オー・ソレ・ミオ! ― 2013年04月17日 20時40分49秒
イタリアといえば、以前、こんなものを手に入れました。
これもジョバンニの教室をイメージしてそうしたのですが、結局出番がないまま、徒花で終わった品です。
これもジョバンニの教室をイメージしてそうしたのですが、結局出番がないまま、徒花で終わった品です。
(軸を除いたサイズは約96×64㎝。傷みが激しく、紙が真ん中で折れてしまっています。)
ご覧のとおり、画題は地球の公転と季節変化。
イタリア製の天文掛図はわりと珍しく、私が持っているのはこれだけです。
版元のAntonio Vallardi 社はミラノの出版社で、聞くところによると、今や260年以上の歴史を有する、とんでもない老舗だとか(1750年創業)。
印刷は砂目石版で、発行年は書かれていませんが、おそらく1910年代ころのものでしょう。
それにしても、この太陽はすごい。
別に各国の掛図を全部調べたわけではありませんが、でも、よその国だったら、太陽は単なる円盤か、あるいはそこに光を添えるにしても、こんなふうに太陽本体が見えないくらい光を描き込むことはしないような気がします。
別に各国の掛図を全部調べたわけではありませんが、でも、よその国だったら、太陽は単なる円盤か、あるいはそこに光を添えるにしても、こんなふうに太陽本体が見えないくらい光を描き込むことはしないような気がします。
(地球軌道を越えて伸びる太陽光の描写)
さんさんと降り注ぐ陽光に、どうしようもなくイタリアを感じます。
【おまけ】
下は明治時代の日本の掛図。「日出ずる国」でも、陽光はやや控えめです。
二度あることは三度ある…いよいよ深まる日食絵葉書の謎 ― 2013年04月20日 07時28分00秒
継続は力なり。
しつこく天文古玩的な品を買い、しつこくブログを続けていると、いろいろ「発見」があるものです。まあ、あまり世間の役には立たない発見ですが。
しつこく天文古玩的な品を買い、しつこくブログを続けていると、いろいろ「発見」があるものです。まあ、あまり世間の役には立たない発見ですが。
★
まずは、下の記事をお読みください。今から3年前の記事です。
日食をモチーフにした謎の絵ハガキを取り上げた内容で、上の記事自体、さらに4年前の記事をフォローしています。今回はさらにそのフォロー。(本当にしつこいですね。しかも今見たら、前回も「継続は力なり」とか書いていて、まったく成長がないというか、語彙が乏しいというか…)
(第1の絵葉書、ブリッジトン)
(第2の絵葉書、デトロイト)
さらに今回見つけた第3の絵葉書は、シカゴ生まれです。
前2者は未使用の絵葉書でしたが、今回は使用済みなので、ようやく発行年の手がかりが得られました。即ちスタンプによれば、この絵葉書は1914年4月に投函されています。当初想像したよりもだいぶ古いものでした。
では、シカゴで皆既日食が見られたのはいつかな?…と、前回もリンクを張ったNASAの日食地図(http://eclipse.gsfc.nasa.gov/SEmap/SEmapNA/TSENorAm1901.gif)を参照したのですが、1914年はおろか、20世紀前半にシカゴで皆既日食が見られた事実はないようです。あれれ?
すると、この絵葉書は最初から日食とは無関係だったのか…?
ひょっとしたら、ここに描かれているような、日食と女性の取り合わせは、当時の人にとって自明な、何らかのジョークや仄めかしに関連しているのかも…?
