天台の星曼荼羅2016年05月21日 15時43分40秒

そういえば以前の記事で、星曼荼羅には2つの類型があることに触れました。

■星曼荼羅 (その3)
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525631

(上の記事より画像再掲)

それは、上の画像に写っているように、諸天・諸仏を円形に配置しているか、方形に配置しているかの違いで、大雑把に言うと円形のものが天台宗、方形のものが真言宗で用いられる星曼荼羅です。

上の画像で、左側のは天台宗・延暦寺旧蔵の品で、「方形は真言宗」という説明と食い違いますが、これはたまたまです。また右側のは法隆寺の蔵品で、法隆寺というと真言宗とも天台宗とも関係なさそうですが、法隆寺ぐらい歴史の長い寺になると、後世いろいろな要素を採り入れて、中世には密教もなかなか盛んでしたから、こういう品も必要とされたわけです。

今に残る星曼荼羅の遺品は、方形のものが明らかに多く、これは真言宗では各地の寺々で星供養の祭儀を行なったため需要が高く、当然制作数も多かったためでしょう。

   ★

そんなわけで、円形星曼荼羅の古物を手元に置くことはハードルが高いです。


これは取りあえず参考として見つけた品。
上の法隆寺の曼荼羅を手本にした、現代における写しで、仏画を扱っている店では今も売られていると思います。


色彩が鮮やかすぎて落ち着きませんが(むしろサイケデリックです)、法隆寺の曼荼羅も12世紀後半に制作された当初は、きっとこんな風だったのでしょう。あるいは、この品だって、これから100年も煙に燻されたら、落ち着いた趣が出るかもしれません。


一応肉筆ですが、絵の巧拙でいうと、素人目にもちょっときびしい気はします。
しかし、いずれにしても私にはこれを掛けてどうする当てもありませんし、改めて思うと何のために買ったのか、ものが仏画だけに罰当たりな気もします。

それでも、この絵のおぼろな記憶が、私を今回叡山に導いてくれたのかもしれず、これもまた仏縁であり、大師の御旨と申すべきやもしれません。

コメント

_ S.U ― 2016年05月22日 08時10分00秒

この曼荼羅について一つだけ質問をお願いします。
 「天蝎宮」に描かれている動物は何でしょうか。魚のシッポみたいなのがついています。触覚があって、あまりサソリっぽくはありませんが、シャコみたいなものでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年05月22日 11時50分58秒

現物はすでに箱に戻してお蔵入りしているので、即座に確認できないのですが、画像を見る限り、強いて言うとエビっぽいです。でも、正直エビとも何とも言いかねる生物です。元絵の当時(平安~鎌倉のころ)、サソリの実物を見た絵師はいなかったはずですので、すべて想像と先例によって描いたのでしょうが、肝心の尻尾の針はどうも想像の埒外だったみたいですね。

ちなみに、以前登場した方形曼荼羅の方は、足の数とかはでたらめだし、エビっぽい触角が付いているものの、全体の姿はサソリっぽいです。こちらは江戸期の作例なので、サソリに関する知識も進歩していたのでしょう。

…というわけで、記事にもサソリを登場させました。(^J^)

_ S.U ― 2016年05月23日 08時44分19秒

情報どうもありがとうございました。

 サソリは星座発祥の西アジアではありふれた生き物であったのでしょうが、世界的に見るとあまり知られていない土地のほうが多いだろうから、さそり座の普及過程では、おおむねエビの類いと間違えられるのがむしろ自然で、世界的には間違いがメジャーだったかもしれないと思いました。

_ Ha ― 2016年06月04日 22時17分29秒

星曼荼羅の黄道十二宮は、ふたご座が夫婦だったり、おとめ座が女性二人だったりして、なかなか興味深いですね。

私はこれまで星曼荼羅の十二宮の図柄はあまり気にしていませんでしたが、数ヶ月前の知人のメールで「ふたご座は宿曜経では夫婦宮という名称で、男女のペアになっている」(吉田光邦『星の宗教』)ということを初めて知りました。で、あわてて野尻抱影『星と東方美術』を調べてみたところ、法隆寺の星曼荼羅も夫婦が描かれていると知ってびっくりでした。星曼荼羅の画像は何度となく見ているのですが、迂闊なことに、これまでまったく気づきませんでした。
調べる過程で、こちらの天文古玩さんの4年ほど前のページもヒットして、諸星大二郎の暗黒神話だとか、本物の星曼荼羅を入手されたとか、興味深々のお話をいまさらながら読ませていただきました。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/07/16/6512612
このころは忙しくてブログをあまり拝見していなかったのが悔やまれます。。

