空の旅(15)…日食地図2017年05月04日 10時23分20秒

今回の「空の旅」はレプリカも多くて、ちょっと展示に弱さがありました。
それを補う、何かアクセントになるものを入れたいと思って、19世紀初めに出た美しい「日食地図」をラインナップに加えました。

(販売時の商品写真を流用)

■Cassian  Hallaschka(著)
 『Elementa eclipsium, quas patitur tellus, luna eam inter et solem versante
  ab anno 1816 usque ad annum 1860』
 (地球と月、そしてそれらが巡る太陽との間で生じる1816年から1860年までの
 日食概説)


「1816年にプラハで出版された日食地図。1818年から1860年にかけて予測される日食の、食分(欠け具合)と観測可能地点を図示したもの。日食の予報は、天文学の歴史の中でも、最も古く、最も重要なテーマのひとつでした。」


オリジナルは107ページから成る書籍ですが、手元にあるのは、その図版のみ(全22枚ののうちの11枚)を、後からこしらえたポートフォリオ(帙)に収めたものです。
その表に貼られているのは、オリジナルから取ったタイトルページで、図版はすべて美しい手彩色が施されています(各図版のサイズは、約25.5cm×19.5cm)。

(タイトルページに描かれた天文機器)

   ★

ここでネット情報を切り貼りして、補足しておきます。

著者のフランツ・イグナーツ・カシアン・ハラシュカ(Franz Ignatz Cassian Hallaschka、1780-1847)は、チェコ(モラヴィア)の物理学者。
ウィーンで学位を取り、母国のプラハ大学で、物理学教授を長く勤めました。今回登場した『日食概説』も、同大学在職中の仕事になります。

上記のように、日食の予報は洋の東西を問わず、天文学者に古くから求められてきたもので、その精度向上に、歴代の学者たちは大層苦心してきました。

そうした中、ハラシュカが生きた時代は、ドイツのヴィルヘルム・ベッセル(1784-1846)や、カール・ガウス(1777-1855)のような天才が光を放ち、天文計算に大きな画期が訪れた時代です。ハラシュカの代表作『日食概説』も、日食計算の新時代を告げるもので、そうした意味でも、「空の旅」に展示する意味は大いにあったのです。


さらに、この地図の売り手が強調していたのは、当時まだ未踏の北極地方の表現が、地図史の上からも興味深いということで、確かにそう言われてみれば、この極地方のブランクは、科学の進歩における領域間の非対称性を、まざまざと感じさせます。(北極以外も、このハラシュカの地図には、16世紀の地図のような古拙さがあります。)


遠くの天体の位置計算がいかに進歩しようと、足元の大地はやはり生身の人間が目と足で確認するほかないのだ…などと、無理やり教訓チックな方向に話を持って行く必要もないですが、当時はまだ広かった世界のことを思い起こし、そこから逆に今の世界を振り返ると、いろいろな感慨が湧いてきます。


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▼閑語(ブログ内ブログ)

ハラシュカの地図じゃありませんが、生活者たる身として、遠い世界と同時に身近な世界のことも当然気になります。

安倍氏とその周辺は、公然と改憲を叫び、共謀罪の成立を目指しています。
その言い分はすこぶるウロンですが、それを語る目元・口元がまたウロンです。

何せ、スモモの下では進んで冠を正し、瓜の畑を見ればずかずかと足を踏み入れ、そして袂や懐を見れば、何やらこんもり重そうに膨れている…そんな手合いですから、その言うことを信じろと言う方が無理です。

彼らは冠よりもまずもって身を正すべきです。
議論は全てそれからだと私は思います。