素顔ノ甲虫女王、現ハル! ― 2010年06月20日 10時28分01秒
ジョバンニの記事を書きあげて朝食の席につき、おもむろに朝刊を開いたら、ワールドカップ報道のかたわらに、「えっ」と驚く記事が。
これは捨ててはおけないので、今日は2連投です。
これは捨ててはおけないので、今日は2連投です。
自ブログをキャプチャーするのもどうかと思いますが、こんな記事が1年前あったのを覚えておいででしょうか。
内容は、ジェシカ・オーレックという人が制作した、日本の昆虫趣味に取材した奇怪なアメリカ映画、“Beetle Queen Conquers Tokyo”の紹介でした。記事を書いたときは、これは本気なのか、パロディなのか、制作意図をはかりかねていました。
そのジェシカさんが、今日の朝日新聞の「ひと」欄に登場し、映画制作の背景を語っています。(ジェシカさんて、こんな妙齢のご婦人だったんですね。)
+++++++++++++++++++++(引用ここから)+++++++++++++++++++++++
屈折した昆虫少女だった。緑豊かなルイジアナ州やコロラド州で育
ち、幼稚園に入る前から大の虫好き。なのに、お気に入りの昆虫やヘビ
の皮を見せると、友だちも先生も露骨に不快な顔をした。
「虫好きは米国ではすごく肩身が狭い。だれも家で虫なんか飼わない
し、デパートに売り場はない。変わり者扱いされるのが嫌で、中学以降
は昆虫趣味を隠しました」
日本の昆虫熱を知ったのは2006年暮れ。博物館の講座で「大昔か
らトンボやチョウをめでた国。今でも昆虫をペットとして飼う」と知り、
脳天がしびれた。そんな夢のような国が地球上にあったんだ!
にわか仕込みの日本知識と大学で習った撮影技法を携えて、07年夏、
初めて日本を訪ねた。2カ月の間に日光、東京、静岡、大阪、京都、兵
庫・たつのをめぐった。
ごく普通の人々がスズムシとキリギリスの羽音の違いを識別できるこ
とに驚嘆し、ホタルを悲恋の象徴と感じる文学性にクラクラした。高級
車フェラーリに乗る昆虫業者に頼み込んで採集にも同行した。
なぜ日本ではこれほど虫が愛されるのか。古事記や源氏物語まで調べ
てたどりついた結論は「もののあはれ」だ。「日本の人々は虫たちのは
かない生命に美を感じることができる。米市民にはその文化がない」
初監督作品「カブト東京」が米国で公開中だが、客足はさえない。日
本で上映する方策を探っている。(文・山中季広 写真・坂本真理氏)
【朝日新聞 2010年6月20日】
+++++++++++++++++++++(引用ここまで)+++++++++++++++++++++++
本当に、本気で、まじめに作った映画だったとは!
アメリカには昆虫文化がほぼ完全に欠落しているようですね。
なるほど、それならば日本が驚異の国に見えても不思議ではありません。
我あめりか文化ヲ誤解セリ。
まあ、それにしても過剰解釈の入った変な映画であることには変わりがなく、日本で上映しても客足が伸びるかどうかは定かではありません。
コメント
_ ふさ ― 2010年06月20日 13時35分32秒
_ S.U ― 2010年06月20日 16時41分17秒
関係ないかもしれないけど、ちょっと思いついたことです。
昨今のワールドカップサッカー大会で、ハエのような音がブブブブ鳴ってますが、これを西洋の一部の国では耐え難いほど五月蝿いのかテレビ放送でカットして放送するそうです。日本ではそういう話を聞きませんし、私もそれほど苦になりません。これも、よく言われる日本人と西洋人の昆虫の音に対する感覚の違いに属するものではないでしょうか。
