遠い日のアポロ2019年04月03日 06時09分47秒

ただでさえ忙しい年度替わり。そこに突発事態が生じては、もうどうにもなりません。
そんなわけで記事の更新も中断しています。

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ときに、最近「おっ」と思ったのが、イギリスの天文史学会(SHA)の最新の会報が、「月着陸50周年」を特集していたこと。


アポロは、ずいぶん前から歴史のひとコマになっていたと思いますが、SHAがそれを取り上げた…というのは、その歴史性にいっそう重みが加わった感じです。

(下のリンク先参照)

何せ、過去にこんな記事を書いたように、SHAの会員といえば、主に19世紀以前の天文事績をたどることに熱心な、総じて古風な振る舞いの目立つ人々ですから、その彼らが、こうして月着陸を回顧しているのを見ると、アポロもいよいよ遠くなりにけり…の感が深いです。

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そんなわけで、天文古玩もアポロの話題です。

(この項つづく)

飛び出せ!アポロ2019年04月05日 06時27分18秒

アポロの影響は文字通り全地球的だったので、アポログッズは無尽蔵に存在するし、アポロコレクターも、アメリカを中心に結構な数がいると思います。

私の場合、アポロものは基本的に守備範囲外なので、ほとんど持っていません。(いったん集め出したら、他のものをすべて断念しても追いつかないでしょう。文字通り沼です。) でも、幼いころの記憶に連なるものだし、何もないのも寂しいものです。

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アポロものというと、時代相からして、あざといものが多い印象ですが、これは今の目で見てもカッコいい本。

(高さ約23cm、絵本としては小さなサイズ)

■Stanley Hendricks(文)、Al Muenchen(絵)、Howard Lohnes(構成)
 ASTRONAUTS ON THE MOON: The Story of the Apollo Moon Landing.
 Hallmark Cards (Kansas), 1969.

これは8つの場面(見開き)から成る、いわゆるポップアップ絵本です。
でも、子供だましの感じはなくて、正確さを旨とする教育的配慮の行き届いた本です。ブックカバーを外した本体のデザイン↓も洒落ているし、絵柄も全体に落ち着いています。

(背表紙は銀文字)

表紙を開くと、サターンⅤ型ロケットがどんと直立します。


みんなが固唾をのんで見守る中、ケネディ宇宙基地では、打ち上げの秒読みが始まります。やがてロケットは轟然とオレンジ色の炎を吹き出して、ゆっくりとリフトオフ。



この後、宇宙飛行士たちは、いったん地球周回軌道に入った後、さらに加速して月へと向かいます。


月面に接近する月着陸船。
相棒の司令船を探すと…


はるか上空に浮かんでいるのが見えます(ピンと伸びた針金の先に貼り付いています)。


次のページを開くと…


すっくと月面に降り立った月着陸船の雄姿があります。


数々のミッションをこなした後、2機は再び月上空でドッキング。
司令船に乗り込んだ3人の宇宙飛行士は、青い地球を目指す帰路に就きます。


ザッバーン!
3日間の飛行の後、3人は無事、太平洋に着水。
こうして1969年、人類初の有人月旅行は成功裡に終わり、地球中の大人と子どもが、新しい時代に突入したことを実感したのでした。

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そう、たしかに新しい時代は到来したはずなのです。
この50年で、世界も日本もずいぶん変わりましたから。

でも、相変わらず世間に醜悪なニュースの種は尽きません。
何だかなあ…とは思いますが、ここから人間についてなにがしかのことを学ばないと、それこそ進歩がないので、辛抱してじっと目を凝らそうと思います。

かりそめの光を永遠に固定する~写真術の誕生2019年04月06日 09時39分17秒

天文学の革命といった場合、そこには観測手段の革命と理論の革命があります。

人間の知の進歩という点では、後者に分があるかもしれませんが、前者なしに後者は生じなかったので、観測手段は、理論の偉大な母です。まさにホモ・サピエンス(知性人)とホモ・ファーベル(工作人)は、人類一座の二枚看板。

