ヴンダーカンマー雑考2010年03月29日 21時41分08秒

今日の月齢は13。満月にはちょっと早いですが、十分に丸い月が空に冴えかえっています。今日は大雪の地方もあり、まさに雪月花をいちどきに楽しめる不思議な日でした。

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理科準備室とか、博物館の収蔵庫とか、古書に埋もれたアーカイヴとか、何となく怪しげな空間が好きです。何か奇怪なものや、不思議なものがありそうな空間が。

ただ、そういう空間を身近に作ろうとすると、ちょっとした矛盾というか困難に直面します。
怪しげな空間に身を置きたいのであれば、私は周囲にある物の正体を知っていてはならないわけです。正体が分からないからこそ怪しげなわけですから。

しかし、正体の分からないものを、正体の分からないまま買い込むことなど、懐が許すはずもありません。それに、(この辺はちょっと微妙な感覚ですが)誰かがそうした怪しげな品の正体を知っていると思えばこそ、安心してその「アヤシゲ」を楽しめるという側面もあって、それが自分の所有物ならば、当然その「誰か」とは自分しかいません。

要するに、私は自分の所有物の正体を、「知っていてはならず、同時に知っていなければならない」というのが基本的な矛盾。

これは考えてみれば変な問題の立て方だと思いますが、でも昔のヴンダーカンマーの持ち主たちも、たぶん同じ問題に悩んでいたんじゃないかという気がします。
つまり、一方には目にする物の正体を知り尽くしたいという欲求があり、他方には常に心を驚異の念で満たしておきたいという欲求があり、両者の相克に彼らは苦しんだはずです。

この矛盾を止揚する方法はただ一つ。
既有の物が陳腐化する前に、常に驚異を与えてくれる新たな蒐集物を付加しつづけことだけです。ヴンダーカンマーが、明確に強迫的な色合いを帯び、多くの場合、質よりも量に物を云わせがちだったのは、そのせいだと思います。

彼らは、一種の<驚異依存症>の状態だったのでしょう。
すぐれて人間的であると同時に、何とも業の深いことです。

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