続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(3)2013年04月26日 23時02分34秒

「探検バクモン」をご覧になりましたか?

番組には「人類史を書き換えたラミダス猿人の歯の化石」やら、「スミソニアン博物館から引き合いが来た昆虫標本」やら、「世界に3セットしか残っていない、歴史的ダイヤモンドの貴重なレプリカ」やら、“さすがは東大!”と思わせるものが続々登場し、単純に凄いと思いました。言うなれば、あれは「歴代皇帝の秘宝展」的な、豪華珍品主義の世界ですね。

でも、番組の終わり近くに登場した、西野氏のこだわりの展示を見て、インターメディアテクには、また別の顔もあることを知りました。

その展示とは、鉱物結晶模型や、スクリューの模型や、変わったガラス壜などを、小ぶりのキャビネットに並べて、何の説明もなしにポンと置いてあるというもの。
氏の狙いは、そうした雑多なモノたちの集積から、<かたち>の面白さ、幾何学的形態の妙を感じ取ってもらおうというもので、その試み自体面白いと思いましたし、その場で西野氏が「僕の独りよがりかもしれないけれど…」と、ぼそっと呟かれたのが、いっそう印象的でした。

芸には往々にして「表芸」と「裏芸」があって、裏芸にはいっそう濃やかな味があるものです。インターメディアテクにも、西野氏自身にも、まだまだ語られざる裏芸があるのでしょう。少なくとも、小石川に漂っていたモダンアートの空気は、今なお健在のようです。

   ★

さて、前々回の記事のつづき。

東大というフィールドを得て開花した西野氏の取り組みは、1997年、安田講堂を使った「東大創立120周年記念『東京大学展』」という大規模展に結実します。そして、これまた『芸術新潮』の誌上で特集を組まれました(97年12月号)。



その時の表紙を飾った煽り文句は、やっぱり東京大学のコレクションは凄いぞ!」「ここ掘れ、東京大学」「あの安田講堂を覗いてびっくり!金では買えない逸品から、どこが研究なんだと首をかしげる珍品まで/長く険しい学問の道は、かくも豊かな驚きに満ちていた!」というものでした。

この辺が、なんとなくインターメディアテクの表芸に近いような…。

上記特集中、西野氏は荒俣宏氏との気の置けない対談の中で、その経緯と意図をこう述べています。

---------------------
荒俣 〔…〕でもどういうきっかけで、こういう展覧会が実現したんですか。
西野 120周年記念展の企画を出せと去年の秋に言われて…。じつは以前から総合研究博物館の展示をやっていて感じていたんだけれど、古い博覧会形式の学術資料展をやってみたいと思っていた、それも安田講堂のような空間で。それが今回、実現できたんです。
荒俣 グランド・デザインは西野さんがやられたんでしょう?
西野 ええ。会場中央の〝神殿〟というのは、実はギリシア神殿のプロポーションになっていて、その上にローマ彫刻が乗っている。神殿の正面に立つと、壇上のミイラのケースの枠が十文字に見えるんです。これを十字架に見立てると、エジプトからギリシア、ローマ、キリスト教まで入っていて、これが西洋文明の基軸をなす。その周りにもろもろの学術が展開していくという…。
荒俣 なるほどね、そういう構成になってたわけか。西野さんの深い意図がよくわかりました。
西野 もうひとつ言うと、フランス語でいうところの珍奇物を集めた部屋〔原文ルビ/シャンブル・ド・キュリオジテ〕とか、驚異の部屋〔同/ヴンダー・カンマー〕をなんとかして作りたかった。だから現代の博物館展示からすると、わかりにくいかもしれない。編年的に並んでいるわけでも、分野別になっているわけでもないですから。
荒俣 やっぱりそうか!
---------------------


(いずれも同展会場風景、上掲誌より)

衒学的とも思える展示プラン、ヴンダーカンマーの意図的再現、そこはかとなく漂うアートの香り。表芸である豪華珍品主義の方は、おそらく西野氏ならずとも成し得たと思いますが、こうした裏芸こそが氏の真骨頂なのでしょう。