そして、観測手段の革命といえば、何といっても17世紀の望遠鏡の発明でしょうが、それに匹敵するのが、19世紀の写真術と分光学の誕生です。肉眼の限界を超えた微光世界の探求と、正確な位置測定。スペクトルに基づく天体の組成解析と、スペクトル偏移による運動量の決定――。それによって、人類は巨大な空間の壁を超えて、宇宙に探り針を入れることができるようになりました。

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そんな背景もあって、日本ハーシェル協会の掲示板に、写真術の草創期をテーマにした展覧会の案内が掲載されていたので(会員の上原氏に感謝です)、こちらでもご紹介します。


■写真の起源 英国
〇会期  2019年3月5日(火)~2019年5月6日(月・休) 
       10:00~18:00(最終入場時間 17:30)
       木・金は20:00まで(最終入場時間 19:30)
       ※月曜休館。ただし、4月29日(月)、5月6日(月)は開館
〇会場 東京都写真美術館 3階展示室
       東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
 「写真の発明に関する研究は18世紀末から始まり、1839年に最初の技術が発表されることで写真の文化が幕を開けます。英国ではヴィクトリア文化に根ざす貴族社会において、研究が発展し、広く文化として波及します。
 本展は、多くの日本未公開作品を手がかりに、これまで日本国内で知られていなかった英国の写真文化の多彩な広がりを展覧します。これは同時に、19世紀の華麗な英国の姿を同時代に制作された写真によって知るとても希有な経験となるでしょう。」(公式サイトより)

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写真術の誕生から完成に至るまでには、多くの才能が関わっていますが、その中でも大きな足跡を残しているのが、学者一家として名を成したハーシェル家の二代目、ジョン・ハーシェル(1792-1871)で、彼は本展覧会でも大きく扱われています。

もっとも、ジョンにとっての写真術は、化学への興味から派生したもので、自分の本業である天文学への応用可能性については、あまり思いを巡らせた形跡がありません。しかし、その研究範囲は、さらにスペクトル線の化学作用にも及び、彼の中では写真術と分光学が融合するという、非常な懐の深さを見せています。

写真術を含む彼の事績の全貌を紹介したのが、以下の良書で、これはぜひ手に取っていただきたいです。

(ギュンター・ブットマン著、『星を追い、光を愛して―19世紀科学界の巨人、ジョン・ハーシェル伝』、産業図書、2009)

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余談ですが、先日古書検索サイトを眺めていて、ジョン・ハーシェルが、1839年に父親であるウィリアム・ハーシェル(1738-1822)の「40フィート巨大望遠鏡」を写した、オリジナル写真が売りに出ているのを見つけました。(写真自体は、1890年に、ジョンの次男アレグザンダー・ハーシェル(1836-1907)が、オリジナルネガからプリントしたもので、プリントの脇には、アレグザンダーと彼の長兄ウィリアム・ジェームズ・ハーシェル(1833-1917)のサインがあります。)


これはガラス板を使った世界最初の写真として、また40フィート望遠鏡を写した唯一の写真として、写真史の本でも、天文学史の本でも紹介される、非常に有名な写真です。しかも、それを額装している木枠は、ジョンが父ウィリアムと共同で製作し、南アフリカに持ち込んで観測に使用した「20フィート望遠鏡」の梯子段の現物(!)をリユースしたという、文句なしの大珍品。

三代目兄弟は、祖父と父親の記念に、これと同じものをいくつかこしらえて配り物にしたらしく、そのうちの一つはロンドンの科学博物館にも所蔵されています( LINK )。

ニューヨークの古書店が付けたお値段は、2万5000ドル、本日のレートで279万円。
もう二けた安ければ、ぜひ購入したいところですが、これはちょっとどうしようもないですね。でも、その歴史性を考えれば、決して高くはないはず。それに、こういうものが売られていることを知るだけで、古玩好きの心は容易に満たされます。

(南アフリカに据え付けられた20フィート望遠鏡。ジョン・ハーシェル自身のスケッチ)

これもアポロ、あれもアポロ2019年04月07日 09時19分26秒

アポロといえば月着陸ですが、正確を期せば、アポロは1号(1966)から17号(1972)まであって、さらに1961年に始まる準備段階も全部ひっくるめて「アポロ計画」と称するんだそうです。もちろん、月に降り立ったのは、そのうちの一部にすぎません。