例によって、事情をご存知の方からのご教示をお待ちします。
★
一般的な話として、この手の絵葉書は「pennant postcard」と呼ばれることを、その後知りました。
検索した情報を切り張りすると、これは町や村の名前をペナント内に刷り込んだ、一種の「ご当地カード」で、第一次大戦の前あたり(1910年前後)にアメリカで特異的に流行ったものだそうです。中には、「felt pennant postcard」と言って、ペナントの形に切ったフェルトに地名をプリントし、それを厚紙に貼ったタイプもある由。
「ご当地カード」といっても、必ずしも各地のオリジナル・デザインではなく、多くの場合は、業者が用意した出来合いのデザインから適当なのを選んで発注をかけたそうで、この日食絵葉書のように、同じデザインのカードがあちこちにあるのはそのためです。
その機能、つまりどういう意図で、こういう絵葉書がやり取りされたのかは不明ですが、当時のアメリカでは、コミュニティ意識が非常に高揚していたのかもしれません(想像です)。
…というような歴史的背景を知ってみても、シカゴやデトロイトの衆が、いったいどんな思いを託して、こんな絵葉書を作ったのかは、依然謎。
謎の日食絵葉書、その謎は解けた! ― 2013年04月21日 05時47分42秒
昨日の絵葉書について、コメント欄で推理をお寄せいただいた皆さん、どうもありがとうございました。ついに謎が解けました。といっても、今回は全面的に他力本願です。このブログでもときどき話題にする、天文学史のメーリングリストに質問を投げたら、何人かの方が丁寧に教えてくれました。
実は、私は入り口の部分から間違えていて、この「 total eclipse 」は、皆既日食ではなく、皆既月食の意味でした。これは盲点。で、結論から言うと、この絵葉書は一種の艶笑カードで、ここでいう「月」とはズバリ「お尻」のこと。つまり、英語の moon には「お尻」の意味(婉曲表現)があり、さらに動詞で「ふざけて他人に尻を見せる」というスラングにもなるそうです。
(大殿筋を中心とする尻の構造と月)
右側の女性に注目すると、身体をかがめてストッキングをチラ見せしている彼女のポーズは、当時の物差しに従えば、お尻を誇示する扇情的なそれであり、その「月」が服に隠れて見えない状態を指して「皆既月食」と洒落てみた…ということのようです。
なるほど、7年越しの謎も、解けてみればあっけないものです。でも、スッキリしました。
天文学というお堅い学問を、こういう下ネタに使って、笑いをとったところが、この絵葉書の手柄なのでしょう。裏返せば、天文学とは、そういう俗な笑いの対極にあるものという一般の理解が前提としてあり(今でもたぶんそうでしょう)、だからこそ価値の転倒(=おちょくり)による可笑しみが、そこに生まれるのだと思います。
【補足】
あまり話をそっちに持って行っても何ですし、メーリングリスト諸氏もそこまではおっしゃいませんでしたが、実は「astronomy」は、「ass(尻)-tronomy」を利かせているのかも。
【補足2】
そういえば、ass…もとい astronomer のウィリアム・ハーシェルが発見した天王星。原語の「Uranus」は、英語式発音だと「your anus」に聞こえるというのは有名な話。
なんだか、話がそっちに行ってしまい恐縮ですが、思えば足穂氏も大のお尻好きでしたし、ここはひとつ野尻抱影翁と、輝星シリウスの名に免じてどうぞお許しください。
なんだか、話がそっちに行ってしまい恐縮ですが、思えば足穂氏も大のお尻好きでしたし、ここはひとつ野尻抱影翁と、輝星シリウスの名に免じてどうぞお許しください。
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(1) ― 2013年04月22日 06時19分41秒
先日、NHKの番組「探検バクモン」で、東大が東京駅前にオープンした新博物館・インターメディアテク の紹介があったこと、さらにNHKオンデマンドで、今もそれが視聴できること(有料)を、コメント欄で教えていただきました。
(参照URL http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130417.html)
(参照URL http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130417.html)
会員登録すると、105円で見逃した番組を見られるそうで、さっそく105円払ってじっくり眺めました。番組の方は前編・後編に分かれていて、今回放映されたのは前編です。後編の方は、今週水曜日の23時から放映されるので、興味のある方はぜひ。
以下、前編を見ての感想と、そこから連想したことです。
★
展示品には小石川から横滑りしたものも多く、一種の既視感、安心感がありました。