昨今のワールドカップサッカー大会で、ハエのような音がブブブブ鳴ってますが、これを西洋の一部の国では耐え難いほど五月蝿いのかテレビ放送でカットして放送するそうです。日本ではそういう話を聞きませんし、私もそれほど苦になりません。これも、よく言われる日本人と西洋人の昆虫の音に対する感覚の違いに属するものではないでしょうか。
_ 玉青 ― 2010年06月20日 20時14分47秒
○ふさ様
ああいう国ですから、いったんマニアになると、徹底的にマニアになるのかもしれませんね。裏返せば、「マニア」という形でしか昆虫好きの存在が許容されていないのかも。日本のように親子で虫を飼って観察日記を書くような、日常に埋め込まれた微笑ましい光景はあり得ない社会なのでしょうか。その辺の米国の虫事情を、日本人の目で逆取材したら面白そうですね。
○S.U様
ブブゼラ、たしかに虫の羽音に聞こえますね。さすが「昆虫愛」の日本人でも、耳に心地よい音とまでは言えませんが、たしかに一部の国家にくらべ耐性はありそうです。特定の音への好悪というのは、ヒトという生物種にプリセットされているようにも思うのですが、意外に後天的な、文化の影響が大きいというのも興味深い点です。
ああいう国ですから、いったんマニアになると、徹底的にマニアになるのかもしれませんね。裏返せば、「マニア」という形でしか昆虫好きの存在が許容されていないのかも。日本のように親子で虫を飼って観察日記を書くような、日常に埋め込まれた微笑ましい光景はあり得ない社会なのでしょうか。その辺の米国の虫事情を、日本人の目で逆取材したら面白そうですね。
○S.U様
ブブゼラ、たしかに虫の羽音に聞こえますね。さすが「昆虫愛」の日本人でも、耳に心地よい音とまでは言えませんが、たしかに一部の国家にくらべ耐性はありそうです。特定の音への好悪というのは、ヒトという生物種にプリセットされているようにも思うのですが、意外に後天的な、文化の影響が大きいというのも興味深い点です。
_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2010年06月20日 22時31分00秒
この映画,是非鑑賞したいところです.
文化昆虫学の世界でも,日本人は昆虫に対して特別な思い入れをいだく(自然を愛でる)とされており,日本文化における昆虫の役割は大変注目されています.ただし,日本人は(昆虫にかぎらず)自然界に存在するごく一部の種のみを注目し,日本人の自然観にはどこかモラルや生態学的な意識にかけると某アメリカ人の論文では紹介されていました.モラルについては,文化的価値観の違いからそのような結論に達したのかもしれませんが,生態学的な意識にかけるというのは案外あたっているのかもしれません.
文化昆虫学の世界でも,日本人は昆虫に対して特別な思い入れをいだく(自然を愛でる)とされており,日本文化における昆虫の役割は大変注目されています.ただし,日本人は(昆虫にかぎらず)自然界に存在するごく一部の種のみを注目し,日本人の自然観にはどこかモラルや生態学的な意識にかけると某アメリカ人の論文では紹介されていました.モラルについては,文化的価値観の違いからそのような結論に達したのかもしれませんが,生態学的な意識にかけるというのは案外あたっているのかもしれません.
