彗星亭のマッチラベル2022年10月21日 07時34分49秒

冷たい雨にも負けず、コオロギがリーリーと強く鳴き、金木犀の香りが鼻をうつ夜。そして雨が上がれば、歩道で落ち葉が風に吹かれてカサコソと音を立てる朝。

このところ、季節の歩みをしみじみ感じています。
私が使っている手帳は、日々の欄に数字が印刷されていて、今日は「294-71」。
今年が始まってから294日が経過し、残りは71日という意味です。なんとも気ぜわしいですね。

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さて、最近届いた1枚のマッチラベル。


私は自称・彗星マッチラベルのコレクターということになっているんですが(LINK)、久々に見つけた新しい品です。イギリスのシュルーズベリーにある「THE COMET」、すなわち「彗星亭」というパブのマッチです。


シュルーズベリーはイングランド中西部にある人口7万人の町。今も多くの歴史的建造物が残り、あのチャールズ・ダーウィンが生まれ育った場所だとか。

ネットは便利なもので、検索したら彗星亭の正体もすぐに知れました。

Reviews of The Coach
■The History of The Coach Public House, Shrewsbury

彗星亭は、この町の中心近くに立つ古いパブです。最近屋号が変わって、今は「The Coach」の看板を掲げています。もとは「Comet Inn」を名乗った宿屋兼業の居酒屋でした。


マッチラベルで店名の下にある「リアル・エール」というのは、下のページによれば、「樽(カスク)の中で二次発酵をさせるタイプのビール」のことだそうですが、細かい定義はさておき、ニュアンスとしては「昔ながらの製法による、本格派のエール」という点を強調した言い方なのでしょう。日本酒ならば「純米大吟醸」とか「寒造り木桶仕込み」とかの語感に近いのかも。言葉としてはわりと新しく、1971年に生まれたとも記事には書かれています。

■ジャパン・ビア・タイムズ:What is Real Ale?

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ラベルのデザインとしては、黒一色に白い彗星がさっと描かれているだけで、素っ気ないことこの上ないですが、見方によっては、そのかそけき風情に深い詩情も感じられます。


このラベル自体は1970~80年代のものと思いますが、彗星亭の歴史は古く、19世紀にさかのぼります。その屋号は、定期運行の馬車便を、彗星になぞらえたことによるようですが、こういう屋号が登場したこと自体、そのころ彗星が“凶兆”から「カッコいい」存在に変化したことを物語るものでしょう。ちょうど1835年にハレー彗星が回帰したとき、彗星をデザインしたジュエリーがもてはやされたのと、軌を一にするものと思います。


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100円のものが150円になったら、率にして1.5倍ですから、たいそうな値上がりですが、金額にすれば50円の追加出費なので、まだ何とか持ちこたえられます(10万円のものが15万円になったら、それこそお手上げですが)。こうしたささやかな紙ものこそ、円安時代の強い味方であり、たとえ1枚のマッチラベルでも、いろいろ考証する楽しみは尽きません。

彗星ビール2022年10月22日 19時15分37秒

昨日の話題から「彗星ビール」のラベルを話題にしたことを思い出しました。


左はフランスの「ラ・コメット」、右はスペインの「コメット」です(それぞれ過去記事にリンクしました)。

で、紙物の整理帳を開いたら、上の2枚と同じところに、オランダの彗星ビールのラベルも綴じ込んであったので、そちらも登場させます。


左のラベルは、アムステルダムから40kmばかり東にあるアメルスフォールトの町で営業していた、クラーファー社の「コメット印のライトラガービール」、右は「コメット・ラガービール」とあるだけで、メーカー名は書かれていませんが、やはりクラーファー社のものかもしれません。時代ははっきりしませんが、いずれも石版刷りで、1930~50年代のものと思います。

この絵柄を見ると、いずれも彗星から白く伸びた尾が、ビールの泡立ちと重なるイメージで捉えられていたのかなあ…と想像します。彗星は頭部からサーッと尾を曳くし、ビール壜の口からは見事な泡が「It’s Sparkling」というわけです。