それにしても、星曼荼羅の本物をお持ちとはうらやましい限りです。たまに京都の古裂会の入札オークションで見かけますが、なかなか手の出る値段ではありません。つい先日のオークションでも出物があったのですが、最低入札価格が19万円、落札価格は19万1100円でした。数年前に表装なしの紙本で最低価格4万円くらい?の出物もあって、あのときはかなり迷ったのですが…。
法隆寺星曼荼羅の現代版の写本もなかなかいいですね。かなり忠実に模写されているように思います。展覧会図録とかに掲載されている本物の写真は細部がよく分かりませんので、図柄を詳しく見るにはむしろこちらのほうが好都合だったりして…。^^;
これは私も見つけたら買ってしまいそうです。肉筆となるとそれなりのお値段かもしれませんが…。

ところで、カストル・ポルックスのふたごの兄弟は、いつ、どこで夫婦(男女)になってしまったのでしょうか?
ざっと調べてみた範囲では、メソポタミアからアラビアまでは男性で、インドから夫婦になったと言えそうな雰囲気だったのですが、Snyder, "Maps of the Heavens" に、サクロボスコ『天球論』の初期の版(13世紀・パリ)掲載の天球図というのがあって、このふたご座がどうも男女のように見受けられ、訳が分からなくなってしまいました。
何かご存知でしたらご教示いただけるとありがたいです。

_ 玉青 ― 2016年06月05日 16時01分59秒

過去記事をお読みいただき、ありがとうございます。
あの記事の中で、矢野道雄氏の『密教占星術』を引用しましたが、つい先日も同氏の『星占いの文化交流史』(勁草書房)を読んでいました。そこにちょうどふたご座の話題が出ていたので、Haさんのコメントに不思議な暗合を感じました。

それは同書の131~135ページに書かれており、以下、一部引用させていただきます。


 「バビロニアでは単に「一対のもの」くらいの「双子」であったが、ギリシア神話ではカストールとポルックスという男の双生児になった。前者は竪琴を、後者は棍棒を持っている。このふたご宮はインドへ入ったときにすでにひと組の男女に変容している。サンスクリット語では「ミトゥナ」と呼ばれるが、これはカジュラホやコナーラクのヒンドゥー寺院の外壁を飾る男女合歓の姿をあらわすことばでもある。『宿曜経』は、その神像が夫妻に似ているので「淫宮」と名付ける、と説明している。東寺の「火羅図」と、あとで述べる『七曜攘災決』では「夫妻宮」とする。いずれにせよ男の双子が男女のカップルになったのはなぜかを説明しなければならない。

 わたしはこの変化が起こったのはエジプトにおいてであったと考えている。エジプト神話では棍棒を持つのが男神シューであり、竪琴を持つのはその妹テフヌートである。十二宮を最初にインドに伝えた『ヤヴァナ・ジャータカ』はその冒頭で、「第三〔の宮〕は竪琴と棍棒をもつミトゥナである」と宣言している。男女のきょうだいが夫婦になるのは、世界各地の古代神話にみられる兄妹婚から容易に理解できることである。」
(矢野道雄『星占いの文化交流史』、pp.132-133)


要するに、「双子」が「夫婦」になった過程には、エジプトが介在している…というのが矢野氏の説です。なぜエジプトでそうした変化が生じたか?という点までは、矢野氏も言及されていませんが、ともあれ「男の双子」がヘレニズム時代のエジプトにおいて「兄妹」となり、それがインドに伝わる過程で自ずと「夫婦」になった、というのが史実のようです。(なお、上の引用中に出てくる『ヤヴァナ・ジャータカ』とは、アレクサンドリアあたりで成立した占星術書で、それがインドに伝わり、サンスクリット語に翻訳されたのはAD150年頃とされています。)

なお、中世ヨーロッパの写本に「男女」のふたご座が描かれているとしたら、参照したイスラム圏の書物の中に、そうした図像表現が含まれていた可能性もありそうですね。

_ Ha ― 2016年06月07日 01時00分55秒

詳しくご教示くださり、ありがとうございます。
私が調べた範囲では、宿曜経の解説本にあるサンスクリット語の「ミトウナ」がどんな意味なのかも分かりませんでしたが、やはり矢野道雄氏にあたるのが近道だったようですね。ご紹介いただいた本を入手して、改めて勉強しようと思います。
それにしても、「双子」が「夫婦」になったのにエジプトが絡んでいるというのは意外でした。アル・スーフィー『星座の書』(アラビア・10世紀ごろ)にも男性が描かれていますので、私はてっきりインドに入ってからだろうと思ったのですが、すっと以前に、ギリシア→エジプト→インドという直接伝播ルートがあったということですね。『ヤヴァナ・ジャータカ』という本もできれば見てみたいところですが…。

