神戸、OLD & NEW ― 2015年04月30日 21時35分56秒

昔の神戸と今の神戸。
この点について、昨日寝床の中で、さらに自分なりに考えてみました。
この点について、昨日寝床の中で、さらに自分なりに考えてみました。
もちろん今も「街の骨格」は残っています。
地形は変えようがありませんし、町割りだって大きな変化はありません。
町の顔である、古い建物もいくつも残っています。
異人館の並ぶ小道を歩けば、そこには「あの」神戸が今も健在のように思えます。
地形は変えようがありませんし、町割りだって大きな変化はありません。
町の顔である、古い建物もいくつも残っています。
異人館の並ぶ小道を歩けば、そこには「あの」神戸が今も健在のように思えます。
しかし、です。
もはや異人館に「異人さん」はいませんし、かつて異人さんたちを取り巻いていたモノや文化は、大方消えたとおぼしく、当時の闊達な「阪神間モダニズム」を下支えした経済基盤も、ずいぶんと様変わりしたようです。
もはや異人館に「異人さん」はいませんし、かつて異人さんたちを取り巻いていたモノや文化は、大方消えたとおぼしく、当時の闊達な「阪神間モダニズム」を下支えした経済基盤も、ずいぶんと様変わりしたようです。
この辺のことは、一寸大げさに言うと、ローマに喩えると分かり易いかもしれません。
ローマは今でも都市として繁栄を続け、豊かな文化を育み、街のあちこちに古代ローマの遺跡が残っています。しかし、古代ローマと現代ローマ、これら二つの都市を動かしている論理やシステムは全く別のものです。二つの都市は同じ空間を共有しているものの、基本的に別の都市と考えた方がすっきりします。
戦前の神戸と現代の神戸も、ちょうどそんな関係にあるとは言えないでしょうか。
とは言え、古典に親しみ、ローマの詩人を崇拝する人が、ローマを訪問せずにはおれないように、タルホの描く神戸に憧れる人は、神戸へと自ずと足が向くはずです。何と言っても、そこは依然として「あの世界」に一番近い場所であり、その入口であることは間違いないのですから。
(「神戸のことを何も知らない」と書いたそばから、エライ神戸通ぶってるじゃないの…と自分でも思いますが、まあ、よそ者の無責任な感想と思って、お聞き捨てください。)
コメント
_ S.U ― 2015年05月02日 08時18分50秒
_ 玉青 ― 2015年05月03日 19時44分26秒
文化のシステムが連続しているか、切断されているか。
ローマは完全に切れてしまいましたね。
神戸の場合、失われたものに注目すると、全く別の都市のようにも思えますが、しかしこの辺は三都も似たりよったりかもしれませんね。一方、連続している部分に注目すれば、なかなかどうして、その気風はしっかり受け継がれているようでもあり、頼もしいことです。
ローマは完全に切れてしまいましたね。
神戸の場合、失われたものに注目すると、全く別の都市のようにも思えますが、しかしこの辺は三都も似たりよったりかもしれませんね。一方、連続している部分に注目すれば、なかなかどうして、その気風はしっかり受け継がれているようでもあり、頼もしいことです。
_ (未記入) ― 2015年05月21日 23時01分44秒
市内に在住の者です。いつもブログを拝見しております、今回はじめてコメントを投稿します。
確かに昔の神戸と今の神戸は違いますが、変わらないものやふとしたときに再現されるものもありますよ!
ハロウィーンの日が落ちる時刻に、異人館通りで「異人さん」の仮装行列を偶然見かけてそう感じました。
遠くから来られた方にはもっと沢山お気づきになられたそれらしい点があったかもしれませんが…
確かに昔の神戸と今の神戸は違いますが、変わらないものやふとしたときに再現されるものもありますよ!
ハロウィーンの日が落ちる時刻に、異人館通りで「異人さん」の仮装行列を偶然見かけてそう感じました。
遠くから来られた方にはもっと沢山お気づきになられたそれらしい点があったかもしれませんが…
_ 玉青 ― 2015年05月22日 22時04分23秒
ご笑覧並びにコメント、ありがとうございます。
神戸にお住まいなのですね!
神戸はただでさえ素敵な街ですが、灯ともし頃には一層夢を誘う「何か」を感じます。深夜の神戸ともなれば―たいてい歩き疲れて眠っているので未体験ですが―、人通りの絶えた山手のあちこちから、戦前の神戸の魂が甦り、それこそタルホ的な不思議な事件に遭遇するんじゃないか…という予感がします。ひときわ闇の濃い、ハロウィーンの頃に、無言でコツコツ徘徊してみたいですね。そんな願望を抱きつつ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>
神戸にお住まいなのですね!
神戸はただでさえ素敵な街ですが、灯ともし頃には一層夢を誘う「何か」を感じます。深夜の神戸ともなれば―たいてい歩き疲れて眠っているので未体験ですが―、人通りの絶えた山手のあちこちから、戦前の神戸の魂が甦り、それこそタルホ的な不思議な事件に遭遇するんじゃないか…という予感がします。ひときわ闇の濃い、ハロウィーンの頃に、無言でコツコツ徘徊してみたいですね。そんな願望を抱きつつ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>
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いずれにしても、現代のローマで、仮に古代ローマ風の劇や格闘技をしてみても、内容は、現在のものであり、おそらく過去と現代の二重奏のようなものにしかならないと思います。以前に、エジプトのルクソールだったかで行われたオペラ「アイーダ」のビデオを見ましたが、そんな複雑な感じがしました。もちろん、それが良い悪いと直ちに言えるものではありませんが、少なくとも素直にマッチするものにはならないということです。
いっぽう、例えば、現在の京都のお寺などの屋外で能をやりますと、おそらく自然に数百年の昔にタイムスリップしてしまうと思います。やはり、当時のシステムが現代人の心に生きているかどうかが大きいように思います。
神戸はどうなのでしょうね。当然、神戸の人の心にはまだ当時のことが生きていると思いますが、どういう機会にそれが垣間見られるものなのでしょうか。