こうしてみると、コメットブランドのビールって、結構あちこちにありますね。
ひょっとして日本にもあるんじゃないか?と思って検索すると、果たして「赤い彗星」という発泡酒が、わりと最近売り出されたのを知りましたが、これはもちろんガンダムファン向けの品のようです。

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以下余談。
エールとビールって何が違うんだろう?とよく思います。
思うたびに調べて、そのつど分かった気になるのですが、しばらくするとまた「エールとビールって何が違うんだろう?」と思います。やっぱり分かってないのでしょう。ネット情報のつまみ食いで恐縮ですが、今回は記憶の定着のために、ここに書いておきます。

改めて分かったのは、「エールとビールって何が違うんだろう?」というのは、そもそも変な質問であり、エールは紛れもなくビールの一種だということです。つまりビールの下位区分に「エール」と「ラガー」の2種があり、本当は「エールとラガーは何が違うんだろう?」と問わないといけないのでした。でも、今では「ビール」イコール「ラガー」と思っている人が、英語圏の人にも多いらしく、英語サイトにも「エールとビールは何が違うのか?」というページがたくさんあります。たぶん、両者を「エールビール」と「ラガービール」と言い分けると、その辺の誤解は少なくなるのでしょう。

では、エールとラガーの違い何かといえば、それはずばり製法の違いです。
エールは上面発酵で醸造期間が短く、ラガーは下面発酵で醸造期間が長いという違いがあり、それが自ずと風味の差を生み、芳醇なエールに対し、軽くのど越しのよいラガーという違いがあるのだ…というのが、話の結論です。

(昨日の記事を書く一助に、「English style ale」を謳う缶ビールを買ってきましたが、肌寒くて飲まずにおきました。今日は日中汗ばむほどだったので、芳醇なエールが美味しかったです。)

2023年の空に向かって2022年10月23日 12時38分18秒

名古屋市科学館で開かれていた、「ウィリアム・ハーシェル没後200年記念展」が先週で終わり、その撤収作業がありました。その際、「そういえば、来年はプラネタリウム100周年だそうですね」という話になりました。

現代のプラネタリウムの元祖である、ツァイス社の投影式プラネタリウムが誕生したのが1923年で、来年でちょうど100年。名古屋市科学館でも、それを記念する企画が進行中とのことで、今から楽しみです。のみならず、国際プラネタリウム協会(IPS)を中心に、世界中で関連の催しがあるのだとか。

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YouTubeに荒井由実さんの「雨の街を」がアップされているのに気付きました。

 夜明けの雨はミルク色
 静かな街に ささやきながら 降りて来る 妖精たちよ
 誰かやさしくわたしの肩を抱いてくれたら
 どこまでも遠いところへ 歩いてゆけそう

…で始まる、静かな、心の深いところにしみる曲です。
この曲のファンは多いと思いますが、私はこの曲を聞くと、あるひとつの情景が繰り返し浮かんできます。

The Alqueva´s Dawn sky © Miguel Claro)

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来年はプラネタリウム100周年。
そしてあの出来事から20年。

2003年4月26日の夜明けの空に向かって、一羽の蝶が静かに飛び立ちました。
その蝶が普通とちょっと違ったのは、八本の脚をもっていたことです。

■二階堂奥歯 『八本脚の蝶』

私には彼女のいう「恐怖」がどれほどのものだったかは分かりません。
そして、彼女は震えながら、長い間それに抗った末に、ひとつの選択をしました。

夜空の底に青がにじみ、星明りも徐々に消え、やがてブドウ色になる頃。
そのとき彼女の目に見えていた景色が、私には何となく荒井由実さんの歌と重なって感じられるのです。もちろん、それは私の勝手な思い入れに過ぎません。でも、その世界があくまでも透明であったことを強く願います。

