「見えないものでもあるんだよ」…簡単に赤外線を捕捉する方法とは?2010年08月02日 20時16分52秒

(↑ハーシェル赤外線宇宙望遠鏡。ヨーロッパ宇宙機関のサイトより)

今日の記事は番外編です。

   ★

「見えない光」というのは、昔の人にとっては完全な形容矛盾であり、何か特殊な比喩としか感じられなかったでしょう。しかし、18世紀の末に、天文学者のウィリアム・ハーシェルは、ふとしたきっかけで赤外線を発見し、文字通り「見えない光」が存在することを実証しました。

   ★

ここで話はぐんと飛躍しますが、ヒトの心を急速に進化させたのは、何か目に見えないモノなり、力なりが、この世に満ちているという観念ではなかったでしょうか。

その先駆けは「空気」だったと思います。
空気の存在を知ったヒトは、ただちに呼吸と生命活動の関連に気付き、そこから「生気」という観念が生まれ、さらに複雑な宗教思想や哲学が次々と発展して…という塩梅ではなかったかなあと想像します。幼い子どもが、風車や風船を喜ぶのは、そういう祖先の心の歩みをなぞっているのかもしれませんね。

あるいは、重力や磁力の概念なんかもそうでしょう。これらは人間の心に深刻な葛藤を引き起こしましたが、同時に、それに正面から立ち向かったことで、科学は長足の進歩を遂げました。もちろん、エーテルや動物磁気のように、途中で捨て去られた観念もあるわけですが、それらも全く無駄だったわけではなく、別の観念へと止揚されたと見るべきでしょう。

   ★

さて、胡散臭い駄法螺はこれぐらいにして、赤外線の話にもどります。

不思議な、目には見えない光の存在を、ハーシェルにならって実証するには、どうすればよいのでしょうか?それも、身近な道具を使って、小学生でも簡単にできるようなデモンストレーションを工夫するとしたら、どんな方法が一番簡単でしょう?

このブログをお読みの方には、理科好きの方が少なくないと思いますが、この件についてアイデアをお持ちの方、ぜひ以下の掲示板の議論を一読の上、そちらにお書き込みいただければ幸いです(匿名書き込み可)。

ちなみに、現在進行形の論点は、<CD分光が手軽だけれども、CDによる反射光では、赤外部の内外の温度差を測定するには、ちと心もとない>ということです。

■日本ハーシェル協会のTea Room http://6615.teacup.com/hsj/bbs 

   ★

以上、いささか公私混同気味のお願いですが、各位とも何分よろしくお願いいたします。

コメント

_ とこ ― 2010年08月02日 22時21分26秒

赤外線の検出には、ラジオメーターが用いられますが、羽がくるくる回るラジオメーターって、使えないですかねえ。回転速度に差が見られれば見た目にわかりやすいと思いますが…。
あとはIRフィルムで写真を撮るとか。

X線だと霧箱がすぐ思いつきました。

掲示板をパラ読みしてぱっと思いついたことなので、見当違いだったらすみません。

_ 玉青 ― 2010年08月03日 07時39分03秒

ああ、ラジオメーターは分かりやすいですね。
どこの家庭にもあるものではない点がやや難ですが、供覧実験の道具としては良さそうです(子ども受けしそう)。あとは、太陽光(→ハーシェルにならって太陽光を光源にしましょう)の中から、赤外線だけをうまく集光して、ラジオメーターに当てる方法を考えたいのですが、うーむ何か妙案は……(腕組み)

IRフィルムは…とこさん、ちょっとハイテク(?)に走り過ぎ。もっと素朴に行きましょう(笑)。赤外線の存在を前提に作られた製品を使うのは、一応禁じ手ということで。

*********

さて、以下はついでの独り言です。

この件のややこしいところは、「熱線」の概念ですね。
熱と光の関係は、わりと最近まで混乱していて、かくいう私も子どもにうまく説明できるかというと、ちょっと怪しいところがあります;。熱線の証明はわりと簡単にできると思うのですが、「でも、それは何か熱を伝えるものであって、光とは違うんじゃないの」と言われると、グッとつまるところがあります。