最初の月着陸を成し遂げたのはアポロ11号で、1969年のことです。
でも、年表を見ると、この年に限っても、地球を周回した9号(3月3日打ち上げ)、月を周回した10号(5月18日)、そして月に着陸した11号(7月16日)と12号(11月14日)…と、計4回も打ち上げが行われています(使用したのはすべてサターンⅤ型ロケット)。

子供だったので仕方ありませんが、そんなことも私の記憶からは飛んでいて、アポロといえば11号の印象だけが鮮明に残っています(その後、繰り返しテレビで映像を見せられたのも大きいでしょう)。

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11号の露払いを務めた9号の雄姿。
AP社が配信した、当時の報道用電送写真です。

(拡大すると、電送写真特有の細かい横縞が見えます)

幾筋ものサーチライトに照らされた夜の発射台に、強い緊張感がみなぎって感じられます。国産のH-ⅡAロケットもずいぶん大きいですが(53m)、サターンV型はさらにその倍以上の高さがあったので(110m)、間近で見たらものすごい迫力だったでしょうね。


裏面の「FEB 30」(2月30日)の文字が一寸解せないですが、まあ普通に3月2日の意味なのでしょう。すなわち打ち上げ前夜の光景です。

スタンプの印字や、貼付された紙面の向こうに堆積した50年の歳月。
思えば、「天文古玩」がスタートした13年前には、まだ40周年も迎えていなかったので、この写真もそれほど懐古モードでは見ていませんでしたが、さすがに50年ともなると、立派に古玩の仲間入りですね。今や平成も懐古の対象だし、ノスタルジーは埃のように日々降り積もるもの哉。

ときに、上で「露払い」と書きました。
確かに11号の陰に隠れて目立ちませんが、3人のクルーにとっては、文字通り命がけの大冒険ですし、アポロ計画全体の欠かせないピースという意味では、11号が横綱なら、9号だって横綱なんだと思います。

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…と書いたそばから何ですが、もう一人の大横綱たる11号も載せておかなければなりません。こちらはUPIの配信です。


打ち上げ当日の1969年7月16日の撮影です。
これもなんだか夜景のように見えますが、打ち上げは現地時間の午前9時32分、右上に輝くのは朝の太陽です。右側の説明文を読むと、特殊フィルター越しに赤外線フィルムを使って撮影したもので、ロケットの噴射する熱線が、きれいな軌跡として記録されています。ちょっと珍しい写真ですね。


裏面を見ると、発射直後ではなく、帰還後の8月13日に配信されたもののようです。
この日、3人のクルーは、ニューヨークとシカゴで盛大な祝賀パレードに臨み、さらにロスアンゼルスへと移動して(慌ただしいですね)、公式晩餐会に出席した…と、ウィキペディアは述べているので、たぶんそれに合わせて配信したのでしょう。


【メモ】
 この2枚の写真、大手新聞社のトリビューンが、経営不振の時期に、自社保管の品をチマチマ小売りしたものですが、どうも利益が薄かったのか、今はやめてしまったようです。(でも、似たような商売をしている業者は、他にもあります。)



【4月9日付記】 
 冒頭に記したアポロの号数について、S.Uさんからコメントをいただきました。重要な点ですので、公開コメントとします。ご参照ください。

植物のかたち2019年04月08日 22時47分29秒

桜も、はや散りがてに―。
昨日の選挙に行くときは上着もいらないぐらいで、カエデやケヤキがまぶしそうに若葉を広げ、歩道脇にさまざまな野草が花をつけているのを、何か不思議なものを見るような気持ちで眺めながら、ぶらぶら近所の小学校まで歩いて行きました。

人間はさておき、植物というのは実に偉いものだなあ…と思います。
そして純粋に美しいものです。そのことで思い出したことを書きます。

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今から4年前の2015年、愛知県美術館の単館企画で「芸術植物園」という展覧会が開かれました。そのときの自分が何か言ってないか探してみたら、こんな記事を書いていました。