『八本脚の蝶』は、彼女が自死した直後にネットで話題となり、時を隔てて文庫にもなりました。彼女の問いかけは、今も多くの人の心に、一種の宿題を残していると思います。

我ながらいかにも唐突な記事だと思いますが、いろいろなことが重なって、私の中で急にひとつの像を結んだので、文字にしておきます。

空を見上げて宿題の答を探す日々は、これからも続くことでしょう。

遠い呼び声2022年10月24日 21時02分45秒

昨日につづいて、天文とはあまり関係のない話をします。

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2~3年前に、ある凄愴な、あるいは荒涼とした光景を見たことがあります。

私が使っているプロバイダー(ASAHIネット)は、ブログサービスだけでなく、以前「電子フォーラム」というサービスを提供していました。電子フォーラムというのは、ASAHIネットの会員だけが書き込める専用の掲示板です。SFとか、俳句とか、お絵描きとか、そこにはいろいろなテーマの板があり、モデレーター(管理人)を中心に、同じ趣味の人がネット上で交流を楽しむという体のもので、今から思えば非常に素朴なメディアでしたが、当時は「ネットで交流する」こと自体が、多くの人にとって新鮮な経験でしたから、一時はなかなか盛況だったのです。時代でいえば、およそ90年代いっぱいから、せいぜいゼロ年代初頭までのことです。

ASAHIネットは非常にマイナーなプロバイダーですから、管理も十分行き届いてないところがあって、そのため、電子フォーラムの存在が人々の意識から消え去った後も、過去の書き込みが消されることなく、そっくりそのまま残されていました(最終的に閉鎖されたのは、ごく最近のことです)。

偉そうに書いたわりに、私自身は電子フォーラムを使った経験はないのですが、2~3年前、ふとした好奇心から、電子フォーラムをのぞき見したことがあります。そして、20年以上昔の人々の書き込みを眺めては、あれこれ感慨にふけったのでした。

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そのとき、ふと気がついたのです。
1人の高齢者が、亡霊のようにさまざまな板で書き込みを続けていたことに。
それはイタズラでもなんでもなく、ときに体調の不良を嘆きながら、ときに政治への不満をもらしつつ、誰かほかに書き込む仲間はいないか、必死に友を求め続ける声でした。

もちろん私は疑問に思いました。なぜ彼はツイッターでも始めて、新たな交流を求めないのか? 「でも…」とすぐに思い直しました。彼にとって、電子フォーラムはかけがえのない場であり、きっと最後の一人になっても、その活動の火を消したくないのだろうと。

その光景は、私にたむらしげるさんの作品「夢の岸辺」(初出1983)を思い起こさせました。



これは多義的な作品です。植物状態に陥った人の「脳内人格」の懊悩のようでもあり、「死せる宇宙」に残された最後の人間が、外宇宙との交流を必死に求めているようでもあります。いずれにしても、そこにあるのは絶対的な孤独です。

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昨日の記事を書いてから、心が少し感じやすくなっているのか、ゆくりなく上のことを思い出しました。そして電子フォーラムばかりでなく、この「天文古玩」も、今や同じ道をたどっていることを強く意識します。

ここは確かにネット上にオープンな形で存在しますけれど、2022年現在、ここは幹線道路や主要駅から隔絶した、「ぽつんと一軒家」状態で、訪れる人もまれです(今、この文字を読んでいる方はとてもご奇特な方です)。

このブログは、主に備忘とデータ集積のために続けているようなものですが、交流の目的が皆無というわけではありません。趣味の上で、同好の士と語らうというのは、心のなごむ経験ですから、ぜひそうしたいとは思います。でも、時代に適合しないものはどうしようもありません。


「こちらLesabendio、こちらLesabendio」


【おまけ】
ついさっき知った事実。たむらしげるさんが使った「Lesabendio」というのは、世紀末ドイツで活躍した奇想の文学者、パウル・シェーアバルト(Paul Karl Wilhelm Scheerbart、1863-1915)の作品、『LESABÉNDIO』に由来する言葉のようです。『LESABÉNDIO』は、小惑星パラスを舞台にしたSFチックな一種の寓話で、タイトルは作中に登場する人物名から採られています。

(シェーアバルト『星界小品集』、工作舎、1986)