(この項つづく)

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来(補足)2013年04月24日 06時09分16秒

西野氏の歩みを振り返る作業はさらに続ける予定ですが、その前に一服。
インターメディアテクを訪ねる「探検バクモン」の後編。その放送が、本日23時からNHKであると書きましたが、確認したら「22:55から」でした。訂正します。5分間分見逃されることのなきよう。

■番組公式ページ
 http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130424.html
 探検バクモン:博士の愛したコレクション 完結編
 4月24日(水)午後10:55~11:20放送


上記ページから勝手に切り張りすると(※)

「世にも奇妙な博物館に大潜入!東京大学の博士たちが知を切り開く友とした貴重なコレクションが続々。巨大な昆虫に、どでかいダイヤモンド!?数学的ファッション!?」

…というように、前回に続いて珍&驚系コレクションが紹介された後、それだけにとどまらず、館長である西野氏そのものにも焦点を当てて、その展示意図の一端を明かす内容になっているようです。

「〔…〕実は、この博物館は、知の歩みを集めただけではない。そこには、館長が仕掛けた大いなるナゾが潜んでいる。例えば、数学・鉱物学・流体力学の研究で使われた、一見バラバラな標本がわざわざ隣り合わせで並べられているが、その意図にこそ、館長の知のたくらみが隠されている。そのナゾとはいったい・・・?爆笑問題が挑む!」

うむ、これは興味深い。NHKもなかなか目配りが良いですね。
(あるいは、これも氏のメディア戦略の一環か…?)


(※)4月25日付記
 上記の引用は、番組放映前のもの(予告)です。現在は内容が書き換わっており、上記文章はリンク先ページにはありません。

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(2)2013年04月23日 06時06分29秒

西野嘉章氏(1951-)。東京大学総合研究博物館々長。
元は美術史、特に中世の宗教美術を専攻されていた方です。

(研究室の西野氏。「BRUTUS」 2008年8月1日号より)

西洋は知らず、日本におけるヴンダーカンマー・ブーム (まあ、ブームとまでは言えないにしろ、それをもてはやす一種の文化的ムーブメント)を考えるとき、その淵源は、澁澤龍彦の綺想エッセイや、1980年代に巻き起こった博物学ブームあたりに求められるでしょうが、それをさらに決定付けたのが、90年代に入って西野氏が仕掛けた各種のイベントだったと思います。

現在、各地の大学が古い学術資料(標本やら剥製やら)を学校の隅っこから引っ張り出してきて、博物館の体裁を整えていますが、そもそも、そうしたゴミのような資料(西野氏言うところの学術廃棄物)が、「陳列するに値するもの」であり、それどころか博物館の主役にもなり得るものだと知らしめたのは、ひとえに西野氏の功績ではありますまいか。

   ★

西野氏は1994年に弘前大から東大に転じ、当初から大学に残された学術標本の評価と、その対外的な発信方法に腐心されてきました(…と勝手に断じていますが、私は西野氏にお会いしたことはないので、以下はすべて傍から見ての想像です)。

当時はまだ東大総合研究博物館はなくて、前身の東大総合研究資料館の時代(博物館のオープンは1996年)。もちろん、資料館時代にも展覧会は行われていましたが、ファインアートとの接点はありませんでしたし、「魅せる展示」にも気を配っていなかったと思います。そして最も欠けていたのが博物学的好奇心。

西野氏が東大に赴任した翌年、雑誌「芸術新潮」の1995年11月号は、「東京大学のコレクションは凄いぞ!」という特集を組み、その煽り文句は えっ、これは何?こんなものまで… 日本の最高学府・東大に眠っていた、希少かつ珍奇な「学術資料」たち」 というものでした。この特集自体、西野氏が仕掛けたメディア戦略の一環だろうと、私は睨んでいますが、ともあれ現在のインターメディアテクに通じる路線、言うなれば「アーティスティックなヴンダー路線」は、この時期に定まったと言えるのではないでしょうか。