芸術植物園…カテゴリー縦覧「ヴンダーショップ・イベント」編
記事を書いたときはまだ見に行ってなかったのですが、その後無事に出かけて、図録もしっかり買ってきました。


今思い起こすと、あれは相当苦しい展覧会でした。

もちろん意味のあるテーマだとは思うのですが、古今東西、植物を描いた芸術作品は無限にあるので、何をどう配列すれば「植物とアート」という巨大なテーマをコンパクトに展示できるのか、その模範解答を提示できる人は、多分いないでしょう。

件の展覧会も、漢代の器物からルネサンスの本草図、近世の花鳥画から現代美術に至るまで、まさに「総花的」展示で、「美」という観点に限っても、植物と人間のかかわりは実に長く且つ深いものであることを示していましたが、同時にかなり混沌とした印象を与えるものでした。

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そうした中で、私の目を強く引きつけたアーティストがいます。
ドイツのカール・ブロスフェルト(Karl Blossfeldt、1865-1932)という人です。

ウィキペディアには、「ドイツの植物学者、写真家、教師」と紹介されていますが、彼が専門の植物学者だった事実はありません(「植物愛好家」という意味で「ボタニスト」ではあったかもしれません)。そして、その写真術も独学です。最初は鉄の工芸家として出発し、建築装飾とデザインを学び、ベルリン王立工芸美術館付属学校で、「生きた植物に基づく造形」という科目で、長く教鞭をとった…という経歴の人です。

まあ普通だったら、あまり注目を浴びることなく、坦々と人生を送ったと思うんですが、ふとしたことで、彼は大いに世間の注目を浴びます。それが彼の植物写真でした。彼は担当教科のネタとして、長年にわたって身近な植物の写真を撮りためていたのですが、その幾枚かがベルリンの画廊に展示されて評判を呼び、写真集『芸術の原型 Urformen der Kunst』(1928)が刊行されたことで、その名は不朽のものになったのです。

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…というわけで、植物のかたちの秘密を追って『芸術の原型』の中身を見に行きます。
もっとも、ブロスフェルトの写真はネットでも簡単に見ることができますが、その書誌がかなり込み入っているので、まずそのことを自分用にメモしておきます。

(この項つづく)

植物のかたち…ブロスフェルト『芸術の原型』について2019年04月09日 21時02分47秒

(昨日のつづき)

ブロスフェルトの『芸術の原型』は、新古いろんな版で出ていて、いったい何を買えばいいのか迷います。著作権の切れた現在、リプリント版もいろいろですが、古書に限っても、そのバリエーションはなかなか多彩です。

まず、『芸術の原型』のオリジナルは、120枚の図版を収録しています。
この点は、1928年にベルリンで出た正真正銘のオリジナル初版も、翌年、英・米・仏・スウェーデンで出た各国語版も同様です。

その後、1935年に<普及版>として、図版を96枚に減らした版が出ました。
これも長く版を重ねて、ずいぶん売れたので、古書市場にはたくさん出回っています。別に普及版が悪いというのではありませんが、オリジナルの姿を求めるならば、ここは要注意です(なお、後のリプリント版にも、120枚と96枚のバージョンが混在しています)。

さらにややこしいのは、1928年の初版には2つの形態が存在することです。
1つは通常の本の形をしたものです。
そして、もう1つは額装して楽しめるよう、あえて製本せず、1枚1枚の図版がバラバラの状態でポートフォリオ(秩)にくるまれたものです。これはごく少部数が作られただけらしく、今では稀本として、古書市場では非常な高値で取引されています。

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私の場合、後版でもいいので、作者と同時代に出たオリジナルを求めたいところですが、今回はちょっと違って、「ポートフォリオ版の現代におけるリプリント」という、折衷案を選択しました。その時の気分として、額に入れて眺めたいという思いが勝ったからです。でも、これまでそうやって眺めたことは一度もないので、ちょっと無駄な力み方だったかも。


Karl Blossfeldt(著)、Ann & Jürgen Wilde(編)
 ART FORMS IN NARURE:New Edition as Portfolio
  Stiftung Fotografie und Kunstwissenschaft (Köln), 2003

それでもこの選択は、やっぱり正解です。
こういうものは、いろいろ並べ替えて、あれこれ比較するところに、一層の面白さがあると思うからです。


それにしても―。
そもそも植物はなぜ美しく感じられるのか?