【おまけのおまけ】
上に書いたことは、例によってネットで知りました。
「レザベンディオ」は、写真に写っている工作舎の『星界小品集』には、残念ながら未収録なのですが、もう1冊の邦訳書『小遊星物語』(桃源社、のちに平凡社ライブラリー)には入っているそうでなので、そちらも購入してみようと思います。

記憶の果てに2022年10月26日 06時50分53秒



前回の記事を書いた直後に、舞い込んだ1枚のはがき。
そこには「記憶の果てに」と書かれていました。


八本脚の蝶、遠い呼び声、そして記憶の果てに――。
これは私一人の感傷に過ぎないとはいえ、こうした一連の表象が全体として新たな意味を生じ、私の心に少なからずさざ波を立てたのでした。


差出人は、「秩父こぐま座α」さん。
秩父はまだ訪れたことがなく、まったく聞き覚えのないお名前です。そこに謎めいた興味を覚え、しげしげ眺めると、はがきの隅に時計荘さんのお名前を見出し、ようやく合点がいきました。


時計荘の島津さゆりさんによる、ツイッター上での告知()を下に転記しておきます。

■時計荘展 「記憶の果てに」
 秩父・こぐま座α @cogumazaa にて
 11/11(金)~11/21(月)の金土日月曜のみ営業 11~17時 ※ワンオーダー制
 画像のような新作のほか、人形作家の近未来さん @pygmalion39 のギャラリーカフェにちなんで、人形作品を入れて遊べるジオラマ作品もお持ちします。
 いつでもお立ち寄りください。そして気軽にお声がけいただければ嬉しいです。

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私から見ると遠い秩父の町。
しかし秩父の名に、私はある親しみを感じます。秩父は稲垣足穂の少年時代の思い出と連なっているからです。足穂少年が手元に置いて、日々愛読した鉱物入門書には、鉱物採集の心得として、「東京近郊には先ず秩父がある」の文句があり、足穂はなぜかこのフレーズが脳裏を離れず、皇族「秩父宮」の名を新聞で見ただけで、即座にその鉱物書を連想した…と、彼は『水晶物語』で述懐しています。

秩父は鉱物の郷であり、水晶の郷です。
そこに分け入って、時計荘さんの鉱物作品と出会う場面を想像するだけでも、私にとっては至極興の深いことです。

(遠い記憶の果ての、さらにその向こうに…)

星図収集、新たなる先達との出会い2022年10月29日 08時22分55秒

「星図コレクター」というと、質・量ともに素晴らしい、書物の中でしかお目にかかったことがないような、ルネサンス~バロック期の古星図が書架にぎっしり…みたいなイメージがあります。

そういう意味でいうと、私は星図コレクターでも何でもありません。
典雅な古星図は持たないし、特に意識してコレクションしているわけでもないからです。でも、19世紀~20世紀初頭の古びた星図帳なら何冊か手元に置いています。そして、そこにも深い味わいの世界があることを知っています。ですから、星図コレクターではないにしろ、「星図の愛好家」ぐらいは名乗っても許されるでしょう。同じような人は、きっと他にもいると思います。

そういう人にとって、最近、有益な本が出ました。
まさに私が関心を持ち、購書のメインとしている分野の星図ガイドです。


■Robert W. McNaught(著)
 『Celestial Atlases: A Guide for Colectors and a Survey for Historians』
 (星図アトラス―コレクターのための収集案内と歴史家のための概観)
 lulu.com(印刷・販売)、2022

「lulu.com(印刷・販売)」と記したのは、これが自費出版あり、lulu社が版権を保有しているわけではないからです。lulu社はオンデマンド形式の自費出版に特化した会社で、注文が入るたびに印刷・製本して届けてくれるというシステムのようです。
同書の販売ページにリンクを張っておきます。


著者のマックノート氏は、巻末の略歴によればエディンバラ生まれ。少年期からアマチュア天文家として経験を積み、長じて人工衛星の航跡を撮影・計測する研究助手の仕事に就き、ハーストモンソー城(戦後、グリニッジ天文台はここを本拠にしました)や、オーストラリアのサイディング・スプリング天文台で勤務するうちに、天文古書の魅力に目覚め、その後はコレクター道をまっしぐら。今はまたイギリスにもどって、ハンプシャーでのんびり生活されているそうです。(ちなみに、マックノート彗星で有名なRobert H. McNaught氏とは、名前は似ていますが別人です。)