上記特集の中で、西野氏は「希少ならざるはなく、珍奇ならざるはなし」という正味3ページほどの短文を寄せています。そこには氏の基本的視座が明快に述べられており、それこそが「博物誌的視座」でした。

 「東京大学コレクション」には、およそ想像の許すかぎりのものが含まれている。その意味では、これは「コレクション」のコレクションなのである。それらも、とどのつまりがモノの集積にすぎぬわけだが、全体を見渡す博物誌的な視座さえ確保できるなら、かくも魅力的なものはないのではないか。二十万点を超える植物標本、五千体に及ぶ古人骨、明治から戦前にかけての乾板写真、東アジアの古文物、水産動物や昆虫の標本、古生物の化石、岩石鉱物の標本など、どれもが博物誌的宇宙の構成要素なのである。

 〔…〕これらの量と質、多様性と偏在性、希少性と珍奇性こそ「東京大学コレクション」の魅力なのだろう。現代人が忘れて久しい博物学的な好奇心、それをこれほどまでに惹起する場所が他の何処にあろうか。 
(『芸術新潮』 1995年11月号、p.65)


(この項つづく)

続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(1)2013年04月22日 06時19分41秒

先日、NHKの番組「探検バクモン」で、東大が東京駅前にオープンした新博物館・インターメディアテク の紹介があったこと、さらにNHKオンデマンドで、今もそれが視聴できること(有料)を、コメント欄で教えていただきました。
(参照URL http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20130417.html

会員登録すると、105円で見逃した番組を見られるそうで、さっそく105円払ってじっくり眺めました。番組の方は前編・後編に分かれていて、今回放映されたのは前編です。後編の方は、今週水曜日の23時から放映されるので、興味のある方はぜひ。

以下、前編を見ての感想と、そこから連想したことです。

   ★

展示品には小石川から横滑りしたものも多く、一種の既視感、安心感がありました。
が、小石川の「驚異の部屋展」と違う点ももちろんあって、その最大のものが展示パネルの存在でしょう。
小石川では徹底して説明を排し、「文字情報を介さずにモノ自身と向き合うべし」という潔い姿勢で観客に臨んでいましたが、インターメディアテクでは、画面で見る限り、主要なモノには全部説明文が添えられているようです。



(番組映像より。上:巨鳥エピオルニスの化石、下:キャビネット中のこまごま標本。
いずれも、傍らに説明文が添えられているのに注目。)

小石川は、言うなればあの空間全体が、1つのインスタレーション作品でしたが、今度のインターメディアテクは、個々のモノの魅力を主とする「普通の博物館」に戻った…ということかもしれません。現館長の西野嘉章氏の歩みを振り返るとき、これはある意味、原点回帰とも言えます。

(以下、西野氏と東大ヴンダーの関わりを振り返ってみます。この項つづく。)

東大発ヴンダーの過去・現在・未来2013年04月02日 06時18分26秒

ヴンダー好きの人、特に理科室系ヴンダー好きの人にとって、東大総合研究博物館の小石川分館は、まさに聖地と呼ぶべき場所でした。それはひとえに、同館で2006年から常設展として開催されていた「驚異の部屋-Chamber of Curiosities」展の力によります。この展示空間が日本のヴンダー好きに与えた影響は、いくら強調しても強調しすぎということはないでしょう。

私が小石川を訪れたのはいつも雨の日でした。
静謐で、冷やかで、それでいて華やかなモノたちの祝宴。
このまま何ひとつ変わることなく、未来永劫続くかと思われた同展も、残念ながら昨年9月をもってついに終了となりました。

それを知って、ヴンダー好きのひとりとして、実に空虚な感じ、寄る辺ない感じを味わったのですが、さすがは東大、さすがは西野嘉章館長。新たなヴンダーの種は首都のど真ん中に早々とまかれており、それが先月ついに芽を吹きました。東京駅前のJPタワー(旧東京中央郵便局)に、3月21日にオープンした「学術文化総合ミュージアム インターメディアテク」がそれです。