まず、そこに命が通っているという事実が、人の心に強く訴えかけます。
まあ、命が通っているからといって、それを美しく感じることの説明にはなりませんが、命ある存在として、命ある他者に感応する心の動きが、人間には本来備わっているんだ…と言われれば、確かにそんな気がします。日光を浴びて次々に開く若芽、ぐんぐん伸びる枝の勢い、軽やかに揺れる下草、どっしり聳える大樹…、そんなものを見ると、人は理屈抜きに「あはれ」と呟きたくなるものです。


また、もう一つの要因として、その形が完全に機能的だということがあります。
進化のドラマの中で、より機能的な形態が生き延びるということを、何億世代も繰り返せば、勢い植物が機能美に富むのも当然です。そして機能的なものは、多くの場合、その線や面をシンプルな関数で表現できるとか、何かしら理知的な感興を伴うものです。いわば「をかし」の美。


要は「命の通った機能美」―それこそが植物の美の本質でしょう。
ブロスフェルトの作品が我々の心を打つのも、植物の細部にまで―むしろ細部にこそ―「命の通った機能美」があふれていることを、明快に表現しているからだと思います。

生物のかたち…もう一つの『Art Forms in Nature』(1)2019年04月11日 07時07分08秒

ところで、ブロスフェルトの『芸術の原型』は大層評判を呼んだので、1929年には早々と英語版も出ていて、そのタイトルを「Art Forms in Nature」といいます。

この英題は、同じ名前のまったく別の本を連想させます。
いや、「まったく別」ということはありません。そちらも原著はドイツ語であり、生物の姿形を通して、自然の造形力に驚嘆の目を向けるというテーマにおいて、むしろ大いに共通点があります。

それは、あの有名なヘッケルの『Kunstformen der Natur(自然の芸術的形態)』(1899-1904)です。(その英題が、『Art Forms in (またはof) Nature』。)

(Prestel社版、2004)

エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel、1834-1919)は、ブロスフェルトとは違って、本職の生物学者だった人ですが、この『自然の芸術的形態』は、画面にみなぎる異様なデザイン感覚から、一種の奇書となり、同時代の芸術家のイマジネーションを大いに刺激しました。こうして今もリプリント版が盛んに流通しているのも、その奇抜さのゆえでしょう。

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この2冊の『Art Forms in Nature』は、その「たくまざる幻想性」という点で相似していますが、それは偶然の一致ではなく、ブロスフェルトは、ヘッケルの直接的影響を受けたのだ…と、ウィキペディア子は記しています。

 「『Kunstformen der Natur』は20世紀初頭の芸術・建築・デザインに大きな影響を与え、科学と芸術の橋渡しとなった。特にルネ・ビネ、Hans Christiansen、カール・ブロスフェルト(Karl Blossfeldt)、そしてエミール・ガレ(Émile Gallé)といったアール・ヌーヴォーに傾倒した多くの芸術家らに多大な影響を及ぼした。」

事の当否は不明ですが、時代的には大いにありそうなことです。

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話題をヘッケルの本にしぼります。
この本は、博物画の文脈でも、奇想画の文脈でも、ひところ大いに持て囃されたので、食傷気味に感ずる人もいるかもしれません。それでも、これは面白くかつエポックメーキングな本なので、手元に置かないという選択はありません。

(同上)

これもリプリントの画集が手軽に買えるし、画像だけならネットでも眺められますが、石版の風合いにこだわるなら、やはりオリジナルを…という流れになります。

見ようによっては、まったく無駄な努力ですけれど、まがいの世界が、真正の世界をどんどん侵食している―まさに悪貨は良貨を駆逐する―現状を良しとせず、最後までモノにこだわる人間がいてもいいのです。

(この項つづく)

生物のかたち…もう一つの『Art Forms in Nature』(2)2019年04月12日 18時44分40秒

(前回のつづき)