_ とこ ― 2010年06月21日 00時02分47秒
虫の音や、音に対する意識は文化というより言語圏の違いだというのを『右脳と左脳』という本で読んだ記憶があります。日本語というのは特殊な言語で、それと同じカテゴリーに属するのはミクロネシア(だかどこだったか太平洋の島の一部)のある言語のみだそうです。昆虫をめでる文化もあるいは、それに起因するのかもしれません。
_ かすてん ― 2010年06月21日 18時15分42秒
神道的なアミニズム、仏教的な輪廻転生が混在したところに日本人と虫との関係があるのではないでしょうか。地にも水にも神が居るくらいですから虫に神が居ないはずはありませんし、輪廻の途中のそれは私の死後の姿かもしれません。そういうことは日常意識しなくても、虫に接する時の態度に表れるのかもしれません。
_ 玉青 ― 2010年06月21日 18時58分28秒
○日文昆さま
記事を書きながら、日文昆さんのことを真っ先に思い浮かべましたよ。
文中に挙げた去年の記事からは、さらに「甲虫女王」の予告編へリンクが張ってあります。リンクはまだ有効でしたので、まだでしたら是非ご覧ください。
>日本人の自然観にはどこかモラルや生態学的な意識にかける
これはアメリカの某氏の仰る通りですね。
まあ、生態学などという新参の学問が生まれる遥か以前から、日本人は自然に親しんできたというのが真相なんでしょうけれども。
アメリカとイギリスを同一視してはいけないかもしれませんが、イギリスの場合は、19世紀の博物学ブームの折に、マニアの乱獲で国内の生態系に甚大な被害が出た反省もあって、今はサンクチュアリなどを作ってせっせと自然保護に励んでいるそうですから、英米もそう威張って言うほどのこともなく、その「エコ思想」はせいぜいここ100年間ぐらいの産物じゃないかなあ…と思います。「東西の国民性の違い」として論じるには、まだ熟しきってない感じですね。
ただ1つはっきりしているのは、ヨーロッパと日本では土地の生産性というか、植物の生育条件にかなり差があるので、日本人は自然(=生物群集)を「放っておけば自ずと湧いてくるもの」と思いがちなのに対し、ヨーロッパではそれほど自然のプロセスに頼り切ることができず、人為的保護の必要性をより意識化しやすかったという違いはあるかもしれません。
○とこ様
角田忠信氏ですね。うーむ、とこさんだから敢えて言ってしまいますが、氏の業績は残念ながら現在コメントするのが一寸難しい状況です。結果の再現性が低いという問題に加えて、何といっても著者の意図を超えて、ナショナリスティックな視点からの賛同と批判の渦に巻き込まれてしまったのが大きいですね。冷静な学問的検討の対象とするのが憚られる雰囲気があるようです。
日本の昆虫文化に及ぼした日本語の影響は、何だかありそうな気がしますが…ひょっとしたら因果関係が逆で、日本語の音韻体系は、毎日耳にする虫の声に影響されて成立したのかも。日本語のルーツは虫語だった!とか(笑)。
○かすてん様
まさにそうですね。神になったり、妖怪になったり、虫の民俗は多様ですね。日本人は情緒的に虫と親しんでいるだけではなくて、魂のレベルでも交感しているというのが、その「昆虫文化」の特徴なのでしょう。アニミズムも、輪廻転生思想も、因果応報の観念も、日本人と虫との関係を考える上で肝となるキーワードだと思います。
虫を面白半分にひねりつぶすと、「罰が当たるぞ」とか、「来世は虫に生れてくるぞ」とか、子供たちが脅かされて続けてきた時代が長かったので、ひょっとすると今でも日本人の意識の奥には、そういう観念が淀んでいるのではないでしょうか。かくいう私も、「蜘蛛の糸」の話を思い出して、何度か虫を助けたりしました。これで地獄に落ちても大丈夫(たぶん)・笑。
記事を書きながら、日文昆さんのことを真っ先に思い浮かべましたよ。
文中に挙げた去年の記事からは、さらに「甲虫女王」の予告編へリンクが張ってあります。リンクはまだ有効でしたので、まだでしたら是非ご覧ください。
>日本人の自然観にはどこかモラルや生態学的な意識にかける
これはアメリカの某氏の仰る通りですね。
まあ、生態学などという新参の学問が生まれる遥か以前から、日本人は自然に親しんできたというのが真相なんでしょうけれども。
アメリカとイギリスを同一視してはいけないかもしれませんが、イギリスの場合は、19世紀の博物学ブームの折に、マニアの乱獲で国内の生態系に甚大な被害が出た反省もあって、今はサンクチュアリなどを作ってせっせと自然保護に励んでいるそうですから、英米もそう威張って言うほどのこともなく、その「エコ思想」はせいぜいここ100年間ぐらいの産物じゃないかなあ…と思います。「東西の国民性の違い」として論じるには、まだ熟しきってない感じですね。