インターメディアテク公式サイト
 
http://www.intermediatheque.jp/

上記サイトによれば、その内部空間は

「レトロモダンの雰囲気を醸し出す空間演出をデザインの基調とし〔…〕21世紀の感受性に働きかける折衷主義的様式美——仮称「レトロ・フュチュリズム」——の実現を企図」

しており、そこに展示されるのは、

「総合研究博物館の研究部ならびに資料部17部門の管理下にある自然史・文化史の学術標本群である。ミンククジラ、キリン、オキゴンドウ、アカシカ、アシカの現生動物、さらには幻の絶滅巨鳥エピオルニス(通称象鳥)などの大型骨格については、本展示が最初のお披露目の場となる。また、(旧)医学部旧蔵の動物骨格標本と教育用掛図も、本格的な公開は今回が初めてとなる。〔…〕

また、学外の機関・団体からのコレクションの寄託ないし貸与もいくつか実現した。主なものとして、財団法人山階鳥類研究所の所蔵する本剥製標本(多くは昭和天皇旧蔵品)、江上波夫収集の西アジア考古資料コレクション、岐阜の老田野鳥館旧蔵の鳥類・動物標本、江田茂コレクションの大型昆虫標本、仲威雄収集の古代貨幣コレクション、奄美の原野農芸博物館旧蔵の上記マチカネワニを挙げることができる。」


…とあって、本郷本館と小石川分館でこれまで行われてきた展覧会の精髄を結集した、実に豪華な展示であるようです。

ただし、その分きゅうくつな部分も増えて、小石川ではバンバン写真も撮り放題でしたが、今度はそういうわけにはいかず、ネット上での露出度も低かったのですが、以下の記事を見て、ようやく館内の様子がほの見えてきました。

JDN Station:学術文化施設「インターメディアテク」オープン
 http://www.japandesign.ne.jp/station/articles/view/178

元郵便局の集配業務に使われていた、長さ66メートル、幅12メートルの細長いフロアに、装飾的な木製キャビネットを作り付け、骨あり、蟲あり、剥製あり、人工物ありの、奇態なモノ尽くしの空間を作り上げている模様です。

長大な単一空間は、博物館としては使いづらいと思いますが、見ようによっては昔の王宮の間のようでもあり、これぞヴンダーカンマーならぬ、新たな「ヴンダーパラスト(驚異宮)」なのかもしれません。

何はともあれ交通至便の場所ですし、こんど東京に行く際は、真っ先に訪ねてみようと思います。

冬の京都へ(前編)…島津創業記念館再訪2013年01月28日 20時49分38秒

今回の小旅行の行き先は京都でした。
主目的は寺社参拝というオーソドックスな旅で、しかも連れがいたので、理科趣味的色彩は薄い旅でしたが、合間を縫って島津創業記念館を再訪したので、そのことをメモしておきます。

   ★

一昨年訪問した折(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/10/21/6165208)は、島津の旧本社ビルが改築中で、その優美な姿を見ることができませんでしたが、今回は十分楽しむことができました。

(今回はカメラを持参しなかったので、携帯で撮った小さな写真で雰囲気だけお伝えします。)


かつての科学技術の牙城も、現在は「FORTUNE GARDEN KYOTO(フォーチュン・ガーデン・キョウト)」というレストラン&ウェディング施設に衣替えしており、古き科学の香りを探るべくもありませんが、その分、部外者が気軽にモダン建築の妙を味わえるようになったのは喜ぶべきことかもしれません。ちなみに、記念館の方に伺った話によると、敷地と建物は依然として島津製作所の所有で、それをフォーチュン・ガーデンに賃貸ししているのだそうです。

(記念館でもらったフォーチュン・ガーデンのパンフレットから。中には重厚なムードのバーもあるそうで、これはちょっと行ってみたい。)

   ★

さて、肝心の記念館の方ですが、展示内容はほぼ同じでも、前回より心を落ち着けてじっくり見て回ることができたので、とてもよかったです。何事も繰り返し見ることが大事だと実感しました。




