理科室アンソロジー(6)…長野まゆみ『天体議会』2006年10月19日 06時49分19秒

このシリーズは、どうも字ばかりで恐縮です。今しばらくお付き合いください。アンソロジーの方は、一応あと3回で「第1期」が完結の予定です。

さて、今日登場するのは、理科室そのものではありません。が、理科室以上に理科室趣味の漂う空間です。

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○長野まゆみ著 『天体議会』(河出文庫、1994; 初出は「文藝」誌、1991)
 第1章 「鉱石倶楽部」より

「彼らの行くところといえば、ただひとつにきまっていた。放課後、必ずといってよいほど足を向ける鉱石倶楽部のことだ。名前のとおり、鉱石や岩石の標本、結晶、化石、貝類や昆虫の標本、貝殻、理化硝子などを売る店で品揃えは驚くほど雑多で豊富だった。この倶楽部で一日じゅう暇をつぶす蒐集家のため、麺麭(パン)や飲みものを注文できる店台(カウンター)もあった。

〔…中略…〕

水蓮は軽く銅貨の肩を叩き、扉の把手を回した。まもなく彼らは天竺の黄ばんだ窓掛け越しの光で、うっすらと明るい鉱石倶楽部の床の上に立った。人気はなく、しん、と鎮まっている。天井は伽藍のように高く、よく磨かれた太い柱で支えられている。柱は濃い朱色をしており、見たところでは石材か木製か判別しにくいが、手を触れてみれば芯まで冷たく、石でできていることがわかる。

回廊をめぐらした二階があり、欄干は浮彫りの唐花模様を施した重々しい構造(つくり)で、花崗岩(みかげ)の床や天窓のある建物に、妙に合っていた。中央に、これも欄干に合わせて木製の階段が迫りあがるように急な勾配で二階までのび、昇りきったところに、幾何学模様の重厚な布が吊るしてある。或る種、博物館のような黴くさい雰囲気と、ガラン、とした広さが同時にあった。硝子戸棚や陳列台は互いに重なり合うように並んでいる。

標本やレプリカ、さまざまな模型やホルマリン漬けの甲殻類などが、硝子戸棚に詰めこまれている。扉を開けた途端、荷崩れしそうな具合で、机の脚の下や階段の下には未整理のまま、荷箱に入れてあるだけの鉱石や貝殻が、数えきれないほど放置してあった。

はじめのうち、未整理品を包む新聞紙の洋墨(インク)と天竺に塗布した糊のまざりあったにおいがしていたが、やがて奥のほうから珈琲の香薫(かおり)が漂ってきた。濾過器から滴の落ちる音や、薬罐から蒸気の噴き出す心地よい音が、静かに戸棚の硝子を震わせた。」

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作者の長野まゆみ氏(1959~)は、独自の文体で繊細な少年世界を描く作家です。特にその初期には、宮沢賢治の影響を強く受けた、理科趣味に富んだ佳品が多く見られます。臨任の理科教師と生徒たちとの交歓を、滋味豊かに描いた『夏帽子』、鉱石写真に奇抜でフィクショナルな解説文を添えた『鉱石倶楽部』など。

もちろん『天体議会』もその代表作。戦前のようでもあり、近未来のようでもある、不思議な世界が舞台です。「天体議会」と名づけた天文クラブに集う少年たちが織り成すストーリー。

作者は、近年、少年愛(フィジカルな部分も含め)を主要テーマとした作品に傾斜し、ファンの間からも疑問の声が上がっていますが、その初期の作品世界の輝きが失われることはありません。

それにしても、実際こんな店があったらいいでしょうねえ。採算は取れないかもしれませんが。

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