が、小石川の「驚異の部屋展」と違う点ももちろんあって、その最大のものが展示パネルの存在でしょう。
小石川では徹底して説明を排し、「文字情報を介さずにモノ自身と向き合うべし」という潔い姿勢で観客に臨んでいましたが、インターメディアテクでは、画面で見る限り、主要なモノには全部説明文が添えられているようです。
(番組映像より。上:巨鳥エピオルニスの化石、下:キャビネット中のこまごま標本。
いずれも、傍らに説明文が添えられているのに注目。)
小石川は、言うなればあの空間全体が、1つのインスタレーション作品でしたが、今度のインターメディアテクは、個々のモノの魅力を主とする「普通の博物館」に戻った…ということかもしれません。現館長の西野嘉章氏の歩みを振り返るとき、これはある意味、原点回帰とも言えます。
(以下、西野氏と東大ヴンダーの関わりを振り返ってみます。この項つづく。)
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(2) ― 2013年04月23日 06時06分29秒
西野嘉章氏(1951-)。東京大学総合研究博物館々長。
元は美術史、特に中世の宗教美術を専攻されていた方です。
元は美術史、特に中世の宗教美術を専攻されていた方です。
(研究室の西野氏。「BRUTUS」 2008年8月1日号より)
西洋は知らず、日本におけるヴンダーカンマー・ブーム (まあ、ブームとまでは言えないにしろ、それをもてはやす一種の文化的ムーブメント)を考えるとき、その淵源は、澁澤龍彦の綺想エッセイや、1980年代に巻き起こった博物学ブームあたりに求められるでしょうが、それをさらに決定付けたのが、90年代に入って西野氏が仕掛けた各種のイベントだったと思います。
現在、各地の大学が古い学術資料(標本やら剥製やら)を学校の隅っこから引っ張り出してきて、博物館の体裁を整えていますが、そもそも、そうしたゴミのような資料(西野氏言うところの学術廃棄物)が、「陳列するに値するもの」であり、それどころか博物館の主役にもなり得るものだと知らしめたのは、ひとえに西野氏の功績ではありますまいか。
★
西野氏は1994年に弘前大から東大に転じ、当初から大学に残された学術標本の評価と、その対外的な発信方法に腐心されてきました(…と勝手に断じていますが、私は西野氏にお会いしたことはないので、以下はすべて傍から見ての想像です)。
当時はまだ東大総合研究博物館はなくて、前身の東大総合研究資料館の時代(博物館のオープンは1996年)。もちろん、資料館時代にも展覧会は行われていましたが、ファインアートとの接点はありませんでしたし、「魅せる展示」にも気を配っていなかったと思います。そして最も欠けていたのが博物学的好奇心。
西野氏が東大に赴任した翌年、雑誌「芸術新潮」の1995年11月号は、「東京大学のコレクションは凄いぞ!」という特集を組み、その煽り文句は 「えっ、これは何?こんなものまで… 日本の最高学府・東大に眠っていた、希少かつ珍奇な「学術資料」たち」 というものでした。この特集自体、西野氏が仕掛けたメディア戦略の一環だろうと、私は睨んでいますが、ともあれ現在のインターメディアテクに通じる路線、言うなれば「アーティスティックなヴンダー路線」は、この時期に定まったと言えるのではないでしょうか。
上記特集の中で、西野氏は「希少ならざるはなく、珍奇ならざるはなし」という正味3ページほどの短文を寄せています。そこには氏の基本的視座が明快に述べられており、それこそが「博物誌的視座」でした。
「東京大学コレクション」には、およそ想像の許すかぎりのものが含まれている。その意味では、これは「コレクション」のコレクションなのである。それらも、とどのつまりがモノの集積にすぎぬわけだが、全体を見渡す博物誌的な視座さえ確保できるなら、かくも魅力的なものはないのではないか。二十万点を超える植物標本、五千体に及ぶ古人骨、明治から戦前にかけての乾板写真、東アジアの古文物、水産動物や昆虫の標本、古生物の化石、岩石鉱物の標本など、どれもが博物誌的宇宙の構成要素なのである。
〔…〕これらの量と質、多様性と偏在性、希少性と珍奇性こそ「東京大学コレクション」の魅力なのだろう。現代人が忘れて久しい博物学的な好奇心、それをこれほどまでに惹起する場所が他の何処にあろうか。 (『芸術新潮』 1995年11月号、p.65)
(この項つづく)
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来(補足) ― 2013年04月24日 06時09分16秒
西野氏の歩みを振り返る作業はさらに続ける予定ですが、その前に一服。
インターメディアテクを訪ねる「探検バクモン」の後編。その放送が、本日23時からNHKであると書きましたが、確認したら「22:55から」でした。訂正します。5分間分見逃されることのなきよう。
インターメディアテクを訪ねる「探検バクモン」の後編。その放送が、本日23時からNHKであると書きましたが、確認したら「22:55から」でした。訂正します。5分間分見逃されることのなきよう。
■番組公式ページ
http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130424.html
探検バクモン:博士の愛したコレクション 完結編
4月24日(水)午後10:55~11:20放送
上記ページから勝手に切り張りすると(※)、
「世にも奇妙な博物館に大潜入!東京大学の博士たちが知を切り開く友とした貴重なコレクションが続々。巨大な昆虫に、どでかいダイヤモンド!?数学的ファッション!?」
…というように、前回に続いて珍&驚系コレクションが紹介された後、それだけにとどまらず、館長である西野氏そのものにも焦点を当てて、その展示意図の一端を明かす内容になっているようです。
「〔…〕実は、この博物館は、知の歩みを集めただけではない。そこには、館長が仕掛けた大いなるナゾが潜んでいる。例えば、数学・鉱物学・流体力学の研究で使われた、一見バラバラな標本がわざわざ隣り合わせで並べられているが、その意図にこそ、館長の知のたくらみが隠されている。そのナゾとはいったい・・・?爆笑問題が挑む!」
うむ、これは興味深い。NHKもなかなか目配りが良いですね。
(あるいは、これも氏のメディア戦略の一環か…?)
(※)4月25日付記
上記の引用は、番組放映前のもの(予告)です。現在は内容が書き換わっており、上記文章はリンク先ページにはありません。
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(3) ― 2013年04月26日 23時02分34秒
「探検バクモン」をご覧になりましたか?
番組には「人類史を書き換えたラミダス猿人の歯の化石」やら、「スミソニアン博物館から引き合いが来た昆虫標本」やら、「世界に3セットしか残っていない、歴史的ダイヤモンドの貴重なレプリカ」やら、“さすがは東大!”と思わせるものが続々登場し、単純に凄いと思いました。言うなれば、あれは「歴代皇帝の秘宝展」的な、豪華珍品主義の世界ですね。
番組には「人類史を書き換えたラミダス猿人の歯の化石」やら、「スミソニアン博物館から引き合いが来た昆虫標本」やら、「世界に3セットしか残っていない、歴史的ダイヤモンドの貴重なレプリカ」やら、“さすがは東大!”と思わせるものが続々登場し、単純に凄いと思いました。言うなれば、あれは「歴代皇帝の秘宝展」的な、豪華珍品主義の世界ですね。
でも、番組の終わり近くに登場した、西野氏のこだわりの展示を見て、インターメディアテクには、また別の顔もあることを知りました。
その展示とは、鉱物結晶模型や、スクリューの模型や、変わったガラス壜などを、小ぶりのキャビネットに並べて、何の説明もなしにポンと置いてあるというもの。
氏の狙いは、そうした雑多なモノたちの集積から、<かたち>の面白さ、幾何学的形態の妙を感じ取ってもらおうというもので、その試み自体面白いと思いましたし、その場で西野氏が「僕の独りよがりかもしれないけれど…」と、ぼそっと呟かれたのが、いっそう印象的でした。
芸には往々にして「表芸」と「裏芸」があって、裏芸にはいっそう濃やかな味があるものです。インターメディアテクにも、西野氏自身にも、まだまだ語られざる裏芸があるのでしょう。少なくとも、小石川に漂っていたモダンアートの空気は、今なお健在のようです。
★
さて、前々回の記事のつづき。
東大というフィールドを得て開花した西野氏の取り組みは、1997年、安田講堂を使った「東大創立120周年記念『東京大学展』」という大規模展に結実します。そして、これまた『芸術新潮』の誌上で特集を組まれました(97年12月号)。
その時の表紙を飾った煽り文句は、「やっぱり東京大学のコレクションは凄いぞ!」「ここ掘れ、東京大学」「あの安田講堂を覗いてびっくり!金では買えない逸品から、どこが研究なんだと首をかしげる珍品まで/長く険しい学問の道は、かくも豊かな驚きに満ちていた!」というものでした。
この辺が、なんとなくインターメディアテクの表芸に近いような…。
上記特集中、西野氏は荒俣宏氏との気の置けない対談の中で、その経緯と意図をこう述べています。
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荒俣 〔…〕でもどういうきっかけで、こういう展覧会が実現したんですか。
西野 120周年記念展の企画を出せと去年の秋に言われて…。じつは以前から総合研究博物館の展示をやっていて感じていたんだけれど、古い博覧会形式の学術資料展をやってみたいと思っていた、それも安田講堂のような空間で。それが今回、実現できたんです。
荒俣 グランド・デザインは西野さんがやられたんでしょう?
西野 ええ。会場中央の〝神殿〟というのは、実はギリシア神殿のプロポーションになっていて、その上にローマ彫刻が乗っている。神殿の正面に立つと、壇上のミイラのケースの枠が十文字に見えるんです。これを十字架に見立てると、エジプトからギリシア、ローマ、キリスト教まで入っていて、これが西洋文明の基軸をなす。その周りにもろもろの学術が展開していくという…。
荒俣 なるほどね、そういう構成になってたわけか。西野さんの深い意図がよくわかりました。
西野 もうひとつ言うと、フランス語でいうところの珍奇物を集めた部屋〔原文ルビ/シャンブル・ド・キュリオジテ〕とか、驚異の部屋〔同/ヴンダー・カンマー〕をなんとかして作りたかった。だから現代の博物館展示からすると、わかりにくいかもしれない。編年的に並んでいるわけでも、分野別になっているわけでもないですから。
荒俣 やっぱりそうか!
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(いずれも同展会場風景、上掲誌より)
衒学的とも思える展示プラン、ヴンダーカンマーの意図的再現、そこはかとなく漂うアートの香り。表芸である豪華珍品主義の方は、おそらく西野氏ならずとも成し得たと思いますが、こうした裏芸こそが氏の真骨頂なのでしょう。
衒学的とも思える展示プラン、ヴンダーカンマーの意図的再現、そこはかとなく漂うアートの香り。表芸である豪華珍品主義の方は、おそらく西野氏ならずとも成し得たと思いますが、こうした裏芸こそが氏の真骨頂なのでしょう。
(この項つづく)
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(4) ― 2013年04月27日 21時33分16秒
西野氏の活動は、その後アート路線に大きく振れます。すなわち昨日勝手に命名したところの「裏芸」が前面に出てきたわけです。(とはいえ、西野氏の本業は美術史学ですから、氏の内的必然としては、こっちの方が「表芸」なのかもしれませんが。)
そのシンボルが、2002年12月から2003年3月まで、小石川分館で行われた「ミクロコスモグラフィア:マーク・ダイオンの『驚異の部屋』」展です。
これは、その後、小石川分館の常設展となった「驚異の部屋展」の直接の前身であり、「驚異の部屋」をテーマにした最初の大規模展として、日本ヴンダーカンマー史におけるく記念碑的展覧会と言ってもよいでしょう。
(ミクロコスモグラフィア図録)
「ミクロコスモグラフィア」の場内風景は、一見したところ「東京大学展」とあまり変わらないように見えます。並んでいるのは、やっぱり東大が所蔵する学術標本群でしたし、その基本コンセプトも、タイトル通りヴンダーカンマーでしたから。
(図録より。水圏、気圏、地上圏、人間圏…等と名付けられた8つの展示室のうち「地上圏」の展示風景)
しかし、「学術」を軸にした展示と美術展とでは、その性格がまったく異なります。
ここに名前が出てきた、マーク・ダイオンとは、そもそも何者か?
とりあえず英語版ウィキペディア(http://en.wikipedia.org/wiki/Mark_Dion)から引用します(ただし、この記事はウィキの伝記事項の特筆性に関するガイドラインに適合しないことが指摘されています)。
マーク・ダイオン(Mark Dion 1961年8月28日生まれ)はアメリカ人芸術家。インスタレーション作品に科学的体裁を取り入れたことで有名。テート・ギャラリー、ニューヨーク近代美術館、さらにPBS(アメリカ公共放送サービス)の番組「Art21」等、国際的な場で作品展を開催。マンハッタンにあるコロンビア大学視覚芸術学部教員。ラリー・アルドリッチ財団第9回年間賞(2001)をはじめ受賞歴多数。ニューヨークおよびペンシルバニアに在住し活動中。
…というわけで、彼は純然たるアーティストです。
(同、標本壜に収まったダイオンの写真)
「ミクロコスモグラフィア」は、その展示全体が1つの美術作品であり、そこは何かをお勉強する場ではなく、感じとる場でした。そのため、個々の展示物にはいっさい説明がなく、見る人によっては、一種の分かりにくさがあったと思いますが、その点に自由な風通しの良さを感じた人も一方にはいるでしょう。
(この項つづく)
続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(5) ― 2013年04月28日 11時38分45秒
この連載もだんだん泥沼に入って苦しくなってきました。
私の場合、たいていそうですが、今回も「書いているうちに何とかなるだろう」と思い、書く対象について、ろくすっぽ知らぬまま書き始めました。で、実際どうにかなればいいのですが、今のところあまり結論が見えません。特にマーク・ダイオンの話になると、いっそう私には理解の及ばぬところが出てきます。
私の場合、たいていそうですが、今回も「書いているうちに何とかなるだろう」と思い、書く対象について、ろくすっぽ知らぬまま書き始めました。で、実際どうにかなればいいのですが、今のところあまり結論が見えません。特にマーク・ダイオンの話になると、いっそう私には理解の及ばぬところが出てきます。
★
何がそんなに分かりにくいのか。
私には正直のところ、当時の西野氏の思考の流れがよく分からないのです。
西野氏はダイオンの「ミクロコスモグラフィア」展の意義を、展覧会図録の中でこう書いています。
「集類にせよ分類にせよ、近世に至ってからの学問はそのシステマティクスへの参入を拒むモノすなわち、中世にあってあれほど生き生きとその存在感を放っていた欄外物(marginalia)をしだいに許容しなくなった。事実、時代が推移するなかで知識や技術の分化に弾みがつき、古くから大学とともに学術の母胎となった博物館もまた、自然、歴史、民族、美術など、そのコレクションを特化させる方向へ流れていった。〔…〕そのため、博物館は世界全体を包摂する「器」として機能しづらくなり、コレクション形成に不可欠な想像力も眼に見えて衰退してきている。」(図録p.19)
「もし、この欠落を補い得る者がいるとすれば、それは美術家なのではなかろうか。サイエンスは論理的であること、実証的であることを義務づけられており、人間の知的活動としていかにも不自由である。その点でアートの世界は自由である。」(同p.21)
私が分かりにくいと思う点はいくつかあるのですが、まず1点目は、上記のことを西野氏がどこまで本気で主張されているのかという点です。
「近代以降、還元主義的方法論が優勢となり、専門分野の細分化が進んだ。学問の対象も、その主体も、ともに切り刻まれて、今や世界全体が見えなくなってしまった。博物館もまた然り。そこで喪われたものがいかに大きいことか。そうした弊害を乗り越えて、もう一度森羅万象を見つめ、全宇宙に及ぶ想像力を取り戻そう。そのために、今こそヴンダーカンマーの復権を!!」
氏の文章を平たく言うと、こういうことだと思います。
これはヴンダーカンマーについて語られるとき、必ず主張される内容のように思いますが、でも落ち着いて考えると、よくわからない主張です。そして、後述のように、たぶん歴史的事実ともずれています。
私の疑念は、西野氏もそのことは百も承知で、学内の文化財保存というシンプルな目的のために、あえてプロパガンダ=お題目として、そういう主張をされたのではないかという点にあります。
★
前々回の記事で、「東大120周年展」を特集した『芸術新潮』誌上に、西野氏と荒俣宏氏の対談が載っていたことに触れました。西野氏から同展覧会の狙いの1つに、ヴンダーカンマーの再現があったと聞き、荒俣氏は「やっぱりそうか!」と膝を打ちましたが、荒俣氏はそれに続けて、実はこんなことも述べています。
「荒俣 やっぱりそうか! でもね、中世までの学問てきれいに整理されすぎて疑問とか驚きはなかったんですよ。ところが博物館ができて奇妙なものや新しいものを次々に見せた。そのめまい〔3字傍点〕が近代的覚醒につながったんだ。」
西野氏が書かれていることと真逆ですが、たぶん、事実はこちらが正しいのでしょう。
ヴンダーカンマーは、決して中世的知の精華などではなく、あくまでも近代的知(≒実証科学)の曙であり、露払いに過ぎなかったと思います。そして、舞台でちょっとした立ち回りを演じたあと、近代的知の主役たちが登場するやいなや、唯唯として舞台の袖に引っ込んだのではなかったでしょうか。
(デンマーク人、Ole Worm が築いたヴンダーカンマー。1655年。ウィキペディアより)
20世紀の終わり近くになって、ヴンダーカンマーが再評価されたのは、それなりの歴史的必然があってのことでしょうし、それは人々の心に多少のさざ波を立てたことでしょう。しかし、それは決して近代へのプロテストとして大きな力を持ち得るようなものではなかったし、結局は一時の文化的流行として、あっという間に消費されてしまった観がなくもない。といって、それは別に悲しむべきことではありません。かつて歴史的に存在したヴンダーカンマーだって、似たような立ち位置だったのですから。
20世紀の終わり近くになって、ヴンダーカンマーが再評価されたのは、それなりの歴史的必然があってのことでしょうし、それは人々の心に多少のさざ波を立てたことでしょう。しかし、それは決して近代へのプロテストとして大きな力を持ち得るようなものではなかったし、結局は一時の文化的流行として、あっという間に消費されてしまった観がなくもない。といって、それは別に悲しむべきことではありません。かつて歴史的に存在したヴンダーカンマーだって、似たような立ち位置だったのですから。
要は、かつてのヴンダーカンマーの作り手たちは、壮大かつ深遠な全体知など求めてはおらず、単に面白がっていただけではないのか…という疑いを、私はどうしても拭い去ることができません。
確かにヴンダーカンマーは、世界のありとあらゆるものを手中に収めたいという熱意に裏打ちされていたのでしょう。でも、それは権力者が、自己の権力を可視化するものとして、時空を隔てた遠い世界からの到来物を、熱狂的に欲したからに過ぎず、深い叡智の営みなどではなしに、むしろ小児的欲求の反映だと思います。
(ヴンダーカンマーには、権力者のそればかりでなく、学者や聖職者が自己の研究ツールとして構築したものもありますが、そちらは近代的博物館と完全にコンセプトを共有しており、単に方法論が未熟であったために、たまたまヴンダーカンマー的相貌をとったのだと考えます。)
個人的には、ヴンダーカンマーを必要以上に祭り上げてはいけないと思います。
それは好事家が面白がる対象ではあっても、しかつめらしく語るようなものではないんじゃないでしょうか。
だからこそ、西野氏がヴンダーカンマーをアートとして再生しようという、後段の主張はよくわかります。しかし、だったら前段の講釈は不要で、いっそ蛇足ではなかろうか…というのが、私の意見です。むしろ、前段をまじめに主張すればするほど、ヴンダーカンマーの再生がアートという形をとる必然性は乏しくなるような気がします。
はたして西野氏の心底やいかに。
★
次に私が分かりにくいと思う第2の点は…
と書きかけて、ちょっと頭を休めるために、ここで記事を割ります。
なんだか、どうでもいいことにこだわっているような気もしますが、自分にとって「驚異の部屋」とは何か、この機会に思考を整理するのもいいと思って、もうちょっとクダクダしく続けます。
(この項つづく)
たまには新緑の中で本でも ― 2013年04月29日 09時34分26秒
ヴンダーの話は一服。
ふと気が付けば、今はゴールデンウィークですね。
が、どこにも出かける当てはありません。
しかし、ずっと家の中でくすぶっているのも良くないので、昨日は庭にデッキチェアを持ち出して、本を読んでいました(昆虫学の歴史についての本です)。
明るい陽の光、抜けるような青空、きらきら光る新しい緑。
鳥の声、虫の羽音、そこにページをめくる音が混ざり、目を上げれば、アゲハのカップルが忙しく空を横切っていきます。
(…と情感たっぷりに書いていますが、本当は大通りを走る車の音や、救急車のサイレンなんかも始終聞こえます。でも、そういうのは上手く脳がフィルターをかけてくれるので、あまり気になりません。)
今日も一日のんびり過ごせるといいなと思います。
■ヴィクトリア朝の昆虫学―古典博物学から近代科学への展開
ジョン・F・M・クラーク(著)、奥本大三郎(監訳)、藤原多伽夫(訳)
東洋書林、2011
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