今回嬉しかったのは、前回はなかった18ページの紹介パンフができていたことです(100円也)。いずれ、完全な収蔵品目録が作られることを期待したいですが、その一部にしろ、こうして解説付きのきれいな印刷で見られるのは嬉しいことです。


前回はあまり見ずに通り過ぎてしまった、グレゴリー式反射望遠鏡。各地の学校から寄贈された理科機器の一部として展示してありました。メモ代わりに撮った写真が、メモの役割を果たさなかったのが残念ですが、刻印されている名称はオランダのメーカーのもので、寄贈元は(たぶん京都の)大谷高校だったと思います。


先日、「ジョバンニが見た世界」の連載の中で、グレゴリー式望遠鏡を取り上げたので、特に印象深く思ったということもありますが、それ以上に気になるのは、この望遠鏡の来歴です。大谷高校はその前身をたどっても、明治8年(1875)の開学であり、この望遠鏡はそれよりもずっと古いもののはずですから、なぜこれが同校に伝わったかは、ちょっとしたミステリー。

関係者が学校に寄贈したものだとしても、大谷高校は浄土真宗大谷派(東本願寺)が母体の仏教系の学校ですから、お寺さん関係の人で、こんなハイカラなものを持っている人がいたのかどうか…?

昭和の時代に入れば、浄土真宗木辺派の管長を務める傍ら、鏡面研磨の達人として名を馳せた木辺成麿氏のような傑物や、あるいは浄土真宗本願寺派の僧籍にありながら、地球儀製作を業とするようになった渡辺雲晴氏(渡辺教具初代)のような異才もありますが、江戸・明治の昔にも、天文趣味を追究した僧侶がいたとすると、なんだか愉快な気分になります。

   ★

島津創業記念館を見た後は、これまた以前からこだわっている、戦前のコンクリート校舎の実例を見るために、旧・京都市立明倫小学校を訪ねました。そのことも書いておこうと思いますが、ちょっと文章が長くなったので、ここで記事を割ります。

(この項つづく)

マルセイユ自然史博物館2012年07月22日 20時47分40秒

このあとも密教の話題が怪しくつづく予定ですが、いずれにしても理科趣味とは縁遠い話なので、この辺でちょっと一服して、別の話題をはさみます。

   ★

季節柄、海にちなんで、潮の香りがただよう南仏マルセイユを訪ねることにしましょう。
↓は、マルセイユの自然史博物館の館内。1910~20年代の古絵葉書です。


同博物館は、モングラン侯爵、ヴィルヌーヴ=バルジュモン伯爵といった旧貴族の肝いりで1819年に創設され、もうじき創立200年を迎える、由緒ある博物館です。現在の場所(ロンシャン宮)には、1869年に移転してきました。

そのコレクションの核となったのは、同地に18世紀からあった「キャビネ・ド・キュリオジテ」すなわち「驚異の部屋」であり、その後、19世紀フランスにおける博物館ブームの追い風を受けて発展した…というようなことが、下の公式サイトには書かれています。
大英博物館もそうですが、ここも古いヴンダーカンマーから、現代的な博物館が生み出された歴史を体現している施設の1つなのでしょう。

マルセイユ自然史博物館 公式サイト
 http://www.museum-marseille.org/

さて絵葉書に戻ります。
建物の造作が全体にイタリアっぽいのですが、フレスコ画風の壁画にも、ちょっとイタリア趣味を感じます。しかし、その画題がいかにも珍妙。キャプションを見ると、「哺乳類総合コレクションおよび古生物学コレクション」とあって、この部屋の主題を表現しているのだと分かりますが、うーん、何というか、実に味のある絵です。

そして肝心の展示が、これまたすごいですね。
剥製&骨&化石のオンパレードですが、その展示密度が尋常ではありません。これだと、陳列ケースの間を人がすれ違うこともままなりません。これは「見せる」ことよりも、むしろ「見せつける」ことに主眼があるとおぼしく、この点において、この展示は(おそらく展示者の意図を超えて)ヴンダーカンマーへと先祖返りしているようにも見えます。

