ローエル、日本、フランス ― 2013年12月21日 10時58分18秒

(パーシヴァル・ローエル Wikimedia Commonsより)
パーシヴァル・ローエル(Percival Lowell、1855-1916)の名は、火星、冥王星と分かちがたく結びついています。前者は筋金入りの運河論者として、また後者はその発見プロジェクトを強力に推進した者として。
彼の死後(1930年)に発見された新天体が「Pluto」と命名され、PとLを組み合わせた惑星記号を与えられたのも、彼のイニシャルにちなむ…というのは有名な話です。

(冥王星の惑星記号)
彼は良くも悪くも夢と信念に生きた天文家だったと思います。
彼は良くも悪くも夢と信念に生きた天文家だったと思います。
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さらにローエルは知日家として知られ、前後5回にわたって明治の日本に滞在しました。その縁から日本には「日本ローエル協会」という団体があり、ローエルの顕彰や研究が続けられています。
彼の日本への興味は、もっぱら文化や民俗に対する関心に基づくもので、その方面の著書は、『極東の魂』、『能登 ― 人に知られぬ日本の秘境』のタイトルで邦訳が出ています。さらに、これまで邦訳がなかった主著 『Occult Japan or the Way of the Gods』(1894)も、ついに『神々への道―米国人天文学者の見た神秘の国・日本』(国書刊行会)として、今年の10月に出版され、さらに本書に宗教民俗学的解説を加えた『オカルト・ジャパン―外国人の見た明治の御嶽行者と憑依文化』(岩田書院)も時期を同じうして出るなど、没後100年を控えて、今ちょっとしたローエル・ブームの様相を呈しています。

