電子古書2010年03月11日 07時54分39秒

余談ですが、きょう小耳にはさんだ情報。
グーグルが、ローマとフィレンツェにあるイタリア国立図書館の古書100万冊を、自前でスキャンする計画がスタートするらしいです。

http://www.physorg.com/news187442405.html

上の記事によれば、これはグーグル社とイタリア文化省との正式合意によって決まったもので、ガリレオの貴重な著作を含む、19世紀以前の版権の切れた本を、とにかく何でもかんでもスキャンしまくるのだそうです。

イタリア文化相は、「1966年のフィレンツェ洪水では、何千冊もの本が失われたが、今回の計画によって、本の内容は永遠に保存されることになろう」云々と述べたとのこと。

スキャンしたものは当然グーグルブックで無償公開されるのでしょう。
グーグルの太っ腹にも驚きますし、その利便性は甚だ大きいと思いますが、いろいろ考えさせられる話でもあります。

「紙の本の終焉」を嘆くという、月並みな感想もなくはないですが、イタリア文化相が本当に上のように言ったとすれば、いささかお目出度い話ではないか…と思います。何となく「累卵」という言葉を連想します。

電子書籍の利点は、検索機能と(当面の)スペースの節約であって、データの永続性は最初から考えない方がいいのではないでしょうか。(むしろ、データを紙に打ち出して、はじめて「ああ、これで最悪の事態は回避できた」と思うのが一般人の感覚だったりするので、なんだか話がさかさまのような。)

コメント

_ ich ― 2010年03月11日 22時55分21秒

>データの永続性
確かにそうかもしれませんね。
ただ、私は最近一度電子化というかネット上にアップロードされたものはネットが「記憶」するんじゃないかという気がしています。
単なる媒体への「記録」という意味ではなく。

_ 玉青 ― 2010年03月12日 22時08分14秒

○ichさま

なるほど、確かに単体のメディアへの記録とは違った要素がありそうですね。
そして多くのマシンに共有され、徐々に強化されていく記憶もあれば、うたかたのように消えていく記憶もある…という具合で、ネット上の情報の在り方は、人間の記憶とよく似ているようです。

人と同じく、ネットもいつか死を迎えるのかどうかは…神のみぞ知る、でしょうか。

_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2010年03月13日 00時37分21秒

 こんばんは.
 Googleもすごいことやりますね.これで無料一般公開となると,本当に太っ腹ですね.それを期待してまちわびている人もさぞや多いことでしょう.
 ちなみにわたしは,自分の手持ちの資料はほとんど電子書籍で持っています.そこそこの量があり全部紙にしてしまうとスペースをたくさん使ってしまうので,必要なページだけ出力するようにしています.データは定期的にバックアップをとるようにしています.
 もっとも,確かに電子媒体だけでは信用できないところもあるので,自分の研究の肝になるような文献については,紙のかたちでも保管しています.

_ 玉青 ― 2010年03月13日 21時26分15秒

日昆研さん(と勝手に略して申し訳ありません)のようなお話を、最近諸所で伺いますが、そのたびに何だか自分がものすごく旧弊な人間のように感じられます。

確かに、モノとしての価値を有する本もある一方、周囲には媒体が紙であろうがなかろうが、全然関係ない資料もたくさんあるので、そういうのをエイヤッと片付けたら、さぞスッキリするだろうと思います。が、仮にそのためのハードが揃っていても、たぶんそういう風にはできそうもないですね。

単に紙フェチなのかもしれません(笑)。

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