科博の形は飛行機の形?…言わずもがなの補遺2012年03月19日 06時00分50秒

最近、過去記事にコメントをいただき(Soraさま、ありがとうございました)、「上野の国立科学博物館旧本館(現日本館)は飛行機の形をしている」という話題に再び関心が向きました。

「科博は『飛行機の形』をしている。」
これは100%正しい陳述です。実際、上から見ると「飛行機の形」をしていますから。

(グーグルマップより)

ただ、ここで注意を要するのは、「飛行機の形」と「飛行機を模した形」は似て非なるものだという点です。あえて尾籠な例を挙げると、隅田河畔のアサヒビール社屋のオブジェは「排せつ物の形」をしていますが、「排泄物を模した形」をしているわけではありません(あれは炎を模しているらしいですね)。

しかし、改めてネット上に流布している情報を拾い読みすると、判でついたように「当時最先端の科学技術の象徴である飛行機の形を採用した」と紹介されているので、ちょっと心に影が差しました。

これは、科博の公式サイト自身が「日本館を上空から見ますと、建築された当時(昭和5年)の最先端の科学技術の象徴である飛行機の形をしております」と書いているので(http://www.kahaku.go.jp/news/2007/0417open/info.html)、当然といえば当然です。しかし、この点については十分な留意が必要で、科博の記述はいささか不用意に過ぎると思います。

底堅い事実は、『国立科学博物館本館改修工事報告書』(平成19年)が述べているように、

「本館の設計は、当初から飛行機型の平面をしていたのではなく、設計の途中で飛行機型平面に変更されている。当時の最先端技術の象徴である飛行機型を採用したとも言われているが、正確な理由は不明である。」(p.17)

ということに尽きます。これが、徐々に

「正確な理由は不明であるが、当時の最先端技術の象徴である飛行機型を採用したと言われている」
   ↓
「当時の最先端技術の象徴である飛行機型を採用した」

というふうに省略・変形されて世上に流布しているのだと思いますが、これこそ「歴史的事実」というものが、いかにして人々によって構成され、共有されていくかを示す生きた実例で、その過程自体、大変興味深く感じられます。

「当時の最先端技術の象徴である飛行機型を採用云々」という説は、確かにそういう口承もあるので、都市伝説とまで言うと言いすぎですが、しかし「Aだとも言われている」のと「Aだ」の違いには、やはり敏感であるべきではないか…と思います。


【参考記事】
○科博の形は飛行機の形?
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/04/5383306
○科博の形は飛行機の形? アンサー編
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/10/14/5413688
○科博の形は飛行機の形? ファイナルアンサー編
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/11/05/5473162

暗黒・耽美・驚異のアーカイブ2012年01月13日 20時52分10秒

(出典:http://laboratory.vicious-sabrina.com/

以前(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/09/24/6111609)、中目黒の「博物Bar」と共にご紹介した創作ユニット、Vicious Sabrina。

彼らは、ダークでヴンダーな味わいのアクセサリーを制作・販売しつつ、その過程そのものが1つの表現行為でもあるという、そんな人たちです。彼らのブログ Vicious Sabrina Archives (http://vicioussabrina.blog72.fc2.com/)は、新作リリース情報などのプレス機能を果たすと共に、その創作の源である、美しいもの、不思議なもの、奇怪なものを集積するアーカイブ機能も有しており、最近再訪したら、その幅はますます広く、奥行きもいよいよ深くなっているようでした。

たとえば、Museum Archivesでは、ロンドンの医学系博物館や、フリーメイソンに関する資料館と並んで、あの(とあえて言いましょう)ウィリアム・ハーシェル博物館の探訪記までも取り上げており、私は思わずポンと膝を打ちました(本当に打ったわけではありません)。