『神々への道』を翻訳された日本ローエル協会の平岡厚氏から、同書をお送りいただき(私個人あてではなく、日本ハーシェル協会にご恵贈いただいたものです)、私もさっそく拝読しました。
この本は、神道系教団(神習教)や日蓮宗の儀式における憑依現象(神がかり状態)や変成意識状態を、参与観察をまじえて調査研究したもので、その分析の道具立ては、当時の心理学や生理学的知見ですから、いわゆる「オカルトもの」ではありません。
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ローエルのこの本を持ち出したのは、このところ記事の流れがフランスづいていたからです。…というと、いかにも唐突ですが、この『神々への道』には、フランスに対する言及がいくつかあって、そのことをふと思い出したからです。
フランスといえばドイツと並ぶヨーロッパの大国であり、海峡をはさんでイギリスと対峙する国。歴史を顧みればフランク王国の一角として、まあ「西洋そのもの」と言ってもいい国だろうと思います。
ところがローエルは、フランスを西洋世界における異端児と見なしている節があります。たとえば、彼は「日本人は極東のフランス人である」という警句を引用していますが(邦訳192頁)、これは裏返せば「フランス人は西洋の日本人である」ことを意味しており、その精神構造の特殊性をほのめかす言い方です。
その特殊性とは、(ローエルに言わせれば)被暗示性の高さであり、憑依や催眠現象への顕著な親和性です。
フランス人も似たような利他的憑依の傾向を示す。彼等が比較的容易に影響されないのであったならば、メスマー〔…〕は、ウィーンで生計を立てられないこともなく、パリで流行児となることもなかったであろう。シャルコー〔…〕とナンシー〔…〕も現代催眠術の先駆的な名前になることもなかったであろう。(同203頁)
ローエルは、このように18~19世紀のフランスで名を成した催眠術の大家の名前を挙げつつ、「極東民族と女性とフランス人の精神」は「三種の同じ精神」であるとまで言い切っています(同)。さらに彼の筆は、以下のような驚くほど強い言葉でフランスをなじる方向に滑っていきます。
如何なる集団であれ、〔…〕集団全体もまた互いに相異なっている。フランス人とアングロサクソン人とは極めて身近な例を我々に提供してくれる。〔…〕あの偉大なる独創の人イギリス人は、あの猿真似フランス人を心から軽蔑しており、彼等の制度の恐るべき過激共和主義と、彼等が初めて会う人に胸襟を開く際の、あの驚く程不快な態度の、そのいずれの方に、より唖然として立ち辣むかには、自ら知る所がない。(同189-90頁)
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ローエルがこれほどフランス人を嫌った理由は、近親憎悪的なメカニズムによるのかもしれず、実はローエルこそ「アメリカのフランス人」であったのでは…と思わなくもありません。うがった言い方をすれば、彼が火星に運河を見つづけたことは、その被暗示性の高さを示唆するものでしょうし、また一生かけて火星人の存在を追いかけた頼もしい相棒こそ、ほかならぬフランス人のカミーユ・フラマリオン(1842-1925)だったことも、単に偶然とは言い切れないような気がします。
コメント
_ S.U ― 2013年12月22日 07時38分42秒
_ 玉青 ― 2013年12月22日 09時49分57秒
>自然信仰や多神感覚
たぶんローエルの関心は、より踏み込んで「日本のシャーマニズム」というテーマに限局されたものだと思います。日本と日本人をことさら神秘化するというよりは、当時の日本にあっては、それこそ能登でも東京の真ん中でも、いやでも目についた拝み屋さんとか、神下ろしとか、修験者とか、あるいは狐憑きの事例とか、そういう具体的事象に興味を覚えたということなのでしょう。
こうした研究の視点はその後も長く続き、カーメン・ブラッカーの『あずさ弓―日本におけるシャーマン的行為』(岩波、1979/原著1975)のような名著も出ましたし、日本人自身の手になる研究も多いと思います。ローエルはその「走り」として再評価されているということかもしれません。
まあ、それはそれとしても、彼がなんで突然フランス人を持ち出したのか解せないのですが、何か屈折したコンプレックスでもあったんでしょうかね…
たぶんローエルの関心は、より踏み込んで「日本のシャーマニズム」というテーマに限局されたものだと思います。日本と日本人をことさら神秘化するというよりは、当時の日本にあっては、それこそ能登でも東京の真ん中でも、いやでも目についた拝み屋さんとか、神下ろしとか、修験者とか、あるいは狐憑きの事例とか、そういう具体的事象に興味を覚えたということなのでしょう。
こうした研究の視点はその後も長く続き、カーメン・ブラッカーの『あずさ弓―日本におけるシャーマン的行為』(岩波、1979/原著1975)のような名著も出ましたし、日本人自身の手になる研究も多いと思います。ローエルはその「走り」として再評価されているということかもしれません。
まあ、それはそれとしても、彼がなんで突然フランス人を持ち出したのか解せないのですが、何か屈折したコンプレックスでもあったんでしょうかね…
_ S.U ― 2013年12月22日 16時15分30秒
あぁ、そういうことだったのですか。西洋の天文学者が日本のシャーマニズムに興味を持ったというのはちょっと意外でした。(米大陸やアフリカ大陸にもっと濃厚な宇宙哲学的なのがあると思いますので)
ローエルはモースの講演を聴いて来日を決意したとWikipediaに書いてありました。モース同様まず日本人の日常生活に興味を持って、それからシャーマニズムのほうに深いものがあるような気がして進んで行ったのでしょうか。それなら何となくわかるような気もします。フランス人についてはよくわかりませんが、ご引用を見ると人間関係で体良く丸め込まれたことでもあったように読めますが...
ローエルはモースの講演を聴いて来日を決意したとWikipediaに書いてありました。モース同様まず日本人の日常生活に興味を持って、それからシャーマニズムのほうに深いものがあるような気がして進んで行ったのでしょうか。それなら何となくわかるような気もします。フランス人についてはよくわかりませんが、ご引用を見ると人間関係で体良く丸め込まれたことでもあったように読めますが...
_ 玉青 ― 2013年12月23日 10時19分53秒
ははあ、個人的怨恨説ですね。世間にそうした例はままありますから、ローエルが某フランス人に痛い目に合された…というのもありうる話ですね(反対に良きフランスの友人に恵まれていたら、こんな書き方はしないでしょう)。ローエルの伝記を読む機会があれば、そんな視点で見てみたいです。
ところで、英語版ウィキのローエルの項を見ていたら、彼には『The Eve of the French Revolution』(1892)という著作があるのを知りました。彼のフランス(人)観は、そちらでたっぷり開陳されているかもしれません。
ところで、英語版ウィキのローエルの項を見ていたら、彼には『The Eve of the French Revolution』(1892)という著作があるのを知りました。彼のフランス(人)観は、そちらでたっぷり開陳されているかもしれません。
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ローエルの先輩に当たるアメリカから渡日した科学者であるエドワード・モースのコレクションの展覧会が東京であったので、先日見に行きました。こちらは何の買いかぶった神秘もなく、日本人の普通の生活の中の小さな驚きにスポットを当てていて、モースが日本で感じたことには何の違和感もありませんでした。おそらくローエルはもともと神秘主義者的なところがあり、いっぽうモースは無邪気で活発な性格の少年のような人で、似たような仕事をしてもほとんどは性格の違いから来ているような気がします。