本書は、そのマックノート氏のコレクションをカタログ化したもの。判型はUSレターサイズ(日本のA4判よりわずかに大きいサイズ)で、ハードカバーの上下2巻本、総ページ数は623ページと、相当ずっしりした本です。


収録されているのは全部で292点。それを著者名のアルファベット順に配列し、1点ごとに星図サンプルと書誌が見開きで紹介されています。

(日本の天文アンティーク好きにもおなじみの『Smith's Illustrated Astronomy』)

そこに登場するのは、いわゆる「星図帳」ばかりではなく、一般向けの星座案内本とか、星図を比較的多く含む天文古書、さらに少数ながら、星座早見盤や星座絵カードなども掲載されています。時代でいうと、18世紀以前のものが零葉を含め30点、1950年以降のものが16点ですから、大半が19世紀~20世紀前半の品です。これこそ私にとって主戦場のフィールドで、本当に同好の士を得た思いです。

(同じくギユマンの『Le Ciel』)

もちろんこれは個人コレクションの紹介ですから、この期間に出た星図類の悉皆データベースになっているわけではありませんが、私がこれまでまったく知らずにいた本もたくさん載っていて、何事も先達はあらまほしきものかな…と、ここでも再び思いました。

本書の書誌解題には、当該書の希少性について、マックノート氏の見解が記されていて、「わりとよく目にするが、初期の版で状態が良いものは少ない」とか、「非常に稀。全米の図書館に3冊の所蔵記録があるが、私は他所で見たことがない」…等々、それらを読みながら、「え、本当かなあ。それほど稀ってこともないんじゃないの?」と、生意気な突っ込みを入れたりしつつ、マックノート氏と仮想対話を試みるのも、同好の士ならではの愉しみだと感じました。

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円安の厳しい状況下ではありますが、この本で新たに知った興味深い本たちを、これから時間をかけて、ぽつぽつ探そうと思います。(こうなると、私もいよいよコレクターを名乗ってもよいかもしれません。)

死者はどこからやって来るのか?2022年10月30日 11時57分56秒

 陽が沈み 宵闇が濃くなりまさるとき
 あらゆる死者はよみがえり
 夜通し円舞し うたいさざめけど
 ひとたび曙光がほのめけば
 みなうたかたの如く消え失せぬ


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(元記事 http://mononoke.asablo.jp/blog/2017/02/05/8351402


ハロウィンは秋と冬の節目の行事で、この日は死者がよみがえり、家族の元を訪ねてくるので、それを饗応しないといけない…というのは、日本のお盆とまったく同じですね。


でも、よく「死んだらお星さまになる」とも言います。

言い換えれば、毎晩見上げる星空は、そのまま亡者の群れであり、我々は毎晩死者に見下ろされながら、晩餐したり、眠ったりしていることになります。この説にしたがえば、死者が身の回りを跳梁するのは、何もお盆やハロウィンに限らないわけです。


まあ、毎日これだけ多くの人が亡くなっていると、空もすぐ星でいっぱいになりそうなものですが、そこはうまくしたもので、流れ星も夜ごとに降ってくるし、あれは死者の世界から地上に生まれ変わる人の姿なんだ…というのは、パッとは出てきませんが、きっとそういう伝承が各地にあることでしょう。


それでプラマイゼロ、空の星も地上の人口も、数の均衡が保たれる理屈です。

でも、産業革命以降、世界人口は爆発的な増加傾向にあり、どうも空の星のほうが払底しそうな勢いです。現に空に見える星の数が、文明の進展とともに目に見えて減っているのは、周知のとおりです。


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…というような軽口で終わろうかと思いましたが、ふと「死んだらお星さまになる」の由来が気になりました。


パッと検索すると、「人間は死んだら星になるって本当ですか?」という疑問は、日本でもアメリカでも繰り返し質問サイトに寄せられており、この件に関する人々の関心は非常に高いようです。