とはいえ、ヘッケルのオリジナル初版は結構な値段がするので(さっき見たら、下は30万円から上は60万円ぐらいの感じでした)、妥協も交えて私が手にしたのは、1914年()に出た「簡約版(Kleine Ausgabe)」というやつです。



(版元は初版と同じライプツィヒのBibliographisches Institute)


これまたポートフォリオ形式で、中の図版はバラになっています。この辺がささやかなオリジナル感。ただし、100図を収めた初版に対して、こちらは30図しか含まれません。しかも、図版が一部差し替えられています。



第1図~5図はオリジナルに含まれない“地学の美”に差し変わっています。いずれも、同じ出版社が出した『マイヤース百科事典』からの転用です。


この色鮮やかな甲虫図(↑右)や、有色人種の図(↓)もオリジナルにはなくて、たぶん『マイヤース百科事典』からの転用。


…ということは、初版と共通するのは30図中23図のみで、この辺をどう評価するかですが、見ようによって、簡約版は初版よりも一層雄大な構想を示しているとも言えます。何せ、動・植・鉱物の三界に天文・地文現象、さらに我ら人類も加えて、文字通り全自然界の驚異を通覧しようというのですから。

ただ、いかんせん30枚の図版でそれを実現するのは無理で、これは明らかに企画倒れです。まあ、ここは意気に感じて、これはこれで良しとしましょう。ともあれ、この図版の向こうに広がるベル・エポック期の世界に思いをはせ、往事の人々の驚きを追体験できれば、無駄に力んだ目的は達せられるのです。


(この項、おまけとしてもう1回つづく)


)ウィキペディアには「本書は1924年に第2版が出ているが、この中にはたった30枚の絵しか収録されていない」とありますが、実際には上述のように、1924年版に先行して1914年版が出ています。

生物のかたち…もう一つの『Art Forms in Nature』(3)2019年04月13日 06時50分44秒

ところで、『自然の芸術的形態』の図版について、原著(といっても1914年の後版)とリプリントって、どれぐらい差があるのか気になったので、実際に比較してみます。


左が石版刷りの原著で、右がオフセットによるリプリント。
このリプリントは色調もうまく調整されているので、こうして見比べてもほとんど違いは分かりません。むしろピントが合っている分、リプリントの方が鮮明に見えるぐらいです。

実際、現代の印刷技術は進んでいるので、網点が非常に細かいと、ほとんど差が出ません。

(石版)

(リプリント)

写真をうまく撮れなかったので、正確な比較になっていませんが、似たような部位で比べると、これぐらい拡大してようやく差が目立ってきます(それぞれクリックしてください)。まあ、これぐらいなら十分許容範囲だと思いますが、ここが理性と酔狂の分かれ目で、これすらも我慢ならんという人は、オリジナルに行かざるを得ません。

   ★


それと、もうひとつ気になっているのが、ヘッケルの図版の中でもひときわ幻想味の濃いモノトーンの図版についてです。

(一部拡大)

1914年版だと、これらは全て写真製版(網点)で仕上げられています。これは1904年の初版でもそうなのかどうか。リプリント版を見る限り、その可能性はあると思いますが、現物を見るまで断言できないので、これは今後の宿題です()。

漆黒に白く浮かび上がる生物の形態は、いかにも夢幻的な印象を与えるもので、思わず引き込まれますが、写真版だとどうしても黒と白のコントラストが弱くなります。もし、初版が何らかの版画的技法によって、写真版にはない鮮明なコントラストを実現しているなら、酔狂の徒として、ここはさらに思案する必要があります。


【付記】

とはいえ、この辺まで来ると、印刷と版画の区別はだんだん薄れてきます。

「印刷」も版面にインクを載せて刷るという意味では、広義の「版画」に他ならず、彫りと刷りの「手わざ」にしても、後の石版画はだいぶ機械化が進んでいるし、現代の印刷にも名人級の職人がいて、手作業で仕上がりを調整しているんだ…なんて聞くと、だんだん頭がボンヤリしてきます。

