクスは、高柳健次郎の弟子が作った会社で、昔は「浜松テレビ」という名前でした。

 ブラウン管はチューブの根元から電子が加速されてガラス面の薬剤に当たって光を出しますが、光電子増倍管は、逆にガラス面の薬剤に光が当たって内側に電子が飛び出し、根元に向かって加速され、電流が外に出て来ます。

 カミオカンデで真空管タイプを使うのはセンサーの面積あたりのコストが安いからで、半導体センサーは小さいのは安くなりましたが、大きいのを大量に入手することは今でも困難です。

 ちなみに、かつて(1970~1980年代)は、光電子増倍管といえば、浜松テレビ、フィリップス、RCAが御三家でした。それぞれ、家電製品(テレビ、電球、オーディオ、ビデオ)で世界の人の生活を豊かにしてくれたメーカーで、とても親しみが持てました。

_ 玉青 ― 2016年01月11日 09時57分11秒

ご教示ありがとうございます。
なるほど、あの大きな目玉はやっぱり生粋の真空管なのですね。そして、無数の目玉にひとたび火が入れば、らんらんと輝き出し、ヒトの目玉と同様、光子を受け止めて電気を発する…

そう思って、(スーパー)カミオカンデを脳裏にかべると、なんだか、昔、妖怪図鑑で見た「百々目鬼(どどめき)」というのを思い出します。いわば幽霊粒子を妖怪が捕える図…ですね。

_ S.U ― 2016年01月11日 15時07分45秒

>幽霊粒子を妖怪が捕える図
この妖怪を妖術を心得た少年が操縦したなら、、まさに水木しげる先生の世界でしたね。

_ 東京大学宇宙線研究所の元研究員 ― 2016年09月09日 18時49分55秒

光電子倍増管は輝きません。そもそも光子を捉えるのに光子を放出するのでは本末転倒です。

_ metego ― 2016年09月11日 00時07分26秒

「らんらんと輝き出し」というのは、人が活力を得たときにその目が輝き出す様子からの喩えですよね。目が光を電気信号に変換していることとかけていて、上手な喩えだと、私はそのように読みました。無粋な解説で恐縮ですが。

_ S.U ― 2016年09月11日 07時27分44秒

「ひとたび火が入れば」という言葉があるので、「らんらんと」は最初のコメントでご紹介した「フォトマルに火を入れる」ということばの「縁語」になっています。私は、この「火」から石炭のオレンジ色の輝きのようなものをイメージします。

 光電子増倍管に高電圧をかけることを「火を入れる」と言っているのを聞いたのですが、実際には火はでません。火が出るくらい放電したら不良品で使えないことになります。でも、若干の「暗電流」というマイクロアンペアで測る程度の電流が流れ出して「火が入った」という感触とともに緊張感を持ちます。元来は、本当に光るヒーターを持つ真空管のイメージか、あるいは鉄工所などの炉に喩えた言葉だと思います。

 東大宇宙線研の先生方に教えてもらって光電子増倍管の性能の研究をしたことがあります。たぶん今はもう引退されていると思いますが、私にはその先生方がこの言葉を使われたかどうか記憶にありません。かつては狭い業界だったので宇宙線研でも使われたのではないかと想像します。

_ 玉青 ― 2016年09月12日 06時36分17秒

○皆さま

お返事が遅くなり、申し訳ありません。
でも、これなら管理人抜きでも十分ブログが続きそうな気配ですね。(^J^)

目の輝きの一件、光電子倍増管が光子を発することはないにしろ、虎視眈々とニュートリノの飛来に「目を光らせている」…というような意味合いでご理解いただければ幸いです。

でも、書きながらふと思ったんですが、光電子倍増管は正面から光子を受け止めて、お尻から電気を発するんですよね。ということは、逆にお尻に電圧をかけてやると、目玉から光を発する…という風には出来てないんでしょうか。まあ、出来てないのかもしれませんが、でももしそうだったら、人間の眼球も、視神経に電気を逆向きに流してやると瞳孔からポッと光が出るといいのになと思います。

ちょうど今の自分みたいに、ウンウン唸りながら脳の活動が頂点に達した瞬間、その電気活動の一部が視神経を伝わって網膜に達し、目の玉から光が発せられる…そしてそれが蛍火のように遠くの宇宙からも観測される…なんて、ちょっと悪くない趣向だと思います。(こんなことを考えるのは、口では忙しいと言いながら、実はヒマなのかもしれません。まだまだ目から光を発するには至らないようです・笑)

_ S.U ― 2016年09月12日 12時29分36秒

>逆にお尻に電圧をかけてやると、目玉から光を発する…という風には

 あぁ、こういうアイデア大好きです。子供の時、プラモデルに電池を逆に入れるとマブチモーターが逆に回って、自動車の模型がバックしてたいそう感激しました。それでは、っと思って、テープレコーダーの電池を逆に入れると、テープが反転して音の時間反転が聴けるかと思いましたが、そうはならず、まったく回りませんでした。残念・・・ 