なお、明治時代の解説書である若原敬経『宿曜経真占伝』によると、ふたご座の名称は原典(高麗本)では「其の神、夫妻の如くなる故に、媱宮と名つく」となっていて、解説記事のなかで「媱宮(えうぐう)」「夫婦宮」のほか、「陰陽宮」「男女宮」「兄弟宮」などの異名があることが紹介されています。
ところが『大正新脩大蔵経』文字データベースの『宿曜経』には「其神如夫妻。故名婬宮」とあり、ここでは「媱宮」ではなく「婬宮(いんぐう)」になっています。
私は当初、「媱」(えう/よう)は「婬」(いん)の旧字体だと思っていたのですが、右下が「缶」「壬」の違いがあるため、旧字体にしてはちょっと変です。そこで、異字体なのかな?と思って調べてみたところ、「媱」は手元の漢和辞典には載っていませんでしたが、ウェブ辞書によると訓は「みめよい」(見た目が美しい?)だそうです。婬は「みだら」ですから、すいぶん意味が違います。
こうなると「媱」と「婬」はおそらく別文字ではないかと思うのですが、大正新脩大蔵経ではデータベースもページ画像も「婬」になっていますし、『星と東方美術』をはじめ、多くの宿曜経関係文献でも「婬」が普遍的に使われています。『宿曜経真占伝』のほうが間違いであればいいのですが…。

_ 玉青 ― 2016年06月08日 05時38分10秒

大正大蔵経も、底本は高麗大蔵経ですから、結局『宿曜経真占伝』と同じものを見ていたことになりますが、大正大蔵経出版前に、若原敬経が直接何に拠って「媱」と記したかが気になるところです。

明治時代の日本の出版状況を考えると、当時最も手に入れやすかった宿曜経のテクストは、延宝9年(1681)に京都の書肆が刊行した木版本で、これは明治になっても版を重ねていました(版木自体は再刻かもしれません)。底本はこちらも高麗本で、若原もこれに拠ったのではないか…と推測するのですが、該当箇所を確認したら、大正大蔵経と同じく「淫宮」となっていました。

「媱」を「婬」に間違うことはあっても、その逆は考えにくいので、そこには何か理由があると思うのですが、パッとは分かりません。

なお、数ある宿曜経の写本・刊本のうちで、矢野道雄氏が最も善本としているのは、享保21年(=元文元年、1736)に高野山で版行された「覚勝本・宿曜経」で、これはいちばん宿曜経の原形に近いものと矢野氏は結論付けています。では、覚勝本で該当箇所はどうか見ると、そこには「媱」も「婬」も出てこなくて、「其神如夫妻 故名夫妻宮」と「夫妻宮」の名称が用いられていました(その後に出てくる「十二宮図」の中では「男女宮」となっています)。

結局、答はよく分からないのですが、「淫宮」に関していうと、少なくとも大正大蔵経翻刻者の誤読ではないようです。(あるいは「淫」を良くないものと見た、若原の私意が働いた可能性も思い浮かぶのですが、まあそれこそ「ゲスの勘繰り」かも…)

_ Ha ― 2016年06月09日 02時53分42秒

いろいろ詳しくお調べくださり、ありがとうございます。
「ミトゥナ」がヒンドゥー寺院の外壁を飾る男女合歓の姿をあらわす言葉ということですから、「淫」のほうが正解のように思われますね。
若原敬経の『宿曜経真占伝』の前書きによると、それまで若原の弟子?によって刊行されていた同名書があり、再版に際して版元から校正を依頼されたので引き受けたところ、あまりに誤写・誤植が多いため、業を煮やして全面的に書き直したというようなことが書いてあります。講説は高野山本(高野大師将来本)に依るものの、本文は高麗本に拠り、明本で違う文字が使われている場合はその文字を細字で書き加え、さらに高野山本の原本も左行に傍書されているという徹底ぶりです。(この、空海が招聘したという「高野山本」が、「覚勝本・宿曜経」ということなのかな?)
高麗本の手書き文字を、他の研究者は「淫」と判読しているのに、若原は「媱」と判読したということなのかもしれませんね。そうであれば、若原の私意が働いた可能性も大いにありそうに思います。このあたりのいきさつは、もしかすると専門家には良く知られていることなのかもしれませんが…。

_ 玉青 ― 2016年06月10日 06時53分06秒

>高麗本の手書き文字

あ、謎が解けた気がします。
高麗本はそもそも版木ですから、それを印行している限り文字が紛れることはない筈ですが、江戸の人なら当然手写本を作ったでしょうし、若原が参照したのも、そんな写本の1つで、書写の際に「淫→媱」の誤写が生じていた…のではありますまいか。まあ素人考証なので、全然間違っているかもしれませんが、そんな風に考えれば一応話の辻褄は合いそうです。

_ Ha ― 2016年06月10日 20時20分30秒

かくなる上は高麗本(と明本)の原本をぜひ見てみたいものだと思います。いずれネットにアップされる(あるいはすでにアップされている?)かもしれませんので、気長に検索を続けようと思います。

_ 玉青 ― 2016年06月11日 09時18分55秒

ぜひ追究の手をゆるめず、真実を明らめてくださますように。
同じ淫でも、真実に淫することは、大いに是とされるべきです。

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