むしろ、旧来の印刷と版画をひっくるめて、それと新式プリンタによる今様の印刷を対比させた方がいいのかもしれません。


4月14日 さらに付記】

記事に記した「宿題」の件ですが、博物画といえば何と言ってもこの方、dubheさんにコメントをいただき、早々と解決しました。ありがとうございました。貴重な情報なので私せず、公開させていただきます。結論から言うと、やっぱり1904年の初版も、モノクロ図版は網版だそうです。ただし、そこには注目すべき細目がさらにあるので、酔狂を自任される方はぜひコメント欄をご覧ください。

星のカクテルをどうぞ2019年04月14日 11時07分42秒

「天文古玩」でおなじみの二人、賢治さんと足穂氏は、何がどう違うか?
一言でいえば、賢治さんは下戸で、足穂氏は呑み助だったというのが、まあ一番的を射ているでしょう。両者の文学の本質的な違いは、そこに根ざしています(←適当に書いています)。

もちろん下戸が偉くて呑み助はダメ、あるいはその逆ということもないのですが、何といっても酔狂とは酔って狂うことなり。こと酔狂に関しては、下戸は分が悪いです。そういう意味で、今日は賢治さんの出番のない話。

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見るなり、「え、こんな本があったんだ…」と驚き、かつ嬉しくなったのが、「星のカクテル」のレシピ本です。


板表紙を革紐で留めた、まるで中世の書物のような体裁。酒精をあがめる占星術師を気取っているのかもしれません。

■Stanley S. MacNiel
 ZODIAC COCKTAILS: Cocktails for all birthday.
 Mayfair Publishing Co. (NY), 1940 (copyright 1939)
 (巻末のメモ欄を除き)30p.


表紙を開くと、さっそく目次から星界に通じています。
内容は誕生月に合わせて、12星座のお勧めカクテルがずらっと並ぶというもの。


冒頭はおひつじ座(アリエス)。
左側のページには、酒の席で語るのにふさわしい、他愛ない星占いの知識(おひつじ座生まれの性格、誕生花、誕生石、ラッキーナンバー、おひつじ座生まれの有名人…etc.)が書かれており、肝心のレシピ集は右側です。

まずお勧めされるのは、ベーシックな「アリエス・カクテル」
アップルブランデーとジンを半々、そこにスプーン一杯のグレープフルーツジュースと、スイートベルモットとドライベルモットを少々。全体をよくシェイクし、ストレーナーで濾してグラスに注げば出来上がり。

さて、次の一杯は…と眺めると、「北斗パンチ」があり、「暁カクテル」があり、さらに「早春カクテル」「地震カクテル」「黄経パンチ」…と並んでいます。

こんな風に月日がめぐり、星座ごとのカクテルが次々に紹介されます。


ふたご座の人には、「火星カクテル」「土星シュラブ」「スターゲイザーハイボール」が、


てんびん座の人には、「南極カクテル」「金星カクテル」がお勧めです。


そして1年間の締めくくりはうお座で、


彼らが「海王星カクテル」「皆既日食ジュレップ」のグラスを干したところで、ひとまずは飲み納め。でも星の巡りはとどまることなく、すぐにまたおひつじ座の出番です。

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 「今宵、天文バーのドアを押して、ふらりと入ってきたタルホ氏。
 得難い機会なので、思い切って相席を願い出ようかと思ったものの、なにせ氏は酒癖が悪いと評判なので、どうしようか躊躇っているうちに、早くも氏は隣席の土星と口論になり、あまつさえ懐から物騒なものを取り出して、ズドンと一発お見舞いすると…」

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現実とファンタジーは、あたかもカクテルのように、容易にシェイクされてしまうものです。この確かな実体を備えた本にしたって、著者のスタンレー・マクニールは、「20年間にわたって世界中を旅した、放浪のカクテルコレクター」と名乗っているし、版元のメイフェア・パブリッシングは、NYのロックフェラー・センターの一角、ラジオシティ・ホールに存在すると主張するのですが、もちろんすべては虚構のようでもあります。

星のカクテルを口にすれば、虚実の境界はいよいよとろけて、タルホ氏と土星の声が、はっきりと耳元で聞こえてくるのです。