 盆も正月もないほどお忙しい時に脳天気に詳細のご説明は極めて不適切ですが、実はこの問題は深いです。光子、電子1個1個のレベルでは電磁気力のすべての法則で時間反転対称性が成り立つので、逆過程は同等に起こる理屈ですが、光電子増倍管は増幅機構(高性能のは1個の光子から1千万個くらいの電子が出ます)を持っていて、そこでエントロピーの増大とエネルギー消費が起こっているので、逆過程は容易には起こりません。というか、膨大な数の電子の内でたまたま「逆走」した電子がいてこれが光を少しでも出すと、またその光が電子になって電気信号がいつまでも止まらないことになって使えないので、そういうことは起こらないように工夫して作られております。

 次に、高電圧をプラスマイナス逆向きにかけると、光電子増倍管はテレビのブラウン管のようになって光ってもよい理屈ですが、内部の物質や電極の形が違うので、やはり光らないと思います。一般に、半導体や真空管の電極に逆電圧をかけるのは、異なる動作を期待するには意味のあるアイデアです。物理法則自体は電気のプラスとマイナスで対称なのですが、地上の物体は電子と陽イオンが対称ではない(質量が数千倍以上違う)ので、同じような動作はしません。反物質(電子と陽電子)なら同じですけど・・・
 深いでしょう。お忙しい時に本当に不適切ですみません。こういう問題大好きで止まりませんでした。このコメントはうっちゃっておいてください。

_ 玉青 ― 2016年09月14日 06時58分39秒

ご説明ありがとうございます。
まこと海のように深く、空のように高いです。

>電池を逆に入れる

あはは。やりましたね。
子どもの頃、コンセントを逆に挿すと動作が反対になるという噂もありました。

>物理法則自体は電気のプラスとマイナスで対称…地上の物体は電子と陽イオンが対称ではない(質量が数千倍以上違う)

なるほど、陰陽二気説がうまくいかなかったのはそれか!
…というのは、たぶん間違った理解でしょうが、でも一瞬そんな気がしました。(^J^)

ときに「目玉」の話なんですが、どうも私の目玉は性能が良くなくて、S.Uさんが書かれた「光電子‘増倍’管」を、私はずっと「光電子‘倍増’管」と読み違えていたことに、さっき気付きました。これは、その世界に身を置いて、「ぞーばいかん」という音に接している方には起こりえない間違いでしょうが、私のように文字でしか知らない者は、往々にしてこういう過ちを犯します。ここに告白し、訂正しておきます。

_ S.U ― 2016年09月14日 20時55分39秒

>なるほど、陰陽二気説がうまくいかなかったのはそれか!
 ははは、次から次へと私が一笑に付して看過できないようなアイデアを持ち込まれますね。しかたがないから調べましたが、日本の江戸時代で、陰陽二気説を西洋科学の電気のプラスマイナスに当てはめた例はないようです。帆足万里あたりは二アミスではありますが、おそらく、これは時代的なもので、クーロンやアンペールやファラデーの電磁気学が日本に入ってくる頃には、陰陽二気説は窮理学においてすでに信頼を落としていたのだと思います。

>「光電子‘倍増’管」
 おぉっ、確かに玉青さんのコメントをよく見ると、「光電子‘倍増’管」となっていますね。私の目も相当怪しく、これらをすべて「光電子‘増倍’管」と読んでいて気がつかなかったことを告白せねばなりません(笑)。良く言えば自発的修正機能が働いたということです。

 これまた今気づいたのですが、「倍増」、「増倍」、似たような意味ですが、倍増はほぼ2倍に限られますが、増倍は何倍でもいいですね。「フォトマル」の「マル」は動詞では"multiply"で"double"ではないので、「増倍」が正しい訳になっています。

_ 玉青 ― 2016年09月18日 15時25分06秒

>陰陽二気説を西洋科学の電気のプラスマイナスに当てはめた例

お調べありがとうございます。
残念、ありませんか。
でも何となく明治のトンデモ本あたりに、そういう怪説を述べたものがありそうな気配もありますね。当時流行の電気療法と、古来の陰陽二気の説を結びつけて、庶民を煙に巻いて、ついでに金も巻き上げようと企んだ人とか、いかにもいそうです。

_ S.U ― 2016年09月18日 18時39分56秒

>でも何となく明治のトンデモ本あたり
 ははは、何となくありそうですね。もし、日本の初出と思われるものが見つかりましたらぜひご教示下さい。こういう人たちは時代を超えて存在するので、現代でもいるかもしれません。現代のは特に興味ありませんけど。

>電気療法と、古来の陰陽二気の説を結びつけて、庶民を煙に巻いて、ついでに金も巻き上げようと
 ある意味、日本のパイオニア平賀源内にしてすでにこの方向の人でした。でも、彼はエレキテルについては、自分で開発復元して実際に客に触らせ、幸か不幸か物理学は知らずにガルバーニの生物電気あたりの説明を陰陽説に結びつけていたので、インチキの領域には入らずに済んでいるようです。

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