ただ1つはっきりしているのは、ヨーロッパと日本では土地の生産性というか、植物の生育条件にかなり差があるので、日本人は自然(=生物群集)を「放っておけば自ずと湧いてくるもの」と思いがちなのに対し、ヨーロッパではそれほど自然のプロセスに頼り切ることができず、人為的保護の必要性をより意識化しやすかったという違いはあるかもしれません。
○とこ様
角田忠信氏ですね。うーむ、とこさんだから敢えて言ってしまいますが、氏の業績は残念ながら現在コメントするのが一寸難しい状況です。結果の再現性が低いという問題に加えて、何といっても著者の意図を超えて、ナショナリスティックな視点からの賛同と批判の渦に巻き込まれてしまったのが大きいですね。冷静な学問的検討の対象とするのが憚られる雰囲気があるようです。
日本の昆虫文化に及ぼした日本語の影響は、何だかありそうな気がしますが…ひょっとしたら因果関係が逆で、日本語の音韻体系は、毎日耳にする虫の声に影響されて成立したのかも。日本語のルーツは虫語だった!とか(笑)。
○かすてん様
まさにそうですね。神になったり、妖怪になったり、虫の民俗は多様ですね。日本人は情緒的に虫と親しんでいるだけではなくて、魂のレベルでも交感しているというのが、その「昆虫文化」の特徴なのでしょう。アニミズムも、輪廻転生思想も、因果応報の観念も、日本人と虫との関係を考える上で肝となるキーワードだと思います。
虫を面白半分にひねりつぶすと、「罰が当たるぞ」とか、「来世は虫に生れてくるぞ」とか、子供たちが脅かされて続けてきた時代が長かったので、ひょっとすると今でも日本人の意識の奥には、そういう観念が淀んでいるのではないでしょうか。かくいう私も、「蜘蛛の糸」の話を思い出して、何度か虫を助けたりしました。これで地獄に落ちても大丈夫(たぶん)・笑。
_ とこ ― 2010年06月21日 19時46分19秒
おお、そうなのですねー!確かにちょっと選民主義的な匂いがしたのと、その他の(その後書かれた)資料には『右脳と左脳』で述べられていた説が全く出てこなかったので不思議だったのですが…。
ところで、ヴィアトリクス・ポターは子供のころ毛虫などをスケッチしていたというのを聞いて「蟲愛ずる姫だなあ」と思いましたが、この愛で方はむしろ博物学の方にカテゴライズされるのでしょうか。イギリスですし。
ところで、ヴィアトリクス・ポターは子供のころ毛虫などをスケッチしていたというのを聞いて「蟲愛ずる姫だなあ」と思いましたが、この愛で方はむしろ博物学の方にカテゴライズされるのでしょうか。イギリスですし。
_ 玉青 ― 2010年06月21日 20時55分23秒
ヴィアトリクス・ポターの生没年はと…ふむふむ、1868~1943年ですか。
となると、少女時代は博物学の全盛時代ですね。そして壮年期には博物学という学問の死を目撃し、それと入れ替わりに生態学と自然保護運動が成長するのを見守った世代になりますね。彼女の自然愛好癖は、成長とともにそのバックボーンが変わったのかもしれません。
ところで、今ウィキペディアを見て、「彼女は、地衣類が菌類と藻類の共生関係であることを提唱した最初の一人でもあった」とあるのを読んでビックリしました。筋金入りのナチュラリストだったんですね!
となると、少女時代は博物学の全盛時代ですね。そして壮年期には博物学という学問の死を目撃し、それと入れ替わりに生態学と自然保護運動が成長するのを見守った世代になりますね。彼女の自然愛好癖は、成長とともにそのバックボーンが変わったのかもしれません。
ところで、今ウィキペディアを見て、「彼女は、地衣類が菌類と藻類の共生関係であることを提唱した最初の一人でもあった」とあるのを読んでビックリしました。筋金入りのナチュラリストだったんですね!
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_ 茶色レンジャー - 2010年07月08日 10時47分53秒
かなり前の朝日新聞にジェシカ・オーレックさんという昆虫好きのアメリカ女性が載っていました。ちょうど同い年ということもあり、非常に��...
米国は昆虫にあまり興味が無いのですね。
私の学校の米人教授も昆虫マニアなので、好きな人は過剰に好きになる国なのかもしれません。