彼らの心が向かう先には、墓場あり、廃墟あり、博物図あり、解剖学あり、そしてカルトな人気を集める映像作家・クエイ兄弟あり…という具合で、こういう対象に惹きつけられる人々は、心をグイとわしづかみにされることでしょう。しかも、最近はオリジナル作品ばかりでなく、博物系アンティークの商いも徐々に始まっており、なかなか目を離すことができません。

脂の乗った、まさに旬のサイトとして、同好の士に広くお勧めする次第です。

ひっそりと眠る驚異の博物標本室2011年12月27日 20時45分03秒

この頃は5時ともなれば、辺りはとっぷりと暮れ、しかも空気が乾燥しているせいで、おぼろな感じがなくて、黒々とした夜空が頭上に広がっています。
今日、仕事帰りに西の空を見上げたら、駅舎の上にかっちりした三日月と金星が、並んで光っていました。何だかその脇に「足穂」と落款を押したいような、実に絵になる光景でした。

   ★

さて、1つ前の高校生の理科の話題、ヴンダーカンマーの話題から、三題噺的に話を続けます。

真に驚くべきものは、人知れずひっそりと、そして意外に身近な場所にあるのかもしれません。驚異の部屋に憧れる人、博物趣味に思い焦がれる人が、呆然となるような場所が、都内豊島区にあるのを発見しました。私もつい先日知ったのですが、見た瞬間、我が目を疑いました。

それは学習院高等科の標本保管室です。

公式サイトはこちら。
学習院高等科 標本保管室
 http://www.gakushuin.ac.jp/bsh/museum/hyouhon/


リンク先には、掛図の紹介ページと、生物・骨格標本の紹介ページとがあります。詳細なデータはありませんが、いずれも驚くほど良質の資料と見受けられます。しかも、同室にはとびきりの鉱物標本も所蔵されていることを、下のページで知りました。きっと他にも知られざる逸品が収蔵されているのでしょう。まさに博物学の一大聖地。

■ホネホネの年の瀬:もきログ(by トモキチさん)
 http://mokizo.blog81.fc2.com/blog-entry-247.html

   ★

こうした品が、なぜ大学ではなく、高校という中等教育機関に所蔵されているのか、そのこと自体不思議ですが、その辺の経緯は下のページに略術されていました。

■旧制学習院歴史地理標本室コレクション:学習院大学東洋文化研究所
 http://www.gakushuin.ac.jp/univ/rioc/vm/c01_zenkindai/c0104_hyouhon.html

それによれば、学習院所蔵の博物資料群は、そもそも旧制の学習院で、博物学教育に供するために設けられた「標本室」がルーツでした。これらの貴重な標本は、残念ながら関東大震災でいったん全て失われてしまうのですが、その後、新たに建てられた理科特別教場に再び「博物学標本室」が設けられ、昭和初年以来、熱心に標本の収集活動が続き、それが戦後になって同校高等科に移管され、現在に至るという流れです。

要するに、これらの標本は本来、旧制高校ないし大学に相当する高等教育機関が収集したものであり、コレクションの質と量の豊かさは、そのことの直接的反映です。

しかも、学習院は今でこそ一私立学校ですが、戦前にあっては(文部省ではなくて)宮内省が管轄する、皇族・華族のための特殊な官立学校で、国家の強力な後ろ盾がありましたし、何と言っても、博物学は「殿様の学問」として大いに奨励されましたから、そのコレクションの充実ぶりは当然といえるかもしれません。
とにもかくにも瞠目すべき空間であり、標本群です。

もちろん私は、即座に学校に電話をして、見学が可能かどうか問い合わせました。しかし残念ながら、学習院側の回答は「一般には公開していないので、見学は不可」というものでした。

まあ、今後何らかのルートで許可が得られる可能性もなくはないでしょうが、今のところそういうルートが思い浮かばないので、当面は想像の世界で、ひそかに探訪するしかありません。しかし、だからこそ謎めいた妖しい魅力がいっそう増す気がします。

ともあれ、学習院の生徒さんは、精一杯そのメリットを享受し、すべからく博物趣味の涵養に努めていただければと念願しております(←余計なお世話でしょうが)。