ハーシェルの素朴な実験は、素朴なだけに説得力があります。
「ほら、見て下さい。光の7色のスペクトルを温度計ではかると、色によって程度は違うけれども、光の当たったところは、みな温度が上がりますね。こちらの光の当らないところは変化なしです。でも、この赤色スペクトルのすぐ外側、ここに温度計を置いてみてください。ほら、ぐんぐん目盛りが上がるじゃないですか。いったいこれは何でしょう?ここには何か目に見えない光があるんじゃないでしょうか?」
これも理屈としては、ちょっと突っ込みたいところはありますけれど、でも一見して分かりやすいですね。

U氏の考察によれば、CDで作った虹では、どうもグングン目盛りが上がるところまでは行きそうにありません。となると、手近な道具で強力なプリズムを作る方法が、この実験の要だということになるわけですが…いや、そう決めつけるのは早計で、ひょっとしたら発想を変えれば、別の角度から解決できるかも…

(私のアイデアは、100人の子どもが手に手にCDを持って、100個の虹を重ね合わせるというものです。)

_ S.U ― 2010年08月03日 07時47分41秒

>胡散臭い駄法螺
 ご謙遜とは裏腹にたいへん考えされられるものでした。

 思えば近代科学は「見えないものでもあるんだよ」と「見えないものは無いのと同じだよ」の葛藤をてこにして進歩を続けたと言えると思います。この葛藤は根が深く現在も解決していません。これが解決する時は科学が完了する時だ、といったら大げさ過ぎますでしょうか。

_ てら ― 2010年08月03日 22時15分00秒

見えない光があるということを最も簡単に現代っ子にアピールするには、テレビのリモコンの先を携帯電話ののカメラで見ながらリモコンを押してみるのがよろしいかと。
我々、元科学少年には味も素っ気もないですが・・・

_ 玉青 ― 2010年08月03日 22時25分44秒

駄法螺を持ちあげていただき、一寸こそばゆいです(笑)。

ところで、「見えないものは存在しない!」と言い張るのも困りますが、「見えるものはあるはずだ!」というのも、時と場合によりけりですね。世の中には「その人だけに見える」ものも、結構あるようですから。

Seeing is believing という言い回しがありますが、考えようによっては、ヒトの認識は全てbelieve に還元されかねないわけで、その辺が科学(ないし科学哲学)の周辺にもやもやと広がる、いわく言い難い部分かなあ…と駄法螺ついでに考えました。

_ 玉青 ― 2010年08月03日 22時42分33秒

○てらさま

え、いったいどうなるんですか?
…と思って、さっそくやってみたら、おお!はっきり写りますね。太陽のスペクトル云々はさておき、「見えない光がある」ということは、これ以上なく明瞭に分かります。いや驚きました。ご教示ありがとうございました。

(なんだか墓場に向けると、見えてはいけないものまで写りそうです…)

_ S.U ― 2010年08月04日 18時42分25秒

>科学哲学
またも国語教科書ネタの蒸し返しになって恐縮ですが、湯川秀樹氏の「知魚楽」を学校で読んだことを思い出しました。そのときは、科学者は見える物だけを信じるのが当然で、物理学者がずいぶん漢学者の寝言(失礼!)のようなことを言っているなあ、と思ったものですが、今日、↓読み返してみると、大科学者においても科学と直接関係ない人たちの世界観にとっても同様のごもっともな悩みに思えて、ほほえましく感じました。国語教科書の年を経る力はやはり侮るべからずです。

「知魚楽」の全文引用(あらしニモマケズ様)
http://arashi.ehoh.net/chigyoraku.html

_ 玉青 ― 2010年08月04日 20時32分44秒

湯川博士の飄々とした文章も、それをいぶかしんだS.U少年の怪訝そうな顔も、それぞれに興味深いです。まあ、今の感覚でいうと、荘子も恵子も「あの魚は楽しそうだねえ」「君は魚が羨ましそうだね」「うん。君はそう思わないか」「ああ、僕もそう思うよ」…と言えば、それ以上の議論にならない話ですけれども、何でもかんでも「共同主観」とか「間主観」とか言って澄まし込んでいるばかりが芸ではなし、ときには客観と主観について熱く論じるのもいいものですよね。(書いていて、我ながら意味不明。飲みすぎか?)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック