果敢なげな天使たち…カテゴリー縦覧:乗り物・交通編 ― 2015年05月30日 11時03分06秒
以前、飛行機の古い幻燈スライドを見つけました。
彼らは軽快なプロペラ音とともに飛び立ち、
海を越えて、
どこまでも、どこまでも飛んでいきます。
人類が夢に見た大空の時代!
しかし、そこには暗い影も差していました。
急襲された艦船からは真っ赤な火柱が上がり、撃墜されたエアロプレーンは、パイロットもろとも、はらはらと海面に散り…。
急襲された艦船からは真っ赤な火柱が上がり、撃墜されたエアロプレーンは、パイロットもろとも、はらはらと海面に散り…。
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このスライドは8枚セットで売られていました。時代的には、第1次世界大戦を経験した、1910年代の品と思います。美しく透明な彩色に惹かれて買ったのですが、その色合いが、飛行機という存在のかなしさを一層強調しているようです。
左肩のナンバーを見ると、実際には、戦闘場面のあとに都市上空の光景が映し出されたようで、当時の人も、やっぱり飛行機にはこちらの方が似合いだと思ったのかもしれません。ぜひそうあってほしいです。
★
「どこかにいってしまったものたち」…というのは、クラフト・エヴィング商会さんの本の名前ですが、どうも最近、私の周辺でもどこかに行ってしまうものが増えて、困っています。「あそこにあるはず」と思って探して、それで出てくればいいのですが、その時点で見つからないと、発見するのは至難の業。
そんなわけで、上の写真はいずれも自撮りではなくて、商品写真の安易な流用です。
本当に彼らはどこにいってしまったのか。。。
本当に彼らはどこにいってしまったのか。。。
コメント
_ S.U ― 2015年05月30日 20時14分21秒
_ 玉青 ― 2015年05月31日 13時35分01秒
タルホの味のある一文をご紹介いただき、ありがとうございました。
(理想の)飛行機のイメージこそ、タルホにとって「どこかにいってしまったもの」であり、だからこそ一生かけて、その姿を追い続けた…というわけですね。
それは形を変えて、現代の宮崎駿監督にも受け継がれている感傷かもしれませんが、宮崎監督の場合は、大空と飛行機はズバリ「自由」の象徴であるのに対し、タルホのいう「夢と精神性」とは結句何なんでしょうね。彼はときに「飛行機は飛ばない方がええ」と言ってみたり、やっぱりちょっとひねくれています。
(理想の)飛行機のイメージこそ、タルホにとって「どこかにいってしまったもの」であり、だからこそ一生かけて、その姿を追い続けた…というわけですね。
それは形を変えて、現代の宮崎駿監督にも受け継がれている感傷かもしれませんが、宮崎監督の場合は、大空と飛行機はズバリ「自由」の象徴であるのに対し、タルホのいう「夢と精神性」とは結句何なんでしょうね。彼はときに「飛行機は飛ばない方がええ」と言ってみたり、やっぱりちょっとひねくれています。
_ S.U ― 2015年05月31日 15時58分08秒
宮崎監督と足穂の飛行機感覚の比較というのは、面白く難しいテーマですね。自由、浮遊感、開発精神、先駆者への敬愛、失われた物への感傷、まあ半分強は共通していると見ても間違いはないでしょう。
「飛ばない方がよい」と言う足穂は、さらに少し早い時代の、順調に飛ぶ以前の感覚まで求めていたのでしょうが、宮崎監督は足穂作品をどう見ているのか、書かれたものをついぞ見ませんが、感想、特に相違点を聞いてみたいです。
一方の足穂は、おそらく(私の無責任な想像ですが)、宮崎作品を見るまで存命していたなら、「紅の豚」や「風立ちぬ」の時代にはもはやそれほどの関心を示すことはなかったと思います(足穂はカーチスの模型を作っているのでメカには関心を示すかもしれません)。むしろ「ラピュタ」や「ハウル」がけっこう受けたかも・・・両方のファンの人が自由に想像してみると楽しいと思います。
「飛ばない方がよい」と言う足穂は、さらに少し早い時代の、順調に飛ぶ以前の感覚まで求めていたのでしょうが、宮崎監督は足穂作品をどう見ているのか、書かれたものをついぞ見ませんが、感想、特に相違点を聞いてみたいです。
一方の足穂は、おそらく(私の無責任な想像ですが)、宮崎作品を見るまで存命していたなら、「紅の豚」や「風立ちぬ」の時代にはもはやそれほどの関心を示すことはなかったと思います(足穂はカーチスの模型を作っているのでメカには関心を示すかもしれません)。むしろ「ラピュタ」や「ハウル」がけっこう受けたかも・・・両方のファンの人が自由に想像してみると楽しいと思います。
_ 玉青 ― 2015年06月01日 20時54分34秒
足穂の選ぶジブリ作品、これは興味深いですね。
足穂好みの映画といえばラリー・シモン。そのハチャメチャ、ドタバタぶりが奇想の域にまで達し、そして笑いの中に悲しみがほの見えるような作品が、彼の心の琴線に触れたように思います。
そういう目で見ると、「紅の豚」なんかは、時代設定はさておき、結構受けたかもしれませんね。あと「千と千尋」。あれは日常の隙間から、スルリと異世界に落ち込む感じが、足穂先生の嗜好に叶ったんじゃないでしょうか。画面にただよう永劫感も足穂好みかと想像します(実際のところは分かりません。単に自分の好きな作品を足穂に当てはめているだけかも…)。
逆に宮崎監督はどうでしょうね。
宮崎氏が圧倒的な影響を受けたのは手塚治虫で、手塚と足穂ではずいぶん違うような気がしますが、二人とも阪神文化圏の中で生い育ったので、ひょっとしたら深部に共通するセンスがあるかも…と思ったりもします(これまたよく分かりませんが…)。
足穂好みの映画といえばラリー・シモン。そのハチャメチャ、ドタバタぶりが奇想の域にまで達し、そして笑いの中に悲しみがほの見えるような作品が、彼の心の琴線に触れたように思います。
そういう目で見ると、「紅の豚」なんかは、時代設定はさておき、結構受けたかもしれませんね。あと「千と千尋」。あれは日常の隙間から、スルリと異世界に落ち込む感じが、足穂先生の嗜好に叶ったんじゃないでしょうか。画面にただよう永劫感も足穂好みかと想像します(実際のところは分かりません。単に自分の好きな作品を足穂に当てはめているだけかも…)。
逆に宮崎監督はどうでしょうね。
宮崎氏が圧倒的な影響を受けたのは手塚治虫で、手塚と足穂ではずいぶん違うような気がしますが、二人とも阪神文化圏の中で生い育ったので、ひょっとしたら深部に共通するセンスがあるかも…と思ったりもします(これまたよく分かりませんが…)。
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稲垣足穂は、第一次大戦までが飛行機の「花」であった、と書いていました。「どこだったかな」と探すと、ほどなく見つかりましたので引用させていただきます。
私に云わせると、ライト兄弟から十年間、第一次大戦直前までが飛行機の「花」であった。すなわちアンリ・ルソーの風景画に見られるような飛行機飛行船の時代である。これ以後、エアロノートは夢と精神性を見失い、ひたすらに破局への漸近線上を驀進する一介の機械に成り下がってしまったようである。 (稲垣足穂「二十世紀の『箒の柄』」より)
足穂は、飛行機の「花」の時代を1903~1913年とみたことになります。一方、彼が飛行機に打ち込んだ期間を、小学校4年生頃から佐藤春夫に入門するまでとしますと、それは1910~1921年ということになります。足穂は「花」の時代を子どもの時代に3~4年、体験しただけです。彼は、おそらくもっとも魅力的な時代がすでに過ぎ去ってしまったことを、リアルタイムで感じ取ったと思います。彼は、少年時代にして早くも「どこかにいってしまったものたち」に執心し、以降60年に渡る「感傷の固定化」のための努力を始めたということは、私をほんとうに切ない気持ちにさせてくれます。
この飛行機についての感傷は、ひとり足穂が感じたことではなく、大戦開戦以来現在に至るまで、世界中の多くの人によって程度の差こそあれ、共有された気持ちであったことでしょう。