(質問サイトQUORAより。 右側の「関連する質問」にも注目)


中には「そのとおり。人間を構成する物質は星から生まれ、そして死ねば星に還るのだ」というような、すこぶる“科学的”な回答もありましたが、この伝承の起源そのものはよく分かりませんでした。


「星になった人」というフォークロアは世界中にあって、身近なところでは牽牛(彦星)もそうですし、出雲晶子さんの『星の文化史事典』を開くと、「星になった兄弟」(タヒチ)、とか、「星になった椰子取り」(パラオ)とか、「星の少年」(カナダ)とか、いろいろ出てきます。西南政争で横死した西郷隆盛が星になったという、「西郷星」の逸話なんかも、その末流でしょう。昔の人の心の内では、地上と天上は意外なほど近く、往還可能なものだったことがうかがえます。


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ネット上を徘徊していて、この件でキケロの名前を挙げている人がいました。


Q 死んだら星になる、と聞いたことがあるのですが、元ネタがもしあれば教えてください。
A ギリシャ神話じゃないですか?亡骸を星に変えた、星になった事でずっと一緒にいられる、功績を称えられ星座としてのこされた……などなど。あと、そういう感じの思想を説いた(?)人物なら、ローマの政治家だったキケロとか。

(小説の創作相談掲示板:小説の書き方Q&A スレッド名「死んだら星になる」


(キケロの胸像。カピトリーノ美術館蔵。©Glauco92)


キケロ(Marcus Tullius Cicero、BC106-43)は古代ローマの文人政治家です。

ここでキケロを手がかりに更に追っていくと、どうも彼の「スキピオの夢(Somnium Scipionis)」に、その記述があるようでした。


スキピオ(小スキピオ)は、キケロよりもさらに前代のローマの執政官で、キケロからすると祖父または曽祖父の世代にあたる人です。そのスキピオが見た夢に仮託して、宇宙の成り立ちについて説いたのが「スキピオの夢」で、彼の主著『国家論』のエピローグとして書かれました。


「スキピオの夢」については、その訳文と解説が以下にあります。


■池田英三「スキピオの夢」研究、北海道大学人文科学論集、2巻、pp.1-32.

 https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34270/1/2_PL1-32.pdf


スキピオは、夢の中で尊敬する祖父スキピオ(大スキピオ)と対話し、いろいろな教えを受けます。大スキピオは小スキピオの問い――すでに亡くなった人々も、実は生きているのですか?――に答えて、「いかにもこの人々は生きているのだ。彼等はあたかも牢獄から釈放される如くに、肉体の束縛から飛び去ったのであって、お前達の所謂生とは本当は死に外ならないのだ」と言います。生とは肉体の牢獄に捕縛された「魂の死」であり、死んでそこから解放されることこそ「魂の生」なのだ…というわけです。


大スキピオの言葉はさらに続きます。

我々の魂のふるさと、そして死後に還るところは、「お前たちが星座とか星辰とか呼んでいるあの永久の火焔」であり、死者の集いに参加するための道が、「(星辰の)火焔の中でもとりわけ光彩陸離たる円環」であり、ギリシャ人が「乳白の圏」と呼んだ天の川なのだと。


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とはいっても、これはキケロの創案ではなく、当時広く行きわたっていた観念に、彼が文飾を施したものだろうとは容易に想像がつきます。したがって、「死んだらお星さまになる」という観念の真の淵源は依然はっきりしないのですが、これはたぶん一人の人に帰せられるような単純なものでもないのでしょう。


とはいえ、キケロの時代には既にこうした考えがあったことはこれで分かります。またキケロは中世以降のヨーロッパで大変な知的権威でしたから、「キケロ曰く」と引用されることで、この観念が広まる上で大いに力があったろうことも確かだと思います。



【メモ:関連記事】

■スターチャイルド

 http://mononoke.asablo.jp/blog/2018/07/02/8907960

■スターチャイルド(2)

 http://mononoke.asablo.jp/blog/2018/07/03/8908168